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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第二部:咆哮

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第75話:「制圧完了」

 港湾都市の中央通りは、静かすぎた。


 潮の匂いが漂い、波の音が石壁に反射して遠く聞こえる。だが、その下に別の音がある。


 倉庫街の方角から、金属が打ち合う音が断続的に届いていた。


 硬く短い衝突音が、間を置いて、また来る。一定ではない。誰かが動いている音だ。


 ゼノリスは港湾の中央通りに立ち、南の方角を見ていた。カイロとセラが戻ってきてからまだ時間は経っていない。馬車の物資を確保した報告を受け、ゼノリスはガルムへ指示を送った。倉庫地区の各所に、残った兵が逃げ込んでいる、とカイロが告げていた。ガルムはすでにそこへ向かっている。


 もう一つの音が、北の検問所の方角から届いた。


 低く響く、空気が震えるような音。魔術が展開するときの、あの独特の膨らみだ。ゼノリスは視線を北に向けた。建物の屋根の向こう、検問所に続く路地の方向から、青白い光が瞬いた。一度ではない。二度、三度と断続して光り、そのたびに空気がかすかに揺れた。


 シルヴァが動いている。


 ゼノリスは足を踏み出した。


◇◇◇


 検問所に至る路地は、石造りの建物が両側に迫る狭い通りだった。


 ゼノリスが角を曲がって路地の入口に差し掛かったとき、状況はすでに動いていた。


 路地の中央に、三人の男が立っている。守備兵が二人、そしてもう一人、両手を広げて何かを構えているのが魔術師だとすぐにわかった。


 指先から細い光の糸が幾本も伸び、石畳の上に複雑な術式の輪郭を描いている。術式が展開されるにつれ、路地の空気が重くなっていた。


 その正面に、シルヴァが立っていた。


 動いていない。両腕を下ろしたまま、静かに相手の術式を眺めていた。瞬きの少ない目が、光の糸の一本一本を追っている。


「なぜ動かない!」


 魔術師が声を張った。術式の構築が半ばで止まっている。指先の光が揺れ、伸びかけた糸が宙に止まっていた。


「あなたの術式は、第三層の接続が誤っています」


 シルヴァが静かに言った。感情のない声だった。


「このまま完成させれば、術式は自己崩壊します。……発動する前に」


 魔術師の顔が歪んだ。術式の輪郭が激しく揺れ、光の糸が二本、空中で千切れた。


「黙れ! 黙れ! 我々は勇者様のために――」


 男が叫びながら、崩れかけた術式を強引に押し込もうとした。ゼノリスには、次の瞬間に何が起きるかが見えなかった。だがシルヴァには見えていたのだろう。


 シルヴァの右手が静かに持ち上がった。


 指先が術式の輪郭に触れると、青白い光が走り、男の展開していた術式の構造が一瞬で書き換えられた。力が逆流するように収束し、魔術師の両手に跳ね返った。


 男が弾かれたように後退し、石壁に背中を打ちつけて膝をついた。


 守備兵の二人が剣を構えようとする前に、シルヴァが腕を一振りした。細い光の帯が空気を薙ぎ、二人の足元の石畳に弾け、二人同時に足を払われて崩れた。


 決着だった。


 路地に静寂が戻った。石畳の上に三人が横たわり、術式の残滓が青白い光の粒になって散っていく。シルヴァはその場を動かず、腕を下ろしたままだった。


 ゼノリスは路地の入口に立ったまま、その背中を見ていた。戦っていた、というより、計算が終わった、という感じの静けさだった。


「……シルヴァ」


 ゼノリスが声をかけると、シルヴァが振り返った。乱れた様子は一切なかった。髪の一筋も揺れていない。


「制圧しました」


 短く告げて、シルヴァは路地に横たわった三人に目を向けた。


「魔術師一人、守備兵二人です。魔術師は気を失っています。守備兵は手足が動きません。全員、収容施設へ移送可能な状態です」


 ゼノリスは路地の奥に目を向けた。石畳に術式の焦げ跡が残っている。跡の形が複雑に歪んでいた。術式が崩壊する寸前のものを、シルヴァが強引に組み替えた痕跡だ。


「術式は、自己崩壊すると言っていましたね」


「はい。視た瞬間に分かりました。第三層の接続が歪んでいました。一人の魔術師の癖ではありません。……ゼノ様」


 シルヴァが静かに続けた。指先を自分の目の前に持ち上げ、術式に触れた右手を見ていた。


「聖教会の基礎術式そのものに、この歪みが組み込まれています。意図的な弱体化か、原典の改竄か、まだ判断できませんが――あの魔術師が悪いのではない。教わったものが、最初から壊れていた」


 ゼノリスはシルヴァの指先を見た。術式に触れたときの青白い光は、もう消えていた。


「……記録しておいてください」


「すでに」


 シルヴァが外套の内側から小さな手帳を取り出し、表紙を指先で軽く叩いた。


◇◇◇


 倉庫地区から、低く重い音が届いた。


 石が崩れるような、何かが圧し折れるような音だ。シルヴァは路地の入口で足を止め、音の方角に目を向けた。倉庫街の石造りの建物の向こう、煙が細く上がっていた。


「ガルムのところですね」


 シルヴァが口にすると、ゼノ様が同じ方角に視線を向けた。


 二人は連れ立って倉庫地区へ向かった。路地を抜け、石畳の広い通りに出ると、音の出所がすぐにわかった。


 倉庫群の一角、荷物の積み降ろしに使う広い空き地に、男たちが散らばっていた。十人ほどが思い思いの方向に倒れている。その中央に、ガルムが立っていた。


 動いていない。両足を肩幅に開き、巨大な盾を右腕一本で脇に挟んだまま、正面を向いている。盾の表面に新しい傷がいくつか走っていたが、ガルム自身に乱れた様子はなかった。その前方、倉庫の入口に残り二人の男が背を向けて逃げようとしていた。


「止まれ」


 ガルムが短く言った。


 男たちの足が止まった。声の質が変わっていた。命令ではなく、事実を告げるような、平らな声だった。


「逃げ場はない。その荷を置き、武器を捨てて投降せよ」


 二人が顔を見合わせた。一人が手にしていた麻袋を石畳に落とし、もう一人がそれに続いた。両手がゆっくりと上がった。


 シルヴァは空き地の縁に立ち、倒れた男たちを一人ずつ確認した。全員、呼吸はある。数人が盾の端で足を払われた跡があり、頭を打って気を失っているものもいたが、致命的な状態の者はいない。ガルムが力の置きどころを知っている、ということだ。


「ガルム」


 ゼノ様が声をかけた。


「倉庫地区、滞りなく制圧いたしました」


 ガルムが振り返り、短く報告した。太い首に汗が光っている。


「略奪を試みた者が十四人、全員を確保しました。倉庫の中身には手をつけさせておりませぬ」


「怪我は?」


「わしはこの通り、無傷にございます。相手方は少々手荒に扱いましたが、命に別状はございませぬ。自力で歩かせております」


 ゼノ様が倉庫の入口に目を向けた。扉の向こうに積み上げられた木箱が見えた。焼き印の刻まれた側面が、朝の光の中に並んでいる。


◇◇◇


 カイロが姿を現したのは、太陽が中天を過ぎた頃だった。


 港湾の管理棟の前に、カイロが二つの木箱を運んでいた。石畳に箱を置き、一つの蓋を開けた。中に、厚く束ねた帳面と、革紐で縛られた帳簿の束が詰まっていた。


 もう一つの箱には、袋に分けられた金貨と、小さな鍵の束が入っていた。


「港湾管理官の執務室の床下に隠されていました」


 カイロが告げた。感情のない声だった。


「帳簿は港湾の徴収記録です。いつ、誰から、何を、いくら取ったか。十二年分あります。金貨は私的に蓄えたものです。鍵は、港湾倉庫の施錠分と、別の場所の倉庫に対応するものが含まれています」


 シルヴァは帳簿を一冊取り上げ、表紙を開いた。細かい字が整然と並んでいる。数字と品名と日付の羅列。一行一行が、誰かから奪った記録だ。


「すべて証拠として押収しました」


 カイロが続けた。


 ゼノ様が帳簿を受け取り、ページをゆっくりと繰った。


◇◇◇


 夕刻、港湾の波止場に五人が集まった。


 潮風が西から吹き、波の音が低く続いていた。沖の水面が橙色に染まり、倉庫街の石壁が長い影を地面に落としていた。


 カイロが港の南側の物見台に背を預け、セラが波止場の端に立って沖を見ていた。ガルムが石造りの係留柱の傍に立ち、腕を組んでいる。


 ゼノ様が、五人の顔をゆっくりと見回した。


「よくやってくれました」


 声は穏やかだった。荷を降ろすような、静かな言い方だった。


「この港湾は、もう教会連合圏のものではありません」


 セラが沖から視線を戻し、ゼノ様を正面から見た。目の端に何かが光ったが、セラはすぐに前を向いた。


「この拠点を足がかりに」


 シルヴァは帳簿を胸の前で揃え、ゼノ様に向き直った。


「次の攻略が可能です。帳簿の記録と、カイロが回収した鍵の対応先を照合すれば、教会連合が管理している他の物資集積地の位置が絞り込めます」


「そうですね」


 ゼノ様が静かに応じた。


「だが今は、民に物資を返しましょう」


 シルヴァは口を閉じた。反論する理由がなかった。


 ゼノ様が港の方に顔を向けた。倉庫街の石壁の向こう、街の灯が一つ、また一つと灯り始めていた。橙色の夕闇の中で、小さな光が窓から漏れている。


「明朝、広場に並べます。あの灯の下にいる人たちの目の前に」


 波が係留柱を濡らし、引いていった。



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