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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第二部:咆哮

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第53話:「鉄壁の騎士」

 ゼノリスは静かに息を吸った。


 老騎士の問いが、まだ森の空気に残っている。何者だ、と。その声には警戒があったが、敵意はなかった。ただ、知りたがっていた。目の前にいる者が何者なのか。なぜ助けたのか。信じていいのかを。


 ゼノリスは老騎士を見た。


 傷だらけの盾。震える右腕。岩石のような顔に刻まれた戦傷。細い目の奥に、深い色がある。その目がこちらを捉えたまま、動かない。待っている。答えを、待っている。


 風が吹いた。


 木々が揺れて、葉が擦れる音が広がった。それから静かになった。ゼノリスは口を開いた。


「私の名はゼノリス・ヴォルガデス。かつて魔王と呼ばれた者です」


 言葉が、開けた場所に落ちた。


 老騎士の体が、硬直した。


 盾を持つ手が、わずかに浮いた。目が見開かれ、呼吸が止まった。まるで目の前の空気ごと凍りついたような、そういう静止の仕方だった。


 カイロ、セラ、シルヴァは動かなかった。三人とも、ゼノリスの後ろに立ったまま、老騎士を見ている。誰も口を開かない。急かさない。ただ、待っていた。


 老騎士の喉が動いた。


 息を吐いた。長く、深く。肩が落ちて、盾を持つ手が少しだけ下がった。目はゼノリスを捉えたまま、動かない。その目の奥で、何かが揺れている。驚愕が、疑念が、そして恐る恐る差し出される問いが。


 老騎士は口を開いた。


 声が出るまでに、少し時間がかかった。喉が詰まっているようで、言葉を絞り出すように口を開いた。


「魔王……?」


 低い声だった。地の底から引き上げてきたような、重い声だ。その声が震えている。ほんの少しだけ、震えている。


 老騎士は一度、目を閉じた。それから、ゆっくりと開いた。


「わしの名はガルム。元は勇者軍の騎士だった」


 ゼノリスの目が、わずかに動いた。


「勇者軍の……?」


 短く、問い返した。それ以上は言わなかった。ただ、老騎士を見たまま、待った。


◇◇◇


 ガルムは、ゼノリスを見た。


 黄金の瞳。端正な顔立ち。静かな佇まい。


 魔王……かつて世界が恐れた存在。だが、目の前にいる者からは、敵意も殺気も感じられなかった。ただ、待っている。自分が何を語るのかを、ただ待っている。


 ガルムの視線が、四人を順に移った。


 ゼノリスの斜め後ろに立つ、切れ長の目をした青年。森に溶け込むような静けさで、そこにいる。その隣に、小柄な少女。肩で息をしているが、目はまっすぐこちらを向いていた。少し後ろに、銀髪の女性。外套を風に揺らしながら、静かに佇んでいる。


 四人とも、こちらを見ていた。


 急かさない。問い詰めない。ただ、待っている。自分が言葉を選ぶのを、ただ待っている。


 ガルムは、自分の盾を見た。


 傷だらけの表面。叩かれた跡。削られた縁。ひび割れた中央。この盾が、どれだけの仲間を守ってきたか。どれだけの刃を受け止めてきたか。そして、どれだけの屈辱を刻まれてきたか。


 右手が、古傷に触れた。


 無意識に。肩から腕にかけて走る、深い傷跡。若い騎士を庇って負った傷。自分の誇りだった傷。そして、罵られた傷。


 ガルムは、深く息を吸った。


 どこから語るべきか。何を語るべきか。だが、もう決めていた。この者たちは、自分を助けた。理由もわからぬまま、自分を助けた。ならば、答える義務がある。真実を、語る義務がある。


 ガルムは顔を上げた。


 ゼノリスを見た。黄金の瞳が、こちらを捉えている。その瞳に、嘘はないように見えた。


 ガルムは、口を開いた。


「わしは、かつて『鉄壁』と謳われた」


 声が森に響いた。低く、重く。長い時間、誰にも語らなかった言葉が、喉から出てくる。


「盾を持つ者として、わしは仲間を守った。前衛を守り、後衛を守り、傷ついた者を守った。盾は、そのためにある。守るためにある」


 ガルムは盾を見た。


 傷だらけの表面を、指先でなぞる。一つ一つの傷に、記憶がある。誰を守ったか。どこで受けたか。その全てを、覚えている。


「『鉄壁』――それがわしの誇りだった」


 ガルムの声が、顎を引いた。


「だが……」


 短く区切った。それから、続けた。


「勇者は無謀だった」


 ガルムは続けた。


「勇者は、突撃を好んだ。敵陣の中央へ、一直線に。策もなく、隊列もなく、ただ力任せに。……わしはそれを止めようとした。仲間が死ぬ。無謀な突撃は、仲間を死なせる。だから、止めようとした」


 ガルムの手が、盾を握る力を強めた。


「だが、勇者はわしを『老いぼれの臆病者』と嘲笑った」


 その言葉を口にした瞬間、ガルムの声に苦さが混ざった。低く、重く、喉の奥から絞り出すような声になった。


「仲間を守ろうとする者を、臆病者と呼んだ。盾を持つ者を、足手まといと罵った」


 ガルムは俯いた。


 盾を抱えたまま、視線を落とした。肩が、わずかに震えている。長い時間押し殺してきたものが、少しずつ滲み出てくるような、そういう震え方だった。


 静寂が、降りた。


 誰も言葉を発さなかった。風の音だけが聞こえた。木々が揺れて、遠くで鳥が鳴いた。それから、また静かになった。


 顔を上げたガルムは続けた。


「若い騎士がいた」


 声が、少しだけ震えた。


「まだ二十にもならぬ、若造だった。だが、無謀なほどに勇敢だった。勇者の突撃に付いて行こうとした。わしは、止めた。盾で庇い、後ろへ押し戻した」


 ガルムの右手が、無意識に肩へ伸びた。


 古傷に触れる。肩から腕にかけて走る、深い傷跡。外套の上からでも、その形がわかる。指先が、ゆっくりとなぞった。


「その時、敵の斧が振り下ろされた。若い騎士を狙って、振り下ろされた。わしは盾で受けたが、受け切れなかった。盾の縁を越えて、刃がわしの肩を裂いた」


 ガルムの指が、止まった。


 傷跡の上で、動かなくなった。


「若い騎士は生き残った。それで、よかった。盾はそのためにあるのだから」


 ガルムの声が、また低くなった。


 喉の奥から絞り出すような、重い声になった。


「だが、勇者は言った」


 ガルムの手が、盾を握った。


 ギリ、と。木が軋むような音がした。盾の表面に、指が食い込んでいる。


「『自己満足の負傷』だと。若い騎士を庇ったわしを、自己満足だと罵った。守ることが、自己満足だと」


 ガルムの声が、掠れた。


 長い時間、誰にも言わなかった言葉。胸の奥に押し込めていた言葉。それが、喉を通って、外に出てくる。


「盾を持つ者が、仲間を守る。それは当然のことだ。騎士の務めだ。だが、勇者はそれを『無駄』だと言った。『使えない老いぼれの自己満足』だと」


 ガルムは、俯いた。


 盾を抱えたまま、視線を地面に落とした。肩が震えている。声が震えている。拳が震えている。


「そして、勇者は」


 ガルムの声が、途切れた。


 息を吸った。深く、長く。それから、絞り出すように続けた。


「わしの盾を、叩き割ろうとした」


 静寂が、落ちた。


 風が止まった。木々が止まった。鳥の声も、聞こえなくなった。森全体が、息を止めたような、そういう静けさだった。


 ガルムは、自分の盾を見た。


 傷だらけの表面。叩かれた跡。削られた縁。中央に走る、深いひび割れ。その傷を、指先でゆっくりとなぞった。


「唯一の誇りだった盾を、目の前で叩き割ろうとした。『使えない老いぼれには、盾も必要ない』と。わしは、必死で守った。この盾だけは、守らねばならなかった」


 ガルムの指が、ひび割れの上で止まった。


「だが、守り切れなかった。剣の一撃が、盾の中央を叩いた。そして、ひびが入った。割れはしなかったが、ひびが入った。二度と、元には戻らぬ……ひびが」


 ガルムの声が、消えた。


 それ以上、言葉が出てこなかった。ただ、盾を抱えたまま、俯いている。肩が落ちて、背中が丸まって、全身から力が抜けていくような、そういう姿だった。


 深く、息を吐いた。


 長い時間、溜め込んでいたものを、全て吐き出したような、そういう息の吐き方だった。


◇◇◇


 ゼノリスは、ガルムを見ていた。


 盾を抱えたまま、俯いている老騎士。岩のような巨体が、小さく見えた。重い盾を抱えて、ただそこに立っている。風が吹いても、木の葉が落ちても、動かない。


 誰も、言葉を発さなかった。


 カイロは、ゼノリスの斜め後ろに立ったまま、動かなかった。だが、その影が濃くなっていた。足元に落ちる影が、さっきより深く、黒く、濃くなっていた。顔に表情はない。だが、目の奥に、静かな殺気が宿っている。


 セラは、拳を握っていた。


 両手を固く、握りしめていた。爪が掌に食い込んでいる。歯を食いしばって、唇を引き結んでいる。目に怒りがあった。震える怒りが、そこにあった。


 シルヴァは、外套の裾を握っていた。


 指先に力が入って、布が皺になっている。表情は硬く、目を伏せている。だが、その目の縁が、わずかに赤い。


 ゼノリスは、ガルムを見た。


 盾を抱えたまま、俯いている老騎士。


 誠実に戦い、仲間を守り、それでも嘲笑われた騎士。その背中が、かつて自分が見た多くの者たちと重なった。


 才能を踏みにじられた者。


 誠実さを嘲笑された者。


 正しくあろうとして、罰された者。


 ゼノリスの顎に、力が入った。


 拳を、握った。爪が掌に食い込む。だが、表情は動かさなかった。ただ、ガルムを見ていた。


 静寂が続いた。


 どこかで、鳥が鳴いた。遠く、高く。風が吹いて、木の葉が一枚、落ちた。地面に触れる音がして、それから、また静かになった。


 ガルムが、顔を上げた。


 ゆっくりと。重い頭を持ち上げるように。盾を片腕に引き寄せて、ゼノリスを見た。


 岩石のような顔。細い目の奥に、深い色がある。その色が、さっきとは違っていた。警戒ではなく、恐る恐る差し出される問いでもなく、ただ、諦めに似た何かがそこにあった。


 ガルムは、口を開いた。


「勇者は、わしを名指しで『使えない』と断じた」


 低い声だった。だが、震えていなかった。全てを語り終えた後の、静かな声だった。


「そして、囮として切り捨てた」


 その言葉が、森に落ちた。


 ゼノリスの表情が、変わった。


 顎に力が入り、拳を握る。


 だが、動かなかった。


 ただ、ガルムを見たまま、そこに立っていた。


 風が吹いた。


 木々が揺れて、葉が擦れる音が広がった。それから、静かになった。ゼノリスの黒い外套が、風に揺れて、また止まった。



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