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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第二部:咆哮

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第64話:「嘘を紡ぐ歌声」

 石畳が、人で埋まっていた。


 広場に足を踏み入れた瞬間、押し寄せるような体温が肌に当たった。昨日の閑散とした石畳はどこにもなかった。肩と肩がぶつかり、足元で子どもが走り、揚げ物の脂の匂いと、花輪の青臭さと、汗の匂いが一緒くたになって漂っている。


 ゼノリスはフードを深く引き、人の流れに沿って歩を進めた。


 広場の縁に沿って屋台が並んでいた。串に刺した肉、色とりどりの菓子、瓶に詰めた果実酒。売り子の声が飛び交い、買い手が笑い、硬貨が石畳を転がる音が混じった。


 足場には昨日より多くの旗が張られ、風に揺れるたびに色砂が舞い上がった。砂が口に入り、ゼノリスは小さく唇を閉じた。


 カイロが半歩後ろについていた。


 人の波をすり抜けるように動き、誰にも触れなかった。シルヴァはさらに後方で、人混みの中でも姿勢を崩さず、袖口に手を収めたまま広場をゆっくりと見渡していた。


 ゼノリスは広場の端、石柱の傍らに立った。


 ここからなら、足場の全体が見渡せた。足場の上には白布が張られ、朝の陽光を受けて輝いている。「勇者の恩寵に感謝を」の文字が、光の中に浮かんでいた。


 ゼノリスは、【至極の理】を使った。


 視界に入る者の頭上に、次々と星が浮かんだ。串肉を頬張る男。売り子に声をかける女。子どもの肩に手を置いた父親。どれも同じだった。くすんだ白色。昨日と、何も変わっていなかった。


 だが今日は密度が違った。笑顔の数が違った。祭りの日だから笑っているのではなかった。祭りの日だから、笑わなければならなかった。



 その違いを、ゼノリスは言葉にせず、ただ広場を見ていた。


 ざわめきが、変わった。


 一点から、波紋のように静けさが広がった。人々が振り返り、道が開き始めた。屋台の売り子が声を落とした。子どもが走るのをやめた。広場の縁から中央へ、静寂が押し寄せるように満ちていく。


 護衛の一団が、広場に入ってきた。


 四人の兵士が菱形に並び、その中心に、銀髪の女がいた。


 朝の光の中で、白銀の髪が肩に流れ落ちていた。華美なドレスが裾を引き、石畳の上を静かに滑る。深紅と金の刺繍が施された布地が、歩くたびにかすかに揺れた。体格は小柄だった。折れそうなほど細い。しかし背筋は一分の乱れもなく伸び、顎をわずかに上げた姿勢には、育ちの良さが滲んでいた。


 目元に、絹の帯が巻かれていた。


 白い帯が、銀髪の中にひっそりと埋まっていた。護衛の兵士が腕を差し出し、女はその腕に指先を添えた。


 広場が、静かになった。


 人々の息が、揃った。


 女が、足場の前で立ち止まった。


◇◇◇


 女の最初の一音が、広場に落ちた。


 声だった。それ以外の言葉が見当たらない。音楽というには純粋すぎ、詠唱というにはあまりに温かい。ただ、声だった。


 透き通るその音は、石畳に、石柱に、そして人々の胸の内に、冷たい水が染み込むように広がっていく。広場の喧騒が、嘘のように凪いだ。


 歌詞が、紡がれる。


――勇者が闇を断ち、光が戻り、大地が慈しみを取り戻した。


 あまりに甘美で、あまりに安易な物語。ゼノリスは石柱に背を預けたまま、その声が人々の表情を塗り替えていくのをただ眺めていた。人々の瞳から『迷い』が消え、代わりに虚ろな『陶酔』が宿っていくのを。


 周囲で、人々が泣いていた。


 年老いた女が目元を拭った。隣の男が唇を引き結び、目を閉じた。子どもを抱いた母親が、子どもの頭に顔を埋めた。泣いているのか、隠しているのか、わからなかった。


 ゼノリスは【至極の理】を向けた。


――くすんでいた。


 涙を流しながらも、星はくすんだままだった。


 彼らは感動しているのではない。安堵しているわけでもない。


 この歌が終わったとき、この祭りが終わったとき、また明日が来る。その明日を、彼らは知っていた。


 歌声は続いていた。


 言葉のひとつひとつが、ゼノリスの耳を通った。魔王の軍勢が民を苦しめた。魔王の呪いが大地を枯らした。魔王の名の下に、罪なき者たちが命を奪われた――。


 ゼノリスは瞼を動かさなかった。


 歌詞を聞いていなかった。


 声を、聞いていた。


 言葉の向こう側にあるものを、この耳は拾っていた。


 歌詞が嘘を紡ぐたびに、声そのものが別の何かを運んでいた。言葉の外側に、もう一つの層があった。それは嘆きでも怒りでもなかった。


 祈りだった。


 誰かに届けと、届いてほしいと、ただそれだけを願う声だった。


 歌詞の意味とは関係なく、その声は祈っていた。何のために祈っているのかも、誰に向けているのかも、おそらく歌っている本人にもわからないまま、それでも祈り続けていた。


 ゼノリスは石柱から背を離し、半歩、前に出た。


 人混みの向こうで、銀髪が光を受けて揺れていた。絹の帯が、朝の陽光の中で白く浮かんでいた。小柄な体が、微動だにしなかった。護衛の腕には、もう指先を添えていなかった。歌っている間だけ、彼女は一人で立っていた。


 言葉は嘘に満ちている。


 だが、あの声の根底にある祈りに嘘はない。


 歌声が、広場を満たしていた。人々の嗚咽が混じった。旗が風に揺れた。色砂が舞い上がり、光の中に散った。


 ゼノリスは、その声の主に眼差しを注いだまま、ゆっくりと息を吸った。


 【至極の理】を、向けようとした。



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