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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第二部:咆哮

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第51話:「追われる騎士」

 木の根が、足首の高さまで張り出している。


 踏み越えるたびに、靴底が腐葉の層を踏む。柔らかく、じわりと沈む感触だ。足を引き上げるたびに、湿った土の匂いが立ち上った。木々は密になり、頭上の空が細い光の筋に変わっている。葉の隙間から落ちる光が、地面に斑の模様を作っていた。


 ゼノリスは足を進めた。


 村を出てから、誰も口を開いていない。それでいい。今は音を立てないことが、言葉より大事だ。


 斜め前を行くセラの背中が見えた。歩幅が小さい。いつもの踏み込む歩き方ではなく、足先から静かに着地している。覚えたのは最近のことだが、もう体に馴染んでいる。


 シルヴァはゼノリスの右斜め後ろ。外套の裾が木の根をかわすたびにわずかに揺れる。カイロの姿は見えない。気配もない。だが消えたわけではない――ゼノリスには、その不在の形が今どこにあるか、おおよそわかった。


 光が揺れた。


 風ではない。頭上の枝が、どこかへ揺れている。遠い。だが確かに動いている。


 ゼノリスは足を止めた。


◇◇◇


 音が届いたのは、その直後だった。


 金属が打ち合う音だ。一度ではない。断続的に続いている。遠いが、こちらへ向かっているのか、あちらへ遠ざかっているのかは判断がつかない。


 セラが振り返った。目が問うている。


 木の陰からカイロが現れた。音もなく、自然に。


「……誰かが追われています」


 声は低く、短かった。


「複数の足音。追う側と追われる側。追われているのは一人。こちらへ向かっています」


 ゼノリスは木々の向こうに目を向けた。音はまだ続いている。金属音の中に、何かが地面を踏み砕くような重い音が混じった。大きな何かが動いている。


「確認しましょう」


 四人が動いた。


◇◇◇


 音が大きくなった。


 木々の密度が増し、足元の根が複雑に絡み合っている。ゼノリスは根をまたぎながら、音の方向へ慎重に近づいた。カイロが先行している気配がある。セラが後ろに続いている。シルヴァは右側に回り込んでいた。


 木の幹の陰に身を潜め、ゼノリスは前方を見た。


 開けた場所だった。木々が円を描くように退き、地面が剥き出しになっている。そこに、影があった。


 大きい。


 人だ――とわかるまでに、一瞬かかった。それほど、その体格が規格外だった。身の丈は二メートル近い。肩幅は並の男二人分はある。丸太のような腕が、分厚い盾を構えていた。盾は傷だらけで、縁の一部が欠けている。それでも手放していない。


 スキンヘッド。岩石を削り出したような輪郭。顔には幾筋もの戦傷が走っていた。


 その男を、五人の騎士が取り囲んでいた。


 揃いの鎧だ。胸当てに見覚えのない紋章が刻まれている。うち一人が剣を向けながら叫んだ。


「老いぼれめ! 勇者様に楯突いた罪、今ここで償え!」


 老騎士は答えなかった。


 盾を構えたまま、一歩も動かない。足は肩幅に開き、膝がわずかに落ちている。防御の構えだ。攻める気配がない。ただ、そこを通さない、という意志だけが体全体から滲み出ていた。


 騎士の一人が踏み込んだ。剣が横に薙ぐ。老騎士は盾を動かし、受けた。鈍い衝撃音が響く。足が動かない。押されていない。


 もう一人が背後から迫った。老騎士は半身をひねり、盾の端で弾く。流れるような動作だった。無駄がない。


 だが、削られている。


 ゼノリスには見えた。老騎士の呼吸が、わずかに荒くなっている。右腕の動きが、最初より数瞬遅い。五人を相手に、どれほど続いていたのか。


 騎士たちが再び距離を詰め始めた。


 騎士の一人が、大きく踏み込んだ。


 剣を上段に構え、体重ごと叩きつけてくる。老騎士は盾を正面へ向け、真っ向から受けた。衝撃で後退するかと思ったが――足が動かない。地面に根を張ったように、そこにいる。


 だが、膝がわずかに沈んだ。


 別の騎士が左から踏み込んだ。その動きを端に捉えながら、老騎士は盾を横へ滑らせ軌道を逸らした。弾いた反動で体が半回転する。背後から迫っていた三人目の剣が空を切った。


 老騎士は構えを立て直す。間髪入れず、四人目が正面から突いてくる。盾の端で押し返し、五人目の動きを目で追いながら体の向きを変えた。


 五人を同時に捌いている。


 それでも、削られていた。呼吸が荒い。右腕の動きが、最初より一拍遅れている。盾の縁に新しい欠けが増えていた。膝の落ち方が、じわじわと深くなってきている。


 ゼノリスは木の陰から、その防戦を見続けた。


 攻撃がない。反撃の隙は何度もあった。騎士の一人が踏み込みすぎて体勢を崩した瞬間、盾を押し込めば倒せた。別の一人が距離を詰めすぎた時、肘打ち一つで弾けた。それをしない。ただ、守っている。五人に囲まれながら、一歩も退かず、しかし誰も傷つけようとしない。


 なぜ、守るだけなのか。


 答えは出ない。だがゼノリスには見えていた。あの盾の動き方には、確かなものがある。守るためだけに、その巨体を使い尽くしている。無駄がない。恐怖もない。ただ、揺るがない意志だけがそこにある。


 木の根を踏みしめ、ゼノリスは息を整えた。


◇◇◇


 騎士の一人が吠えた。


「しぶといぞ、この老いぼれ! いつまで持つと思っている! 囲め、一斉にかかれ!」


 五人が動きを合わせた。間合いを詰め、四方から同時に踏み込もうとする。


 老騎士は盾を正面に向けたまま、動かなかった。


 後退もしない。叫びもしない。ただそこに立ち、来るものを受けようとしている。その背中には、もう余裕がない。肩が揺れている。膝が震えている。それでも、盾だけは揺れていない。


 ゼノリスはその姿を見た。


 胸の奥で、何かが固まった。熱くも冷たくもない。ただ、硬い。


 騎士たちが踏み込もうとした、その瞬間だった。


 ゼノリスは木の陰から一歩踏み出した。


 セラがゼノリスを振り返った。目が問うている。カイロの気配が、木々の奥で静止した。シルヴァが外套の袖口に手を当て、術式を組む準備をしている気配がした。


 ゼノリスは前を向いたまま、静かに口を開いた。


「あの騎士を、助けます」


 声は低く、短かった。だが揺らぎがなかった。


 セラの目に、何かが灯った。唇を引き結び、小さく頷く。カイロが無言で頷いた。シルヴァは静かに目を閉じ、すぐに開いた。それだけで十分だった。



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