06 女神はFカップ
セリーヌは、乱れた呼吸を整えながら小さく咳払いした。
「お顔を上げてください。ここはお互い様ですし……こんなことで力を使っては、長老に叱られるでしょうか……」
「え? なんか言ったか?」
「いえ。なんでもありません」
後半は聞き取れなかったが、とにかく事態が大きくならずに済んだらしい。危うく“スケベ”どころか、“ケダモノ”扱いされるところだった。
ふと、彼女の腕輪に目が止まる。
「その腕輪……」
加護の腕輪に刻まれたラインの色が変わっている。ランクEは黒のはずだが、鮮やかな黄色のラインが走っている。
「気が付かれましたか? 実は先日、ランクDへ昇格したのです」
「昇格!? まだ二ヶ月だろ!?」
思わず声が裏返ってしまう。俺の最速記録に迫る勢いだ。
「本当にDなのか?」
腕輪を見つめていると、セリーヌが胸元を右腕でそっと隠した。頬までみるみる赤く染まっていく。
「あの……その……ぇふ、です……」
「F? そんな階級、聞いたことねぇぞ」
「はわわっ!? ランクのお話だったのですか?」
慌てて胸元を押さえる仕草。豊かな膨らみ。
つまり、そういうことか。なんてけしからん体だ。
「紛らわしい聞き方をしないでください。下敷きにしてしまったお詫びにと答えたのに……絶対に誰にも言わないでくださいね」
ぷくっと頬を膨らませる姿に、苦笑が漏れる。
不思議だった。一緒にいると妙に落ち着く。柔らかな笑みには、包み込まれるような安心感がある。
でもFと聞いてしまった以上、どうしても視線が吸い寄せられてしまう。
「いやらしい目で見ないでください。それに……ふたりきりだなんて」
「まだそんなこと言ってるのか」
ギルドで見かけるたび、彼女は微妙に距離を取っていた。
俺だって、傷付いてるんだぞ。
「そういえば話の途中でしたね。ランクDになれたのは、ナルシスさんが同行してくださったお陰です」
思い出したように話を戻してきたが、天然な性格は相変わらずだ。
しかし、昇格にあの男が関わっていると知った瞬間、胸の奥がざらつく。
ナルシスと組めば、受けられる依頼の幅はランクCまで広がる。俺だってフェリクスさんと旅をしたからこそ、一気にAまで駆け上がれた。
「だったら、俺を誘ってくれれば……」
「あなたがスケベなのは間違いありません。それに、ナルシスさんが頻繁に声を掛けてくださって……今日もこうして魔獣討伐に……」
あいつに先を越されるわけにはいかない。セリーヌは絶対に欲しい戦力だ。
もちろん下心がゼロとは言わないが、それ以上に本気で仲間に誘いたい。
ただ、告白みたいで気恥ずかしくて、ずっと言い出せなかった。でも、ナルシスに取られるくらいなら。
「だったら、俺とパーティを……」
「あぁっ!」
突然の叫び声に、ラグが俺の左肩から転がり落ちた。
「ナルシスさんを忘れておりました。まだ上で魔獣と戦っていらっしゃるはずです」
「あいつなら大丈夫だろ」
「そうはいきません。ナルシスさんは……すごいものを持っていらっしゃるのです」
「すごいもの?」
セリーヌが、なぜか頬を赤らめる。
「本当に驚きました。あれほど大きなものは初めてで……中にも入りきりませんし、口になんてとても……」
なにやら興奮しているが、卑猥なことしか想像できない。
細くくびれた腰と、薄紅色の唇へ視線が吸い寄せられてしまう。
「中にも口にも入りきらないって……」
世界が砕けた気がした。まさか、至宝が他の男に奪われたのか。
「言葉が足りませんでしたね。ボンゴ虫です」
「は?」
「大きな成虫をたくさん見付けまして。私の道具袋の中には入りきらず、ナルシスさんのリュックへ詰めていただいたのです」
紛らわしい。一瞬でもナルシスに殺意を抱いた自分が恥ずかしい。
「じゃあ、あいつ今、ボンゴ虫でパンパンのリュックを背負って戦ってるのか?」
「はい。きっと」
だいぶ斬新な戦い方だ。
ナルシスの好感度が、今静かに死んだ。
「ボンゴ虫はどうでもいいけど、見に行こう」
「お待ちください」
なんだか険しい顔をしている。
「いま……なんと仰いました?」
「え?」
「ボンゴ虫はどうでもいい、と。謝罪してください」
「そこ!?」
セリーヌは革袋をごそごそ漁り、丸々と太った手乗りサイズのボンゴ虫を取り出した。
「この子が代表です」
この流れは、素直に謝るしかなさそうだ。
「どうもすみませんでした……」
「もっと感情を込めてください。食堂でお客様へ謝罪する時も、そのような態度なのですか?」
「誠に申し訳ございませんでしたっ!」
とんでもない鬼隊長だ。帰りたい。
「以後、気を付けてください」
満足そうに微笑んでいるが、ボンゴ虫でここまで怒る理由がまったくわからない。
いや、もうこの悪夢は忘れよう。彼女との間に起きた運命の悪戯。それだけ覚えておけばいい。
俺、吟遊詩人になれるかもしれない。
とはいえ、少しでも名誉挽回はしておきたい。気持ちを切り替え、冒険者としての話題へ戻した。
「ところで、討伐記録はちゃんと取ってるか? 横取りされないようにな」
「ナルシスさんから教わりました」
「念のため確認だ。加護の腕輪に付いてる魔力映写の機能について説明してみてくれ」
「はい。静止映像を記録するための機能ですよね。腕輪の位置情報と映写記録の日時によって信憑性を管理し、報酬受領の不正を防止している、と伺いました」
「完璧だな。でもな、最近は随分と物騒になっててさ……」
そこで少し声を落とす。
「討伐直後の疲弊した冒険者を襲う同業者や盗賊が増えてるんだ。報酬を受け取るには加護の腕輪が必要なんだけど、それごと奪う。本人になりすまして金を受け取る犯罪が横行してるらしいんだ」
「それについても伺っております。貴重な助言をありがとうございます」
セリーヌも表情を引き締めた。
利益のために、人同士が争うとは嫌な時代だ。
そんなことを思っていると、セリーヌがふと険しい表情になった。
「リュシアンさん……気付いていらっしゃいますか?」
「何がだ?」
「この森に漂う不穏な魔力です。ランクールで感じた、あの力に似ています。それに……ずっと見られているような気配がするのです」
静かな声なのに、背筋が冷えた。
俺にはわからないが、セリーヌが言うなら間違いない。
「ってことは、ここが“蜘蛛に囚われた森”で間違いなさそうだな」
胸の奥へ、ようやく確信が落ちてくる。
「この森が?」
「どうせ、ここを選んだのもナルシスだろ。強い魔獣を倒せば報酬も跳ね上がるし、あいつなら飛び付きそうだ」
借り物の剣を抜きながら続ける。
「ちょうどいい。ランクールの件に関わってた終末の担い手。あの男を見付けて、今度こそ止めるぞ」
すると、セリーヌの顔色が変わった。
「リュシアンさん。その剣は!?」
「借り物だ。俺の剣は魔獣に奪われて、今そいつを追ってる」
彼女の顔から血の気が引いていく。
そういえばセリーヌは、神竜剣に強い興味を示していた。ランクールから戻る時も、見せてほしいとせがまれたくらいだ。
「軽率ではありませんか?」
先ほどまでの柔らかな雰囲気が嘘のように消えていた。
「神器を奪われた重大さを、理解していらっしゃいますか。それは……命を懸けてでも守るべきものです」
「神器?」
迫ってくる気迫に、呆然とするしかなかった。





