表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第二部:咆哮

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

85/86

第85話:「人質の無力化」

 ゼノリスの声が、石壁に染み込んで消えた。


 室内に残ったのは、人質たちの浅い息づかいだけだ。縄で縛られた手首の皮膚が、張力で白くなっている。足元は冷たい石の上に直接立たされており、靴底の薄い者の踵が、わずかに内側へ向いていた。寒さか、恐怖か、あるいはその両方か。


 ゼノリスは剣を下げなかった。


 ザフィールが人質の前に立ち、長剣を提げた腕を低く構えている。護衛兵が三名、人質の両脇と背後に散っていた。人質は全部で七名。旧魔王軍の意匠が残る鎧の者が五名、農民風の衣の者が二名。そのうち背の低い者が一人、顎が胸につきそうなほど頭を垂れている。


「貴様が降伏すれば、こいつらは助けてやる」


 ザフィールが言った。


 ゼノリスはザフィールを見た。声の調子に余裕が戻っている。長剣を落とされた数秒前の動揺が、すでに表から消えていた。切り札が手元にある間は、崩れない構えだ。


 ゼノリスは答えなかった。


 口を開くかわりに、室内を静かに見回した。護衛兵の立ち位置を一人ずつ確認する。右の護衛兵が人質の腕を掴んでいる。左の護衛兵は剣を抜いておらず、腰に手を当てたままだ。背後の一人は人質の縄の端を握っている。三名の間隔は均等ではない。右が近く、左と後方が遠い。


 その配置を、視線だけで辿った。


 背後から、気配がにじんだ。


 カイロだった。気配と呼ぶには薄すぎる、空気の圧力の変化に近い。唇が耳元に近づき、声というより息に近い音が届いた。


「人質の配置、確認しました。右の護衛兵が一番近い。先にそちらを押さえれば、残り二名の動きが一拍遅れます」


 ゼノリスは目を動かさなかった。ザフィールの視線がこちらに向いたままだ。カイロがいることを、悟らせてはならない。


「隙があります」


 カイロの息が、そこで途切れた。


 次に届いたのは、別の方向からだった。


 シルヴァが右後方で指先を静かに動かしている。術式の光は出していない。声も出さない。視線だけをゼノリスに向け、指の形で示した。三本立て、次に人差し指一本を右へ。護衛兵三名、右から順に制圧できる、という意味だ。ゼノリスとシルヴァの間で交わしてきた、言葉のいらない確認だった。


 シルヴァの唇が、かすかに動いた。


「拘束具を破壊できます。ただし、護衛兵を同時に止めることが条件です、ゼノ様」


 声は微かに聞こえる大きさだった。


 ゼノリスは二人の言葉を、胸の中で並べた。


 右の護衛兵が最も人質に近い。カイロが右を先に押さえ、残り二名の動きが遅れた隙に、シルヴァが拘束具を割る。だが三名の同時制圧が条件だ。カイロが右を取る瞬間、残り二名をゼノリスが抑える必要がある。一人で二名を同時に制圧することはできない。


 ザフィールが一歩前に出た。


「答えを聞かせろ。降伏するか、しないか」


 長剣の先が、人質の一人に向いた。縄で縛られた者が、小さく肩を竦ませる。ザフィールはそれを見下ろしたまま、ゼノリスから目を外さなかった。


 室内の空気が、音を失った。


 松明の脂が爆ぜる音だけが、断続的に壁に響く。人質の誰かが息を呑んだ音が、その合間に聞こえた。


 ゼノリスは室内の左壁に目をやった。


 四本の燭台が壁際に固定されている。そのうち左壁の一本の炎が、右側よりも大きく揺れていた。空気の流れが右壁と左壁で異なっている。左壁側に、わずかな隙間か通気口がある。護衛兵の背後の一名がその燭台に近い側に立っており、炎の揺れが影を不規則に動かしていた。


 ゼノリスは右手を剣の柄に添えたまま、ゆっくりと腕を下ろした。


 ゆっくりと、腰の位置まで下ろす。剣を収めたわけではない。ザフィールの目には、降伏の身振りに見える角度だ。


 カイロの気配が、左壁側へわずかに滑った。


 ザフィールの目が、ゼノリスの右手を追った。


 剣から離れた手が腰の位置で止まっている。ザフィールの口端が、わずかに持ち上がった。降伏の動作と読んだのだ。


「賢明だ」


 ザフィールが言った。


 その一瞬、ザフィールの視線がゼノリスの手に固定された。


「では、人質を救出します」


 ゼノリスは静かに告げた。


 ザフィールの表情が固まった。


 カイロが動いた。


 左壁の燭台の影が揺れたと思った次の瞬間、右の護衛兵の背後にカイロがいた。音がない。首筋に短剣を当て、一息で引いた。護衛兵の体が崩れ、人質の腕を掴んでいた手が外れた。壁に滑り落ちるまで、声一つ出なかった。


 同じ頃、シルヴァが術式を放った。


 二本の光の線が床を走り、左の護衛兵と背後の護衛兵の足元に同時に絡みついた。足が石床に縫い止められ、前に踏み出せなくなる。左の護衛兵が腰の剣に手を伸ばしたが、足が動かず体勢が崩れ、鞘を掴んだだけで抜けなかった。


 ゼノリスは前に出た。


 残り二名が足を止められている間に間合いを詰め、背後の護衛兵の首筋に剣を当てて押し倒した。左の護衛兵が体を捻って術式から逃れようとしたが、腰が入らない。ゼノリスは剣を横薙ぎに払い、その体を崩した。


 三名、同時に止まった。


 シルヴァの指先が素早く動いた。今度は術式を人質の手首へ向ける。縄の繊維に光が走り、結び目が一本ずつ焼き切れていく。最初の一人の縄が落ちた。次の一人、また次の一人と、シルヴァの指が動くたびに縄が床に落ちた。


「動かないで」


 シルヴァが人質たちに向けて静かに言った。


「今、解放します」


 シルヴァが続けた。


 七人分の縄が解けるまで、ザフィールは動けなかった。


 縄が全て落ちた。


 人質の一人が、縛られていた手首を胸の前で押さえた。赤く食い込んだ跡が手首に残っている。隣の者が壁に手をついて体を支えた。背の低い者が顔を上げた。その目が、ゼノリスを見た。


 ゼノリスは人質を一瞥した。全員が立っている。


「壁際に下がってください。扉に近い側へ」


 声は静かで、急かす色がなかった。


 人質たちが、壁際へ移動し始めた。


「貴様ら……!」


 ザフィールの声が割れた。


 底から裂けた声だ。長剣を握る手の甲に、血管が浮いている。足が一歩前に出た。


 ゼノリスは動かなかった。


 足を肩幅に開き、剣を正面に向けたまま立っている。ザフィールの一歩が止まった。


 ザフィールの歯が、音を立てた。


 奥歯を噛み締める音が、静まり返った室内に届いた。松明の炎が、その息の圧力に押されるように揺れた。


 ゼノリスは人質が扉近くの壁際に収まったことを、視野の端で確認した。


 ザフィールへ向き直る。


「さあ、決着をつけましょう」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ