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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第二部:咆哮

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第76話:「拠点としての始動」

 広場に、朝の光が差し込んでいた。


 石畳の上に、昨日の跡が残っていた。倒れたままの荷台、壁際に崩れた木箱の残骸、石畳の継ぎ目に挟まった荷縄の切れ端。その跡を踏み分けるようにして、ゼノリスとカイロは夜明け前から物資を運び込んでいた。


 港湾倉庫に積み上げられていた穀物、塩、布地、そして帳簿に記録されていた金貨の一部。焼き印の刻まれた木箱が、朝の光の中に列をなしている。湿った穀物の匂いが、潮風に混じって漂っていた。


 人が集まっていた。


 ただし、誰も広場の中に入ってこない。建物の軒下、路地の入口、広場に続く石段の上。三十人ほどが、思い思いの場所から木箱の列を眺めていた。老いた者、若い者、子供の手を引いた女。それぞれの顔に、同じ色がある。何かを待ちながら、近づいていいのかわからない、という顔だ。


 ゼノリスは広場の中央に立ち、集まった人々を見渡した。


「これは、あなた方から不当に奪われたものです」


 声は穏やかに、しかし広場の縁まで届くように出した。


「帳簿に記録されていました。いつ、誰から、何を取ったか。すべて確認しています。今から返します」


 沈黙が続いた。


 誰も動かなかった。潮風が広場を横切り、木箱の列の間を抜けた。穀物の匂いがふわりと揺れた。石段の上で子供が母親の袖を引いたが、母親は足を動かさなかった。


 ゼノリスは待った。


 群衆の顔を、一人ずつ視線で辿っていく。軒下の男、路地の入口に立つ女、石段の上の老いた夫婦――。


 そこで、目が止まった。


 石段の手前、広場の縁に一人の老人が立っていた。腰が右に少し傾いている。外套の肩の縫い目がほつれ、靴の踵が片方だけすり減っている。右手の親指と人差し指の間に、深い胼胝たこのある手。


 あの老人だった。


 老人も、ゼノリスを見ていた。


 目が合った。老人の目が、わずかに開いた。口元が動いたが、声にはならなかった。ゼノリスは視線を外さなかった。


 老人が、一歩踏み出した。


 すり減った踵が石畳を踏む音が、静かな広場に小さく響いた。腰が右に傾いたまま、それでも歩みは止まらなかった。二歩、三歩と進み、老人は広場の中に入ってきた。


 木箱の前で、老人が足を止めた。


 焼き印の刻まれた側面に、節くれ立った指先を当てた。数字と記号の羅列を、ゆっくりと指でなぞった。


 ゼノリスが歩み寄ると、老人が顔を上げた。


「……本当に」


 かすれた声だった。酒場で聞いたのと同じ声だ。


「……本当に戻ってきた」


 老人は木箱から手を離し、ゼノリスの顔をまじまじと見た。深い皺の奥の目が、じっとゼノリスを映している。それから、口が開いた。


「わしはな」


 声に、力が混じった。


「あんたが出ていった日から、待っていた。……家の者には笑われたよ。老いぼれが何を待ってるんだって」


 老人が、ゆっくりと息を吐いた。白い息が、冷えた朝の空気に溶けた。


「それでも待ってた。あんたが嘘をつく目じゃなかったから」


「待たせました」


 ゼノリスが告げた。


「……まさか、こんなに早いとは思わんかったがな」


 老人が口元を一度引き結んだ。それから両手を木箱にかけ、穀物の詰まった袋を持ち上げた。腰が傾いたまま、袋を胸に引き寄せる。節くれ立った指が、布地にめり込んだ。


 その背後で、広場に動きが生まれた。


 石段の上にいた若い男が、足を踏み出した。続いて、軒下の女が子供の手を引いて歩き出した。路地の入口に立っていた男が、広場に入ってきた。一人が動けば、また一人が動く。波が広がるように、人々が木箱の列へ向かって歩き始めた。


 広場に、足音が増えた。


 潮風が吹いた。穀物と塩の匂いが、朝の光の中に広がった。


◇◇◇


 広場の人の流れが落ち着いてきた頃、ゼノリスは広場の南側の壁際に移動した。


 石壁に背を向けて立つと、広場の全体が見渡せた。木箱の列の前に人が行き交い、布地を手に取る女、穀物袋を肩に担ぐ男、塩の袋を両手で抱えた子供。声は少なかった。誰も大きな音を立てない。ただ、人が動いていた。


 カイロが音もなく、隣に立った。


「辺境伯ボルドスへの報告が遅れれば、我々に有利です。次の手を打つ時間が増えます」


 前を向いたまま、低い声で告げた。


 シルヴァが帳簿の束を腕に抱えたまま、反対側に立った。


「ただし、その時間で拠点の守備を固めなければ意味がありません。制圧しても、保てなければまた奪われます」


 カイロが小さく頷いた。同じ結論に辿り着いていた、という頷きだった。


 ガルムが壁から離れ、ゼノリスの前に立った。


「わしが残りましょう」


 太い声だった。報告ではなく、決意の声だ。


「この街を守ります。民が安心して暮らせるように、わしがここに立ちます」


 セラが前に出た。ガルムの隣に並び、ゼノリスを真っ直ぐに見た。


「私も! 民を守ります! ガルムさんだけには任せられません」


 ガルムが横目でセラを見た。


「……嬢ちゃんは、力加減を覚えてからにせい」


「失礼な! 私だって、ちゃんと加減してます!」


「昨日、収容施設の扉を蝶番ごと引き抜いておったぞ」


「あれは扉の方が古すぎたんです!」


 カイロが前を向いたまま、小さく息を吐いた。シルヴァが帳簿から目を上げ、二人を一度だけ見てから視線を戻した。


 ゼノリスは二人の顔を見た。


 ガルムが腕を組み、セラがまだ何か言い返そうと口を開いている。二人とも、広場から目を離していない。言い合いながら、人の流れを見ている。


「では、ガルムとセラにはここの守備をお願いします」


 ゼノリスが告げると、二人の言い合いが止まった。


「私たちは、次の作戦を立てます」


 セラが背筋を伸ばした。


「はい! お任せください!」


 ガルムが一度深く頷いた。言葉はなかったが、その頷きには重さがあった。


◇◇◇


 広場の木箱の列が、半分ほど空になっていた。


 ゼノリスは広場の縁から、人の流れをもう一度見渡した。受け取った物資を抱えて帰る人々の背中が、路地の奥へ続いていく。老いた者、若い者、子供。それぞれの足取りが、来た時よりも少し速い。


 その中に、見知った背中があった。


 腰が右に傾いたまま、穀物袋を両手で抱えた老人が、路地の入口へ向かって歩いていた。袋は大きく、老人の体の半分ほどの嵩がある。靴の踵が石畳を踏むたびに、体がわずかに揺れた。それでも足は止まらなかった。


 ゼノリスは老人の背中を目で追った。


 路地の入口で、老人が一度振り返った。ゼノリスと目が合った。老人は何も言わなかった。ただ、深い皺の奥の目が細くなった。それだけだった。


 老人は路地の奥へ消えた。


 潮風が広場を吹き抜けた。空になりかけた木箱が、風に軋んだ。


 カイロが隣に立った。


「準備が整い次第、動けます」


「わかりました。ではその前に情報の確認と作戦です」


 ゼノリスは広場から港の方角へ視線を移した。朝の光が水面に散り、沖の輪郭が白く滲んでいる。


 その視線が、港湾管理施設の石壁に止まった。あの部屋に、帳簿と地図が待っている。この港が繋がっている先の、すべての線が。



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