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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第二部:咆哮

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第84話:「戦闘開始」

 ザフィールの重心が沈んだ。


 一瞬だけ膝が曲がり、次の瞬間には石床を蹴る音が室内に炸裂した。踏み込みが早い。卓が二人の間から消えていた距離を、一歩で詰めてくる。右腕が弧を描き、長剣ではなく拳が来た。


 【剛力】だ、とゼノリスは判断した時にはすでに体が動いていた。


 左へ半歩。風圧が頬を掠め、拳が空を打つ。だがその直後、ザフィールの右肘が横薙ぎに戻ってきた。腕そのものが凶器だ。


 ゼノリスは腰を落として身をくぐらせ、鎧の袖口が髪を擦る感触だけを受けた。


 石壁が鳴った。


 ザフィールの肘が壁面を叩き、石の破片が床に散った。抉れた跡が壁に残っている。


 ゼノリスは距離を取った。室内の端、燭台の手前まで下がる。松明の炎が揺れ、散った石の粉が光を受けてわずかに白く舞った。


 ザフィールは追ってこなかった。


 両足を肩幅に開き、腰の長剣をゆっくりと抜いた。刃渡りの長い片手剣だ。鱗に覆われた首がゆっくりと回り、目がゼノリスを捉える。口端が引き上がった。


「速いな。だが、それだけか?」


 ザフィールが言った。


 次の踏み込みは、最初より深かった。


 石床が割れた。足元から放射状にひびが走り、その中心からザフィールが跳ぶように前に出る。長剣が上段から落ちてくる。重さと速さが重なった一撃で、受けた瞬間に腕ごと持っていかれる角度だ。


 ゼノリスは右へ踏み出した。剣を抜きながら、刃で軌道を外側に逸らす。金属と金属が噛み合い、腕に痺れが走った。受けきれていない。力の差が手首の角度に出ている。


 だがその隙に、影が動いた。


 カイロだった。壁際の暗がりから、音もなく滑り出る。ザフィールの背後、右の死角から短剣を首筋へ向けた。


 ザフィールの体が反射的に旋回した。


 長剣を弾きながら体ごと回転し、肘でカイロの軌道を塞ぐ。カイロは短剣を引きながら後退した。三角形の配置が、入れ替わった。


 ゼノリスは室内を素早く見回した。シルヴァが燭台の影から指先に術式を展開している。床の石畳の目地に沿って、青白い光の線が走り始めた。ザフィールの足元へ向かう薄い結界だ。


 ザフィールの足が一歩後退した瞬間、結界の光が床を覆った。


 足が止まった。


 床に張りついたように、動きが封じられる。ザフィールが膝に力を込め、石床が軋む音がした。それだけの脚力がある。だが封じたのは一秒で十分だった。


 カイロが再び動いた。今度は左から、右の手首へ。長剣を持つ腕の関節を短剣の峰で打ち、握りを崩す狙いだ。


 ザフィールが叫んだ。怒声ではなく、力の放出だ。


 【剛力】が腕に集中し、カイロの短剣を弾き飛ばした。金属が天井付近まで跳び上がり、燭台に当たって床に落ちた。硬い音が室内に響き、炎が揺れた。


 カイロは跳んで距離を取った。シルヴァの結界が破れ、ザフィールの足が自由になる。三者が再び三角形を作り、均衡を戻す。


 ゼノリスは息を整えた。


 鼻に入るのは、石の粉と鉄の臭いだ。鎧の金具が擦れた音が耳に残っている。ザフィールの額に汗の光がある。追い詰めているわけではないが、力だけで押し切れないことは、この短い交錯で相手にも伝わっているはずだ。


 シルヴァが声を出さずに手の動きで示した。術式の残量を確認している仕草だ。もう一手は使える。


 ゼノリスは一歩前に出た。


 ザフィールの目が細くなった。


 ゼノリスの一歩に合わせて、重心がわずかに後ろへ移る。前半の交錯で何かを計っている。次の踏み込みを誘っているのか、それとも消耗を確かめているのか。どちらとも読める構えだ。


 カイロが左で動いた。音はない。壁の暗がりを滑るように横に移動し、ザフィールの左側面に角度を作る。シルヴァが右で術式の光を絞っている。次の一手を温存している仕草だ。三角形が締まる。


 ザフィールの首筋に、汗が一筋落ちた。


 鎧の金具が鳴った。ザフィールが右足を踏み込み、今度は長剣を横薙ぎに払ってきた。前の一撃より重い。腰の回転が入っている。


 ゼノリスは後退しながら剣で受け流したが、押し込まれる力が手首を伝ってくる。床の石が足裏を通して震えた。


 その隙にカイロが背後へ回り込み、脇腹へ短剣を入れようとした。


 ザフィールが体を捻った。短剣の切っ先が鎧の表面を滑り、火花が散る。完全には防げていない。脇腹の鎧に浅く線が入った。それだけの傷だが、ザフィールの動きに一瞬だけ詰まりが出た。


 シルヴァが術式を放った。


 床ではなく、ザフィールの長剣を持つ右腕の手首へ向けた薄い束縛の光だ。動きが止まった一瞬に差し込んだ一手で、手首の動きが数秒だけ固まった。長剣の握りが緩む。


 カイロが再び動いた。長剣を持つ右手首へ、短剣の峰を叩き込んだ。


 長剣が床に落ちた。


 金属が石を打つ音が室内に響き、炎が揺れた。ザフィールの右手が宙に残り、空を握っている。


 ゼノリスは剣を正面に構えたまま、一歩踏み込んだ。


 ザフィールの目に、初めて別の色が混じった。余裕でも怒りでもなく、計算が狂った者の目だ。床の長剣へ視線が一瞬落ち、それを拾う動作を止めた。


 静止が、長くなった。


 ザフィールの息が、鼻から荒く出た。


「まだだ!」


 ザフィールが叫んだ。


「俺には切り札がある!」


 ゼノリスは足を止めた。カイロも動きを止めた。シルヴァの指先が術式の手前で静止する。


 ザフィールが室内の奥の壁へ向かって、一度だけ拳で石壁を叩いた。


 重い音が壁の向こうへ伝わった。


 扉が開いた。


 奥の壁に、ゼノリスが気づいていなかった小さな扉がある。そこから複数の足音が入ってきた。革鎧の護衛兵が三人、廊下から室内へ踏み込んでくる。その後ろに、引きずられるように歩く人影が続いた。


 ゼノリスは目を向けた。


 引き出されてきたのは、身なりの粗い者たちだった。手首に縄が掛かり、足元がおぼつかない。顔が伏せられているが、体格や装備の断片から、若い者から老いた者まで混じっているのがわかる。鎧の端に、見覚えのある紋様が残っていた。旧魔王軍の末端に使われていた意匠だ。


 農民風の質素な衣をまとった者が二人、護衛兵に肩を掴まれて連れてこられた。目を伏せ、足の指が冷たい石床を踏んで震えている。


 ゼノリスは剣を構えたまま、動かなかった。


 ザフィールが床の長剣を拾った。護衛兵と人質がいる側へ、ゆっくりと移動する。人質の前に立ち、その一人の肩に手を置いた。縄で縛られた者が、小さく身を竦ませる。


「こいつらを殺されたくなければ、おとなしく降伏しろ」


 ザフィールが言った。声に余裕が戻っている。


 室内が静まり返った。


 松明の炎だけが揺れている。石の粉と鉄の臭いが、まだ漂っている。カイロが短剣を構えたまま、わずかに体重を前に移した。シルヴァの指先が術式の光を維持している。


 ゼノリスは人質を見た。


 縛られた者たちの中に、一人だけ顔を上げた者がいた。若い。頬がこけ、唇が乾いている。その目がゼノリスを見ていた。助けを求める目ではなかった。何も期待していない目だ。何度も裏切られた者だけが持つ、諦めの底の色だった。


 ゼノリスは剣を下げなかった。


 ザフィールを見た。人質の肩に置かれた手を見た。それから、もう一度、顔を上げた若い者の目を見た。


「卑劣ですね」


 静かに、告げた。


 炎が揺れた。



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