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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第四部:新生

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206/209

第206話:「決着」

 祭壇の段を、赤い法衣が下りてくる。


 塀の外の窪みから、カイロはそれを追った。段の裾では、聖騎士の槍がもう下りきっている。法衣は区画の門を使わずに、裏手へ回った。連れているのは側近が一人きりだ。荷はない。抱えているのは革の箱がひとつ。


 段の上へは、一度も顔を向けなかった。


 影へ入った。


 道の脇の岩、枯れた木、崩れた柵。日が高くなるほど影は痩せていく。痩せても、繋がってさえいれば足は置ける。二十歩ぶんの距離を保ったまま、【絶影】の内側を歩いた。


 赤い法衣は聖都へ向かっていた。


 街道には出ない。荷車の轍を避け、畑の縁を伝い、人の少ない側へ側へと回り込んでいく。逃げ慣れていない足だ。踵が浮いて、爪先ばかりが急いでいる。それでも方角だけは揺れなかった。行き先は朝のうちに決めてある。


 城壁が近づくと、道の上に人が増えた。


 武器を土へ置いた敵兵の列。担架。味方の騎士団が門の内と外を行き来している。開いた門から、味方の隊列が二列で入っていく。その先頭にライカがいた。


 赤い法衣が、その列の脇を抜けた。


 誰も止めなかった。門を押さえている味方は、赤が聖都の内側で何を意味するかを知らない。


 門の影を渡った。


 石畳に変わった。土を踏んでいた足が、乾いた硬さを返してくる。聖都の中は静かだった。窓の板が全部閉まっている。閉めたきり、誰も開けに来ない。


 大聖堂前の広場へ続く道に、人の頭が詰まっていた。空を仰いだまま動かない背中が、道幅いっぱいに並んでいる。


 ベネディクトはその手前で脇へ逸れた。


 人の下を避けて、白塔区へ入る道を選んでいる。


 軒の影から影へ跳んだ。


 側近が後ろで一度つまずいた。膝を石にぶつけて、それでも主の腕の中へ手を伸ばす。ベネディクトは振り向かない。歩幅が速くなった。裾が石を擦る音が、法衣の内側に隠れきらずに鳴っている。


 角の先に、白い塔の下端が見えた。


 そこでカイロは影から出た。


 道の真ん中に足を置いた。


「そこまでだ」


 ベネディクトの足が止まる。革の箱を抱え直す手が、途中で固まった。側近が主の前へ体を入れかけ、カイロの位置を見て、動けずにいる。


 白髪が肩の上でずれていた。整えていた形が崩れたまま、直されていない。


「……貴様」


 喉から出たのは、それだけだった。


 目がカイロの後ろへ動いた。門の方角だ。くぐってくる隊列の足音が、石畳を伝ってここまで届いている。その音が途切れない。前の列が入りきっても、後ろの列がまだ続いている。


「……全勢力を投入したはずです」


 声が掠れた。


「……計算が合いません」


 答えなかった。


 投入した全勢力の内訳なら、こちらの方が正確に知っている。聖騎士団の出撃順も、連合軍が街道へ着いた刻限も、勇者軍の予備がどこで待機していたかも、ノアの紙の上に載っていた。


 箱の縁を、指が掴み直した。


「お前の策も、全て見抜いていた」


 カイロは言った。


 喉が動いた。目がカイロの顔を探る。


「貴様……いつから……」


「最初からだ」


 言い終える前に、カイロは間合いを詰めていた。


 側近が肩を割り込ませてくる。その腕の下をくぐり、手首を取って外へ捻った。膝の裏を蹴る。側近が石畳へ落ちた。声も上げないうちに、箱はカイロの手に移っている。留め具が、その拍子に折れた。


 ベネディクトが後ろへ下がった。


 二歩目で、背が壁に当たった。


 箱を足元へ置き、右手で法衣の襟を掴んだ。掴んで、前へ引いた。抵抗はなかった。


 手首を後ろで揃え、道具袋の紐で二重に巻いた。


 終わった。


 足元に、白い髪が一筋だけ落ちている。


 その男を立たせた。壁を背に、足で立つところまで戻して、そこで手を離した。


 ベネディクトは俯かなかった。


 息は乱れている。襟は歪み、右手の指輪が緩んでいる。それでも顎は下りていない。目だけが、まだこちらを測っていた。


「……その箱を、どうするつもりですか」


 ベネディクトの声が戻っていた。


 カイロは足元の箱を持ち上げた。折れた留め具の下から、中の紙の角が覗いている。白塔の判定記録だった。


「証拠として残す」


「残してくださって構いません」


 ベネディクトの口の端が上へ引かれた。頬はついてこなかった。


「一枚残らず読んでいただきたい。石がどう光ったか、こちらが何と決めたか。どちらも消していません」


 カイロは箱の口を閉じた。


「書いた者を裁く」


「裁いてください。私を吊るしても結構です」


 ベネディクトの言葉は途切れなかった。壁に背を預けたまま、まだ喋っている。


「ですが、あの紙の代わりを、あなた方は持っていますか。明日も白塔の窓口は開きます。石に触れた者の前で、誰が何と言うのですか。あなた方は、まだ何も書いていない」


 カイロは黙って聞いた。


「秩序というものは、憎まれ役が要ります。誰かが決めなければ、誰も名乗れないからです。私が消えても、その役は残ります。あなた方の中の誰かが、明日そこに座ることになります」


 声が高くなった。


 箱の留め具を指で押さえた。


 この男は謝らない。恐れてはいる。喉が息を継ぐたび、襟の下で肩が細かく上下している。


「そこは埋めない」


 カイロは言った。


「潰す」


 ベネディクトの目が、初めて揺れた。


 揺れて、それから細くなった。


「……できるものなら」


 その先は続かなかった。


 道の向こうから、味方の兵が二人、こちらへ走ってくる足音がした。捕虜を受け取りに来る側の足取りだった。


 顔を上げた。


 空の端で、緑が上がっていた。


 細い一本が塀のある方角から真っ直ぐに伸びている。風に流されて、途中から斜めになった。


 カイロはその色だけを見た。


 足元では、壁を背にした男が、まだ口を閉じていない。


◇◇◇


 街道からも、同じ緑が見えた。


 ゼノリスは城壁の外で足を止め、その一本を目で追った。塀の方から立って、風に押されながら伸びていく。色は途中で薄くならない。上げた者が、火を絶やさずに焚き続けている。


 後ろで荷車の軋みが途切れた。


 紙を繰る音が近づいてくる。


「ゼノ様」


 ノアが地図筒を抱えて横に並んだ。呼吸が整っていない。走ってきた距離のぶんだけ、肩が斜めに落ちていた。


「秘密施設の制圧、完了しました。救出が始まっています」


 言い終えてから、ノアは筒を持ち直した。


「リゼットさんが上げています」


 頷いた。


 道の左右で、音が変わった。歓声は上がらない。空の一点で視線が止まり、そこから下りてこない。それから担架を下ろす音がして、水袋の口が開き、誰かが草の上へ座り込んだ。剣を鞘へ収める金属の擦れが、あちこちで一度ずつ鳴って、それきり続かない。


 守護隊の兵が一人、盾を地面に立てかけて、その縁に額を当てた。


 肩が上下している。


「もう一件、報せがあります」


 ノアが声を落とした。


「勇者が、聖都へ入りました。祭壇を捨てて、大聖堂前の広場へ回っています」


「供は」


「いません」


 ノアの指が、筒の口を軽く叩いた。


「連れて行ける者が、もう一人も残っていません」


 ゼノリスは門の方角へ顔を向けた。


 開いた門の内側に、聖都への石が続いている。


「行きます」


 王衣の裾を払い、歩き出した。


◇◇◇


 広場は、まだ空だけを向いていた。


 石を埋めていた塊は薄くなっている。それでも残った者が、空を仰いだまま立っていた。ゼノリスが石畳へ足を踏み入れると、いちばん近い列の背中が振り返り、それから左右へ引いた。誰も押していない。自分の足で下がって、道を空けた。


 空いた先に、白い鎧があった。


 勇者が広場の中ほどに立っている。純白の聖鎧は汚れていない。血を吸っても、この鎧には残らない。その白の下で、金の髪が肩に貼りついていた。汗が乾ききっていない。


 ゼノリスは足を止めた。


 十歩ぶんを置いて向き合う。


 頭上で、像の縁が引かれた。


 街道を映していた枠が縮み、こちらの頭上へ寄ってくる。広場を映していた枠がその横へ滑り、白い鎧の顔を大きく抱えた。二つが並んだ。


 セレナがいた像は、もうそこにはなかった。


 ゼノリスは瞳の焦点を変えた。


 勇者の頭上に、星が浮かんでいた。


【漆黒の星。☆☆/☆☆】


 権能はない。だが、特殊技能の【力の略奪】は、まだある。


 あの夜、見たものと一つも変わっていない。何百人の力を掌に入れようと、この男の限界はここで閉じたままだった。


「まだだ!」


 勇者の喉が鳴った。


「まだ……俺はまだ終わっていない!」


 叫びが広場を走って、大聖堂の壁で跳ね返ってきた。


 その右手が持ち上がる。


 掌が開き、指がこちらへ向いた。空気が粘つく。力を奪う手つきだった。ゼノリスは動かずに待った。


 今度は、掴んだ。


 勇者の指が閉じ、握り込んだものを引き寄せる。左手が聖王の剣を鞘から引き出した。刃が日の光を裂いて、頭の上まで上がる。


 構えが変わった。


 右足を半歩引き、切っ先を下げ、肘を内側へ畳む。私の型だ。何年もかけて体に刻まれた形を、そっくり借りている。


 勇者が踏み込んだ。


 速い。奪った速さは本物だった。一息で間合いを潰し、白い刃が斜めに落ちてくる。


 ゼノリスは剣を抜いた。


 落ちてきた刃の腹を、抜き際の一振りで外へ流す。金属が擦れて火花が散り、勇者の切っ先が石を叩いた。


 二手目が来ない。


 型が続かなかった。斬り下ろした先の足の置き場を知らない。借りた形は一つ目までだ。


 勇者が剣を引き戻す。


「――止まれ」


 引き戻した腕が、途中で沈んだ。


 握力が抜けている。柄の重さに指が開き、慌てて締め直した。奪ったものが掌の内側から出ていく。堰き止める手がない。


「ふざけるな……ふざけるな!」


 勇者が二度、三度と刃を振った。


 一度目は届かず、二度目は勢いだけで泳ぎ、三度目は自分の重さに引かれて肩から流れた。


 ゼノリスは置く足を変えただけだった。


 三度とも、刃は直前まで立っていた場所を斬っている。最後の一振りの根元へ剣の峰を当て、片手で返した。


 聖王の剣が石の上を滑っていった。


 金属が石を打つ音が、広場の端まで届いた。


 勇者が膝を折った。


 両手が石を押さえる。爪先が滑って、白い鎧の腹が地面に近づいた。それでも顔だけは上げていた。


 剣を下げた。


「貴方の格付けは、プラチナ級でしたね」


 声を広場へ放った。


 枠の中で、勇者の顔が引きつった。


「本当は、ブロンズ級の力しかありません」


 勇者の唇が動く。音にならない。


 音が消えた。


 前の列で、誰かの膝が石に落ちた。誰もそちらを見ない。


「嘘だ」


 掠れた声だった。


「嘘だ……俺は勇者だ! 世界最強の……!」


 叫んだ拍子に、勇者の腕が石から離れた。


 支えを失った上体が前へ落ちる。頬が石に着き、それでも口はまだ動いていた。女神の名を呼んだ。次に自分の名を呼んだ。そのどちらにも、応えるものがない。


 白い鎧の肩が、内側から萎んだ。


 あの塀の中から吸い上げたものが、その体を素通りして抜けていった。


 ゼノリスは一歩前へ出た。


 勇者の目がゼノリスを捉えた。


 その目に、もう怒りはなかった。奪う相手を探す色もない。ただ、自分が何を失ったのかを掴めないまま、瞳孔だけが揺れている。


 斬りたかった。


 勇者が奪ったものの数を、ゼノリスは全部言える。言えるからこそ、ここで斬れば私怨になる。


「貴方の罪は重い」


 剣の切っ先を、ゼノリスは持ち上げた。


「ですが、……私は誠実に裁きます」


 振り下ろした。


 一度だけだった。


 刃が首を通り抜けた。


 白い鎧が、支えを失って前へ倒れた。


 汚れない鎧のはずだった。その下から、赤が石畳へ広がっていく。


 ゼノリスは刃を返して血を落とし、鞘へ収めた。それから膝を折り、勇者の瞼を指で閉じた。


 立ち上がる。


 広場は静まっていた。


 その静けさの上で、頭上の左の枠が動いた。


 塀と祭壇の像の中で、門が内側から開いていく。人が出てくる。一人、二人ではない。列になって、区画の外へ歩いていく。抱えられている者がいる。抱えている者がいる。先頭で腕を振って流れを作っているのは、外套の前を合わせた小柄な背中だった。


 ゼノリスは空を見上げたまま、息を吐いた。


 あの門から出た者は、生きて出た。


 あの門を出なかった者の顔は、この空に一度も映っていない。


「聖都ルメナは、落ちました」


 顎を上げ、声を張った。


「勇者アリアスは敗れました。聖騎士団は武装を解いてください。この街に、もう戦う者はいません」


 言い終えて、石の上を見渡した。


 誰も動かない。


 その中から、最初の声が上がった。


「勇者様が……負けた……」


 男だった。膝が笑っている。自分で言った言葉に、自分で殴られたような顔をしていた。


 二つ目は違う場所から来た。


「殺した」


 若い女が、両手で口を押さえたまま言った。


「殺したじゃないか……あの人を、殺した……!」


 その隣で、別の女が首を振っていた。振りながら、泣いていた。何に対して泣いているのかは、本人にも分からない顔だった。


 広場の東の端では、老人が跪いて石に額をつけている。


 北の端では、若い男が二人、掴み合いになっていた。片方が勇者の名を叫び、もう片方がそれを殴った。周りの者は止めない。見てもいない。


 列の中ほどで、誰かが手を打とうとした。周りの音とどこも噛み合わずに、二度で止まった。


 高くなった日が、そのどれにも同じ角度で差していた。


 ゼノリスはその真ん中に立っていた。


 空の枠は、まだ世界へ開いたままだ。この石の上で上がった声が、そのまま西の王都へ、北の鉱都へ、南の港へ流れていく。


 聞いた者たちが、次に何を言い出すか。


 一言目を、ここで受け取るつもりでいた。



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