第48話:「旅路の会話」
石混じりの道が、森の外へ続いていた。
踏み固められた土は硬く、靴底に確かな感触が返ってくる。両脇の木々が少しずつ間隔を広げ、空が見え始めていた。風は弱く、草の匂いを乗せてゆっくりと流れている。
四人は並んで歩いていた。
先頭はセラだ。背筋を伸ばし、腕を振って進む。その後ろにシルヴァ。外套を風に揺らしながら、一定の歩幅で足を運ぶ。カイロはセラの斜め後ろ、少し外側を歩いていた。気配を絞ったまま、周囲を見ている。
ゼノリスは最後尾から三人を見ていた。
「ねえ、カイロ」
セラが振り返らずに言った。
「何だ」
「あの木、なんて名前か知ってる?」
セラが道の脇の大きな木を指差した。幹が二股に分かれ、上の方で絡み合っている。
「……知らない」
「シルヴァは?」
「ニコバ樹です。この地域に多いです」
「へえ」
セラが振り返り、シルヴァを見た。
「シルヴァって、植物も知ってるの?」
「魔術に関わる材料なら、一通り」
「じゃあ、食べられる?」
「……実は食べられます。ただし苦い」
「苦いのか……」
カイロが短く言った。それだけだった。
「カイロ、苦いの嫌いなの?」
「……別に」
「じゃあ食べる?」
「……今は腹が減っていない」
セラが少し笑った。声には出さず、肩が揺れただけだ。シルヴァが前を向いたまま、小さく息を吐いた。
ゼノリスは三人のやり取りを聞きながら、足を進めた。
◇◇◇
しばらく歩いた頃、シルヴァがゼノリスの隣に並んだ。
セラとカイロが前を歩いている。二人の声が、風に乗って届いてくる。
「ゼノ様」
シルヴァが静かに口を開いた。
「はい」
「一つ、聞いてもよいですか」
「どうぞ」
少し間があった。石を踏む音が、規則正しく続いた。
「なぜ、私を救ってくださったのですか」
ゼノリスは歩みを止めなかった。
前を向いたまま、しばらく風の音を聞いた。シルヴァも黙って歩いている。急かさない。ただ答えを待っている。
「あなたが、真実を語る者だったからです」
ゼノリスは言葉を選びながら続けた。
「あの場所で、あなたは嘘をつかなかった。痛みの中で、圧力の下で、それでも真実を手放さなかった。私には、それが見えました」
シルヴァは答えなかった。
「真実を語る者を、見捨てるわけにはいきません。それだけのことです」
また沈黙があった。道が緩やかに曲がり、木々の影が二人の足元を横切った。
「……私は」
シルヴァの声が、わずかに低くなった。
「あの頃、真実を語ることが正しいのか、わからなくなっていました」
「それでも、語り続けた」
「……習慣のようなものです。やめ方を知らなかっただけかもしれない」
ゼノリスはシルヴァを横目で見た。前を向いたまま歩いている。その横顔に、自嘲でも卑下でもない、ただ静かな正直さがあった。
「それで十分です」
シルヴァが、ゼノリスを見た。
「やめ方を知らなかったとしても、やめなかった事実は変わらない。私が見たのは、その事実です」
シルヴァはしばらく、ゼノリスを見ていた。それから前を向いた。
「……ありがとうございます」
静かな声だった。それ以上は何も言わなかった。ただ並んで、歩き続けた。
◇◇◇
前を歩いていたカイロが、速度を落とした。
気配でわかったのか、セラも振り返った。四人の歩幅が自然に揃い、横に並ぶ形になった。
カイロがゼノリスを見た。
「……聞こえていました」
それだけだった。だがその目は、同じだと言っていた。
セラもゼノリスを見た。真っ直ぐな目だった。何も言わなかった。言わなくても、わかった。
ゼノリスは三人を見た。
何か言おうとして、言葉が見つからなかった。代わりに、ゆっくりと頷いた。
それで十分だった。
◇◇◇
四人は再び歩き始めた。
先ほどより空が広くなっている。木々の間隔が開き、日差しが道に直接落ちるようになっていた。足元の土の色が変わった。森の腐葉土から、乾いた淡い褐色へ。道が少しずつ、開けた場所へ向かっている。
先頭に立ったセラが、また口を開いた。
「ねえ、シルヴァ」
「何ですか」
「エルフって、どのくらい生きるの?」
「……人族よりは、ずっと長いです」
「どのくらい?」
「あなたたちより長い、とだけ言っておきます」
セラが足を止めかけ、また歩き出した。
「じゃあ今の私たちって、シルヴァからしたら子供みたいなもの?」
「……計算上は、そうなります」
「なんか複雑」
「私も複雑です」
カイロが横から口を挟んだ。
「……何が複雑なんだ」
「両方です」
シルヴァが答えた。珍しく、間を置かずに返した。セラが振り返り、シルヴァの顔を見た。表情はいつも通り静かだ。だが何か、わずかに違う。
「シルヴァ、今笑った?」
「……笑っていません」
「笑ってたよ絶対」
「笑っていません」
カイロが前を向いたまま、短く息を吐いた。それがカイロなりの相槌だと、シルヴァにはわかった。
シルヴァは前を向いた。
セラの背中が、陽の光を受けて明るい。カイロの歩幅は変わらない。少し後ろを歩くゼノ様の足音が、規則正しく続いている。
シルヴァは自分の足元を見た。道の端に、小さな草が生えていた。踏まれても踏まれても、また起き上がる種類の植物だ。魔術の材料にはならない。
以前の自分なら、目もくれずに通り過ぎていただろう。
けれど今は、そんな名もなきものの生命力が、妙に鼻先につく。
――ここ数日で、何かが変わった。
うまく言葉にできない。だが確かに変わっている。幽閉されていた頃は、他者の声が遠かった。言葉は届くが、温度がなかった。今は違う。セラの声がうるさい。カイロの沈黙が重い。ゼノリスの言葉が、胸の奥まで届く。
それが何なのか、シルヴァにはまだわからなかった。
◇◇◇
「シルヴァ、聞いていい?」
セラが振り返らずに言った。
「何ですか?」
「火、出せるよね? 手から」
「……出せます」
「やっぱりいいなあ、それ」
セラの声に、羨望が混じっていた。隠す気もなさそうだった。
「不思議だったんだよね。呪文を唱えるだけで火が出るの。どういう仕組みなの?」
「魔力を消費して、現象を起こすのです。術式がその経路を――」
「うん、わからない!」
「……でしょうね」
「……でもさ、拳を速く振れば摩擦で熱は出るじゃない?」
シルヴァの足が、一瞬止まった。
「……それは魔術ではありません」
「でも熱は出る」
「出ますが、火は出ません」
「もっと速く振ったら?」
「……腕が先に壊れます」
セラが少し黙った。それから、真顔で言った。
「じゃあ壊れない程度に速く振る」
「……それは、ただの拳です」
セラが少し考えた。それから、ぱん、と自分の拳を叩いた。
「まあいいや。火はシルヴァに任せる」
「……やっと諦めてくれましたか」
「違うよ。でも聞いてたら、そっちの方がいい気がしてきた。シルヴァが火を出して、私が拳で殴る。いいコンビじゃない?」
「……否定はしません」
セラが嬉しそうに前を向いた。カイロがシルヴァを見た。
「セラが前に出ると、後ろが楽になる」
「知っています」
「……シルヴァが術式を組む時間を、セラが稼ぐ。悪くない」
シルヴァはカイロを見た。カイロは既に前を向いていた。褒めているのか、ただ事実を述べているのか、判断がつかない。だがどちらでも、同じことだとシルヴァは思った。
「……ありがとうございます」
「……礼は要らない」
「言わせてください」
カイロが一瞬、歩みを止めた。止めて、また歩き出した。それだけだった。
後ろから、ゼノ様の声が届いた。
「三人とも、少し速いです」
セラが振り返った。
「ゼノ様が遅れてる!」
「遅れてはいません。あなたたちが速すぎるのです」
「同じことじゃないですか?」
「違います」
シルヴァはゼノリスを見た。いつも通りの穏やかな顔だ。だがその目が、わずかに細くなっている。三人のやり取りを、ずっと見ていたのだとわかった。
セラが歩幅を縮めた。カイロも速度を落とす。四人の間隔が、自然に揃った。
◇◇◇
道が緩やかに上り坂になった。
木々がまばらになり、風が強くなっている。草が横に倒れ、また起き上がる。足元の石が増え、靴底に硬い感触が返ってくるようになった。
ゼノリスは前方を見た。
坂の先、空との境目が近い。その向こうに何があるか、今はまだ見えない。だが確実に、近づいている。
「ゼノ様」
セラが並んできた。
「何ですか」
「着いたらどうするんですか? 魔王城」
「まず、遠くから見ます」
「見るだけ?」
「最初は見るだけです。焦らず、確かめながら進みます」
セラが頷いた。それから少し考えた顔になった。
「ゼノ様はこわくないんですか?」
ゼノリスは前を向いたまま、少し間を置いた。
「怖くない、とは言いません」
「……そうなんですか」
「ただ、怖いより先に、取り戻したいという気持ちの方が大きい」
セラが黙って聞いていた。
「それに……」
ゼノリスは三人を見た。
「一人ではありませんから」
セラが口を開きかけ、閉じた。それから前を向いた。耳が少し赤くなっていた。
カイロが短く息を吐いた。シルヴァは前を向いたまま、静かに目を細めた。
坂の上、風が吹いた。草が大きく揺れ、空が広くなった。
「もうすぐです」
ゼノリスは静かに言った。
四人の足が、坂を上り続けた。




