表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢の幼馴染(モブ)に転生しました 〜断罪イベントで彼女を救ったら、王子たちの嘘が崩れ始めた〜  作者: あうまる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/23

第9話 本来ここにいない人

 その夜は眠れなかった。

 王城からクライゼル家の屋敷に戻ったのは遅い時間だった。父上は帰ってすぐに書斎へ入った。母上は俺の顔を見るなり何か言いかけたが、結局何も言わず温かい茶を出してくれた。

 ありがたい。こういう時の茶は命に効く。

 ただ、味はよくわからなかった。

 ミリアの声が耳に残っていた。

 違うのに。こんなはずじゃなかったのに。

 泣いているようで笑っているような声。失敗した人間の声、と言えば近いかもしれない。

 けれど、もっと根が深い。決まっていた何かが崩れた時の声だ。

 俺は前世で乙女ゲームを知っている。はなはじのシナリオも、断片的には知っている。でも、ミリアのあの声を、攻略を間違えたプレイヤーの落胆とは呼びたくなかった。

 もっと嫌なものだ。

 実際に何かを失った人間の声に近かった。


「……寝ろよ、俺」


 自分で自分に言ってみた。

 返事はない。当たり前だ。

 窓の外は暗い。屋敷の廊下は静まり返っている。こんな時間に起きているのは、俺と父上くらいだろう。

 父上の書斎には、まだ明かりがついていた。

 怒られるかな。

 いや、昨日から怒られる材料が多すぎて、順番待ちをしている状態だ。王子の剣を止める。王城で事情聴取を受ける。ヒロインに名指しで意識される。

 役満では?

 そんな馬鹿なことを考えたが、すぐに消えた。

 エレオノーラの指の冷たさを思い出したからだ。

 彼女は泣かなかった。震えも押さえていた。あの場で顎を上げたまま帰った。

 でも、俺の袖を掴んでいた手は冷たかった。

 その手を思い出すと、いつもの軽口が喉の奥で止まる。

 俺は結局、ほとんど眠れなかった。


 翌朝。

 父上に呼ばれた。行き先は書斎だ。

 嫌な予感しかしない。


「入れ」

「失礼します」


 扉を開けると、父上が机の向こうにいた。服は替えている。だが顔が昨日から寝ていない人のそれだった。

 俺は口を閉じた。藪をつつけば父上が出てくる。洒落にならない。


「王城から連絡があった」

「はい」

「ボルマン副学園長が拘束された」

「……早いですね」

「逃亡の準備をしていた」


 なるほど。

 それは早く捕まる。


「執務室から書類が押収された。燃やされた紙もある。燃え残りもある」

「燃え残りですか」

「ああ」


 父上はそこで少し黙った。

 机の上に置かれた封筒へ視線を落とす。封筒の赤い封蝋がやけに目立った。


「俺に関係ありますか」

「ある」


 即答だった。

 朝から心臓に悪い。


「お前の名があった」

「俺の名?」

「アルト・フォン・クライゼル。何度も書かれていたそうだ」


 俺は口を閉じた。

 筆跡の練習か。それとも名簿か。

 どちらにせよ気分はよくない。

 名前というのは不思議だ。自分で書く分にはただの文字なのに、知らない相手が何度も書いたと聞くと、急に気味が悪くなる。


「エレオノーラの名もある」


 父上の声が少し低くなった。


「レオンハルト殿下の名。ミリア・ベルティナの名。ほかにも数名。だが一枚だけ、妙な紙が混じっていた」

「妙な紙」

「学園の記録でも証拠書類でもない。個人の覚え書きのようなものだ」


 父上は封筒を指で押さえた。


「王城で確認する。お前も来い」

「俺もですか」

「お前の名がある」

「ですよね」


 逃げ道はなかった。


「エレオノーラも来ますか」

「レインフォード公爵の判断次第だ」

「来そうですね」

「来るだろうな」


 父上は立ち上がった。


「アルト」

「はい」

「今日は余計なことを言うな」

「昨日も言われました」

「昨日言われて足りていないから今日も言う」

「はい」


 正論は痛い。

 でも父上の顔には、怒り以外のものもあった。

 眠れていない顔で、俺を見ている。


「それと」

「はい」

「彼女の前で笑うな」


 彼女。

 エレオノーラのことだろう。

 俺は姿勢を正した。


「承知しました」


 父上はうなずいた。それ以上、言葉を足さなかった。


 王城の廊下は、昨日より足音が響いた。

 廊下を歩く使用人たちの足音が小さい。近衛の顔も硬い。王族の不祥事が一晩で軽くなるわけがない。


 案内されたのは、昨日とは別の部屋だった。

 広すぎず狭すぎず。机は一つ。椅子は人数分。窓の近くに近衛が二人。

 ユリウス殿下が先に来ていた。ラウレンツ宰相もいる。フェリクス殿が壁際に立っていた。

 そして、オスカー公爵とエレオノーラもいた。

 エレオノーラは昨日より少し顔色が悪い。だが顎は上がっている。

 いつもの彼女だ。

 いや、いつものように見せようとしている彼女だ。


「おはよう、アルト」

「おはよう。無理してないか」

「していないわ」


 即答だった。

 嘘だな。俺でもわかる。

 でもここで言い返すと彼女の意地を折る。だから黙った。

 エレオノーラの視線が一度だけ床へ落ちた。伝わったのかもしれない。

 ユリウス殿下が机の上へ木箱を置かせた。


「ボルマンの執務室から押収したものだ」


 木箱の中には紙束が入っていた。焦げた紙。端が黒くなった封筒。練習用らしい紙片。それから、革の表紙が半分焦げた小さな手帳。

 紙の焦げた匂いがした。

 ラウレンツ宰相が一枚を取り出す。


「こちらは偽造用の練習紙です。レインフォード公爵令嬢の署名を真似た跡がございます」


 エレオノーラのまつげが少し動いた。

 自分の名が勝手に使われた。この時点で、十分気持ちが悪いはずだ。


「こちらにはアルト殿の名が」

「俺の名前まで練習してどうするんですかね」


 つい口から出た。

 父上の視線が飛ぶ。俺は口を閉じた。

 すみません。まだ始まったばかりでした。

 ユリウス殿下は咎めなかった。ただ焦げた手帳を見ている。


「問題はこちらだ」


 フェリクス殿が手袋をつけたまま手帳を開いた。

 焦げて読めない箇所が多い。それでも中央あたりの何枚かは残っていた。

 ユリウス殿下が俺たちを見た。


「先に言っておく。これは証拠としては扱いにくい。誰の筆跡かも鑑定中だ。だが内容が看過できない」


 俺は息を吐こうとして、うまく吐けなかった。

 フェリクス殿が一枚を読み上げる。


「レオンハルト様。正義感が強い。婚約者に不満あり。守るべき相手を見せれば動く」


 記録官の羽ペンが紙の上で止まった。

 レオンハルト殿下の名前。性格。動かし方。

 まるで攻略メモだった。

 俺は前世で攻略サイトを見たことがある。

 好感度が上がる選択肢。イベントの起こし方。相手の弱点。

 ああいうものに似ている。似ているが、紙から受ける感じはもっと嫌だった。

 遊びのメモにしては、紙の向こうが冷えすぎていた。

 人を動かすためのメモだ。


「続けます」


 フェリクス殿の声が少し硬い。


「カイル様。力を認めれば守る。怒りやすい。考える前に動く」


 カイル・ローデン。

 レオンハルト殿下の取り巻きの一人だ。


「セドリック様。理屈を与える。正当化を好む。間違いを認めない」


 セドリック・バルシュミット。

 ああ、いたなそんなやつ。昨日から名前だけで胃に悪い。


「ノエル様。寂しさを見せる。味方になってくれる」


 エレオノーラの顔がわずかに強ばった。

 彼らは人間として書かれていない。

 鍵穴と鍵の形だけを書かれているようだった。

 どこを押せば動くか。

 どこを撫でれば味方になるか。

 俺は気づかないうちに拳を握っていた。

 ユリウス殿下が低い声で言う。


「次を」


 フェリクス殿は少しためらった。

 そのためらいで、俺はわかった。

 次はエレオノーラだ。


「読まなくていい」


 言葉が先に出た。

 部屋中の視線がこちらに向く。

 父上だけは怒らなかった。オスカー公爵もだ。

 エレオノーラが俺を見た。


「アルト」

「読まなくていい」


 もう一度言った。

 俺の声は自分で思ったより低かった。


「君が聞く必要はない」

「私のことなのでしょう」

「だからだ」

「なら、なおさら聞くわ」


 エレオノーラは膝の上の手をゆっくり開いた。強く握っていたのか、指先が白くなっていた。


「知らないところで決めつけられたのなら、自分で聞くわ。逃げたら、あの場で俯いたままの私と同じでしょう」


 俺は何も言えなくなった。

 オスカー公爵が娘を見ている。止めたい顔だった。

 だが、止めなかった。

 フェリクス殿はユリウス殿下へ視線を向ける。

 ユリウス殿下は一度うなずいた。


「読む」


 フェリクス殿は焦げたページを押さえた。


「エレオノーラ・レインフォード。悪役令嬢。高慢。婚約者への執着あり。断罪の日に退場」


 短い文章だった。

 ただの文字だ。

 焦げた紙に残った黒い文字。

 それだけなのに、部屋の中で何かが落ちた気がした。

 エレオノーラは動かなかった。瞬きもしない。

 俺は息をするのを忘れかけた。


「……悪役令嬢」


 彼女が声を落として言った。

 その言葉が、俺の知っている言葉とは違って聞こえた。

 俺にとって悪役令嬢は乙女ゲームの役名だ。前世の知識の中にある言葉だ。

 だがエレオノーラにとっては違う。

 今、自分へ貼られた札だ。

 人間扱いされず、札に変えられていた証だ。


「私の名前は、そこにないのね」


 エレオノーラの声は震えていなかった。

 それが逆に痛かった。


「エレオノーラ」


 オスカー公爵が呼ぶ。

 彼女は父親を見なかった。机の上の手帳を見ていた。


「高慢。執着。退場。ずいぶん簡単なのね。私という人間は」


 俺は立ち上がりかけた。

 父上の手が俺の肩を押さえた。力は強くない。

 でも止まった。

 今、俺が怒鳴っても彼女のためにはならない。

 父上はそう言っているのだと思う。

 わかっている。

 わかっているけど腹は立つ。

 フェリクス殿が次の行へ目を落とした。


「アルト・フォン・クライゼル。不要。記載なし。断罪に関与しない。本来ここにいない」


 今度は俺の番だった。

 不要。記載なし。本来ここにいない。

 ひどい言われようである。

 いやまあ、ゲームだと本当にほぼ出てこないモブだったので否定しにくい。そこは否定しにくいが、本人を前に不要と書くのはやめてほしい。

 でも俺の傷は浅い。

 もともと自覚がある。

 問題は、その一文をエレオノーラが聞いたことだった。

 彼女は俺を見た。


「あなたも」

「俺は大丈夫」

「でも」

「俺は昔から影が薄いし」

「今は影の濃さの話をしていません」


 怒られた。

 少し安心した。

 怒る余裕があるなら、まだ大丈夫だ。

 そう思いたかった。

 フェリクス殿が手帳を閉じようとした。


 その時、焦げたページの間から小さな紙片が落ちた。

 床にひらりと落ちる。近衛が拾い上げ、ユリウス殿下へ渡した。

 ユリウス殿下の顔が変わった。


「フェリクス」

「はい」


 紙片はフェリクス殿に渡る。

 彼は目を通し、一瞬だけ口を閉じた。


「読み上げろ」


 ユリウス殿下の声は硬かった。

 フェリクス殿は短く息を吸った。


「今回は最後。全員を選ぶ。レオンハルト様は断罪で決める。エレオノーラは消す。アルトは邪魔」


 記録官の羽ペンが止まり、誰かが椅子の肘掛けを握った。

 今回は最後。

 全員を選ぶ。

 前世の俺なら、隠しルートの文字列として読み流したかもしれない。

 だが今は、焦げた紙と机を挟んでエレオノーラが座っている。

 彼女は昨日、実際に斬られかけた。

 ニーアは脅されて逃がされた。

 レオンハルト殿下は剣を抜いた。

 全員を選ぶために誰かを消す。

 その言葉が紙に残っている。


「消す、ですか」


 エレオノーラが言った。

 静かだった。静かすぎて怖かった。


「私は退場では足りず、消される予定だったのですね」

「エレオノーラ様」


 ラウレンツ宰相が声をかける。

 彼女は首を振った。


「申し訳ありません。少し、廊下へ出させてください」


 オスカー公爵が立ち上がる。


「私が」

「父様」


 エレオノーラは父親を見た。


「アルトと行ってもよろしいですか」


 オスカー公爵の眉がわずかに動いた。

 父上も俺を見る。

 俺は口を閉じた。

 言えば変なことを言いそうだった。

 少しの沈黙のあと、オスカー公爵がうなずく。


「遠くへは行くな」

「はい」


 俺も一礼して立ち上がった。

 廊下を出てすぐの小さな中庭へ向かった。

 王城の中にある庭だ。白い石畳と低い生け垣。花は咲いているが、色は抑えられている。

 こういうところまで品がいい。

 王城ってやつは油断ならない。

 エレオノーラは石畳の端で立ち止まった。

 風が彼女の髪を揺らす。

 俺は少し後ろに立った。


「アルト」

「うん」

「私は、そんなに嫌な人間だったのかしら」


 喉の奥が詰まった。

 いつもの言葉は出てこなかった。


「違う」


 短く言った。


「でも、あの紙にはそう書いてあったわ」

「紙が勝手に決めただけだ」

「レオンハルト殿下も、他の方たちも、きっとそう見ていたのでしょうね」

「全員じゃない」

「そうね」


 エレオノーラは振り返らなかった。


「あなたは違った」


 その声が少し揺れた。


「あなたは、私を名前で呼んでくれたわ」

「当たり前だろ」

「今は、そう言い切れないのよ」


 彼女の手がドレスの布を握る。


「私は公爵令嬢だから、強くなければいけないと思っていた。王子の婚約者だから、隙を見せてはいけないとも思っていた」


 エレオノーラは唇を一度閉じた。


「少しきつく言えば高慢と言われる。黙れば冷たいと言われる。笑えば媚びていると言われる。それでも仕方ないと思っていたわ」


 風が止んだ。


「でも、知らないところで悪役令嬢なんて名前を付けられていたのは……こたえるわね」


 語尾が消えかけた。

 そんな軽さで済むはずがない。

 俺は一歩だけ近づいた。


「エレオノーラ」

「何?」

「俺はお前が好きだよ」


 彼女の肩が跳ねた。

 しまった。

 今言うことだったか。

 いやでも言ってしまった。戻せない。

 俺は咳払いした。


「変な意味じゃなく」

「変な意味はないの?」


 振り返ったエレオノーラの目が少し赤い。

 でも口元は、少し意地悪だった。

 戻ってきた。

 俺の知っている彼女が少し戻ってきた。


「いや、変な意味もあるかもしれない」

「そこははっきりしなさい」

「今は真面目な話をしているので」

「あなたが始めたのでしょう」


 その通りです。

 俺は頭をかいた。


「とにかく。悪役令嬢とか退場とか消すとか、そんな紙切れの言葉より、俺は俺の知っているお前を信じる」


 エレオノーラは黙った。


「川辺で転んだ俺を見て慌てたお前も。俺の忠告を話半分に聞きつつ一応守ってくれたお前も。今日みたいに傷ついても背筋を伸ばすお前も。全部知ってる」


 逃げ道はなかった。


「だから、勝手に決められるな」


 エレオノーラの目が揺れる。


「勝手に負け役にされるな。勝手に消されるな。そんなもの、俺が許さない」

「……あなたは」

「うん」

「時々、とてもずるいわ」

「ほめてる?」

「半分くらい」

「半分か」


 エレオノーラの口元がわずかにゆるんだ。

 今度はちゃんと笑えていた。

 その笑みを見て、俺はようやく息ができた気がした。


「戻りましょう」

「ああ」


 エレオノーラは歩き出した。

 彼女の指先が、俺の袖にかすった。掴むまではいかない。

 ただ指先が布をつまむだけ。

 俺は気づかないふりをした。

 今はそれでよかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
面白く拝見させていただいていますが不自然な文章がいくつか見られます。 >>エレオノーラは椅子の背から手を離した。その指は白い。 椅子に座っているはずなのに椅子の背に手をつけるという不自然な状況です…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ