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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第四部:新生

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205/209

第205話:「連携と圧倒」

 足の裏に来るものが、入れ替わった。


 鉄が鉄を打つ震えは硬く、細かい。人が土を蹴る震えは鈍くて広い。シルヴァはその二つを朝から受け続けてきた。いまは硬い方が薄れ、鈍い方が増えている。来る方角もずれた。正面ではない。門の左手だ。


 右腕を下ろしていない。


 頭上の三つが、まだ空を塞いでいる。塀と祭壇。大聖堂前の広場。街道を進むゼノ様とセレナ。指の先に、届いた先の一つ一つが糸で繋がっている。糸は絶えず揺れて、聖都の広場で誰かが息を呑めば、その震えがここまで戻ってくる。


 肩から先の感覚は、とうに薄い。


 背後の輜重の列で、車輪が土を噛んだ。荷を寄せる声。それらの下から、細かい歩幅の足音が近づいてきて、二歩ぶん手前で急に減速した。術式陣の縁で止まる時の踏み方だった。


「シルヴァ様」


 エルネスだった。


 息が上がっている。細い指が、外套の裾を握ったまま開かない。


「像の維持は、私が引き受けます」


 空へ向けた顔は、そのままにした。


 エルネスが何を見て走ってきたかは、足音の入り方で分かる。左へ寄った戦線を、この人も同じ耳で聞いている。


「大変ですよ」


 それだけを言った。


「知っています」


 エルネスの声が、一段低くなった。


「私が維持します!」


 風が二人のあいだを抜けた。


 空に据えた右手の指が、少しだけ開いた。糸の束が指の腹から浮く。この構造を言葉にして渡すには、三十に近い節を順に並べなければならない。組んだ本人にしか読めない箇所が、その中に七つある。


「聞いてください。基幹は三本。中心が一本、外へ二本。分岐は端で二十四。端の節は自分から光りませんので、鳴っているかどうかは指の腹で確かめてください。中心の一本を落とすと、残りの二十六が同時に落ちます」


 エルネスが左手を上げた。


「七番目の節だけ、組み方が違います。ここは押さえるのではなく、通してください。押さえると割れます」


「――七番目は、通す」


 エルネスが復唱した。


 糸束を、エルネスの手へ寄せた。


 渡す瞬間は一拍もない。持っている側が離し、受ける側が掴む。あいだに空白ができれば、三つの像は同時に落ちる。


 指を離した。


 エルネスの膝が沈んだ。


 片方が土に着く手前で止まり、そこで震えた。上げた左腕が、肘のあたりから外へ流れかける。指の腹が白く光り、光の粒が一つ、二つと散った。細い喉が、息を吸いきれずに鳴った。


 だがエルネスは腕を落とさなかった。


 肘の角度が戻る。指が空を指し直す。頭上の三つは、揺れもせずにそこにある。


「……行ってください」


 声が掠れていた。


 シルヴァは右腕を下ろした。


 肩から指の先まで、血が一度に流れ込んでくる。腕が自分の重さを思い出して、下がりきったところで止まった。指が痺れている。握れるかどうかを確かめるために、二度開いて閉じた。


 杖を掴んだ。


 シルヴァは歩き出した。


◇◇◇


 門の左手は、押されていた。


 守護隊の盾列が、二十歩ぶんほど手前に下がっている。盾と盾の継ぎ目から、敵の穂先が何本も差し込まれ、抜かれ、また差し込まれていた。その後ろで教会連合圏の連合軍が層を作っている。前列が押し、押した分だけ後列が詰め、詰めた重みが前へ返る。人の壁が、そのまま攻城の槌になっていた。


 空気に、術式の匂いがあった。


 熱が来る前に、空気の方が先に乾く。魔力が編まれるとき、その周りは必ず水気を失う。喉の奥が張りついた。


 シルヴァは盾列の内側へ入った。


 その先頭に、動かない背中がある。


 巨躯が盾を地に据えて立っていた。左右の守護隊が半歩ずつ下がっても、その位置だけが下がっていない。鎧の肩に布が巻かれている。


「ガルム」


 振り向かないまま、太い首がわずかに動いた。


「来たか、嬢ちゃん」


 声が地面から響いてくる。


「上のは?」


「エルネスに預けました」


「そうか」


 ガルムは盾の縁を、掌で一度だけ確かめた。


「なら、こちらは気にせんでよい。わしが守る。嬢ちゃん、思う存分やれ」


 ガルムが盾を地から離した。


 構えない。持ち上げた縁を横へ倒し、その先で指を止める。指はこちらの盾列を越え、押し合っている敵の頭のさらに向こうを指していた。


「ここから後ろへは、一人も通さん」


 声が地面へ落ちた。


 音も光も出ない。出ないまま、押し寄せていた厚みが遠くで詰まった。後ろから足される重さが来なくなり、前列だけが盾に取り残された。


 前へ出た。


 盾列の隙間から、敵陣の奥が見える。連合軍の後方に、赤い外套が一つ浮いていた。宝石杖が高く掲げられている。その左右で、教会の魔導師が十数人、同じ高さに杖を並べていた。


 空気の乾きが、一段深くなった。


 シルヴァは杖を低く構えた。


【真理の眼】を使った。


 視界の上に、構造が重なって降りてくる。


 文字だった。前に見たときと同じだ。だが今度は、一つではない。十三の術式が、同時に組まれていた。それぞれが独立した詠唱を持ち、それぞれが独立した核を抱えている。ゼフィルの一本を中心に、左右の十二本が同じ位相へ寄せられていく。


 合成だ。


 十三の火が一点で重なった瞬間に、盾列の幅ごと消える。ガルムの立っている場所も、その後ろで下がった二十歩も、まとめて土ごと持っていかれる。


 一本ずつ分解する時間はない。欠陥を探して一文字だけ書き足す、あのやり方は相手が一人のときのものだ。


 だから、探すのをやめた。


 十三を一つの面として見る。


 合成のために寄せられた位相は、寄せられた時点で共通の骨組みを持つ。十三が同じ向きを向いているなら、軸は一本しかない。ゼフィルはそれを強度だと思っている。束ねるほど強い、と。


 束ねるほど、書き換える場所は一か所で済む。


「この術式、私には見えている」


 シルヴァは軸へ指を触れた。


 共有された骨組みの、向きだけを裏返す。ついでに、飾りで足された節を三つ落とした。落とした分だけ、火は速く、太くなる。


 あとは組んだ本人たちの魔力が働いてくれる。


 赤橙の光が空中で一度膨らみ、そのまま敵陣の側へ倒れ込んだ。地面が持ち上がる。敵の列の奥で、十三本ぶんの火がまとめて開いた。杖を掲げていた魔導師たちが、その腕ごと押し倒される。土と鉄と布が上へ舞い、盾列のこちら側まで熱が渡ってきた。


 乾いていた空気に、焦げた匂いが入る。


 崩れた前列の跡へ、盾列が押し上がっていく。その内側を歩いた。


「馬鹿な……」


 声が煙の向こうから届いた。


「馬鹿な……私の術式が……」


 ゼフィルが、煙の中から出てきた。


 赤い外套の裾が焼けている。腕を下ろすことを忘れた男が、自分の手の先を見上げている。


 返す言葉はなかった。


 その左手側で、白金の聖印が動いていた。


 リュシアが、倒れた魔導師の列のあいだに膝をついている。透明な杖を持つ手が、一人目の上で止まり、次へ移り、そこでも動かなくなった。選んでいる。誰を先に起こすかを、この人はいつも先に決める。


 助かる見込みの高い者から。魔力量の多い者から。教会に名の残る者から。


 だが、ガルムの線がそこを割っていた。


 地面に境が一本走っている。土の色は変わらない。ただ、そこから先へは何も通らない。


 名の残る者も、残らない者も、同じ側で倒れている。誰を先に起こしても、線の向こうへは運び出せない。


 リュシアの手が下りた。


 杖の先が、土に触れたまま上がらない。


「なぜ」


 その口が動いた。誰に問うたのでもない。


 そこへ、足音が入ってきた。


 重い。土を掻いて、踏むたび崩れかけている。


 分厚い白鉄が、視界の端を横切った。


 ブラムだった。斧の柄を握ったまま、味方の残っている方へ走ってくる。誰の号令にも追いつけないまま、門の右手からここまで走り通してきた足だった。


 その足が、リュシアとゼフィルの手前で止まった。


 こちらを見た。


 シルヴァと目が合った瞬間、ブラムは得物を持ち上げた。振りかぶりもせず、体の前へ横向きに構える。二人とこちらのあいだへ、体ごと入り込んだ。


 誰も、そうしろとは言っていない。


 次の瞬間、敵陣の火が返ってきた。


 反転した十三本の熱は、まだ収まりきっていなかった。地面へ潜った分が遅れて上がり、崩れた土を巻き上げて横へ抜ける。その一筋が、立ち塞がった背中を捉えた。


 鎧の継ぎ目が、内側から吹き飛んだ。


 音はそれだけだった。


 手から離れた斧が、土に半分埋まった。柄はそのまま動かない。分厚い鎧が、火の抜けた形に沿って曲がっている。地面に伏した体は、一度も起き上がる素振りを見せなかった。


 杖を握る指に力が入った。


 狙っていない。


 だが、向きを変えたのはこちらだ。


 ゼフィルが、初めて腕を下ろした。


 伏した背中を見て、それから、宝石杖を取り落とした。石の先端が土に当たって、乾いた音を立てた。拾おうとしない。


 リュシアは動かなかった。


 膝をついた姿勢のまま、透明な杖を握っている。伏した男の方へ、その杖は向かない。


 二人とも、名を呼ばなかった。


 そこから目を上げた。


◇◇◇


 輜重の列は、出たときと同じ場所にあった。


 車輪の陰にエルネスがいる。上げた左腕が、まだ空を指していた。だが膝は両方とも土に着いている。出るときに沈みかけて堪えた方の膝にも、もう力が残っていない。


 杖を左手へ移し、糸束へ手を伸ばした。


 順だけが逆になる。指の腹が触れた瞬間、重さが肩まで戻ってきた。


 エルネスの腕が落ちた。


 膝の上では止まらず、そのまま土へ着く。支えを失った上体が前へ傾いて、額が自分の腕へ落ちた。


「……七番目は、割れていません」


 伏せた頭が、上がらなかった。


 右腕を上げ直した。


 門の方角に、白がまだ残っている。


◇◇◇


 門の右手で、敵の列が横へ逃げ始めた。


 ライカは剣の血を振り、戦線の形を目で追った。団長が正面を割ってから、右と左へ裂けたまま伸びている。団長は裂け目の先端にいて、そこから戻ってこない。左は守護隊が受け持った。


 残りは、ここだ。


 耳を澄ませた。逃げる足が、門の内側へ向いていない。散っている。まとまる先を、敵はまだ見つけていない。


 背後で紙の擦れる音がした。


「ライカさん」


 ヴェルナーだった。地図の控えを片手に、姿勢を崩さずに立っている。血の跳ねた土の上で、この人の背筋だけが朝と同じ角度だった。


「敵の退路は三つあります。門の内側、城壁沿いに北、街道を南」


 指が控えの上を三度叩いた。


「南は荷車が詰まっていて、通れません。北は聖騎士の詰所があるので、そちらへ流せば数が増えます」


「門の内側だけ、ということですか」


「そこへ集めてください。集めきったところで、閉じます」


 頷いた。


 体はもう右へ回っていた。


「グラド!」


 右の列から、返事より先に長身が抜けてきた。腰の鞘に土がついている。グラドの鞘が汚れているのを見たのは、これで二度目になる。


「右の縁が緩んでる。逃げてるやつを北へ行かせるな」


「押し戻すのではなく、内側へ寄せるのですね」


「そう。斬るのは後だ」


 グラドはそれ以上聞かなかった。それだけで列が動いた。騎士団の右翼が、逃げる敵の外側へ回り込み、剣の腹で肩を叩いて向きを変えさせていく。振り下ろす者が一人もいない。


 左へ走った。


 守護隊の盾列が、門の左手から回り込んできていた。その先頭に、首の太い男がいる。


「バルカさん!」


「聞こえてる!」


 バルカが盾を担ぎ上げた。靴底が土を叩く音が、他の誰よりも重い。


「南だな」


「荷車が詰まってます。どかされる前に塞いでください」


「盾列を三段。それで足りるか」


「足ります」


 バルカが手の甲で合図した。守護隊の列が二つに割れ、片方が南の街道口へ滑り込んでいく。盾が並び、下端が土へ食い込み、三段が重なって高さを作った。


 南が消えた。


 北の方角では、グラドの隊が敵の肩を押し続けている。押された兵が横を向かされ、その先に味方の背中があり、押し合いになって前へ出られない。


 北も消えた。


 残ったのは、門へ続く一本だけになった。


 敵が門へ流れ込み始める。


 息を吸うと、土と鉄と、焦げたものの匂いが一緒に入ってきた。左の遠くで火の音がしている。あれはシルヴァさんの方角だ。


「騎士団、前へ!」


 声が返ってくるのに、一拍もかからなかった。


 輪が縮んでいく。


 ライカは先頭で走りながら、その形を横目で測った。右にグラドの列、左にバルカの盾列、後ろから魔術兵団の術式が面を押してくる。三つの隊が別々の速度で動いているのに、隙間が空かない。空きそうになった場所には、走り出す前に誰かが入っている。


 敵の兵が武器を捨て始めた。捨てて、門の方へ走り、そこで足を止める。門は動かない。押しても、内側から返る音がない。


 白の面積が縮んだ。


 街道を埋めていた外套の群れが、門の前の一区画に押し込まれていく。押し込まれた分だけ厚みが増し、増えた厚みが自分たちの動きを奪っていた。前の兵が振り返り、後ろの兵とぶつかる。ぶつかった拍子に、また武器が落ちる。


 足を止めた。


 そこから、輪の全部が見えた。


 教会連合圏の連合軍は、もう列の形をしていない。勇者軍の旗は、半分が土に落ちている。


 門の前の一団だけが、崩れていない。


 肩の幅が変わらない。穂先の高さも揃っている。周りで金属が土を打っても、その音の方を見ようともしない。


 聖騎士団だ。


 背後でヴェルナーが並んだ。


「閉じました」


 息が上がっていない。


「あとは、あの一団だけです」


 ライカは剣を握り直した。


 あの揃え方は知っている。北西の境界帯で、味方の結界へ何度も同じ位置を叩きに来た列と、一分の狂いもない。


「斬りますか」


 グラドが横に来た。血の跳ねた頬を拭いもしていない。


 答える前に、白の列が割れた。


◇◇◇


 割れた真ん中から、一人が出てきた。


 背が高い。純白の外套が土を引きずらない高さで裾を切られていて、歩幅が乱れない。金髪を短く刈り込んだ頭が、こちらの位置をまっすぐに測ってくる。


 胸に、聖印の胸章があった。


 他の誰の胸にもない。


 手には聖槍を提げている。穂先が長い。装飾の彫りが刃の根元まで入っていて、儀礼のための得物にしか見えない。柄の握りの部分だけ、彫りが擦れて消えていた。


 聖騎士団長ガブリエル。


 男が五歩ぶん手前で止まった。


「異端の軍に問う」


 声が張っている。戦場の端まで届かせる出し方だった。


「秩序を破壊して、その後に何を置く」


 剣は下ろさない。


 答える立場ではない。だが、この男の目はこちらを見ていない。ライカの肩の上を越えて、もっと上を見ている。


 三つに割れた青白いものが、まだそこにある。真ん中の枠で、石畳の面積が増えていた。立っている人より、空いた石の方が多い。


 ガブリエルは、それを見ていた。


 目を逸らさない。


「答えは、要らぬ」


 男の喉が動いた。


「私は神意の下に立ってきた。その神意が、今朝あの空で、私の知らぬものになった」


 声が途中から張りを失った。


 槍の穂先が下がった。


 槍を両手で持ち直し、水平にした。それから、腰を落として、土の上へ置いた。石突きが先に着き、穂先が遅れて着いた。


 置いた手を離し、腰を上げた。


「聖騎士団は武装を解く」


 男が背後を振り返った。


「全隊、槍を下ろせ」


 白の列が揺れた。


 穂先が一斉に下りる。柄が土を打つ音が重なって、一度に押し寄せてきた。武器を手放した者が膝をつき、膝をついた者の隣がまた武器を落とす。列の輪郭が、外側から内側へ向かって崩れていった。


 息が抜けた。


 背後で金属が鞘の口を擦る音がした。バルカの盾列が、高さを一段下げた。


 勝った。


 右手の戦線でも、左手の戦線でも、もう打ち合う音がしない。教会連合圏の連合軍。勇者軍。聖騎士団。今朝この城壁の外に並んでいたものが、全部、土の上に降りている。


 ライカは剣を鞘へ戻した。


 その手が止まった。


 列の端に、下ろしていない者がいる。


 三人だ。並んだ位置はばらばらで、互いに離れている。穂先を上へ立てたまま、団長の置いた槍の方を見ようともしない。周りが膝をついても、その三人の膝だけが伸びたままだった。


 男はそちらを見なかった。


 見ないまま、こちらへ両手を差し出した。手首を揃えていた。


「グラド」


「はい」


「連れていけ。下ろしてない三人は、そのまま見張れ」


「斬らなくてよろしいので」


「団長が戻るまで待つ」


 グラドが踵を返した。捕虜の列を作る号令が、後ろで上がる。


 その号令の横を、逆向きに動くものがあった。


 味方が二人がかりで、騎士団の兵を一人抱えている。肩から下が土で汚れて、片方の脚が地面を探しても見つけられずにいる。抱える側が足を合わせ、輪の外側へゆっくり下がっていった。通り過ぎたあとの土に、引きずった跡が残っていた。


 足元に日が差していた。城壁の影に沈んでいた土が、明るい色になっている。


 門の方角へ顔を向けた。


 門はまだ閉じている。あの内側に何人残っているかは、ここからでは数えられない。


 それから、空を仰いだ。


 三つとも、朝から高さを変えていない。あれを支えている腕が、いま誰のものに替わっているのかも、ライカには分からなかった。


 風が土の匂いを運んできた。焦げた匂いはもう薄い。


 空の端まで目で追った。


 立ち上がる煙は、緑も赤も、まだどこにもない。



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