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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第二部:咆哮

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第67話:「搾取の構造」

 祭りの音が、遠くなった。


 広場を離れ、路地を折れ、また折れた。石畳の傾斜が港の方角へ下り始めるあたりで、人の密度が薄れた。屋台の声が届かなくなった。揚げ物の脂の匂いが、塩と木材の匂いに置き換わっていく。


 宿の扉を開けた。

 蝶番が低く鳴り、内側の冷えた空気が顔に当たった。昼間でも薄暗い廊下を、三人は音もなく上がっていく。板張りの階段が、ゼノリスの重さだけ軋んだ。カイロは音を立てなかった。シルヴァの外套の裾が、踏み板の縁をかすめた。


 二階の奥の部屋に入った。


 昼の光が、窓から斜めに差し込んでいた。塵が光の中に漂い、ゆっくりと沈んでいく。壁の染みが、昨夜より鮮明に見えた。テーブルの上に、シルヴァが昨夜書き留めた紙が重なったままになっていた。


 カイロが部屋の扉を閉めた。


 外の音が、一枚の板の向こうへ退いた。


 シルヴァは椅子を引かず、テーブルの上の紙を手に取った。ひとつ確認するように視線を走らせ、また置いた。


 ゼノリスは窓際に立ち、港の岸壁を見下ろしていた。


 石畳の向こう、桟橋に繋がれた船から積み荷が降ろされていく。荷を担いだ男たちが往復し、遠く、微かな掛け声が風に乗って届いた。


 カイロが口を開いた。


「本日、追加で掴んだ情報を報告します」


 その言葉を合図に、ゼノリスは窓際を離れて椅子を引いた。テーブルに両肘を置き、指を組む。


 代わるようにしてシルヴァが窓際に立ち、袖口に手を収めたまま、静かに外へ視線を投げた。


「港湾管理官の行動パターンが判明しました」


 カイロの声は抑揚が薄かった。言葉だけが、静かな部屋に落ちた。


「管理官は辺境伯の配下ですが、商会との連絡線は細い。商会の本部から指示が来るのは週に一度、決まった使者を通じてのみです」


 シルヴァが窓から視線を外し、カイロの方へ向けた。


「使者が来ない日は?」


「管理官単体で動きます。朝の港湾巡回と夕の収支確認、この二つが固定の行動です」


 シルヴァの指先が、袖の中でわずかに動いた。術式を頭の中で組むときの癖だった。


「つまり」


 シルヴァが口を開いた。語尾は穏やかだったが、言葉の芯は硬かった。


「商会からの指示が来ない日に、管理官を制圧できれば――商会への連絡が大幅に遅れる、ということですね」


「はい。最短で丸一日、連絡が届きません」


 カイロが答えた。一呼吸の間もなかった。


 シルヴァが視線をゼノリスへ移した。


「港湾管理官を制圧した後、その一日の間に港湾の実効支配を確立できれば――商会が動く前に、この街の構造を書き換えられます」


 言葉が、部屋の中で静かに広がった。


 ゼノリスは指を組んだまま、シルヴァを見ていた。何も言わなかった。


「この都市を抑えれば、旧魔王領の経済拠点を確保できます」


 シルヴァが続けた。感情のない、整理された言葉だった。


「補給と金策の基盤が一点で確立します。以後の展開に、相当の余裕が生まれる」


 ゼノリスは視線を窓へ向けた。


 昼を過ぎた光が港の水面に落ちていた。いくつかの船が桟橋に繋がれ、帆が風をはらんで膨らんだり、弛んだりを繰り返していた。潮と魚の匂いが、開いた窓の隙間から薄く届いた。


 カイロが、わずかに間を置いた。


「もう一点」


 声のトーンは変わらなかった。ただ、その一点という言葉が、部屋の空気をわずかに引き締めた。


「旧魔王領内の他の拠点情報も入手しました」


 シルヴァの指先が袖の中で止まった。ゼノリスは窓から視線を戻し、カイロを見た。


「この港湾都市と同じ構造が、少なくとも三つの拠点で確認されています。いずれも辺境伯配下の管理官が実効支配し、商会を通じた収益が教会連合圏へ還流している」


 カイロが短く区切った。


「構造は同一です。管理官と商会の連絡線が弱い、という点も共通しています」


 シルヴァが口を開いた。


「つまり、ここで作った前例がそのまま使える」


「そうなります」


 カイロが答えた。


 シルヴァは一拍置いてから、外套の内側から細い紙片を取り出した。三つ折りにされた紙だった。テーブルの上に広げると、手書きの略図が現れた。港湾都市を中心に、いくつかの拠点が線で繋がれていた。指先でその一点を押さえる。


「ここを崩せば、連鎖します」


 それだけ言って、指を離した。


 部屋の中が静かになった。


 波の音が、また届いた。前半に聞いたのと同じ音のはずだった。だがゼノリスの耳には、少し違う重さで届いた。


◇◇◇


 ゼノリスは、組んでいた指をゆっくりと解いた。


 テーブルの上に両の掌を平らに置いた。石のように冷たい板の感触が、掌から肘へと伝わった。


 何かが、頭の内側に戻ってきた。


 震える指先で代金を渡していた女。笑顔のまま視線をそらした男。兵士を見て体を縮めた子ども。あの日、笑顔の下に押し込められていたものが、今は一つの輪郭を持って見えた。


 それから、別の場面が重なった。


 路地の角、銀髪の女――見えない目がこちらを探していた、あの一瞬。


 あの足が止まったことに、意味があった。


 テーブルの板の冷たさが、まだ掌にあった。ゼノリスは手を動かさなかった。動かす必要がなかった。


 何かが、胸の内で静かに固まった。


 言葉にはならなかった。言葉にする必要もなかった。ただ、テーブルに置いた掌が、いつの間にか拳になっていた。


 カイロもシルヴァも、口を開かなかった。


 窓の外の光が、いつの間にか色を変えていた。昼の白さが薄れ、橙が混じり始めていた。港の水面がその色を受けて、ゆっくりと揺れていた。


 ゼノリスは椅子から立ち上がった。


「もう少し、調べましょう」



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