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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第一部:再始

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第3話:「平和の名の下に」

 悲鳴が聞こえた。


 甲高く、細い──魔物の声だ。


 ゼノリスは足を止めた。遠征隊の後を追ううちに、森はさらに奥へと続いていた。枯れ木の密度が増し、空が見えないほど灰色の枝が絡み合っている。


 悲鳴は、その枝の向こうから聞こえてきた。


 ゼノリスは気配を殺したまま、音の方向へ近づいた。枯れ木の隙間から覗くと──別の一団がいた。先ほどの遠征隊とは装備が違う。数も多い。統率された動きからして、別の遠征隊だ。


 そして、その足元に──小さな影があった。


 魔物だ。


 体長は人の腰ほどもない、草食の小型魔物。かつてこの森で穏やかに暮らしていた種だ。傷ついた体で、必死に茂みへと逃げ込もうとしている。


 しかし、遠征隊はそれを許さなかった。


「逃がすな! 囲め!」


 遠征隊の一人が叫ぶ。他の隊員たちが素早く散開し、魔物の逃げ道を塞いだ。


 魔物は茂みの前で立ち止まった。周囲を人族に囲まれ、行き場を失っている。小さな体を震わせながら、威嚇するように鳴き声を上げた。


 だが、遠征隊員たちは笑っている。


「おいおい、威嚇してるぜ」


「可愛いもんだな。さっさと仕留めちまおう」


 剣が振り下ろされた。


 魔物の悲鳴が、森に響く。短く、鋭い──そして、途切れた。


 ゼノリスは動けなかった。


 動かなかったのではない。動けなかったのだ。魔力があれば。かつての力が残っていれば。あの程度の人族など、指一本で──


──違う。


 ゼノリスは自分の拳を見つめた。力の入らない、痩せ細った指。


 かつての私なら、この森の全てを守れた。だがそれは、私が『守っていた』のではない。圧倒的な力で他者を寄せ付けなかった──それだけのことだ。力で支配していただけの私が、力を失った途端に何もできなくなっている。


 これが、傲慢の代償か。


 力でしか守れなかった者は、力を失えば何も守れない。


 遠征隊の一人が、魔物の体から魔石を取り出している。小さな、光を失った魔石だ。


「これで銀貨一枚ってとこか」


「上出来だな。魔石一個でも稼げりゃ酒が飲める」


「楽な仕事だよな。魔王がいなくなってからは特にな」


 彼らは笑いながら、魔石を袋に放り込んだ。


 血の匂いが、風に乗って届いてくる。ゼノリスは木の幹に背を預けたまま、静かに目を閉じた。


――私の領土で、勝手なことを。


◇◇◇


 血の匂いが、まだ鼻腔にこびりついている。


 ゼノリスは遠征隊の後を追いながら、先ほど殺された魔物のことを考えていた。銀貨一枚。あの命の値段が、銀貨一枚だ。


 やがて、遠征隊は開けた場所に出た。


 ゼノリスは、息を呑んだ。


 色とりどりの薬草が、一面に生えていた。枯死した森の中に、ここだけが奇跡のように緑を保っている。かつての森の豊かさの、最後の名残だ。


 遠征隊が、その緑に群がった。


「おお、ここにまだあったか!」


「根こそぎ持っていこうぜ」


 彼らは容赦なく薬草を引き抜いていく。根ごと、土ごと。再生の可能性など考えもせず、ただ目の前の利益だけを求めて。


 一人の隊員が、若木の幹に手をかけた。


「この木の皮も売れるらしいぜ」


「マジか? じゃあ剥いでいこう」


 ナイフが樹皮に食い込む。剥がれた樹皮が地面に落ちた。生々しい木肌が露わになり、樹液が滴り落ちる。


 木が折れる音が響いた。


 別の隊員が、邪魔だからという理由で若木を蹴り倒したのだ。まだ細い幹が、あっけなく折れる。


 ゼノリスは、その様子を木陰から見つめていた。


 これが、この森を枯れさせた原因の一つか。


 魔王が消えた後、人族は好き放題に森を荒らしてきた。魔物を狩り、資源を略奪し、何も残さずに去っていく。


 森が死に向かっているのは、ただ私がいなくなったからだけではない。


 こうして、人族が森を食い潰しているからだ。


◇◇◇


 遠征隊は、袋いっぱいに薬草と樹皮を詰め込むと、木陰で休憩を取り始めた。


 彼らは地面に腰を下ろし、水筒を取り出して水を飲んでいる。疲れた様子はない。むしろ、上機嫌だ。


「今日はいい収穫だったな」


「ああ。ここが枯れ切る前にもう一回来たいところだ」


「まあ枯れたら別の森に行けばいい。人族の領土は広がる一方だ」


 その言葉に、他の隊員たちも笑って頷いた。


「全部、勇者様のおかげだよな」


「ああ。あの方は一人で魔王に立ち向かったんだぞ。正々堂々と、正面からな」


「そうらしいな。魔王が命乞いしたって話、聞いたか?」


 ゼノリスの呼吸が、止まった。


「ああ。『助けてくれ、許してくれ』って泣き喚いたんだろ? 魔王のくせに、みっともねぇよな」


「笑えるよな。あんだけ偉そうにしてたのに、最後は命乞いだぜ」


 笑い声が、森に響く。


 ゼノリスは、木の幹に爪を立てた。


 命乞い。


 また──その嘘か。


 勇者の手は、ここまで伸びている。私の名誉を踏みにじるだけでなく、その嘘を世界中に流布しているのだ。遠征隊の末端にまで、作り上げた虚構が浸透している。


 ゼノリスの黄金の瞳が、一瞬熱を帯びた。


 至極の理が、反応している。彼らの言葉の中にある虚偽を感知している。


 だが、今はまだ──何もできない。


 ゼノリスは、静かに拳を握りしめた。


 彼らは知らない。


 この森が、かつてどれほど豊かだったか。


 魔物たちが、どれほど穏やかに暮らしていたか。


 私の力が、結果的にそれを守っていたということを。


 そして今、その全てが失われようとしている。


 勇者が作り上げた『平和』という名の略奪によって。


◇◇◇


 やがて、遠征隊は立ち上がった。


「さて、そろそろ戻るか」


「ああ。これ以上は欲張っても仕方ねえ」


 彼らは重そうな袋を担ぎ、森の出口へと向かっていく。笑い声を上げながら、まるで祭りの帰りのように。


 やがて、遠征隊は立ち上がり、重い袋を担いで森の出口へ向かっていった。笑い声が遠ざかる。


 静寂が戻った。


 ゼノリスは木陰から出て、荒らされた大地を見つめた。根こそぎ引き抜かれた薬草の跡。樹皮を剥がされた若木。蹴り倒された幹。


 そして──さっき殺された魔物が、もう片付けられることもなく、地面に転がっている。


 ゼノリスは、その小さな亡骸の傍に膝をついた。


 かつて、私はこの種の魔物を気にかけたことすらなかった。私の領土にいる小さな存在。それだけの認識だった。


 今、この亡骸の前で、初めて思う。


 守りたかった、と。


 力があった頃には思いもしなかったことを、力を失って初めて思っている。


 遅すぎる。遅すぎるが──


 ゼノリスは立ち上がった。


 命乞いした腰抜け。世界はそう信じている。私の真実も、この森の真実も、すべてが嘘の下に埋もれている。


 ならば──この目で、暴くしかない。


 ゼノリスは、遠征隊の去った方角を見据えた。追うのではない。もう、ただ見ているだけの追跡は終わりだ。


 夜が近い。森の色が変わり始めている。


 その闇の向こうに、焚き火の匂いが微かに漂っていた。


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