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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第二部:咆哮

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第92話:「再会の予感」

 丘の稜線に出た瞬間、前を歩くカイロが片手を上げた。


 一行は無言で立ち止まった。


 下草が踝まで伸びた斜面の先、ゆるやかな傾斜の底に、拠点が広がっていた。石を積んだ外壁、四隅の見張り台、正門から左右に延びる柵。旗が二本、夕暮れの風に揺れている。勇者軍の紋章だ。赤地に金の剣。斜光を受けて、布が橙と赤の間で揺れる。


 ゼノリスは丘の陰に膝をついた。カイロの姿が、すでにない。


 外壁沿いを動く人影を数えた。見張りは等間隔ではない。正門側に固まり、北側の壁は間が空いている。


 しばらくして、草を踏まない足音が戻ってきた。


「報告です」


 カイロが隣に来た。声を落としたまま、視線は拠点に向けたままだ。


「正門に六人。東の裏口に二人。北壁の巡回は一人、交代間隔は長い」


「中央棟は」


「確認できていません。建物に近づくと内部の配置がわからなかった」


 ゼノリスは頷いた。


 背後でセラが草を踏む音がした。ガルムが膝をつき、シルヴァが帳面を胸に抱えて立っている。ノアは地図筒をすでに下ろし、地図を広げていた。五人が丘の陰に集まる。


「北壁の手前まで、木立が続いています」


 ノアが口を開いた。視線は地図と拠点の間を行き来している。


「巡回の間隔が長いなら、北壁から入るのが最も発見されにくい。ただし、内部に入った後の動線が不明です」


「東の裏口は?」


 カイロが答えた。


「二人は固定です。交代は見ていません」


「だとすると……」


 ノアが地図の上で指先を止めた。


「東の裏口を先に処理して、そこから入る方が確実です。北壁から越えると、内部で方向を失う可能性があります。裏口からなら、扉の位置から中央棟への距離を把握できる」


 ゼノリスはノアと地図に目を向けた。


 指先が裏口の印を押さえたまま、動かずにいた。


「もう一点」


 ノアが続けた。


「正門の六人は動線上に入ります。内部で音を立てると、そちらから来ます。カイロさんが先行して東の二人を処理する間、僕たちは木立の中で待機したほうがいいです。入るタイミングを合わせれば、正門の六人に気づかれる前に中へ入れます」


 カイロが短く口を開いた。


「タイミングの合図は?」


「北壁の巡回が角を折れた直後。その三十秒が空白になります」


 沈黙があった。ガルムが腕を組まず、両手を膝に置いて前を向いている。


「それで行きましょう」


 ゼノリスは続けた。


「カイロ、東の二人をお願いします。処理したら扉を少し開けておいてください。ノアの言う通り、北壁の巡回が角を折れた直後に動きます」


「わかりました」


「私とカイロで先に内部を確認します。セラ、ガルム、シルヴァ、ノアはここで待機してください」


 四人が短く応じた。


 夕暮れの風が丘を越えていく。草の匂いと、土の乾いた匂いが混じっていた。拠点の旗がまた一度、大きく揺れた。


◇◇◇


 木立の中は暗かった。頭上で枝が重なり、月の光を細く絞っている。五人が並んで立ち、誰も口を開かない。


 北壁の巡回兵の足音が、壁の向こうで遠ざかっていく。石床を踏む音が、単調に遠ざかっていく。角に差しかかり、折れる。


 足音が消えた。


 カイロがすでに動いていた。


 木立を出た影が、夜の中に溶けるように東の裏口へ近づく。姿はすぐに見えなくなった。ゼノリスは壁の扉に視線を固定したまま、呼吸を整えた。


 扉が、わずかに開いた。


「行きましょう」


 ゼノリスは小声で言い、草を踏まずに歩き始めた。


◇◇◇


 拠点の内部は、外から見るより広かった。


 裏口から入った石畳の通路が、左右に分かれている。ゼノリスは壁際に体を寄せ、左の角に目を向けた。松明の光が遠く、壁に揺れた影を落としている。衛兵の声はない。足音もない。


 カイロが先に角を確認し、小さく手で示した。問題ない、という合図だ。


 通路を進む。靴底が石畳をわずかに鳴らし、ゼノリスはその音に耳を澄ませながら歩いた。左手に兵舎らしい建物が続き、窓から明かりが漏れている。中から笑い声が聞こえた。夜番の兵士たちだろう。


 中央棟は前方にあった。


 他の建物より一回り大きく、入口に二人の護衛が立っている。松明を挟んで、向かい合う配置だ。距離は二十歩ほど。


 カイロが立ち止まった。


 ゼノリスも足を止め、角の陰に背を当てた。カイロが指先で護衛の数と位置を示す。ゼノリスは頷いた。


 そのとき、風が来た。


 夜の石造りの拠点に似合わない、かすかな揺れ。


 音、だった。


 声ではない。旋律でもない。ただ、空気の中に混じり込んでいる何か。ゼノリスは壁に手を置いたまま、動きを止めた。


 遠い。中央棟のさらに奥から来ている。


 その音を、ゼノリスは知っていた。


 港湾都市の広場に立っていた。目隠しをした彼女が歌っていた。勇者の嘘を声に乗せながら、その根底にある祈りだけは、どこまでも純粋だった。


――彼女が、ここにいる。


 カイロが視線を向けてきた。


「中央棟に、護衛が集中しています」


 声を限界まで落として言う。


「あの建物の奥に、誰かいます」


 ゼノリスは頷かなかった。


 胸の奥で、何かが静かに固まった。あの港湾都市ですれ違ったとき、ゼノリスは何もできなかった。勇者の兵に囲まれ、踏み込む機会がなかった。


――今度こそ。


 その思いを、ゼノリスは言葉にしなかった。


「カイロ」


「はい」


「この拠点に、彼女……歌姫がいます。彼女は☆6になりうる逸材です」


 カイロの目が、わずかに細くなった。


「中央棟の奥の部屋。護衛が厚いのは、そのためです」


「……わかりました」


「彼女を傷つけてはなりません。他の者も同様です。今夜の目的は制圧であって、殺傷ではない」


「了解しています」


 二人は壁際に立ったまま、しばらく動かなかった。中央棟の護衛が、松明の前でわずかに姿勢を変えた。夜の冷気が通路を流れ、ゼノリスの頬を撫でていった。


 カイロが口を開いた。


「作戦を立てましょう。今夜、拠点を制圧します」


 ゼノリスは中央棟を見た。


 窓に明かりはない。だが壁の奥から、あの音がまだ届いている。かすかに、途切れることなく。


 答えるかわりに、ゼノリスは一歩踏み出した。



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