表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第二部:咆哮

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

83/86

第83話:「因縁の対峙」

 扉には閂が掛かっていなかった。


 押すだけで開いた。重い木の扉が石床を擦る音が廊下に響き、ゼノリスは歩みを止めずに中へ踏み込んだ。


 広い室内だった。


 天井が高く、松明が四本、壁際の鉄製の燭台に固定されている。炎が上がるたびに、石壁に塗り重ねられた脂の焦げる臭いが鼻を刺した。床は剥き出しの石で、中央に長方形の卓が一つある。卓の上には地図と思しき広げた紙が数枚、重しの石で端を押さえられていた。端が捲れ、夜気の流れに合わせてわずかに揺れている。


 奥の壁に、人影があった。


 背中を向けたまま、動かない。


 ゼノリスは室内に入った。カイロが左、シルヴァが右。三人の足音が石床を叩き、そこで止まった。


 人影が振り返った。


 大柄な男だった。上背があり、肩幅が広い。魔人族特有の隆起した体格を、装飾の少ない鎧で包んでいる。首から顎にかけて鱗が密集しており、頬骨の下で光を照り返している。腰に長剣を提げたまま、両腕を組んでこちらを見ていた。


 その口の端が、ゆっくりと持ち上がった。


「久しぶりだな、元魔王……ゼノリス」


 重い声だった。広い室内の石壁に反響し、余韻が染み込むように消えていく。嘲笑でもなく、怒声でもない。力を持つ者が、対等でない相手を前にしたときの、余裕の声だ。


 ゼノリスは足を止めた。


 卓を挟んで、ザフィールと向き合う。炎が二人の間の空気を揺らし、影が石壁を流れた。


「ザフィール」


 ゼノリスは口を開いた。


「あなたが勇者側に寝返って、多くの仲間が命を落としました」


 声は静かだった。廊下の反響ではなく、室内の空気に吸われ、ただ相手の耳に届く大きさだけがある。


「どこまで私腹を肥やせば、気が済むのですか」


 ザフィールは動じなかった。


 組んでいた腕を解き、卓の端に片手を置いた。指が地図の端を押し、紙が少しだけ滑る。その目がゼノリスを見たまま、口角がさらに上がった。


「私腹?」


 ザフィールが繰り返した。声に嘲りの色がにじんでいた。


「弱い者が死ぬのは当然だ。生存競争の結果だろう。俺は生き残るために正しい選択をしただけだ。何がおかしい」


 言い終えた後、鼻から息を吐いた。笑いを堪えているのではなく、笑う価値もないと判断した者の息の吐き方だ。


「貴様も、その程度の理屈は理解できるだろう。あれだけの時間を頂点に立っていたのだからな」


 ゼノリスは答えなかった。


 ザフィールの言葉が室内に残り、松明の揺れる音だけが続いた。カイロが左後方で静止している。シルヴァが右で術式の確認をしている気配が、指先の微かな動きで伝わってくる。


 ゼノリスは一歩踏み出した。卓の角を右手に、ザフィールとの距離を詰める。


 ザフィールの目が、その一歩を追った。


 ゼノリスはザフィールを見た。正面から、まっすぐに。


──見る。


 【至極の理】が、静かに動いた。


 ザフィールの頭上に、星が浮かんでいた。


【漆黒の星。☆☆☆☆/☆☆☆☆】


 四つ。


 限界値も、四つ。


 強い、とゼノリスは思った。この室内で戦えば、容易ではない。


 ザフィールが傭兵と護衛兵を使い捨て、この城塞を一人で維持してきた理由が、その星の数に映っている。


 だがその星の色は、迷いなく漆黒だった。


 黄金でも、白でもない。ただ黒く、揺るがず、そこにある。


◇◇◇


 ゼノリスは卓の角に手を置いた。


 紙の端が指に触れた。冷たく、わずかに湿気を含んだ感触だ。地図の上に書き込まれた文字が、松明の光で読めそうな距離にある。だがゼノリスはそこには目を向けず、ザフィールを見たままでいた。


 到達可能な天井が、☆4で止まっている。伸び代ではなく、壁だ。


「ザフィール」


 ゼノリスは口を開いた。


「あなたは強い」


 ザフィールの口角が、わずかに上がった。嘲笑の続きを期待している顔だ。


「しかし――」


 ゼノリスは続けた。声の調子は変わらない。責めるでも断じるでもなく、ただ見えているものを言葉にするような、穏やかな平坦さがある。


「誠実さがない。それが、あなたの限界です」


 室内が、静止した。


 松明の炎だけが揺れている。脂の焦げる臭いが、変わらず鼻に届いた。


 ザフィールの表情から、余裕が消えた。


 口角が下がり、目の形が変わった。組んでいた腕を解き、卓の上の手が地図を掴む。指が紙を押しつぶすように力を入れ、地図の端が大きく折れた。


「……誠実さだと?」


 声の質が変わっていた。余裕の声音ではない。底から押し上げてくる、熱を持った音だ。


「俺に向かって、誠実さだと言ったか?」


 ゼノリスは答えなかった。


 ザフィールの目がゼノリスを捉えたまま、動かない。奥歯を噛んでいるのが、顎の筋肉の動きで伝わってくる。


「貴様に何がわかる」


 声が低くなった。廊下で壁越しに届いた声とは別物だ。もう余裕の包み紙はない。


「俺が何を賭けて、どう生き延びてきたかを」


 ゼノリスはザフィールを見た。


 怒りが表面に出ている。それは確かだ。だがその怒りは、否定された者のそれではなく、正確に射抜かれた者のそれだ。


「わかりません」


 ゼノリスは静かに言った。


「あなたが歩んできた道を、私は知らない。あなたの事情も、選択の重さも」


 ザフィールの眉が寄った。反論の準備をしている形だ。


「ただ」


 ゼノリスは一呼吸置いた。


「あなたと同じ旗の下にいた者たちが、あなたの選択で命を落とした。それは事実です。あなたがどれほど正しい理屈を積んでも、その事実は変わらない」


 卓の上でザフィールの指が、紙をさらに強く押しつぶした。


 地図の端が破れる音が、小さく室内に響いた。


 松明の炎が、その音に引かれるように一度揺れた。影が石壁を走り、また元に戻った。カイロが左で静止している。シルヴァも右で動かない。室内には、三人の息づかいと、ザフィールの押し殺した呼吸だけが残っている。


 ザフィールが卓を離れた。


 一歩、前に出た。鎧の金具が鳴り、石床に革底の重い足音が落ちた。上背がゼノリスより頭一つ分高く、肩幅が壁のように広い。卓が二人の間から外れ、遮るものがなくなった。


「貴様を」


 ザフィールが言った。


 声は低く、平坦だった。怒鳴っていない。だがその平坦さは、熱が頂点を超えて静かになった後の声だ。


「殺して、勇者様に献上してやる!」


 言い終えた瞬間、ザフィールの全身から気配が変わった。


 余裕ではなく、獣の張り詰めた静止だ。戦う前の息を整える一瞬、足が石床を踏む重さが増した。その目がゼノリスの喉元を見ている。


 ゼノリスは動かなかった。


 剣の柄に右手を添え、ザフィールを正面から見た。怒りも、恐れも、顔には出ない。ただ、立っている。


 ザフィールの足が、石床の上でわずかに動いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ