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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第四部:新生

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204/209

第204話:「ノアの戦術展開」

 ノアは本隊の陣列の中ほどで足を止め、街道の先を塞いでいる聖都ルメナの城壁を見上げた。上端に沿って、白が切れ目なく並んでいる。


 石の面が朝の光をまともに返している。白の合間に旗が立ち、その下に門の輪郭があった。日を追って歩いてきた距離が、いま目の高さの中に収まっている。


 前の列が止まった。


 止まったことは、音で後ろへ伝わってくる。足の拍が抜け、鎧の擦れが薄れ、荷車の軋みが順に途切れていった。ここまで体を揺らし続けていたものが引いて、耳の中に隙間ができる。


 その隙間へ、別の音が入ってきた。


 壁の手前だ。金属が金属を打つ音が、束にならずに一つずつ届く。騎士団はもう当たっている。


 風が街道を横切り、外套の裾を持ち上げた。


 ノアは地図筒を抱え直した。革が肘の内側へ食い込む。中の紙はもう開かない。線を引く場所は、今朝から紙の上を離れている。


 目の前の景色が、そのまま盤面になった。


 城壁の上の数。ここからは見えない門の内側の列も、溜まっている厚みのまま頭の中へ入ってくる。街道の左右へ散った味方の隊と、前で噛み合っている騎士団。硬いところと緩んでいるところの境目に、輪郭がついた。門の右手に寄った敵の一団は、穂先の高さが揃っていない。


 左手の列は揃っている。


 押すのは右だ。


 ノアは息を吸った。冷えたものが肺の底まで落ちていく。


「作戦を始めます」


 自分の声が、思っていたより低く出た。


 近くの兵が顔を上げる。その顔の向きが伝わって、次の列の背中が動いた。


 ノアは一拍置いてから、続きを口にした。


「騎士団、聖都へ入ってください。押すのは門の右手です。そこから押し広げれば、面で崩れます。残りは組んだ線の通りです。各自持ち場へ」


 伝令が三方向へ散った。


 足音が土を掻いて遠ざかり、そのたびに列の形が変わっていく。魔術兵団の後衛が間を詰め、守護隊の盾が外側へ回り込む。荷車の列は道の脇へ寄って、真ん中を空けた。


 誰も声を返さない。ノアの引いた線は、昨夜のうちに全部隊へ渡してある。


 列が割れた。


◇◇◇


 左の後ろで、布の擦れる音がした。


 振り向くより先に、そこに誰がいるかは分かる。足音がない。


「ノア」


 カイロの声は、風の下でも輪郭を失わなかった。


「ベネディクト枢機卿の方へ行く」


 ノアは筒を持ち替え、門の輪郭へ目を戻した。


「逃がさないためですね」


 カイロが顎を引いた。


「開いてからでは、動かれる」


 段取りの説明も、戻る時刻の約束もなかった。


「お願いします」


 ノアの声に、返事はなかった。


 列の縁で、暗色の裾が揺れた。次に目を向けたときには、そこにいた形が周りの影と見分けられなくなっている。さっきまで人が立っていた幅の分だけ、風が抜けた。


 入れ替わりに、右手の列の隙間から小柄な体が抜けてきた。


 リゼットだった。外套の前を合わせ、後ろに五人ばかり連れている。顔は布の陰に沈んでいて、輪郭しか見えない。


 ノアは正面へ向き直った。


「リゼットさん」


「はい」


 縦に細い瞳孔が、こちらを向いた。


 塀のある方角へ、ノアは顎を向けた。


「塀の内側へ入ってください。区画にいる人を外へ出します。門が開いたら、各部隊が支援に回ります」


「人の流れは」


 リゼットが聞き返した。


「こちらの列の外側へ抜けさせてください。中で押し合いになると、そこで数が減ります」


 リゼットの顎が下りた。


 ノアは筒の口を指の腹で軽く叩いた。


「終わったら、狼煙で報せてください。緑なら成功。赤なら失敗です」


「上げる場所は」


「上げやすいところで構いません。こちらからは色しか見ていませんので」


 風が二人のあいだを通り抜けた。


 リゼットが胸元へ手を当てた。指が布を握って、そこで止まる。


「承知しました」


 声が一度切れた。


「必ず助け出します」


 ノアは頷かなかった。


 筒を持つ指に力が入る。中の紙に書き込んだ数が、塀の内側の数だ。諜報員たちが数えた数だ。


――もう合っていない。


「赤でも、上げてください」


 リゼットの喉が動いた。


「……はい」


 胸元に当てていた手が、そこで離れた。振り返らずに歩き出す。


 外套が列の向こうへ回り、連れの背中が続いていく。足音は最初から鳴っていない。街道の脇へ下りると、その色が土の色と混ざった。


 見えなくなった。


◇◇◇


 敵の列が動いた。


 セラは腹のあたりでそれを受けた。地面の震えが太くなっている。城壁の裾から溢れた白い外套が、街道の幅いっぱいまで広がっていく。穂先が一斉に水平へ倒れた。


 セラは拳を握った。


 指の付け根の皮が硬い。潰れては固まるのを繰り返して、そのたびに厚くなった場所だ。


 後ろで鎧が鳴った。


 魔王軍の騎士団が、セラの背中側で列を詰めている。柄を握り直す音。息を吸う音。誰も、下がっていろとは言わなかった。


 セラは半歩前へ出た。


 背後で、騎士団の呼吸が揃う。


 敵の先頭が間合いへ入った。


 セラは地面を蹴った。


 敵の穂先が突き出されるより早く拳が胸板へ入った。白鉄の胸が拳の形に沈み、その兵が後ろの列ごと倒れていく。


 穴が広がった。


 騎士団が左右から敵の列を押し開き、剣の腹で穂先を叩き落としながら、セラの空けた場所を内側から固めていく。


 殴るたびに、手首から肘へ衝撃が返ってくる。骨の芯で音が鳴る。


 横をすり抜けていく鎧があった。


 拳を戻す間に、右手の視界へ剣が二本、滑り込んできた。片方が敵の腕の内側を跳ね上げ、もう片方がその下へ体ごと入る。拳一つぶんだった穴が、人の通れる幅に変わっていた。


 鎧の潰れる音が、金属の悲鳴になって前方から次々に上がった。敵の兵が武器を投げて後ろへ逃げ、逃げた背中が味方に当たり、そこでまた列が乱れる。乱れたところを騎士団が突く。


 城壁の裾が近づいたところで、背中の音が遠くなった。


 セラは振り返った。


 味方の列が伸びている。空けた穴が長くなりすぎて、騎士団の先頭がその途中で敵に噛みつかれていた。腹の側から敵の槍が入り込み、味方の兵が二人、それを押さえるために足を止めている。


――速すぎた。


 セラは握っていた指を開いた。


 息を整える。前へ出たい足を地面へ押さえつけて、後ろの音を数えた。鎧の擦れる拍が近づいてくる。近づききるまで待って、その拍に自分の呼吸を乗せる。


 先頭の兵が、セラの真横まで上がってきた。


 セラは前を向いたまま声を出した。


「行くよ!」


 その速さに合わせて踏み出す。


 拳が敵の前列を割り、割れた縁へ味方の剣が入り、剣が押した分だけセラがまた前へ出る。今度は穴が長くならない。旗を掲げていた男が槍を捨てて逃げかけ、その背へ味方の剣が届いて、旗ごと土へ倒れ込んだ。敵の隊列が横へ広がって支えようとするたび、騎士団がその端に噛みついて、支えの手を減らしていった。


 押し返してくる力が、急に軽くなる。


 残った一人が槍を突き出してくるのを、セラは踏み込みざまに打ち抜いた。白鉄が内側へ折れ、その体が仲間の頭を越えて後ろへ飛んだ。


 街道を塞いでいた白が、内側から膨らんで裂けた。


◇◇◇


 裂けた列の向こうで、白鉄の塊が動かずにいた。


 ブラムだ。


 巨斧を提げたまま、セラを正面から見ている。周りの敵兵が下がっていくのに、その足だけが土に食い込んだまま動かない。かつて一撃で沈めた胸の鎧は、新しいものに替わっている。


「今度は、私だけじゃない」


 声は届いた。黒い頭が、セラの後ろへ傾く。並んで前を向いている騎士団を、端から端まで追った。


 ブラムの口が動いた。


「……なんだ」


 声になりきらない音だった。


 その口が、もう一度だけ動く。


「……前は、こうじゃなかった」


 巨斧の刃先が土へ落ちた。柄にかかった指が、一本ずつ緩んだ。


 セラはそちらへ足を向けなかった。


 ブラムの目が、また後ろへ流れる。退いていく味方の頭の向こうか、門の内側か。誰かの指示を探している。


 探している先には、誰もいない。


◇◇◇


 ノアの耳に、前線の音の変わり方が届いた。


 打ち合う拍が減り、そのぶん足音が増えている。門の右手に寄っていた一団が最初に割れ、割れた端から後ろへ引いていった。左手の揃った列も、支えを失って幅を保てなくなった。


「全て、計算通りです」


 ノアは声に出した。


 近くの兵は顔を上げなかった。伝令も戻ってこない。その一言は風に持っていかれた。


 声を張り直した。


「守護隊、門の左へ回ってください。押し出された人が、そちらから出ます」


 伝令が走った。


 腕の中の革は、朝からひとつも重さを変えていない。


 空を見上げた。


 青白いものが三つに割れて、まだ頭の上にある。右の像では、ゼノ様とセレナが街道を進んでいた。


 真ん中は大聖堂前の広場だ。人の塊が薄くなって、石畳が覗きはじめている。


 左の像に、塀と祭壇。段の上で勇者が膝に手をついていた。そこから体を起こそうとしている。


 膝にかけた手が、震えながら押し下がる。その重さごと、上体が持ち上がった。


「……終わらせるものか」


 その声が、聖都の上へも街道の上へも、区別なく届いていく。


 ノアはそこから目を離した。


 城壁の影が、足元まで届いている。


 緑も、赤も、まだ上がっていない。



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