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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第四部:新生

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最終話:「仲間たちの幸福と、誠実なる新世界」

 荷馬車が街道の継ぎ目で跳ねた。


 積み荷を縛った縄が緩んだのだろう。御者が飛び降り、荷台の側面を回って結び直している。その後ろで次の一台が止まり、さらに後ろに二台が詰まった。四台とも城下へ向かっている。


 麻袋を重ねたもの、木箱を並べたもの、布を掛けただけのもの。積み方が揃っていない。去年の街道で、荷馬車がこんなふうに詰まることはなかった。


 ゼノリスは欄干に両手を置いた。指の下の石は、まだ日の熱を持っている。城下の屋根がその向こうまで並んでいる。


 城下の方角から声が上がってきた。市場だ。何を言っているかは取れない。押し合う声の重なりだけが、ここまで届いてくる。日暮れが近いのに、まだ畳む気配がない。


 南では、穂が風に倒れて戻った。


 風は緩い。この高さでも、頬に当たる空気に刺すものがない。一年前、宣言をした大広間の石は、日が傾いても靴の底を冷やし続けていた。季節が一巡して、いま手の下にある石は温い。


 階段を上がってくる音がした。


 二人分だ。片方は歩幅が狭く、絹の裾が石を撫でる音を伴っている。もう片方は、聞こうとしなければ気づかない。


「ゼノ様」


 セレナが屋上へ出て、額に掛かった前髪を耳へ流した。藍色の瞳が、まず街道を追った。


 カイロは入り口の内側で足を止めている。いつも小脇に抱えている報告の束が、今日は手にない。


「珍しいですね」


 ゼノリスが言うと、カイロは自分の空の手を見た。


「今日は要りません」


 そこで言葉が切れた。カイロは壁際へ寄り、いつもの位置に収まった。


 風が一度、強く抜けた。


 次の足音は四人分だった。まとめて上がってくる。声の方が先に階段を越えてきた。


「だから、二段飛ばしは危ないと言っているんです」


「何回も上がってるんだから、危なくないって」


「回数と安全は別の話です」


「ガルム、いま何段飛ばした?」


「……わしは一段ずつじゃ」


 セラが先頭で屋上へ躍り出て、勢い余って欄干の手前で足を止めた。すぐ後ろにシルヴァ。その二人を追い越さないまま、ガルムが最上段を踏んだ。ノアは四人目で、地図筒を抱えたまま、肩で息をしている。


「……階段は、僕の敵です」


 セラが振り返った。


「毎回言ってるよね」


「毎回そう思うからです」


 セラが笑った。ガルムの喉から、低い音が漏れた。


 ゼノリスは欄干から手を離し、六人の方へ体を向けた。


 揃うのは、ひと月ぶりだった。カイロは聖都との往復で城を空けている。セラは南の街道へ騎士団を連れて出たきりで、シルヴァは研究室から出てこない日が続いた。ノアに至っては、机の上で夜を越している。全員の予定が今日の夕方に空いたと知らせてきたのは、カイロだった。


「集まってもらって、すみません」


 ゼノリスは言った。


「一年になります」


 誰も答えない。セレナだけが、こちらへ半身を向けた。


「あなたたちのおかげで、ここまで来ました。心から感謝します」


 言い終えて、ゼノリスはセラを見た。


「うわ」


 両手が顔の前に上がり、そのまま後ろへ一歩下がった。踵が石を強く打って、鈍い音が鳴った。


「うわ、待ってください。心の準備が」


「一年ありましたよ」


 ゼノリスがそう返すと、セラの声が裏返った。


「そういう問題じゃないんです。急に正面から言われると、その、頭の中の言葉が全部落ちるので……」


 セラは両手を立てたまま、指の隙間からこちらを見ている。


「落ちたままで構いませんよ」


 そう言うと、セラは口を開けたまま固まり、それから欄干に額を打ちつけた。


「セラ」


「大丈夫です。冷やしてるだけです」


 ガルムの息が短く切れた。


 眉の下で、目の縁がもう光っている。厚い掌が顔へ上がりかけて、途中で止まった。


「ガルム、泣いてる」


 額をつけたまま、セラが言った。


「泣いておらん。まだ何も始まっておらんぞ、わしは」


「今日で五度目です」


 ノアが地図筒の口を指で叩いた。


「前の四回は、書きませんでした」


「なら今日も書くな」


「書きません。ですが、五度目だと言うことは止められていません」


 セラが額をつけたまま笑い出した。肩が跳ねている。


 笑いながら顔を上げたセラが、壁際へ目を向ける。カイロはそこで背中をこちらへ向けていた。耳の先が、日の色より濃くなっている。


「カイロ、こっち向いて」


「向いている」


「壁を向いてるでしょ」


「壁もこっちだ」


 ゼノリスはその全部を見ていた。


 一年前、この六人はここに揃わなかった。カイロは塀の外にいた。セラの拳は城壁の外にあり、シルヴァの腕は空を支えたまま下りなかった。ガルムとノアの立っていた場所は、互いに見えない。セレナは、城で空を見上げていた。


 いま、六人ぶんの靴が同じ石を踏んでいる。


「南の街道、荷馬車が増えました」


 セラが欄干から身を乗り出して、下を指した。


「先月から護衛の要請が減ってるんです。夜も走るようになったって、商隊の人が」


 ゼノリスは荷馬車の列の先へ目を移した。


「夜に走れるのは、道を信じているからです」


「そう、それです。私が言いたかったのは、それです」


 セラは指を下ろし、その手を胸の前で握った。


「私は騎士団を率いて、民を守ります。誰もが安心して暮らせる世界に」


 言い切ったあと、セラは自分の声の大きさに驚いたらしい。首をすくめて、シルヴァの方を見た。


「……私、いま格好つけた?」


「つけていました」


「正直か」


「事実を言いました」


 ガルムの掌がようやく目元へ届いた。一度だけ拭って、そのまま顎の下へ下ろす。


「嬢ちゃん」


「なに?」


「よい台詞じゃ。わしには真似できん」


「真似しなくていいよ」


 ガルムは欄干の縁に手を掛け、下の城壁へ目をやった。石の面が、傾いた日を返している。


「わしは、次の世代に渡すまで守護隊におる。それだけじゃ」


 声が最後まで低いままだった。喉が詰まる気配がない。ガルムは自分でもそれに気づいたらしく、喉に手を当てた。


「……おかしいのう。今日は出んわ」


 ノアが筒を抱え直した。肩の力が抜けている。


「南の街道の護衛が減った分を、僕は別の場所へ回しました。半年前の話です」


 言いながら、視線は動かなかった。


「兵をどこへ置くかは、もう戦の計算ではありません。人がどこで困るかの計算です。戦術ではなく、統治の戦略を立てます。この世界を、より良くするために」


「ノアさんが『より良く』って言うの、初めて聞きました」


 セレナがそう言うと、ノアは目だけを動かした。


「……語彙が、貧しいもので」


「いいえ。とても良い言葉です」


 セレナは両手を前で重ね、風にとられた裾を膝の高さで押さえた。それから、ゼノリスの隣まで来て止まった。


「私は、魔王妃として民を支えます。ゼノ様と共に、この世界を見守ります」


 ゼノリスは頷いた。言葉を返す前に、壁際から声が入った。


「俺は引き続き、補佐長として支えます」


 カイロだった。顔はまだ半分だけこちらを向いている。


「新世界の裏で、平和を守ります」


 セラが眉を寄せた。


「裏、って言い方やめてよ」


「表を歩く役はもう埋まっている」


 セラの唇が動いて、音にならずに閉じた。


 シルヴァがそこで初めて欄干へ近づいた。


 外套の裾が孕んで、一度膨らんで戻る。銀に近い淡い髪が肩から流れた。シルヴァは顎を上げ、西の空へ目を向けた。


「魔術の真理を、全ての人に開きます。才能を持つ者全てに、学びの機会を」


 抑揚がない。この人の声は、喜びでも上がらない。去年もそうだった。


 シルヴァの外套の裾が下りた。石に触れる音はしなかった。


 誰も次を続けなかった。城下の声が遠くで一度うねって、また平らになる。ノアが筒を持ち直す。革の擦れる音が、いやに大きく響いた。


 シルヴァは西を向いたままだった。日はもう屋根の線に触れている。


 三日前、研究室の灯りが朝まで消えなかったという報告が上がっていた。


「間に合っていません」


 声はさっきと同じだった。


「一年で、学び舎を六つ開きました。城下に三つ、それ以外に三つ。どこも定員が埋まっています。……埋まったままです」


 セラが首を傾けた。


「それ、いいことじゃないの」


「埋まったまま動かないという意味です」


 シルヴァはこちらへ体を回さない。


「入りたい者が扉の前で待っています。入れないのは席が足りないからではありません。教える者が足りないからです」


 外套の背に、日が横から当たっている。


「順序を教えれば誰でも組める。そう言いました。訂正はしません。ただ、順序を教えられる者を育てるのに、数年はかかります。私が一人で全員を見ることはできません」


 言い終えて、シルヴァは息を吸った。吐くまでに一拍あった。


「三十九人です」


 シルヴァの顎が少し下がった。


「去年、私のところには数人しかいませんでした。いまは三十九人が、教える側へ回る訓練を受けています。それでも全員ではありません。それでも、残った者が六年後に教え始めれば、そこから先は私が数えなくてよくなります」


 ガルムが顎を引いた。低い息が、鼻から漏れる。


「六年か」


「もっとかかるかもしれません」


「わしは、そこまで立っておるかのう」


「立っていてください」


 シルヴァが初めて振り向いた。


「私の計算に、あなたの分が入っています」


 ガルムの喉が動いた。今度は咳では戻らなかったらしい。厚い掌が顔の上半分を覆って、そのまましばらく下りてこない。


 カイロが壁から背を剥がした。一歩だけ前に出て、足を止める。


「聖都の件だ」


 誰へ向けたものでもない言い方だった。セラが振り向き、ノアが顔だけを寄せる。


「担架で運んだ者は、半年でほとんど帰した。残っているのは四人。動かせない怪我じゃない。ただ、帰る先がない」


 言葉が途切れた。カイロは自分の空の手を、もう一度見た。


「名の戻らない者は七人になった。四人ぶんは台帳の突き合わせで見つかった。残りは、どこの台帳にも載っていない。生まれた場所の記録ごと消えている」


「消したのは」


 ノアの声だった。


「向こうの制度だ。誰か一人が悪いわけじゃない。だから、直す相手がいない」


 カイロはそこで口を閉じた。言い終えた足が、また壁の方へ半歩戻る。


 七という数が、胸の中に残った。呼ぶための音が、そこにない。


「白塔の窓口のことですが」


 ノアが筒の口から指を離した。


「あの日、僕は『こちらは何と言うのか』と言いました。答えは、まだ出ていません」


 声が下がった。階段を上がってきたときの調子から、二段落ちている。


「向こうでは、鑑定の代わりを求める声が出ています。何でもいいから、自分が何者かを示す何かが欲しいと。作れば楽になります。作った瞬間、また同じものになります」


 ノアは肩を上げて、下ろした。


「僕は作りませんでした。作らないという言葉を、この一年で四回しました。四回とも、その場にいた人が困った顔をして帰っていきました」


 風が屋上を渡って、抜けていった。


 沈黙が思ったよりも長く続いた。下から上がってくる音だけが途切れない。市場はまだ畳んでいない。


 ゼノリスは渡していないものを数えた。


「すみません」


 数え終えたものは、一つも言わなかった。


「解決策を、私は持っていません」


 セラが顔を上げた。シルヴァを見て、それからガルムを見た。誰も先に口を切らない。


「知っています」


 言ったのはセレナだった。


「ゼノ様が持っていないことは、みんな知っています。だから、それぞれが持ち場にいるんです」


◇◇◇


 日が屋根の線を割った。


 光が横から入ってきて、屋上の石を端から染めていく。ゼノリスの影が長く伸びて、六人の影と重なった。重なった先は、欄干の柱に当たって折れている。


 ゼノリスは下を見た。


 荷馬車はもう見えない。城下へ入ったのだろう。市場の声が一段高くなって、それから緩んだ。


 城壁の外へ目を移す。南の農地、北と南へ抜ける街道、その先で霞んでいく地面。国土の広さは一年前と変わっていない。増えたのは、そこを走るものの数だ。


 膝に、泥の冷たさが戻ってきた。


 あの森で、名を呼ぶより先に決めたことがある。世界がこの男を『ゴミ』と呼んで道の脇に置いていくなら。


――私だけは『至宝』と呼ぼう。


 口の中だけで言った。あの耳は、まだ何も聞いていなかった。


 いま、その相手が壁際に立って、消えた名を数えている。


「ゼノ様」


 セレナが隣で言った。組んでいた手が解けて、片方が胸の高さで止まっている。


「あなたが信じてくれたから、私たちはここにいます」


 頷いた。返す言葉を探しているあいだに、セラが一歩前へ出た。


「私、まだ強くなります」


「聞いておらんぞ、そんな話は」


「いま言った」


 ガルムが目元から掌を下ろした。濡れたままの親指を、鎧の脇で拭う。


「わしは、まだ退かん」


「六年は立っていてください」


「八年でもよいぞ」


 ノアが筒の底を石に着けた。


「僕は、答えが出るまで考え続けます。出ないかもしれませんが」


「出なかったら」


 セラが訊いた。


「出なかったと書きます。それも記録です」


 カイロが壁から一歩出た。今度は顔ごとこちらを向いている。


「七人を探す」


 それだけだった。


 シルヴァは西の光の中に立っている。淡い髪の輪郭が、光を透かして細く縁取られていた。


「三十九人を、五十人にします」


 ゼノリスは六人を順に見た。


 どの顔も、まだ次を持っていた。


「ええ」


 石の熱がまだ靴の底に残っている。


「この世界を、共に守り続けましょう」


 日が沈んでいく。


 光は誰の顔も選ばずに、屋上の石と、城壁と、その向こうの土の上を同じ色で撫でていった。城下の市場は、まだ声を上げている。明日もあの声の中に立つ人がいて、その誰かは、こちらの名を知らない。


 だから明日も、ここへ上がる。


 最後の光が七人の影を石の上でひとつに伸ばした。


【終】



―――――――――――――――――――――――――――――――――

 ここまで『「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~』を読んでくださり、本当にありがとうございました。


 世界に「無能」と呼ばれた者たちの記録でした。


 追われた日も、拾い集めた日も、戦った日も、国を組み上げた日も。どれか一つだけが物語だったのではなく、どれもが彼らの歩いた道でした。


 最終話で、ゼノリスは何も解決していません。渡せていないものを数えて、すみませんと言って終わります。


 全部が片づいた世界を書くこともできました。ただ、それを書いてしまうと、この物語が否定してきたもの――誰かが勝手に決めた「正しさ」に、自分から戻ってしまう気がしました。


 だから彼には、明日も屋上へ上がってもらうことにしました。


 そして皆様の中にも、誰かを正しく測るまなざしが残ってくれることを願っています。


 お付き合いいただき、ありがとうございました。


ぼん

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