第11話 公爵家の怒りは安くない
王城に泊まることになった。いや泊まるというより、帰してもらえなかった。俺だけではない。
父上もオスカー公爵も、エレオノーラもだ。
理由はわかる。第二王子が公爵令嬢を斬ろうとした。しかもその裏に、学園側の不正とミリア・ベルティナの怪しい動きがある。
ここで当事者を帰すと、その間に誰が何をするかわからない。
わかる。すごくわかる。でも王城の客室は落ち着かない。
ベッドはふかふかだし、部屋も広いし、壁の絵なんか一枚で我が家の馬車が買えそうだ。だからこそ落ち着かない。
俺みたいな庶民魂が残っている転生者にはつらい。高級すぎる部屋は心を削る。知らんけど。
朝になって廊下へ出ると、エレオノーラが先に立っていた。薄い青のドレスを着ている。昨日より顔色はいい。
ただ目元の疲れは隠せていなかった。
「眠れたか?」
「少し」
「俺は寝た気がしない」
「あなたはどこでも寝られそうなのに」
「ひどくない?」
エレオノーラは口元を緩めた。本当に小さい笑みだった。それでも昨日の夜よりはましだ。
俺はほっとして、すぐに何も言わないことにした。ここで余計なことを言うと台無しになる。父上にもよく言われる。
余計なことを言うなと。言わなくても怒られる時は怒られるけどね。
「今日は、どうなるのかしら」
「王家が謝って終わり、とはいかないだろうな」
「ええ」
エレオノーラの指が手袋の端をつかんだ。白い布が少しよれる。
「怖いか?」
聞いたあとで、しまったと思った。こんな聞き方は雑だ。怖いに決まっている。
けれどエレオノーラは怒らなかった。
「怖いわ」
まっすぐ返ってきた。
「でも、逃げたくはないの」
「そうか」
「逃げたら、きっと私はずっとあの日の会場に残ることになる」
その言葉に、俺は何も返せなかった。あの日の会場。剣を向けられた瞬間。
周囲の視線。婚約者に罪人だと叫ばれた声。
それは簡単には消えない。俺は言葉を探した。見つからなかった。
かわりに一歩だけ近づく。
「なら一緒に行く」
「当然でしょう。あなたは証人なのだから」
「そこは少し感動してくれてもよくないか?」
「考えておくわ」
また口元を緩めた。今度はさっきより少し柔らかかった。会議室には、昨日より人が増えていた。
ユリウス殿下。ラウレンツ宰相。父上。
オスカー公爵。レオンハルト殿下。それから数人の重臣。
レオンハルト殿下は青い顔で座っていた。昨日のような勢いはない。剣を振りかざしていた男とは別人みたいだ。
まあ勢いがあればいいというものでもない。昨日の勢いは最悪だったし。
ミリアはいなかった。別室で監視されているらしい。本人は相当泣いたそうだ。
その涙がどこまで本物かは、今の俺にはわからない。ユリウス殿下が口を開く。
「まず確認しておく。エレオノーラ・フォン・レインフォード嬢に対する嫌がらせの証拠は、複数に偽造の疑いがある。ボルマン副学園長は関与を認めた。ミリア・ベルティナ嬢の指示があったとも証言している」
重臣たちの顔が動いた。昨日から知っている者もいるのだろう。だが口に出されると重い。
「レオンハルト」
ユリウス殿下が弟を見た。
「お前はその偽造の疑いがある証拠をもとに、婚約者を罪人と断じた。そして剣を向けた。間違いないな」
「……はい」
レオンハルト殿下の声はかすれていた。
「俺は、エレオノーラの話を聞きませんでした」
重臣の一人が、椅子の肘掛けを握り直した。
「証拠があると思い込んだ。ミリアが泣いていた。取り巻きたちが怒っていた。だから正しいのは自分だと決めた」
彼は拳を握った。
「最初から、エレオノーラを信じる気がなかった」
エレオノーラは視線を逸らさなかった。レオンハルト殿下を見ていた。強いなと思う。
でも強いから傷つかないわけじゃない。そこを間違えると、昨日の王子と同じになる。
「よく言った」
ユリウス殿下の声は冷たい。褒めてはいない。
「だが、それで罪が軽くなるわけではない」
「わかっています」
レオンハルト殿下がうなずいた。その時だった。
「恐れながら」
一人の男が口を挟んだ。年は四十ほどだろうか。細い髭を整えた貴族だ。
名はたしか、ヴァインベルグ伯爵。王家寄りの法務官だったはずだ。
昨日まではいなかった。今日から呼ばれたらしい。
「殿下の責は重いものです。しかし、この件をそのまま公にすれば王家の威信に傷がつきます」
オスカー公爵の目が細くなる。父上は何も言わない。黙っている時の父上は胃に悪い。
怒鳴っている時より逃げ場がない。
「王家の威信」
ラウレンツ宰相が一語ずつ繰り返した。
「はい。レインフォード公爵家には、もちろん相応のお詫びを。ただ、婚約破棄はあの人数の前で口に出ております。今さら取り消したところで、噂だけが残りましょう。ならば、両家の話し合いで婚約を解いたことにして、嫌がらせの件は学園の不始末として切り分ける。それが現実的かと」
紙をめくる音が止まった。ヴァインベルグ伯爵は続ける。
「幸い、エレオノーラ嬢に実害はありませんでした」
俺は、その瞬間に息をするのを忘れた。実害はない。その言葉が、部屋の中を転がった。
エレオノーラの指がぴくりと動く。オスカー公爵の顔から表情が消えた。
父上が机を一度叩いた。大きな音ではなかった。でも十分だった。
「ヴァインベルグ伯爵」
父上の声は低い。
「今、何と言った」
「いえ、私はあくまで王国全体の安定を」
「何と言ったか聞いている」
伯爵の喉が動いた。
「実害は、なかったと」
記録官の羽ペンが紙の上で止まった。俺は口を開いていた。
「剣を向けられたんですよ」
父上の視線が来た。余計なことを言うなという顔ではなかった。続けろとも言わない。
ただ止めなかった。なら言う。
「婚約者に罪人だと叫ばれて、会場中の前で斬られかけた。俺が間に入らなければ死んでいたかもしれない。それを実害がないで済ませるんですか」
「アルト殿、私はそういう意味で」
「どういう意味なら許されるんですか」
伯爵の顔が赤くなる。俺は席を立っていた。自分でも気づかなかった。
「傷が残らなければ被害じゃない。死んでいなければ問題じゃない。公爵令嬢の名誉を踏みつけても、王家の威信のためなら飲み込め。そういう意味ですか」
「若造が、言葉を慎みなさい」
「慎むべきはそちらでしょう」
声が低くなった。自分の声じゃないみたいだった。
「エレオノーラは物じゃない。王家の面子を守るための布でもない。傷ついた人間を見て、まず隠す話をするなら、あなた方は何を守っているんですか」
誰も動かなかった。ユリウス殿下も、ラウレンツ宰相も。レオンハルト殿下も。
エレオノーラだけが俺を見ていた。
その目を見た途端、少し冷静になる。まずい。俺、ものすごく怒っている。
いや怒って当然だろう。当然だけど場所が王城だ。相手は伯爵だ。
父上があとで怒るかもしれない。でも、今は後悔しなかった。
「アルト」
父上が呼んだ。
「はい」
「座れ」
「……はい」
俺は座った。勢いで立ったあとに座るのは少し恥ずかしい。足が変に震えていた。
かっこつかないな本当に。父上は俺から視線を外し、ヴァインベルグ伯爵を見た。
「息子の言葉は荒い。だが間違ってはいない」
おお。父上が味方をしてくれた。明日は雪かもしれない。
「クライゼル公爵家も同意見だ。この件を学園内の不正で片づけるなら、我が家は王家に正式な抗議文を出す」
オスカー公爵が声を低くして続けた。
「レインフォード家は、抗議文だけでは済ませません」
伯爵の顔色が変わる。
「オスカー公爵、それは王家への反逆と取られかねませんぞ」
「娘を殺されかけた父親に、その言葉を向けるのか」
低い声だった。伯爵は口を閉じた。オスカー公爵は怒鳴らなかった。
だから余計に読めない。
「私は王家と争いたいわけではありません。だが、娘の名誉を守らずに家を名乗る気もない」
エレオノーラが少し唇を噛んだ。その横顔を見て、俺は何も言えなくなった。彼女は守られることを嫌がるかもしれない。
でも、守りたいと思う人間がいることまで否定しないでほしい。ユリウス殿下が立ち上がった。
「ヴァインベルグ伯爵」
「は、はい」
「君の提案は退ける」
短い言葉だった。
「この件を隠して終わらせることはしない。弟の罪も、学園の不正も、偽証に関わった者も調べる。王家の威信は、被害者に沈黙を強いることで守るものではない」
ユリウス殿下の目がレオンハルト殿下へ向く。
「そうだな、レオンハルト」
「はい」
レオンハルト殿下は顔を上げた。目は赤い。けれど逃げてはいなかった。
「俺は、自分の罪を隠してほしくありません」
ヴァインベルグ伯爵がぎょっとする。
「殿下、それは」
「黙れ」
レオンハルト殿下の声は震えていた。
「今さら黙っていても、俺がエレオノーラに剣を向けた事実は消えない。消してはいけない」
彼はエレオノーラへ向いた。
「俺は、君に償う」
エレオノーラはすぐには答えなかった。紙をめくる音もしない。誰かの息遣いだけが聞こえる。
「償いは、私が決めることではありません」
やがてエレオノーラは言った。
「けれど一つだけ。私を理由に、あなたが悲劇の王子にならないでください」
レオンハルト殿下の顔が歪んだ。
「私はあなたに傷つけられました。だから、あなたがかわいそうだという話に変えられたくありません」
静かだった。叫んでもいない。責め立ててもいない。
でもその場にいた全員が聞いた。レオンハルト殿下は深く頭を下げた。
「わかった」
それ以上は言わなかった。言えばまた、自分を守る言葉になるとわかっていたのかもしれない。会議はそこで一度止まった。
ヴァインベルグ伯爵は退室を命じられた。本人は何か言いたそうだったが、ラウレンツ宰相が一瞥しただけで黙った。宰相の目、強い。
あれは俺も黙る。
部屋に残った人数が減ると、窓の外の鳥の声が聞こえた。良くなったわけではない。息ができる程度になっただけだ。
ユリウス殿下は椅子に座り直し、こめかみを押さえた。
「恥をさらした」
「殿下の恥ではありません」
ラウレンツ宰相が言う。
「王家に仕える者の中に、ああ考える者がいる。それを知れたのは大きい」
「知りたくなかったがな」
ユリウス殿下の声には疲れがにじんでいた。
第一王子って大変だ。
王家のまとも枠は胃に穴が空く仕事らしい。
「アルト殿」
呼ばれて、俺は姿勢を正した。
「先ほどの発言は、場としては褒められたものではない」
「はい」
「だが、必要だった」
「……ありがとうございます」
素直に礼を言った。こういう時に茶化すと父上に椅子ごと斬られそうだ。
「エレオノーラ嬢」
ユリウス殿下は彼女へ向き直った。
「卒業式にいた者を、もう一度集める。弟にも立たせる。そこで、エレオノーラ嬢への嫌疑が誤りだったこと、弟が手続きを無視して剣を抜いたことを、王家の口から言う。偽証に関わった者の処分も隠さない」
エレオノーラは深く頭を下げた。
「お願いいたします」
「ただし、準備には時間がいる」
「承知しております」
「その間、君にまた不快な思いをさせる者が出るかもしれない」
「慣れております」
オスカー公爵の眉が動いた。父上も少し顔をしかめた。俺は喉の奥が詰まった。
慣れている。そんな言葉を使わせていいはずがない。
エレオノーラはすぐに気づいたようで、袖口を指で押さえた。
「いえ。慣れてはいけませんね」
彼女は言い直した。
「今後は、黙りません」
オスカー公爵の表情が少し緩んだ。俺はようやく肩の力を抜いた。
「では次だ」
ラウレンツ宰相が机の上に一枚の紙を置いた。
「ミリア・ベルティナ嬢の身柄についてだ」
ラウレンツ宰相が、書類をめくる手を止めた。ユリウス殿下がうなずく。
「彼女は現在、王城内で監視下にある。自害の恐れも逃亡の恐れもあるため、女官長エリザに任せている」
「自害」
声に出したあと、喉が少し乾いた。ミリアが死ぬ。
普通なら、そこで全部終わる。だがあの手帳を見た後だと、素直にそうは思えない。
泣く。怯える。助けを求める。その全部が本物かもしれない。けれどあの子は、追いつめられた時ほど、こちらが見ていない手を探す気がする。
「アルト殿」
ユリウス殿下の声で我に返った。
「何かあるのか」
「確証はありません」
「構わない」
俺は少し迷った。ゲーム知識を全部話すわけにはいかない。話したところで信じてもらえるか怪しい。
だが、ミリアが危険だということだけは伝えた方がいい。
「ミリア嬢は、自害そのものを終わりだと思っていない可能性があります」
ラウレンツ宰相の目が細くなる。
「どういう意味だ」
「わかりません。ただ、あの人の言葉には時々、失敗しても別の出口があると思っているような響きがあります」
言いながら、自分でも曖昧だと思った。
それでも今は、この曖昧さのまま警戒するしかない。
「追いつめすぎるのは危険です」
「死を選ぶ可能性がある、と」
ユリウス殿下が言う。
「はい」
レオンハルト殿下の顔が青くなる。
「ミリアが、死ぬ……?」
その声にはまだ未練があった。責める気にはなれない。惚れていた相手が自害するかもしれないと言われたら、そうなるのも無理はない。
だがエレオノーラは顔を上げて言った。
「死なれては困ります」
強い言葉だった。
「私は、彼女の言葉を聞いていません。どうして私をそこまで憎んだのか。どうして私を死なせる流れを止めなかったのか。それを聞かないまま終わらせるつもりはありません」
俺は彼女を見た。あの日の会場に残らないために。彼女はミリアとも向き合うつもりなのだ。
「では監視を強める」
ユリウス殿下がすぐに決めた。
「女官長エリザに伝えろ。ミリア嬢を一人にするな。刃物、紐、薬の類は近づけるな。食事も水も確認する」
フェリクス殿が一礼して部屋を出る。廊下へ消える足音を聞きながら、俺は妙な寒気を覚えていた。ミリアは泣くだろうか。
怒るだろうか。それとも笑うだろうか。
わからない。だが一つだけ、嫌な予感がした。あの少女は、追いつめられた時に弱るどころか、むしろ別の顔を見せそうだった。
ようやく本性が見え始める気がした。




