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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第二部:咆哮

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第50話:「新たな一歩」

 木々の枝が、頭上を覆い始めた。


 梢の隙間から差し込んでいた光が細くなり、影が増える。風が弱まった。乾いた冷たさが薄れ、代わりに湿り気を帯びた空気が肌に触れてくる。葉の擦れる音が左右から戻り、足元の土が柔らかく沈んだ。


 丘の上の空気とは、匂いが違う。腐葉と土の、こもった香りだ。それに混じって、かすかに煙の匂いがした。焚き火か、かまどか。人の営みの匂いだ。


 少し遅れて、音が聞こえた。


 木々の向こうから、断続的に何かを叩く音が届いてくる。鍬か、槌か。それだけだった。声はない。笑い声も、子供の叫び声もない。


 ゼノリスは歩みを止めずに、耳を澄ませた。


 後ろでセラの足音が少し速くなった。カイロは変わらない。シルヴァは無言のまま、草を踏む音だけが規則正しく刻まれている。


◇◇◇


 木々が途切れた。


 視界の前方に、集落が現れた。遠くはない。石積みの低い壁、煤けた外壁、瓦屋根の一部が崩れたまま放置された家屋。街道らしき筋が集落の中心を横切り、その両脇に建物が並んでいる。人影がいくつかあった。だがどれも、俯いたまま動いている。足早に、目を伏せて。


 ゼノリスはカイロを見た。


 カイロが無言で頷いた。二人は同時にフードを引き下げた。深く。顔の輪郭が影に沈む程度まで。


 セラが後ろで一瞬だけ足を止めた気配がした。シルヴァは何も言わなかった。


 四人は集落へ踏み込んだ。


 石畳は割れていた。隙間から雑草が伸び、端の石がいくつか欠けたまま土に沈んでいる。軒先に薄い布が干してあった。色が褪せている。繕いの跡が何か所もある。


 通り過ぎる住人は、四人に目を向けなかった。


 向けないのではなく、向けられないのだ、とゼノリスは思った。


 視線を合わせることが、何か危険なものを招くと知っている。そういう歩き方をしていた。背中を丸め、足元だけを見て、できるだけ早く通り過ぎようとしている。


 路地の奥に子供が一人いた。壁に背を当て、膝を抱えたまま四人を見ていた。目が合った。子供はすぐに顔を背け、路地の奥へ消えた。


 ゼノリスは前を向いたまま、歩き続けた。


◇◇◇


 集落の外れに、使われていない小屋があった。


 扉は蝶番が外れかけており、押すと軋んだ音を立てた。内部は暗い。埃の匂いが濃く、足を踏み入れると床板が小さく沈んだ。隅に古い農具が重ねてある。壁の隙間から細い光が差し込み、舞い上がった埃が光の筋の中を漂っていた。


 四人が中に入った。扉を引き戻すと、外の音が遠くなった。


 セラが壁に背を預けた。腕を組み、足先で床をわずかに叩いている。視線が定まっていない。シルヴァは農具の傍に立ち、外の気配を聞くように目を閉じていた。カイロは扉の隙間から、外を窺っている。


 ゼノリスは壁の隙間から集落を観察した。


 人の動きは少ない。出歩いている者は、必要があるから動いているだけだ。立ち話をする者はいない。笑い声も聞こえない。どこかで犬が一度吠えて、すぐに黙った。


◇◇◇


 カイロが扉の隙間から手を離した。


「少し、外を見てきます」


 それだけ言って、音もなく扉を開けた。隙間から滑り出るように出て行き、扉が元の位置に戻った。軋む音すらしなかった。


 三人が残された。


 ゼノリスは壁の隙間から外を観察し続けた。


 集落の動きは変わらない。住人が一人、桶を抱えて横切った。俯いたまま、足早に。路地の奥で何かが倒れる音がした。誰も確かめに行かなかった。風が一度吹き、軒先の布が揺れた。それだけだった。


 どれほど経っただろうか。


 扉が静かに開いた。カイロが戻ってきた。外の気配を確認してから、扉を引き戻す。振り返った顔に感情はない。いつも通りだ。


「報告します」


 声は低く、短かった。


「村の東側の街道分岐に、兵が二人います。巡回ではなく定点です。装備は軽く、聖教会の紋章はありません。旧魔王領を統治している辺境伯の配下だと思います」


 ゼノリスは頷いた。


「村人から何か聞けましたか?」


「少し。水を買う口実で、老人と話しました」


 カイロは隙間から外を一度確認してから、続けた。


「この村を出て、街道を北西に進むと、森が深くなります。その先に街があったと。今は誰も近づかないと言っていました。魔物が出るとか、呪われているとか……話す者によって言うことが違うようです」


「近づかない理由が、兵の監視にある可能性もある」


「はい。ただ確かめる手段が、今はありません」


 ゼノリスは壁の隙間から視線を戻した。


 埃の匂いがした。光の筋が、床の上で静かに揺れていた。


◇◇◇


 セラが口を開いたのは、しばらく沈黙が続いた後だった。


 拳を腿の上で握ったまま、視線を床に落としている。


「……私たち、本当に取り戻せますか?」


 声が、いつもより小さかった。強がりも勢いもない。剥き出しのまま、そのまま出てきたような声だった。


 カイロは何も言わなかった。シルヴァも動かなかった。


 ゼノリスはセラを見た。


 俯いた頭。握られた拳。訓練で擦り切れた服の繕い目。丘の上では真っ直ぐ前を向いていた目が、今は床の一点を見ていた。


「セラ」


 ゼノリスは静かに呼んだ。


 セラが顔を上げた。


「あなたは今、何が不安ですか?」


 セラは少しの間、黙っていた。それから、絞り出すように言った。


「わからないんです。何が不安なのか。ただ……あの城を見てから、ずっと胸の中で何かが重くて」


「それでいいのです」


 ゼノリスは言った。


「不安を感じることは、正しい。あの城が何であるか、あなたはちゃんとわかっている。だから重いのです」


 セラが瞬いた。


 ゼノリスは続けた。


「ですが。私には見えています。あなたが持っているものが。その重さに潰されない強さが、あなたの中に確かにある」


 セラは何も言わなかった。ただ、握っていた拳が、少しだけ開いた。


◇◇◇


 ゼノリスは懐から折り畳まれた紙を取り出した。


 広げると、粗い手書きの地図だった。村に入る前、街道脇の石に刻まれた道標を書き写したものだ。北西の方角に、かすかな線が走っている。


「カイロの話にあった街道を、まず確認します。森が深くなる手前まで。兵の動きと、道の状態を見る。それだけでいい」


 カイロが地図を覗き込んだ。


「夜が明ける前に動きますか?」


「ええ。村の兵が交代する前が望ましいです」


 シルヴァが地図の一点を指先で示した。


「この分岐を避けるなら、東側を迂回できます。距離は伸びますが」


「それで行きましょう」


 セラが地図を見ながら、静かに頷いた。さっきまでの重さが、完全に消えたわけではない。だがその目には、何かが戻っていた。


 ゼノリスは地図を折り畳んだ。


 隙間から差し込む外の光が、青みを帯び始めていた。埃の匂いが薄れ、代わりに夜気が忍び込んでくる。


 あと数刻で、動く。


 四人は声を出さなかった。それぞれが壁や床に背を預け、目を閉じている。眠っているのではない。体を休めているだけだ。



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