第2章 プルルの試験と、眼鏡の研究者
森の木々の隙間から、午後の陽光が差し込んでいた。
足音が近づいてくる。金属の擦れる音と、荒々しい男たちの声。
「反応はここだ! スライム型の小型魔物が一匹……いや、複数か?」
「油断するな。討伐依頼は確実にこなせ。報酬はいいぞ!」
零華は木陰に身を隠し、厚い眼鏡をクイッと押し上げた。隣に寄り添うプルルが、青みがかった長い髪を揺らして小声で尋ねる。
「零華様……あの人たち、悪い人?」
「悪いというより……私の理論を信じない人たちね。モンスターは害獣、殺してこそ安全だと思っているのよ。でも本当は、こうして獣人化して仲間になれば、みんな幸せになれるのに」
プルルは首を傾げ、触角のような耳をピクピク動かした。
「プルルは、零華様の仲間……だよね?」
「もちろんよ。君は私の最初の成功例。最高のパートナーだわ」
零華はそっとプルルの頭を撫でた。指先が柔らかい髪と、ぷにぷにした耳に触れると、プルルが小さく甘い声を漏らす。
「ん……零華様の手、温かい……もっと、いい?」
「ふふ、これは契約をより安定させるための愛情表現。データ収集よ……耳の付け根も少し……ほら、反応を記録するわね」
プルルが零華の白衣に体を預けてくる。柔らかい感触と、ほのかに甘いフルーツのような香りが漂う。零華は眼鏡の奥で頰が熱くなるのを感じながらも、冷静を装ってメモ帳に走り書きした。
『獣人化後、頭部・耳への触刺激で忠誠度+18%確認。身体接触による安心感も高い模様。被験体の自発的寄り添い行動は予想以上』
「零華様……プルル、がんばるよ。試験、ってやつ」
「ええ。人間を傷つけず、ただ退散させるだけ。私の理論を実証する大事な実験よ」
討伐隊は五人だった。剣士二人、弓使い一人、魔法使い二人。装備はそこそこ良いが、辺境の森では少し油断している様子。
リーダーらしい剣士が大声を上げた。
「いたぞ! スライム……じゃない? なんだあの娘は? 魔物か?」
プルルが木陰からゆっくり姿を現した。青い髪と触角耳、半透明感の残る柔らかい肌。薄い布のようなものが体にまとわりつき、森の光にきらめいている。
「わ、私……プルル。零華様の……パートナー」
「は? 話すのかよ! 新種の魔物か? とにかく倒せ!」
弓使いが矢を放つ。プルルは小さく悲鳴を上げて後ずさったが、零華の指示通り、致命傷は避けている。
零華は静かに微笑みながら、小瓶から少しだけ特殊粘液を指先に取った。
「プルル、準備はいい? 軽く粘液を飛ばして、動きを封じてあげて」
「うん!」
プルルが両手を広げると、体から青みがかった粘液が細い糸のように飛び出した。スライム時代の能力が、獣人化後も少し残っているらしい。
矢を放った弓使いの足元に粘液が命中。地面がぬるぬるになり、足が滑って転倒する。
「うわっ、何だこれ! 溶けないけど……動けねえ!」
剣士たちが突進してくる。プルルは零華の指示に従い、粘液を細かくコントロールして彼らの武器や足に絡めていく。殺す気は一切ない。ただ「邪魔」をするだけ。
「くそっ、このぬるぬるが! 魔法使い、焼き払え!」
魔法使いが火の玉を放とうとした瞬間、零華が魔導棒を軽く振った。彼女の持つ簡易魔力干渉で、火の玉の軌道がわずかにずれる。
プルルがさらに粘液を増やし、魔法使いの両手を優しく包み込んだ。
「はう……零華様、こんな感じでいい?」
「完璧よ、プルル。データも取れているわ」
討伐隊は次第にパニックになった。
「なんだこの娘……話すし、粘液を操るし……新手の魔物か?」
「退却だ! 一旦引き上げて報告を——」
しかし、零華はまだ試験を終わらせたくなかった。
「プルル、もう少しだけ。『恥ずかしいポーズ』でお願い」
プルルは少し照れながら頷き、粘液をより柔らかく、絡みつくように変化させた。剣士たちの剣を優しく包み、腕を軽く引き上げて、まるで両手を挙げて降参しているような格好に固定する。
「ちょ、ちょっと待て! 体が勝手に……!」
「うわ、動けねえ……しかもこのぬるぬる、なんか温かくて……」
一人が転んで尻餅をつき、粘液で軽く体を覆われる。もう一人は木に軽く貼り付けられ、情けない格好でじたばたする。
零華は木陰からゆっくり姿を現した。白衣の裾を翻し、眼鏡を光らせながら、穏やかな声で語りかける。
「皆さん、お疲れ様です。私は霧島零華。元・王宮魔物対策研究機関の研究員です。今は……追放されましたが」
「霧島……? あの危険思想の女か!」
「危険思想、ですか。ふふ、失礼ですね。私はただ、モンスターを殺すより、こうして獣人化して仲間にする方が効率が良いと証明したいだけです」
プルルが零華の横に寄り添い、腕にぎゅっとしがみつく。
「零華様……みんな、痛くしてないよね?」
「ええ、ちゃんと手加減しているわ。ほら、プルルの耳、褒めてあげて」
零華はプルルの触角耳を優しく指で挟んで撫でた。プルルが嬉しそうに目を細め、体をくねらせる。
「ん……零華様、そこ好き……はうっ」
討伐隊の男たちは、呆然とその光景を見ていた。
「なんだあの……甘ったるい雰囲気……魔物が人間に懐いてる?」
「しかも……なんかエロ……じゃなくて、変な感じだぞ……」
零華は眼鏡をクイッと直し、笑顔で続けた。
「皆さんも、いつか理解してくれるといいですね。モンスターは、弱らせてから愛でれば、こんなに可愛い子たちになるんですよ。殺す必要なんて、本当はないんです」
彼女はプルルに合図を送った。
プルルが粘液をゆっくり解き始めると、男たちはようやく自由になった。武器はべっとり粘液まみれで、重く使いにくい。
「くそ……覚えてろ! 王都に報告してやる!」
「また来るぞ! 今度は大部隊で——」
男たちが慌てて森の奥へ逃げていく。後ろ姿は情けなく、足元がまだぬるぬるで何度も転びそうになっていた。
零華は小さく笑った。
「ざまぁ……というやつかしら。ふふ、記録に残しておかないと」
彼女はメモ帳を開き、丁寧に書き込んだ。
『初の非殺傷迎撃実験成功。
被験体プルルの粘液制御能力、優秀。
人間側の精神的ダメージ大。退却速度+40%確認。
副次的効果:被験体とのスキンシップによる私の精神安定も観測。……これは、研究の進展に寄与するかも』
プルルが零華の腰に抱きつき、顔を埋めてきた。
「零華様……試験、成功? プルル、役に立てた?」
「ええ、大成功よ。よく頑張ったわ、プルル」
零華はプルルの背中を優しく撫でながら、眼鏡の奥で目を細めた。
「これで私の理論が、少しずつ広がっていくはず。次はもっと大きなモンスターを獣人化して……パーティを組んで、本格的に冒険者や兵士たちに『ざまぁ』を見せてあげましょうか」
プルルが目を輝かせて頷く。
「うん! 零華様と一緒なら、なんでもがんばる!」
森の風が、二人の間を優しく通り抜けた。
追放されて四日目。
霧島零華と、最初の獣人娘プルルの共同研究は、予想以上に順調に進み始めていた。
そして、王都では「眼鏡の魔女が森で奇怪な魔物を操っている」という、奇妙な報告が上がり始めていた。
(第2章 終わり)




