第15話 一度だけでは終わらない
ミリア・ベルティナへの再聴取は、部屋を変えて行われることになった。王城の奥にある小さな部屋だ。窓は高く、外はほとんど見えない。
壁に飾りはない。机と椅子だけが置かれている。
取調室というほど物騒な名前ではないらしい。でも実物はだいぶ物騒だった。部屋の端に記録官エルマーが立つ。
扉の前には近衛兵が二人。ユリウス殿下、ラウレンツ宰相、父上、オスカー公爵が席についた。
俺とエレオノーラも同席している。正直に言うと、俺は彼女をここに入れたくなかった。ミリアはエレオノーラを消えるはずだったと言った女だ。
そんな相手の言葉を聞かせたくはない。でもエレオノーラは逃げなかった。
「私は聞きます」
そう言われたら止められない。俺にできるのは同じ席に残ることくらいだった。しばらくして扉が開く。
ミリア・ベルティナが入ってきた。
桃色の髪は整えられている。白い頬は少し青い。それでも見た目だけなら可憐な少女だった。
何も知らない人間が見れば、怯えた被害者だと思ったかもしれない。
ミリアは椅子に座る前、部屋の中を見た。ユリウス殿下。ラウレンツ宰相。
父上。オスカー公爵。エレオノーラ。
最後に俺。
俺と目が合った瞬間、彼女のまぶたが震えた。やっぱり俺だけを見る目が違う。嫌われているならまだわかる。
だがあの目は、それだけではない。
知らない虫が食卓に乗っていたみたいな目だ。たとえが悪いな。でもだいたい合っている。
「ミリア・ベルティナ」
ユリウス殿下が口を開いた。
「君の部屋から押収された帳面について確認する」
「帳面……ですか?」
先日確認したボルマン副学園長の焦げた手帳とは別物だ。今度は、ミリア本人の部屋から出ている。
ミリアは首を傾げた。弱々しい声だった。前ならレオンハルト殿下がここで立ち上がっていたのだろう。
だが今はいない。彼は別室で待機させられている。
ミリアの視線が一瞬だけ扉に向かった。誰も来ない。誰も彼女の前に立たない。
その事実に気づいたのか、彼女の指が膝の上で動いた。
「筆跡は一致している」
ラウレンツ宰相が言う。
「押収時には王城の女官長が立ち会った。改竄の余地もありません」
「私は……ただ、思ったことを書いただけです」
「思ったこと」
宰相の声は淡々としていた。
「では、断罪で消えるなら早い、という記述もそうですか」
ミリアの顔から色が抜けた。エレオノーラの肩がわずかに動く。俺はそちらを見た。
彼女は前を向いたままだ。
手は膝の上にある。指先がきつく重なっていた。
「それは……違います」
ミリアが言った。
「何が違う」
「夢です。私は、時々これから起きるかもしれない夢を見るのです。だから怖くて。忘れないように書いていただけで……」
予知夢。便利な言葉だ。前世の俺ならちょっと信じたかもしれない。
乙女ゲーム世界に転生しておいて、予知夢を鼻で笑うほど俺の頭は固くない。ただし今は別だ。
予知夢の人間は「レオンは強く責めればこちらを見る」とか「カイルは泣けば剣を抜く」とか書かない。それは夢ではなく攻略メモである。
「夢の中で、君はエレオノーラを消えるものとして扱ったのか」
ユリウス殿下が問う。
「そんなつもりではありません。私は……皆様に幸せになってほしかっただけです」
出た。皆様。この手の言葉は広いようで狭い。
だいたい本人に都合のいい範囲だけを指す。
「皆様とは誰のことだ」
父上が低く言った。ミリアは一瞬怯えた顔をした。父上の声は低い。
俺も子供の頃から何度も味わっている。あの声だけで肩が固まる。便利だな父上。
「レオンハルト殿下、カイル様、セドリック様、ノエル様……学園の皆様です」
「エレオノーラは」
オスカー公爵の声だった。ミリアの唇が止まる。窓の外で鳥が鳴いた。
「もちろん、含まれます」
遅い。だいぶ遅い。エレオノーラの横顔は動かない。
だが俺の膝に置いた手に力が入った。
俺が怒ってどうする。でも腹は立つ。
「君の帳面には、エレオノーラを遠ざける方法が複数書かれていた」
ユリウス殿下が続ける。
「しかも一度ではない。噂、手紙、侍女、取り巻きへの働きかけ。君はそれらを偶然と主張するのか」
「私は、そんな……ただ、あの方がいると皆様が苦しむと思って」
「なぜだ」
「だって、いつもそうだったから」
記録官の羽ペンが紙の上で止まった。ミリア自身も気づいたようだ。目が揺れる。
口元を押さえようとして、途中で手を下ろした。
「いつも」
ラウレンツ宰相が紙に視線を落とす。
「今回の件は初めてのはずですが」
「夢です。夢の中で、いつも」
「夢の中では、エレオノーラが邪魔だったのか」
「邪魔なんて言っていません!」
ミリアの声が跳ねた。可憐な少女の声ではなかった。少し荒い。
余裕が剥がれた声だ。
「私は、ただ正しい場所に戻したかっただけです。レオンは私といる方が幸せだった。カイルも、セドリックも、ノエルも。みんな、私を選んだ時は幸せだったのに」
選んだ時。誰かが息を呑む音がした。エルマーの筆が止まる。
すぐにまた動き出した。
「ミリア嬢」
俺は口を開いた。ユリウス殿下が俺を止めなかったので、そのまま続ける。
「それは夢の話か」
ミリアが俺を見る。またあの目だ。
「そうです」
「じゃあ夢の中で、君はレオンハルト殿下に選ばれた。カイルにも、セドリックにも、ノエルにも選ばれた」
「……」
「ひとりずつか」
ミリアの表情が消えた。当たりだ。嫌な当たり方だった。
俺は攻略サイトの文字を思い出す。レオンハルトルート。カイルルート。
セドリックルート。ノエルルート。そして、条件が面倒くさいと書かれていた逆ハーレムルート。
俺は画面の向こうで見た知識を持っている。ミリアは画面など知らない。
彼女は生きたのだと思う。死んだ。戻った。
また生きた。それを何度も繰り返した。
そこまで考えて、首の後ろが冷えた。
「君は何回目なんだ」
俺の声は思ったより低かった。ミリアはすぐに答えない。その沈黙だけで、部屋の全員が何かを察した。
説明はいらなかった。
父上の指が机を一度だけ叩く。乾いた音がした。
「アルト殿」
ラウレンツ宰相が俺を見る。
「君は何を考えている」
「俺の想像です。証拠はありません」
「想像だけで、この場を動かすつもりか」
声は冷静だった。責めているというより、線を引いている声だ。
当然だ。ここは俺の頭の中を披露する場所ではない。
「根拠は」
「帳面と、彼女の言い方です」
俺は息を整えた。
「未来を見た夢にしては、相手の反応が細かすぎます。レオンハルト殿下がどんな言葉で怒るか。カイルがどんな時に剣を抜くか。セドリックがどこで保身に走るか。ノエルが何を言えば揺れるか。あれは予知というより、何度も試した記録に見えます」
部屋の空気が少し沈んだ。
ラウレンツ宰相はすぐに否定しなかった。ユリウス殿下も口を挟まない。
「続けろ」
ユリウス殿下が言った。
言えと言われても困る。俺は前世で乙女ゲームをやっていた男で、今から目の前のヒロインは人生を周回しているかもしれませんと説明する立場だ。普通に考えてだいぶきつい。
だがもう逃げられる段階ではない。
「ミリア嬢は、これから起こることを夢で見たわけではないと思います」
俺は言葉を選んだ。
「たぶん、実際に知っている。経験として知っているんです。だから今回も同じように動かした。今まではそれでうまくいったから」
「違う」
ミリアがつぶやく。
「違うわ」
「なら教えてくれ。君の言ういつもって何だ」
「夢よ」
「夢の中で何十年も生きたのか」
ミリアの口が止まった。エレオノーラが俺を見た。目だけで問われる。
今の言葉は、俺自身も半分賭けだった。だがミリアの反応で答えは出た。
「……どうして」
ミリアが言う。
「どうしてあなたが、そこまでわかるの」
俺は答えなかった。ここで前世の話をしても場が混乱するだけだ。それに今、俺の事情はどうでもいい。
大事なのはミリアだ。彼女が何を知っていたのか。何をしたのか。
それだけだ。
「私は悪くない」
ミリアは顔を上げた。声が変わっていた。怯えた少女の声ではない。
拗ねた子供の声にも似ている。
「最初は、ただ幸せになりたかっただけだったわ」
誰も口を挟まない。ミリアは膝の上で両手を握った。その指が白くなる。
「レオンだったの。最初は。レオンが私を選んで、みんな祝福して、私は王子妃になって」
ミリアの口元がゆるんだ。笑みの形にはなったが、視線は机の上を素通りしていた。
「子供もいたわ。たぶん。いいえ、いた。年を取って、病気で、息が苦しくて……次に目を開けたら、また学園に入る前だった」
紙をこする音が響く。エルマーが必死に書いている。ミリアはそれを見ていない。
遠くを見るような目で、途切れた記憶を拾っているようだった。
「夢だと思ったの。長い夢。でも紅茶の匂いも、指輪の重さも、死ぬ前の痛みも覚えていた。だから、もう一度できると思った」
「もう一度、何をだ」
ユリウス殿下の声は低い。ミリアはすぐには答えなかった。
「幸せになることです」
少し遅れて、彼女は言った。
「次はレオンじゃなかった。カイルは怒ると怖いけど、褒めれば剣を向けてくれた。セドリックは面倒だけど、弱いところを言えば離れなかった。ノエルは……ノエルは、ひとりにしないでって言うと泣いた」
その名を出した時だけ、声が細くなった。
だがすぐに戻る。
「みんな、ちゃんと私を見たの。みんな私を選んだ。なのに一度に選んではくれないから、だから、今度こそ」
ミリアの視線がエレオノーラへ滑った。
「邪魔なものを先にどかせばいいと思ったの」
ぞっとした。言い訳の声ではない。本気でそう思っている声だった。
エレオノーラの息が浅くなる。俺は反射的に手を伸ばしそうになった。けれど、彼女は自分で膝の上の手をほどいた。
唇を結び直す。
「私は、あなたの幸せの邪魔をするために生きているわけではありません」
「でもあなたがいると、レオンが迷うの」
「それはレオンハルト殿下の問題です」
「カイルも、セドリックも、ノエルも。みんな、あなたを見る時がある。私を見ていればいいのに」
「それも私の罪ではありません」
ミリアの顔が歪んだ。
「違うわ」
彼女は首を振った。子供が嫌いな食べ物を拒むみたいに、何度も。
「違う。あなたはそういう人じゃない。あなたは最後に責められるの。みんなの前で。泣いて、何も言えなくなって、いなくなる。そうでないと終わらないの」
エレオノーラの目が揺れた。俺は歯を噛みしめる。
言うな。
それ以上、彼女にその言葉を向けるな。
だがエレオノーラは、ミリアから目を逸らさなかった。
「私は、あなたの記憶の中に閉じ込められるつもりはありません」
声は静かだった。
「父の娘で、レインフォード公爵家の者です。今ここにいる私を、あなたが決めることはできません」
ミリアは笑った。乾いた笑いだった。
「だからおかしいのよ。前はそんなこと言わなかった。あなたはもっと簡単に折れた。もっと早く泣いた。もっと早く、いなくなった」
オスカー公爵が立ち上がりかけた。父上が腕で制す。俺も立ち上がりたかった。
だがエレオノーラが先に言った。
「それは、あなたの知っている私です」
ミリアの笑みが止まる。
「今の私は違います」
「違わないわ」
「違います」
「違わない!」
ミリアが机を叩いた。近衛兵が一歩動く。ユリウス殿下が目で止めた。
「全部あなたのせいよ」
ミリアは俺を見た。
「あなたがいたから。あなたがエレオノーラを立たせたから。あなたが、私の知らないことをするから」
「知らないことをするのが人間だろ」
俺は言った。
「同じ言葉をかければ同じ反応をすると思ってたのか」
「だってしたもの」
即答だった。ぞっとするほど素直な答えだった。
「レオンは寂しいと言えば私を見た。カイルは怖いと言えば守ってくれた。セドリックは誰にもわかってもらえないと言えば味方になった。ノエルはひとりにしないでと言えば泣いた。みんな、ちゃんと私を選んだ」
近くの燭台の火が、細く揺れた。それは恋ではない。少なくとも今のミリアが語っているものは違う。
弱い場所を覚えた。押せば動く場所を知った。だから押した。
それだけだ。
「今回もそうなるはずだったの」
ミリアが俺を睨む。
「最後だから。これで全部終わりにするつもりだったのに」
最後。
その言葉に、ラウレンツ宰相の目が細くなった。
「最後とはどういう意味ですか」
ミリアは答えない。
「巻き戻りが、今回も起きる確信がないのか」
口に出した瞬間、ミリアの顔が強張った。当たりか。
嫌なところばかり当たる。
「以前は、死ぬ前にわかったのか」
俺は続けた。
「また戻るって感覚が。でも今回はそれがない。だから焦った。だから全員を一度に手に入れようとした」
「黙って」
「エレオノーラを排除するやり方も強引だった。今までより急いでいたからだ」
「黙って!」
ミリアが叫んだ。椅子が後ろへ倒れる。近衛兵が今度こそ動いた。
ミリアの肩を押さえる。
彼女は暴れなかった。ただ俺を睨んでいる。
「あなたなんて知らない」
震える声だった。
「知らないのに、どうして邪魔するの。どうしてエレオノーラのそばにいるの。あなたは、そこにいなかったのに」
俺は答えに迷った。理由なんて決まっている。好きだからだ。
死んでほしくなかったからだ。幼馴染だからだ。
でも、この場でそれを並べるのは違う気がした。横でエレオノーラが息を吸う。
「私が、望んだからです」
ミリアの目がエレオノーラへ向く。
「私が、アルトに隣にいてほしいと思いました。だから彼はここにいます」
俺は彼女の横顔を見た。エレオノーラの耳が赤くなっている。でも目は逸らさない。
やめてくれ。真面目な顔で言われると、俺の心臓が無駄に働く。いや今はそんな場合ではない。
ミリアは口を開いた。だが声にならなかった。
彼女の中では、エレオノーラは誰かを望む側ではなかったのだろう。望まれるか、捨てられるか。そういう役でしかなかった。
だが目の前のエレオノーラは違う。自分の意思で横に立つ相手を選んだ。
それがミリアには理解できないらしい。
「……おかしい」
ミリアがうつむいた。
「こんなの、おかしい」
同じ言葉を繰り返す。壊れた玩具みたいに。ユリウス殿下が近衛兵に合図した。
「ミリア・ベルティナを別室へ。厳重に見張れ。自害も許すな」
自害。その言葉で、ミリアの肩が跳ねた。やはりそこも警戒すべきか。
死ねば戻れる。そんな確信があるかどうかは別にして、彼女がそれを試さないとは言えない。
近衛兵に連れられて、ミリアは部屋を出ていく。扉が閉まる直前、彼女は振り返った。俺ではなくエレオノーラを見た。
「あなたなんて、幸せにならないはずだったのに」
扉が閉まる。音は小さかった。だが妙に耳に残った。
エレオノーラはしばらく扉を見ていた。
「エレオノーラ」
俺が呼ぶと、彼女はこちらを向いた。
「大丈夫か」
「大丈夫ではないわ」
即答だった。そりゃそうだ。
「でも、倒れないわ」
彼女はそう言った。
「私を勝手に役にして、勝手に消えるものにして。そんなことを言われて、黙って倒れてあげるほど優しくはないもの」
少し口元が上がった。強がりだ。でも、その強がりは悪くない。
「そうか」
「ええ」
「なら、俺も倒れないでおく」
「あなたは元から倒れそうにないわ」
「いや結構ぎりぎりだぞ。王城の椅子は座り心地が悪いし」
「そういうところよ」
呆れた声だった。けれど、彼女の呼吸はさっきより整っていた。ユリウス殿下が目元を押さえた。
「これで、ただの虚偽申告では済まなくなった」
ラウレンツ宰相がうなずく。
「彼女の言葉が真実か妄想かは別として、複数名を意図的に誘導した事実は揺らぎません。追加で確認すべき者がいます」
「レオンハルト殿下以外の三人ですね」
俺が言うと、宰相は静かに頷いた。
カイル。セドリック。ノエル。
ミリアが名前を出した三人。彼女がどんな言葉で動かしていたのか、彼ら自身にも確かめる必要がある。
「ミリア・ベルティナの処遇は保留する」
ユリウス殿下が言った。
「自害防止を徹底し、関係者への追加聴取を行う。まずはレオンハルトへの確認をこの場で済ませる」
ミリアが別室へ連れて行かれたあと、部屋に残った者たちはしばらく黙っていた。
近衛の足音が遠ざかって、ようやく誰かが椅子を引いた。
残っていたのは、レオンハルト殿下への確認だった。
彼にはミリアの発言と帳面の内容が伝えられていた。すべてではない。だが十分だった。
部屋に入ってきたレオンハルト殿下は、以前のように背筋を張っていなかった。王子らしい服装のまま、扉の前で一度足を止める。近衛に促されて、やっと中へ進んだ。
「エレオノーラ」
彼は彼女の前で止まった。
「君に、書いて残す」
謝罪を口で済ませるつもりはない、という意味だった。
ユリウス殿下が用意させた紙を前に、レオンハルト殿下はしばらく筆を持ったまま動かなかった。
誰も急かさない。
やがて、彼は一行目を書いた。
私は、ミリア・ベルティナに騙されたからではなく、自分がエレオノーラ・フォン・レインフォードを見ようとしなかったために罪を犯した。
そこまで書いたところで、彼の手が止まった。
でも消さなかった。
「私は、君の言葉を聞く前から、君を疑っていた」
レオンハルト殿下は紙を見たまま言った。
「君が何を言っても、言い逃れだと思うつもりだった。ミリアが泣いていたから。周囲が怒っていたから。そして、私が裁く側だと思っていたから」
エレオノーラは黙っていた。
顎は上がっている。けれど膝の上で重ねた指が、手袋の布をきつく押していた。
「私は王子であることを、君の言葉を聞かない理由にした」
レオンハルト殿下の声は低かった。
「だから、これはミリアだけの罪ではない。私の罪だ」
彼は謝罪文を書き終えると、封をした。
封蝋が押される音は小さい。けれど部屋にいた全員がそれを聞いていた。
「許してほしいとは言わない」
レオンハルト殿下は頭を下げた。
「それでも、謝罪する。すまなかった」
エレオノーラはすぐには答えなかった。
長く感じた。実際には数秒だったかもしれない。
「謝罪の言葉として、受け取ります」
彼女は言った。
「ですが、許すとは申し上げません」
レオンハルト殿下の肩が震えた。
「あなたが私を信じなかったこと。私の言葉を聞かなかったこと。私を、人前で罪人として扱ったこと。剣を向けたこと。それを、今ここで無かったことにはできません」
静かな声だった。
怒鳴ってはいない。泣いてもいない。
それでも、あれは怒りだった。
「はい」
レオンハルト殿下はもう一度頭を下げた。
今度は長かった。
その謝罪文は、正式な裁定の場へ提出されることになった。
王子が自分の罪を認めた。ミリアに騙されたからではない。自分が見ようとしなかったからだと、文字で残した。
会議はそこで一度終わった。
けれど、この件はまだ畳まれていない。
レオンハルト殿下の周囲にいた三人。騎士科のカイル・ローデン。文官家のセドリック・バルシュミット。魔術科のノエル・アストレア。
彼らがミリアをどう見ていたのか。
そしてミリアが彼らをどう見ていたのか。
そこを確かめない限り、エレオノーラの名誉回復は終わっても、事件そのものは終わらない。
部屋を出る時、エレオノーラが少し遅れた。俺も足を止める。
「アルト」
「はい」
「私は、消えないわ」
「ああ」
「あなたの隣にいるかどうかは、私が決める」
「はい」
「だから、勝手にどこかへ行かないで」
俺はしばらく何も言えなかった。いつもの言葉が出ない。
「行かないよ」
ようやくそれだけ言った。エレオノーラはうなずく。そして先に歩き出した。
俺はその背中を見ながら、深く息を吐いた。
ミリアは一度だけのヒロインではなかった。
何度も幸せを繰り返して、そのたびに何かを置き去りにしてきた少女だった。
だが今回、彼女の知っている道はもうない。
エレオノーラは消えない。俺も退かない。




