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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第二部:咆哮

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第98話:「真価の激突」

 石畳に、篝火の橙が揺れていた。


 ゼノリスは三人を見た。赤い外套のゼフィル。白金の聖印のリュシア。巨斧を握るブラム。誰も動かない。篝火が吐く熱気だけが、夜の大通りを僅かに揺らしている。


 ゼフィルの指先が動いた。


 刻印の入った手袋に、赤橙の光が走る。詠唱は短かった。三節。宝石杖の先端が、ゼノリスたちに向けられる前に、すでに圧縮された火球が宙に生まれて、放たれた。


 直径一メートルを超える炎の塊が、大通りを真っ直ぐに迫る。熱気が石畳を舐め、周囲の篝火が一瞬揺らいだ。


 セラが前に出た。


 右腕を引き、拳を握る。踏み込みは一歩だけ。地面が小さく沈んだ。


 拳が、火球の中心を打った。


 詠唱なし。魔力の輝きなし。ただ、純粋な拳だけがあった。


 爆発音でも消火音でもない。何か固いものが、もっと固いものに当たって消えた音。火の粉が四方に散り、石畳の上でぱちぱちと小さく燃えてすぐに消えた。


 セラは右手を軽く振った。拳の甲が僅かに赤い。


「……は?」


 ゼフィルの声が、間の抜けた形で落ちた。


◇◇◇


 ブラムが動いたのは、その直後だった。


 巨斧の柄を両手で握り直し、重心を落とす。鎧の白鉄が篝火を反射して光る。セラへの突進は速かった。プラチナ徽章の重戦士が全体重を乗せて踏み込んでくる。


 セラは見ていた。


 でかい、と思った。正直なところ、あの鎧の重さは自分の体重の倍はあるだろう。振り下ろしてくる斧の軌道も、単純な力任せではなく、体の使い方を知っている。それは分かる。


 分かった上で、セラは一歩も退かなかった。


 ブラムの巨斧が振り下ろされる。


 セラはそれより先に踏み込んでいた。斧の軌道の内側に、自分から入る。腕を伸ばす必要もなかった。ブラムの胸板に、拳が届く距離だった。


 一撃だった。


 セラの拳を受けたブラムの体が、浮いた。


 一瞬、石畳を離れた。次の瞬間、大通りの石畳を背中から叩く音がした。巨斧が手から離れ、金属音を立てて転がる。白鉄鎧の胸部が、拳の形にへこんでいた。


 ブラムは動かなかった。


 息はある。だが起き上がれない。視界が揺れているのか、鎧の内側から低いうめき声が漏れる。それだけだった。


 セラは拳を下ろした。


「……鑑定石で測れないのに」


 呟いたのではなく、ただ確認するように言った。口調は静かだったが、声の底に熱がある。


「私の拳の方が、強いでしょ」


◇◇◇


 ゼフィルの指先が、震えていた。


 シルヴァはそれを、静かに見ていた。


 大通りの篝火が二人の間を照らしている。セラに打倒されたブラムが沈んでいる。ゼフィルの視線はそこに釘付けになり、それから、シルヴァへと向いた。目が、怒りで細くなっている。


「……貴様」


 低い声だった。嘲笑の色が消えて、別の何かが滲んでいた。


 ゼフィルの視線がセラに向いた。それから、素早く逸れた。ブラムを一撃で沈めた相手と距離を詰める気にはなれなかったのだろう。目が、シルヴァで止まる。この術師なら、まだ御せる。そう判断した顔だった。


「まずは、お前から始末してやる」


 詠唱が走った。


 今度は長かった。七節。ゼフィルの宝石杖が高く掲げられ、赤橙の光が凝縮する。先ほどの火球とは規模が違う。周囲の気温が上がった。石畳が熱を持ち始める。シルヴァの足元で空気が揺れた。


 シルヴァは杖を持つ手を、低く構え【真理の眼】を行使した。


 術式が、見えた。


 それは比喩ではない。ゼフィルが組み上げた魔術の構造が、シルヴァの眼には文字のように見える。発火の核。圧縮の殻。解放の鍵。七節の詠唱が積んだ構成要素が、光の筋として空中に並んでいる。


 その文字を素早く解析した。


 圧縮の殻の、第四層。そこに、継ぎ目がある。詠唱の省略ではない。魔術師本人が気づいていない、構造上の欠陥だった。力任せに高密度の術式を組んだとき、必ず生じる微細な歪み。ゼフィルは気づいていない。おそらく、今まで誰にも指摘されたことがないのだろう。


 シルヴァは指先を一度、動かした。


 ゼフィルの術式の、その継ぎ目に触れた。物理的な接触ではない。構造の一点に、別の理を書き込む。ほんの一文字分の介入だった。


 術式が、止まった。


 解放されるはずだった圧力が、内側に折り返した。ゼフィルの宝石杖の先端で、凝縮された火が一瞬膨らみ、そのまま霧のように散った。爆発でも消滅でもなく、ただ、構造が成立しなくなって消えた。


 シルヴァは杖を下ろした。


 ゼフィルは固まっていた。杖を掲げたまま、自分の手の先を見ている。術式が消えた場所を、信じられないものを見る目で見ている。


「……何を」


 声が、かすれていた。


「何をした!」


「見たままを申し上げます」


 シルヴァは答えた。声に起伏はなかった。


「あなたの魔術は、穴だらけです」


 ゼフィルの顔が、歪んだ。


◇◇◇

 ゼノリスが大通りを踏んだ時、ゼフィルはまだ杖を掲げたままだった。


 宝石杖の先端から炎が消えて、すでに数秒が経っている。それでも腕を下ろせないでいる。自分の術式が何をされたのか、理解できていないのだろう。リュシアは冷静だった。状況を素早く見渡し、ブラムへ視線を落とし、すぐに透明な杖を持つ手に力を込めた。


 回復術式だと、ゼノリスには分かった。


 ブラムへ向けて手が伸びる。傷を癒し、立て直す。それがリュシアの判断だった。


 ガルムが前に出た。


 足音はなかった。大柄な体格が音もなく石畳を踏み、ブラムとリュシアの間に立ちはだかる。右の盾を前方へ向けて、静止した。


 リュシアの透明な杖が、向きを変えた。回復から攻撃へ、詠唱が走る。しかし杖を持つ手が、途中で止まった。もう一度向きを変える。今度も止まった。リュシアは三度、杖の先を変えた。三度とも、同じだった。


 透明な杖が、静かに下ろされた。


「……何者?」


 リュシアの声から、柔らかさが剥がれた。


「おぬしの術は、ここから先へは通さん」


 ガルムは振り返らずに言った。低く、短い声だった。


 リュシアの表情が、初めて崩れた。


◇◇◇


 ゼフィルが半歩、後退した。


 ゼノリスはそれを見ていた。ブラムが石畳に片手をついたまま立てず、リュシアが術式を組み直すことをやめ、ゼフィルが腕を下ろして半歩引く。三人の立ち位置が、いつの間にか乱れていた。互いの顔を見合わせている。


 ゼノリスは一歩、前へ踏み出した。


 三人を、静かに見た。


 ゼフィルが口を開きかけ、閉じた。ブラムは石畳に手をついたまま、ゼノリスを見上げている。リュシアだけが、柔らかい表情を取り戻そうとしていた。しかし戻らなかった。


 誰も、動けなかった。


 その時、大通りの奥から足音がした。


 ゼノリスは顔を上げた。篝火の光が届かない暗がりの向こうから、誰かが歩いてくる。兵士たちの足音とは、重さが違った。一歩ごとに石畳が鳴る。硬く、迷いのない踏み込みだった。


 光の中に、姿が現れた。


 純白の聖鎧。金髪の長髪。腰に下げた、紋章の入った剣。


 ゼノリスはその顔を知っていた。


「……よくも」


 絞り出すような声が、大通りに響いた。


「……よくも、俺の仲間を」


 剣が鞘から引き抜かれた。篝火の橙が、鞘に刻まれた聖教会の紋章と、剥き出しになった剣――聖王の剣の刀身を鮮烈に照らし出す。金属音が石畳を滑る。男はゼノリスを見た。その目が、鋭く細くなる。


「お前……魔王か?」



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