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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第二部:咆哮

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第54話:「勇者の仕打ち」

 ガルムは盾を見た。


 傷だらけの表面。ひび割れた中央。この盾が守ってきたもの。守れなかったもの。その全てが、ここに刻まれている。


 ガルムは口を開いた。


「わしは、囮にされた」


 声が、森に落ちた。低く、重く。


「敵の大群が押し寄せていた。勇者軍は撤退を決めた。だが、誰かが時間を稼がねばならなかった。勇者は、わしを指名した」


 ガルムの手が、盾を握った。


「『お前が残れ』と。ただ、それだけ言った。撤退命令ではなかった。時間を稼げ、でもなかった」


 ガルムの声が、掠れた。


 喉の奥から絞り出すような、苦い声になった。


「『死んで稼げ』――それが、最後の言葉だった」


 その瞬間、周囲の音も、空気の流れも、すべてが止まった。


 静寂だけがそこにあった。


 ガルムは深く、深く俯いた。


 盾を抱えたまま、視線を落とした。右手が、無意識に古傷へ伸びた。肩から腕にかけて走る、深い傷跡。守るために負った傷。それを罵られた傷。


「わしは、残った」


 ガルムの声が、少しだけ震えた。


「盾を構えて残った。敵が何十、何百と来た。わしは、受け止めた。一撃、また一撃。盾が軋んだ。腕が痺れた。だが、止まらなかった」


 ガルムの指が、盾の傷をなぞった。


 一つ一つ。あの時受けた刃の跡。斧の跡。槍の跡。その全てを、覚えている。


「どれだけの時間が経ったか、わからなかった。だが、敵は引いた。わしは、生き残った」


 ガルムは顔を上げた。


 目の前に、四人がいる。誰も動かない。誰も口を開かない。ただ、こちらを見ている。


「生き残ってしまった……」


 ガルムは、そう言った。


◇◇◇


 しばらく沈黙が続き、ガルムが口を開いた。


「わしが戻ると、勇者軍は無事に撤退を終えていた」


 ガルムの声が、続いた。


「わしは報告した。敵を食い止めた、と。時間を稼いだ、と。だが、勇者は何も言わなかった。他の者も、何も言わなかった」


 ガルムの手が、盾を握る力を強めた。


「それどころか、わしの功績は、他の者のものにされた」


 ガルムの声が、低くなった。


 喉の奥から、重い言葉が出てくる。


「敵を食い止めたのは、若い騎士だったことになった。囮として残ったのは、志願した勇敢な兵だったことになった。わしの名は、誰の口にも上らなかった」


 ガルムは俯いた。


 盾を見た。傷だらけの表面を、指先でゆっくりとなぞった。


「功績は奪われた。それだけなら、まだよかった」


 ガルムの指が、止まった。


「だが、勇者は言った。『死ぬべき者が生き残った』と」


 静寂が、落ちた。


 風が吹いた。木の葉が揺れて、擦れる音がした。それから、また静かになった。


 ガルムは、ゆっくりと顔を上げた。


「生還すら、罪とされた」


 その言葉が、森に響いた。


 低く、重く。長い時間、誰にも言わなかった言葉。胸の奥に押し込めていた言葉。それが、喉を通って、外に出てくる。


「死んで稼げ、と命じられた者が、生きて戻った。それが、罪だった。勇者の命令に背いた。それが、罪だった」


 ガルムの声が、震えた。


 怒りではない。悲しみでもない。ただ、長い時間抱えてきた重さが、声に滲み出ている。


「わしは、何も言い返せなかった。盾を持つ者は、命令に従う。それが、騎士の務めだ。だが、死ねという命令に従えなかった。それが、わしの罪だった」


 ガルムは、深く息を吐いた。


 肩が落ちた。背中が丸まった。全身から力が抜けていくような、そういう姿だった。


 誰も、言葉を発さなかった。


 風の音だけが聞こえた。木々が揺れて、遠くで鳥が鳴いた。それから、また静かになった。


 ガルムは、盾を抱えたまま立ち、深く息を吸った。


 まだ、語らねばならぬことがある。最後に、伝えねばならぬことがある。


「わしに残ったのは、後悔ではなかった」


 ガルムの声が、静かに響いた。


 低く、重く。だが、震えていなかった。全てを語り終える前の、最後の言葉を選ぶような、そういう声だった。


「後悔ではなく、屈辱だった」


 ガルムは盾を見た。


 傷だらけの表面。ひび割れた中央。この盾が象徴するもの。守ること。誠実であること。それを踏みにじられた屈辱。


「わしは、戦った。仲間を守り、盾を持ち、騎士として務めを果たした。だが、それを『無駄』と言われた。『自己満足』と罵られた。『使えない老いぼれ』と嘲笑された」


 ガルムの手が、盾を握った。


 指先が白く変色するほどの力で、革の持ち手が悲鳴を上げる。表面の金具が、手のひらの圧力に負けて鈍く鳴った。


「誠実さを踏みにじられた。それが、わしの屈辱だった」


 ガルムの声が、掠れた。


 それでも、続けた。最後まで、語り切らねばならなかった。


「今、わしは追われている」


 ガルムは顔を上げた。


 四人を見た。その四人が、こちらを見ている。


「敵ではない。だが、敵扱いされている。勇者に楯突いた者として、排除される者として、追われている」


 ガルムは、深く息を吐いた。


 長い時間、溜め込んでいたものを、全て吐き出したような、そういう息の吐き方だった。肩が落ちて、盾を持つ手が少しだけ下がった。


「それが、わしの全てだ」


 静寂が、降りた。


 誰も、言葉を発さなかった。風が吹いて、木の葉が揺れた。それから、また静かになった。ガルムは盾を抱えたまま、俯いた。もう、語ることはなかった。


◇◇◇


 ゼノリスは、ガルムを見ていた。


 盾を抱えたまま、俯いている老騎士。全てを語り終えた後の、静かな姿。その背中に、多くのものが刻まれているように見えた。


 ゼノリスの隣で、セラが動いた。


 立ち上がりかけた。だが、止まった。拳は握っていなかった。握れなかった。指が震えて、力が入らない。怒りではない。もっと深いところで、何かが壊れかけている。


 カイロは壁に背を預けたまま、目を閉じていた。


 影は消えていた。濃くなるのではなく、消えていた。まるで感情ごと、どこかへ沈めたように。だがその閉じた目の下で、顎の筋肉だけが動いていた。


 シルヴァは顔を上げていた。


 目を伏せていない。ガルムをまっすぐ見ていた。その目に涙はない。だが、唇が白くなるほど引き結ばれていた。


 三人とも、言葉を発さなかった。


 だが、その空気が、重かった。怒りが、そこにあった。静かで、深い、怒りが。誠実さを踏みにじられた者への、共感が。そして、それを踏みにじった者への、許せないという思いが。


 ゼノリスは、その空気を感じ取っていた。


 三人の怒り。三人の共感。それが、自分の中にある怒りと重なっている。


 誠実に戦い、仲間を守り、それでも嘲笑された騎士。


 才能を踏みにじられ、功績を奪われ、生還すら罪とされた騎士。


 その姿が、かつてゼノリスが見た多くの者たちと重なった。カイロ。セラ。シルヴァ。そして、まだ出会っていない、多くの者たち。


 ゼノリスは、一歩、前に踏み出した。


 足音が、落ち葉を踏む音がした。ガルムが顔を上げた。目が合った。


 ゼノリスは、ガルムの前に立った。


 黄金の瞳で、老騎士を見た。岩石のような顔。細い目の奥に、深い色がある。その色が、こちらを捉えている。恐る恐る、だが、まっすぐに。


 ゼノリスは、静かに口を開いた。


「あなたは誠実だ」


 低く、静かな声だった。


 だが、確信を込めて、告げた。


「仲間を守り、盾を持ち、騎士として務めを果たした。それを嘲笑した者たちが、間違っている」


 ゼノリスは、ガルムを見たまま、続けた。


「誠実さは、無駄ではない。自己満足でもない。それは、最も尊いものです」


 ガルムの目が、見開かれた。


 息を呑んだ。体が硬直した。盾を持つ手が震えた。


 ゼノリスは、さらに一歩、近づいた。


「あなたは誠実だ。それだけで、十分です」


 その言葉が、森に落ちた。


 風が吹いた。木の葉が揺れて、擦れる音が広がった。それから、静かになった。


 ガルムは、ゼノリスを見たまま、動けなかった。


 口が少し開いて、閉じた。何か言おうとして、言葉が出てこない。ただ、ゼノリスを見ている。その目の奥で、何かが揺れている。


 ゼノリスは、ガルムを見た。


 傷だらけの盾。震える右腕。岩石のような顔に刻まれた戦傷。その全てが、誠実さの証だった。


 ゼノリスは、静かに告げた。


「あなたの力を、私に見せてください」


 ゼノリスの瞳の色が、変わった。


 黄金の瞳が、深く、暗く、静かに沈んだ。光を放つのではなく、逆に光を飲み込むような、深淵のような色に変わった。


 ガルムの目が、その色を捉えた。


 息が止まった。体が動かなくなった。ただ、その瞳を見ている。深淵のような瞳を。


 森が、静寂に包まれた。



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