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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第二部:咆哮

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第65話:「☆6の輝き」

 【至極の理】を、向けようとした。


 向けようとして――止まった。


 理由はわからなかった。ただ、あの声が耳の奥に滑り込んできて、ゼノリスの中で何かが固まらなかった。歌詞の言葉ではなかった。言葉の底を流れる、名前のない何かだった。


 ゼノリスは息を吸い、見た。


 広場が、塗り替わった。


 いや、正確には違った。【至極の理】は広場に何も変えない。ただ、見えないものを剥き出しにするだけだ。それでも、その光景は毎回、ゼノリスの目の奥を刺した。


 足場に立つ女の頭上に、星が浮かんだ。


――くすんでいなかった。


 周囲の民衆の頭上には、白色の星がいくつも点在していた。内側から削られたような、疲弊した輝き。祭りの日でも変わらない、この街を満たす鈍い色だ。串肉を手にした男。石柱に寄りかかった老婆。子どもを肩に担いだ父親。どれも同じ色だった。消耗した生の色だった。


 護衛兵たちの頭上も見た。


【白色の星。☆☆/☆☆】


【白色の星。☆☆☆/☆☆☆】


 足場の周囲を固める四人も、精々その程度だった。鑑定石の評価では優秀な部類に入るのかもしれない。しかしゼノリスの目には、ただの磨り減った石ころにしか映らなかった。到達可能な限界ごと、くすんでいた。


 だから、女の頭上に浮かんだ光を見た瞬間、ゼノリスの目が止まった。


 全身の動きが、止まった。


 白色だった。だが、この広場に溢れるくすんだ白とは何もかもが違った。奥底から押し出されるように湧き上がる光だった。


 濁りがなかった。


 削れていなかった。


 まるで、磨き上げられた水晶が朝の陽光を受けたときのような――それ以上の輝きが、あの小柄な体の頭上に静かに満ちていた。


 星が、浮かんだ。


【白色の星。☆/☆☆☆☆☆☆】


【世界記憶の守護者】


 ゼノリスは、動けなかった。


 喉の奥で、何かが引き攣れた。空気を吸い込んでいるはずなのに、肺まで届いた感触がなかった。前に歩み寄ろうとしている自分の姿勢に、気づかなかった。


 ☆6だった。


 権能はないが、特殊な技能がある。


 この広場で、この街で、ゼノリスが【至極の理】を向けた幾百の人々の中で、そのどこにも見当たらなかった輝きが、あの女一人の頭上にだけ燈っていた。


 歌声は続いていた。


 透き通った声が、足場から石畳へ、石柱へ、人波の奥まで染み渡っていく。


 歌詞は変わらず、魔王の名を穢し続けていた。勇者の栄光を謳い続けていた。その言葉の一つひとつがゼノリスの耳を通ったが、今は何も刺さらなかった。


 ゼノリスは、女の頭上の光から目を離せなかった。


 その奥にある『何か』にも……。


◇◇◇


 半歩、前に出る気配があった。


 カイロだった。ゼノリスの異変を察したのだろう。気配が一段、鋭くなっていた。言葉はなかった。それでも問いが、その沈黙に詰まっていた。


 ゼノリスは右手をわずかに上げた。


 それだけで、カイロの気配が元の位置に戻った。


 ゼノリスは再び、足場を見た。


 あの輝きは変わらなかった。歌声と一緒に揺れることも、人波の声に紛れることもなかった。静かに、確実に、そこにあった。


【世界記憶の守護者】


 ゼノリスはその名を、声に出さなかった。胸の内で転がしただけだった。転がすたびに、重さが増した。あれが何を意味するのか、詳細は『まだ』わからなかった。


 歌詞が、ゼノリスの名を呼んだ。


――魔王の呪いが大地を枯らした。


 耳を素通りした。


――魔王の名の下に、罪なき者たちが命を奪われた。


 それも、素通りした。


 怒りがないわけではなかった。胸の奥底には確かにあった。だがそれは今、別の何かの下に沈んでいた。言葉にならない、重い感情の下に。


 ゼノリスは、声を聞いていた。


 祈りは、まだ続いていた。歌詞の嘘の下で、方向も宛先もなく、あの体の奥から押し出され続けていた。


 それと、頭上の輝き。


 ゼノリスの中で、二つが重なった。


 重なった瞬間、喉の奥で何かが、音を立てた。


 ゼノリスの目の奥で、何かが収縮した。


 奥歯の付け根に、力が入った。袖の内側で、指先が掌に折り込まれた。爪が皮膚に食い込む感触があったが、ゼノリスは手を開かなかった。開く気にもなれなかった。


 あのような至宝を。


 勇者は『毒』で汚して、飼い慣らしているのか。


 言葉が胸の内で結晶した瞬間、頭上の輝きが揺れたように見えた。


 歌声は続いていた。


 透き通った声が、足場から広場の隅まで満ちていく。近くに立つ男の肩が小刻みに揺れていた。石柱に背を預けた老人が、顎を引いたまま目を閉じた。子どもを抱いた女が、子どもの耳を片手でそっと塞いだ。塞いだのが自分のためか子どものためか、わからなかった。


 歌詞が、また耳を通った。


――民の嘆きを、勇者が拭い去った。


 声は美しかった。声の美しさに、嘘はなかった。その美しさの中に詰め込まれているものを、この広場で知っているのはゼノリスだけだった。


 知っているから、誓うのも自分だけでいい。


◇◇◇


 歌声が、細くなった。


 変わったのではなかった。音域も声質も変わっていなかった。ただ一本の糸が末端に近づくように、緊張と静けさが混じり合い、声の輪郭が研ぎ澄まされていった。


 歌が、終わろうとしていた。


 広場が、息を詰めた。屋台の売り子が口を閉じた。硬貨の転がる音も止まった。祭りの中に生まれた静寂の中で、風だけが旗をかすかに揺らし続けた。


 最後の音が、石畳に溶けた。


 次の瞬間には拍手が湧き、歓声が重なった。誰かが神の名を呼んだ。揚げ物の脂の匂いが風に乗り、ゼノリスの鼻を通り過ぎた。広場の喧騒が、急速に戻ってきた。


 ゼノリスは、微動だにしなかった。


 足場の上で、銀髪の女が頭をわずかに下げた。護衛の一人が足場の縁へ歩み寄り、腕を差し伸べた。


 白い絹の帯が、朝の光の中で静かに浮いていた。


 女の指先が、その腕にそっと置かれた。自分から掴むのではなく、ただ置くだけの触れ方だった。その指先が護衛の腕の上でわずかに沈むのを、ゼノリスは見た。


 重さを預けたのではなかった。


 それだけで、あの女が人の温もりに慣れていないことが、ゼノリスには伝わった。


 足場を降りる姿が、朝の光の中に小さく見えた。深紅と金の刺繍が風を受けてかすかに揺れ、銀髪が肩を流れ落ちた。護衛が周囲を固め、菱形が再び形成された。人波が、静かに道を開けた。


 ゼノリスは、その後ろ姿に向けて眼差しを注いだまま、袖の内側で握った手を、ゆっくりと開いた。爪の跡が、掌に白く残っていた。


 胸の内で、言葉が固まっていた。揺れなかった。この広場の誰にも届かない場所で、それは静かに、確かに存在していた。


――必ず、君を嘘の鎖から解放する。


 色砂が一粒、ゼノリスの視界を横切り、光の中に消えた。


 護衛の菱形が人波の奥へ進んでいく。銀髪がひとつ揺れ、またひとつ揺れるたびに、人の頭の向こうへ沈んでいった。


 見えなくなるまで、目を離さなかった。



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