第3話:「平和の名の下に」
ゼノリスは森の奥から聞こえる声に気付いた。
遠くから笑い声が響いてきた。
「平和ってのはいいもんだな!」
ゼノリスは木陰に身を隠したまま、声のする方向を見つめた。
枯れ木の間から、人族の姿が見える。先ほどの一団とは装備が違う。別の遠征隊だ。彼らは森の中を、まるで自分たちの庭のように闊歩している。
その先に、小さな影が逃げていくのが見えた。
魔物だ。
体長は人の腰ほどもない、草食の小型魔物。かつてこの森で穏やかに暮らしていた種だ。傷ついた体で、必死に茂みへと逃げ込もうとしている。
しかし、遠征隊はそれを許さなかった。
「逃がすな! 囲め!」
遠征隊の一人が叫ぶ。他の隊員たちが素早く散開し、魔物の逃げ道を塞いだ。
魔物は茂みの前で立ち止まった。周囲を人族に囲まれ、行き場を失っている。小さな体を震わせながら、威嚇するように鳴き声を上げた。
だが、遠征隊員たちは笑っている。
「おいおい、威嚇してるぜ」
「可愛いもんだな。さっさと仕留めちまおう」
剣が振り下ろされた。
魔物の悲鳴が、森に響く。短く、鋭い悲鳴。やがて、それも途切れた。
ゼノリスは、その光景を黙って見つめていた。
遠征隊の一人が、魔物の体から魔石を取り出している。小さな、光を失った魔石だ。
「これで銀貨一枚ってとこか」
「上出来だな。魔石一個でも稼げりゃ酒が飲める」
「楽な仕事だよな。魔王がいなくなってからは特にな」
彼らは笑いながら、魔石を袋に放り込んだ。
血の匂いが、風に乗って届いてくる。ゼノリスは木の幹に背を預けたまま、静かに目を閉じた。
――私の領土で、勝手なことを。
◇◇◇
遠征隊は、さらに森の奥へと進んでいった。
ゼノリスは彼らの後を追う。姿を現さず、気配を消して。
魔力が枯渇した状態では、戦うことはできない。今は観察に徹するしかない。
やがて、遠征隊は開けた場所に出た。
そこには、色とりどりの薬草が生えていた。かつてこの森が豊かだった頃の名残だ。まだ枯れずに残っている、貴重な場所。
遠征隊員たちは、その薬草に群がった。
「おお、ここにまだあったか!」
「根こそぎ持っていこうぜ」
彼らは容赦なく薬草を引き抜いていく。根ごと、土ごと。再生の可能性など考えもせず、ただ目の前の利益だけを求めて。
一人の隊員が、若木の幹に手をかけた。
「この木の皮も売れるらしいぜ」
「マジか? じゃあ剥いでいこう」
ナイフが樹皮に食い込む。剥がれた樹皮が地面に落ちた。生々しい木肌が露わになり、樹液が滴り落ちる。
木が折れる音が響いた。
別の隊員が、邪魔だからという理由で若木を蹴り倒したのだ。まだ細い幹が、あっけなく折れる。
ゼノリスは、その様子を木陰から見つめていた。
これが、この森を枯れさせた原因の一つか。
魔王が消えた後、人族は好き放題に森を荒らしてきた。魔物を狩り、資源を略奪し、何も残さずに去っていく。
森が死に向かっているのは、ただ私がいなくなったからだけではない。
こうして、人族が森を食い潰しているからだ。
◇◇◇
遠征隊は、袋いっぱいに薬草と樹皮を詰め込むと、木陰で休憩を取り始めた。
彼らは地面に腰を下ろし、水筒を取り出して水を飲んでいる。疲れた様子はない。むしろ、上機嫌だ。
「今日はいい収穫だったな」
「ああ。これだけあれば、しばらく遊んで暮らせるぜ」
「平和ってのはいいもんだな!」
その言葉に、他の隊員たちも笑って頷いた。
「本当にな。勇者様のおかげだ」
「魔王を倒してくれたおかげで、俺たちはこうして安全に稼げる」
「あの森も、もう俺たちのものだ。好きに使える」
――平和。
ゼノリスは、その言葉を反芻した。
彼らが口にする『平和』とは、何を指しているのだろうか。
魔物を狩り、森を荒らし、何も生み出さず、ただ奪うだけの行為。それを『平和』と呼ぶのか。
勇者が作り上げた世界。
それは、強者が弱者から奪い取ることを『正義』と呼ぶ世界なのか。
「勇者様は偉大だよな」
遠征隊の一人が、感心したように言った。
「ああ。魔王なんて化け物を倒してくれたんだから」
「おかげで、この森も人族のものになった」
ゼノリスは、静かに拳を握りしめた。
彼らは知らない。
この森が、かつてどれほど豊かだったか。
魔物たちが、どれほど穏やかに暮らしていたか。
私の力が、結果的にそれを守っていたということを。
そして今、その全てが失われようとしている。
勇者が作り上げた『平和』という名の略奪によって。
◇◇◇
やがて、遠征隊は立ち上がった。
「さて、そろそろ戻るか」
「ああ。これ以上は欲張っても仕方ねえ」
彼らは重そうな袋を担ぎ、森の出口へと向かっていく。笑い声を上げながら、まるで祭りの帰りのように。
ゼノリスは木陰から出た。
遠征隊が去った後の開けた場所を見つめる。
そこには、根こそぎ引き抜かれた薬草の跡。樹皮を剥がされた若木。蹴り倒された木々。
荒れ果てた大地が、そこにあった。
ゼノリスは、ゆっくりと歩み寄った。剥がされた樹皮に触れる。冷たく、湿っている。もう、この木が元に戻ることはないだろう。
遠くから、再び遠征隊の笑い声が聞こえてきた。
ゼノリスは顔を上げた。
黄金の瞳が、静かな怒りを湛えている。
彼らの後を追おう。
勇者が作り上げた世界の実態を、もっと見なければならない。
ゼノリスは、遠征隊の去った方向へと歩き始めた。




