第34話:「王の再始動宣言」
ゼノリスは民衆と向き合った。
広場に集まった人々の顔が、目の前に広がっている。老人、女、男、子供。それぞれの顔に、それぞれの年月が刻まれていた。長い間、恐怖の中で生きてきた人々だ。
風が吹いた。石畳の上を、砂埃が静かに流れていく。
ゼノリスは一人ひとりの顔を見渡した。その目の奥に灯り始めたものが、消えないうちに言葉を届けなければならない。
深く息を吸った。
冷たい空気が、肺の奥まで満ちていく。体の内側が、静かに落ち着いていく。
ゼノリスはフードを下ろし、口を開いた。
「私の名はゼノリス・ヴォルガデス」
声が、広場に響いた。
「かつて、魔王と呼ばれた者です」
一瞬の静寂の後、広場がざわめいた。
老人が目を見開く。若い女性が口元を押さえる。子供が母親の袖を強く掴んだ。誰かが息を呑む音が聞こえた。人々の間から、驚愕のさざ波が広がっていく。
「ま、魔王……!?」
「生きていた……?」
「嘘だ、魔王は勇者様が……」
ざわめきが、重なり合う。
ゼノリスは、民衆の反応を静かに受け止めた。驚くのは当然だ。魔王はとっくに死んだことになっている。
ゼノリスは続けた。
「勇者は私を『腰抜け』と呼び、事実を捏造しました」
広場のざわめきが、すっと静まった。
「……ですが」
ゼノリスは一歩、前へ踏み出した。
「私は生きています」
誰も声を上げない。ただ、ゼノリスを見ている。
「そして、その嘘が象徴するこの歪んだ世界を――才能を踏みにじり、弱い者を『ゴミ』と呼ぶこの世界を――正すために」
老人が、唇を震わせた。その目に、複雑な色が宿っている。長年信じてきたものが、今、揺らいでいる。
ゼノリスは言葉を続けた。
「私は再び立ち上がったのです」
広場が、しんと静まり返った。
石畳に落ちる陽光が、白く輝いている。遠くで鳥が鳴いた。それ以外は、何も聞こえない。
ゼノリスは一言ずつ、丁寧に告げた。
「才能があるのに、鑑定で低く評価され、捨てられた者がいます。誠実に生きているのに、力ある者に踏みにじられた者がいます。声を上げたくても、上げられずに耐えてきた者がいます」
老人が、ゆっくりと顔を上げた。
若い女性の目から、一筋の涙が伝った。
「この街で、あなたたちが経験してきたことがそうです。理不尽に税を取られ、恐怖で縛られ、尊厳を踏みにじられてきた。それは、あなたたちのせいではない」
ゼノリスは言葉を重ねる。
「私は、誠実な世界を作りたい。才能を正しく評価し、努力が報われ、弱い者が踏みにじられない世界を。それが、私の目指すものです」
広場に、深い沈黙が流れた。
風が吹いた。今度は、先ほどより少しだけ温かかった。
ゼノリスは民衆へ向かって、静かに告げた。
「この街を、あなたたちに返します」
広場が、息を呑んだ。
「もう二度と、誰かに踏みにじられることはありません」
最初に動いたのは、老人だった。
震える膝を折り、地面に手をついた。泣いているのか、笑っているのか、分からない表情だ。それでも、その肩が小刻みに揺れている。
隣に立つ若い女性が、唇を噛んだまま天を仰いだ。目から涙が伝い、石畳に落ちる。声を上げないまま、両手で顔を覆い、肩を震わせていた。
子供が、母親の袖を引いた。
「お母さん、泣いてるの?」
母親は答えなかった。ただ、子供を強く抱き寄せた。
やがて、広場の端から声が上がった。
「ありがとう……!」
一人の声だった。だが、それが引き金になった。
次の声が上がる。また次の声が続く。やがて、歓声が広場全体に広がっていく。波紋のように、人々の間を伝わっていく。泣きながら叫ぶ者、膝をつく者、隣の人と手を握り合う者。長い間、押し込められていたものが、今、一気に溢れ出していた。
ゼノリスは、その光景を静かに見渡した。
歓声が耳に響く。
石畳が足の裏から振動を伝えてくる。
風が吹き、髪を揺らした。
胸の奥に、温かいものが広がっていく。
これが、誠実な支配の始まりだ。力で黙らせるのではなく、言葉で届ける。恐怖で縛るのではなく、希望を示す。それが、私の目指す王のあり方だ。
◇◇◇
歓声が続く中、ゼノリスはふと空を見上げた。
青い空が広がっている。雲が、ゆっくりと流れていく。陽光が、広場の石畳を白く照らしていた。
カイロが、静かに隣へ並んだ。フードの下の目が、まっすぐ前を向いている。何も言わない。ただ、そこにいる。
セラが反対側へ並んだ。その頬には、うっすらと赤みが差していた。目が潤んでいる。だが、唇は結ばれていた。
三人で、並んで空を見上げた。
ゼノリスは静かに息を吐いた。
第一歩は、踏み出した。この街を取り戻した。
民衆に誠実な支配とはどういうものかを示した。
だが、まだ終わりではない。
この世界には、まだ多くの歪みがある。踏みにじられた者たちがいる。捨てられた才能がある。嘘で塗り固められた歴史がある。
ゼノリスは空を見つめたまま、静かに呟いた。
「次は、魔王城を取り戻します」
カイロが、小さく頷いた。
セラが、唇の端を上げた。
歓声が、広場に響き続けていた。




