第55話:「不動の盾」
ゼノリスは【至極の理】で、ガルムを見た。
【至極の理】で見る世界は見え方が変わっている。木々の一本一本、葉の揺れ方、空気の流れ。全てが、今までとは違う質感で見えている。
そして――
ガルムの頭上に、星が浮かんだ。
小さな光点が、空中に生まれた。黄金の輝き。
一つ、また一つと増えていく。二つ、三つ、四つ。光が連なり、やがて――
ゼノリスの呼吸が、止まった。
星は整然と並び、ガルムの頭上で静かに輝いている。その光は柔らかいが、揺らぎがない。確かな輝きだ。偽りではない。【至極の理】が映し出した、真実の輝き。
ゼノリスの視界に、文字が浮かんだ。
【黄金の星。☆☆☆☆/☆☆☆☆☆☆】
【不動の盾】
ゼノリスは、その文字を見つめた。
☆4
到達可能な限界値が、☆6。
ガルムが持つ真の才能は、勇者が断じた『使えない老いぼれ』などではなかった。
この者は、☆6へ到達できる。
ほんの一握りの者だけが辿り着く領域へ。
ゼノリスは、ガルムを見た。
ガルムは、何も知らない。自分の頭上に星が輝いていることを。自分が持つ真の才能を。至極の理が見抜いたその真実を。
ガルムはただ、ゼノリスを見ている。恐る恐る、だが、まっすぐに。深淵のような瞳を、見ている。
ゼノリスはもう一度、星を見た。
黄金の輝き。☆6。
そして【不動の盾】という文字。
その意味を、ゼノリスは理解していた。
盾を持つ者として、ガルムが歩んできた道。仲間を守り、誠実に戦い、それでも踏みにじられた道。その全てが、この評価に刻まれている。
勇者は間違っていた。
この者を『使えない』と断じた全ての者が、間違っていた。
ゼノリスは、少しの間、何も言わなかった。
言葉を選んでいた。何を告げるべきか。どう伝えるべきか。この者の生き方が、どれだけ踏みにじられてきたか。その全てを知った今、どんな言葉を贈るべきか。
今は、ガルムに告げるべき言葉を、見つけなければならない。
ゼノリスは、静かに息を吸った。
それから、口を開いた。
「かつて、この世界に一人だけ」
低く、静かな声だった。
だが、確信を込めて。一言一言を、丁寧に選びながら。
「絶対に引かなかった男がいたと聞く」
ガルムの目が、わずかに動いた。
息が詰まったような、そういう動きだった。体が硬直している。盾を持つ手が、震え始めている。
ゼノリスは、ガルムを見たまま、続けた。
深淵のような瞳で、ガルムを見たまま。その頭上に輝く六つの星を、視界の端に捉えたまま。
「……それがあなただったか」
その言葉が、森に落ちた。
ガルムの体が、揺れた。
わずかに。ほんのわずかに。だが、確かに揺れた。盾を持つ手が震え、肩が動き、呼吸が乱れている。
ゼノリスは、言葉を続けた。
「老いたな」
短く区切った。
それから、さらに続けた。
「だが、その魂の硬度は今も健在だ」
ガルムの目が、見開かれた。
息を呑んだ。声を出そうとして、出せずにいる。ただ、ゼノリスを見ている。深淵のような瞳を、見ている。
ゼノリスは、最後の言葉を告げた。
静かに。だが、揺るぎない確信を込めて。
「あなたの盾こそ、この世界で最も揺るぎない」
◇◇◇
ガルムは、その言葉を聞いた。
一言一言が、胸の奥に届いてくる。
ガルムの喉が、詰まった。息ができない。声が出ない。ただ、ゼノリスを見ている。深淵のような瞳で、見ている。嘘はない。偽りもない。ただ、真実だけがそこにある。
盾を持つ手が、震えた。盾がわずかに揺れる。金具が鳴った。小さく、鈍く。
――あなたの盾こそ、この世界で最も揺るぎない。
その言葉が、ガルムの胸を貫いた。
わしの盾が。
――世界で最も、揺るぎない
ガルムは、理解できなかった。
いや、理解したくなかった。信じられなかった。わしの盾は、叩き割られた。わしの誠実さは、踏みにじられた。わしは、『使えない老いぼれ』と断じられた。それなのに――
それなのに、目の前の男は言った。
わしの盾こそ、この世界で最も揺るぎない、と。
ガルムの視界が、滲んだ。
何かが、頬を伝った。
暖かい。湿っている。それが何なのか、すぐにはわからなかった。
……涙だった。
ガルムの目から、涙が零れ落ちていた。
止められなかった。止めようとも思わなかった。ただ、流れていた。頬を伝い、顎を伝い、盾の表面に落ちていく。傷だらけの盾に、一粒、また一粒と落ちて、傷の溝を濡らしていく。
ガルムは、盾を見た。
涙に濡れた盾。傷だらけの表面。叩かれた跡。削られた縁。中央に走る、深いひび割れ。
この盾が――
世界で最も、揺るぎない――
ガルムの膝が、震えた。
支えられない。立っていられない。全身から力が抜けていく。盾を持つ手が、下がっていく。
ガルムは、盾を地面に置いた。
そっと。丁寧に。長い時間、共に戦ってきた相棒を、地面に置くように。盾が土に触れて、小さく音がした。
それから、ガルムの膝が折れた。
右膝が地面に着いた。次に、左膝が。両膝が、土の上に沈んだ。
ガルムは、ゼノリスの前に膝をついた。
涙が止まらなかった。声も出なかった。ただ、そこに膝をついていた。
長い時間、誰にも認められなかった。
長い時間、誰にも理解されなかった。
わしの騎士道を。わしの誠実さを。わしの盾を。
それを――
この男は、理解してくれた。
認めてくれた。
わしの盾こそ、この世界で最も揺るぎない、と。
ガルムの涙が、土に落ちた。
一粒、また一粒。涙が土を濡らし、小さな染みを作っていく。
◇◇◇
ゼノリスは、ガルムを見ていた。
膝をついた巨体。俯いた頭。震える肩。頬を伝う涙。
その姿が、ゼノリスの胸を打った。
誠実に戦い、仲間を守り、それでも踏みにじられた騎士。
才能を否定され、功績を奪われ、生還すら罪とされた騎士。
その騎士が、今、ゼノリスの前に膝をついている。
涙を流しながら、膝をついている。
ゼノリスは、一歩、前に踏み出した。
落ち葉を踏む音がした。ガルムが顔を上げた。涙に濡れた顔で、ゼノリスを見た。
ガルムの口が、動いた。
「ゼノリス様……」
掠れた声だった。涙で、喉が詰まっている。
「わしを、あなたの下に置いてください」
その言葉が、森に落ちた。
ゼノリスは、ガルムの前に立ち、手を差し出した。
右手を。掌を上に向けて。ガルムへ向けて。
その手は、震えていなかった。迷いもなかった。ただ、差し出されていた。
ゼノリスは、静かに口を開いた。
「ようこそ、我が元へ」
低く、静かな声だった。
ゼノリスの手は、そのまま差し出されていた。
待っている。
ガルムが、その手を取るのを。
ただ、待っている。




