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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第四部:新生

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208/209

第208話:「新世界の成立」

 ゼノリスは壇の上で、外の音から厚みが剥がれていくのを聞いていた。


 叫び続けた喉が、順に疲れたのだろう。残ったのは石を踏む足の音だけで、それも一定ではない。帰る者が出て、残る者が場所を詰めて、また止まる。


 足元の石は朝から一度も温まっていない。靴の底を通して冷えが上がってくる。窓から落ちた光は、玉座の間で三人を受けたときより長い。いまは壇の裾まで届いている。


 横に立ったセレナは、前で組んだ手を動かさない。


 カイロが扉の内側で顎を引いた。


 開いたままの扉を、人の列がくぐった。


 入ってきたのは、二十人ほどだった。


 先頭は麻の外套を羽織った中年の男で、胸に穀物の穂を象った留め具をつけている。その後ろに、白衣の裾を短く切った者が三人。工具袋を提げているのが遠目にも分かった。最後に入ってきた一団は、日に灼けた首をしていた。海の色を引きずったまま石の廊下を歩いてきた顔だ。


 三国の代表が連れてきた者たちだった。


 三人が下がって、列の前へ並び直した。


 ゼノリスは壇の下へ目を向けた。


 揃った顔が光の面へ上がった。何人かはすぐに戻して、壁の高さを目で追う。柱に手を触れて、指を離せずにいる者もいた。


 歓声はまだ外にある。


『勇者様を、殺したのに』


 そう言った女の喉の鳴り方を、ゼノリスはまだ耳の底に持っていた。あの女はいま、この歓声のどこかに立って口を閉じている。


 ゼノリスは半歩だけ踏み出した。


「これから話すことは、三国だけの話ではありません」


 連れてこられた者たちへそう言い、そこで視線を切って、頭上へ向けた。


「聞いている全ての人へ、伝えます」


 広間の音が落ちた。


 白衣の一人が、手にしていた工具袋を床へ下ろす。革が石に触れる音だけが残った。


 その音が消える前に、ゼノリスは口を開いた。


「聖教会が定めた、鑑定石制度を廃止します」


 言い切った。


「これからは、誰もが努力で成長できる世界を。本質による正当な評価を。誠実な国造りを始めます」


 言葉が広間を渡っていく。柱と柱のあいだを抜け、奥の壁に届いて、そこで音の形を失った。


 ゼノリスは続けた。


「明日から、石に触れる必要はありません」


 麻の外套の男が、口を開けたまま止まった。


 外が変わったのは、その少しあとだった。


 薄くなっていた足音の層が、下から押し戻されるように盛り上がってくる。ひとつの喉ではない。ばらばらの高さで上がったものが途中で束になり、城門から城壁を伝って、窓の桟を鳴らした。石の床が細かく震えている。靴の底がその震えを拾い続けた。


 正面で、エドワードの手が動いた。


 冠を持つ指が、金の縁から離れて、また掛かった。掛け直した位置が浅い。


 ファウストは動かない。ただ、手袋を嵌めた側の指が、自分の肘を掴んで離さずにいた。


 アドリアーノの視線は、床の一点で止まったままだ。


 城門の向こうで、歓声がひとつ高いところまで昇った。


 その下で、声がした。


「……そんな」


 広間の中だった。


 列の後ろにいた、まだ若い男だ。両手を身体の脇に垂らしたまま、こちらへ顔を向けている。


「じゃあ、俺の……」


 言葉が途切れた。


 男の右手が腰の袋へ動いた。探る指が中で止まり、それから引き出したのは、掌に収まる小さなランクタグだった。ひとつだけ刻印が残っている。


 男はそれを握った。


 握って、下ろさなかった。


 周りの者が半歩ぶん離れた。誰も声をかけない。外の喜びは、まだ途切れずに続いている。


 その手を、ゼノリスは見ていた。


 外の声が、言葉の形を保てなくなっていた。塊になって城壁を這い上がり、輪郭を失ったままこの広間へ届いてくる。


 初めて泥に膝をついた日のことが、その底から引き上げられてきた。


 森の中だった。膝を折ると、冷たい泥がすぐに布を通してきた。倒れていた青年は目を開けたまま、何も追っていない。囮に使うために連れ歩き、用が済んだから置いていった。魔人族だから、という理由がひとつあれば、それで足りる世界だった。


 足首には、鉄の足枷が残っていた。


 その頭上には、誰にも見えない星があった。青年自身にも見えていなかった。こちらが名を呼ぶまで、あの男は自分がゴミだと信じ込んでいた。


 その男と歩いた先の、崩れかけた小屋にも一人いた。這ってそこまで辿り着き、壁際で力尽きていた少女だ。骨と皮だけの重さしかなかった。唇へ水を運ぶと、喉がかすかに動いた。


 名を呼べば、こちらへ来る者がいた。


 だが、名を呼びに行けた者は五人だ。


 いま外で声を上げているのは、五人では済まない。数えようとすると、数の側が先に足りなくなる。


 残りは、行けなかった。


 道の脇で朽ちた者、街道の宿で番号だけを言い渡された者、石の前で顔を伏せたまま帰っていった者。ゼノリスは一人も見ていない。外で鳴っている音の底に、その顔が沈んでいる。


 その底が、割れた。


「魔王様が、私たちを認めてくれた!」


 女の声だった。


 高い。裏返って、途中で言葉が折れた。折れた先を女がもう一度なぞる。二度目は近くの誰かが重ねた。三度目には、離れた場所からも同じ形が返ってきた。


 ゼノリスは窓の方角を見た。


 石を叩く音が混じっている。手ではない。何かを地面に打ちつけている音だ。それが幾つも続いて、そのたびに声の位置が変わる。何かが割れる音も混じっていた。


 誰かが泣いていた。


 泣き声は歓声に埋もれない。喉の使い方が違うからだ。悲鳴に近い高さで一度上がり、それから息継ぎのたびに切れて、切れながら続いている。


 あの声の主を、ゼノリスは知らない。


 知らないまま、この宣言はあの喉まで届いた。


「ゼノ様」


 セレナが隣で言った。


 それだけだった。次の言葉は続かない。組んでいた両手が解けて、片方が胸の前で止まっている。


 ゼノリスは前を向いたまま、頷いた。


「見えていますか」


 壇の左手から、明るい声が飛んできた。


 セラだった。窓の方へ体ごと向いている。


「石畳の端の方、旗を振ってる人がいます。……あれ、布ですね。上着です」


 誰も答えないうちに、セラは首を戻した。


「シルヴァ、いま笑いました?」


「笑っていません」


 シルヴァは手を動かさずに答えた。


「術式の維持中です」


「絶対笑いました。口の端が、こう」


「していません」


「じゃあ、なんで指が震えてるんですか」


 シルヴァの肩が、そこで一度だけ上下した。


「……維持しているからです」


 言い終えて、シルヴァは顔を上げた。目を向けたのは、自分が保っている像の中ほどだった。


「魔術の真理を、全ての人に開きます」


 声の高さが変わらない。喜びを乗せるための抑揚が、そこには一つもなかった。


「あれは、才能のある者だけのものではありません。順序を教えれば、誰でも組めます。教えないことで守られていた権威は、今日で終わりです」


 セラが口を開けて、閉じた。


 それから、窓の方へ耳を戻した。


「……誰もが、自分の力を信じられる世界に」


 さっきまでの、飛んでくる声ではなかった。


 セラは自分の右の拳を見ている。ひとりでに握られていた指を、ゆっくり開いた。


 指が開ききったところで、セラの口の端が上がった。


 その隣で、ガルムが息を吸った。


「嬢ちゃん」


 白い眉の下から、セラを見下ろしている。


「わしらが守り抜いた世界じゃ」


 声が途中で厚くなった。ガルムは咳をひとつして、それを喉の奥へ押し戻した。


「……わしが嬢ちゃんに会うたときには、お主はもう拳で立っておった。それより前のお主を、わしは知らん。知らんまま、隣に置いてもらってきた」


 セラが顔を上げた。


「ガルム、いま泣いて――」


「泣いておらん」


 ガルムは目元を親指で拭った。拭ってから、その指を握り込んだ。


「泣いていますよ」


 柱の陰から、ノアが顔だけをこちらへ向けていた。地図筒を抱えたまま、壁から背を離していない。


「ガルムさんが泣くのは今日で四度目です。僕が数えている範囲でですが」


「数えるな」


「記録は僕の仕事です」


 ノアは筒の口を指で叩いた。それから、その手を止めた。


「……ですが、今日のぶんは書きません」


 セラが噴き出した。ガルムが唸った。


 ノアは二人を見ていない。顔だけが声の来る方角へ据わっている。


「制度が消えた場所には、何もありません。明日、白塔の窓口の前に立つ人がいます。その人に、こちらは何と言うのか」


 言葉を切って、ノアは息を継いだ。細い肩が一度上がって、下りた。


「これからが、本当の始まりです」


 返す者はいなかった。


 外の音はまだ続いている。続いているのに、広間の中だけが静かになった。


 その静けさへ、扉の内側から声が入った。


「担架のまま、聖都に置いてきた者がいる」


 カイロだった。壁を離れて、一歩だけこちらへ出ている。手にした筒は、まだ脇に立てている。


「名を取り戻せていない者もだ。制度を潰したから片づく話じゃない。俺たちの戦いは、終わらない」


 セラが振り向いた。


「カイロ、こんな日にそれ言う?」


「こんな日だから言う」


 カイロはセラを見ない。


「浮かれた側から先に忘れる。俺は忘れない側にいる。この世界を守り続ける」


 言い切って、それきり口を閉じた。


 セラが何か返そうとして、やめた。そのまま、小さく頷いた。


 ゼノリスは五人を順に見た。


 誰もこちらを見ていない。セラは窓の外、シルヴァは自分の張った光、ノアは抱えた筒の口。ガルムの親指はまだ目元から下りず、カイロは扉の際から動かない。


 セレナが半歩だけ詰めた。触れはしない。解いていた手を、もう一度組み直しただけだった。


 窓の外では、声の形がまた変わっている。名を呼ぶ声が減って、代わりに歌に近いものが混じり始めていた。誰かが節をつけ、周りが拾い、拾いきれなかった者がずれたまま声を出している。


 壇の下で、アドリアーノが指輪から親指を離した。回すのをやめている。


 列の後ろで、若い男がまだ立っていた。


 握った手は下りていない。周りの者が窓の方へ体を向けても、その男だけが向きを変えなかった。掌の中のものを、放しはしない。放さないまま、顔だけを壇の方へ上げている。


 ゼノリスはその目を受けた。


 明日、あの男は自分の値を石の色で言えなくなる。代わりに何を言えばいいのかを、こちらはまだ渡していない。


 男の拳は、まだ開かない。



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