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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第四部:新生

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第200話:「矛盾の告発」

「第一の歌」


『勇者様は、星暦1185年、魔王が魔王城で罪なき民を虐殺し、恐怖で支配していたとき、民を解放するために立ち上がりました』


 舌が上顎から離れた。喉の奥に息の通り道ができて、覚えたときのままの節が出た。


 空の上で、勇者の白い鎧が動いた。顎が下りかけたところへ、私の声が先に乗っていた。


 抑揚まで同じだった。旋律を外して言葉だけを並べたつもりでも、節の切れ目が勝手に元の位置へ落ちる。私の喉が、あの頃のまま動いている。


 その体をいま、嘘を嘘だと言うために使っている。


 乾いた口の中に、砂の味が残った。


 塀の内側の音は、まだ頭の上にある。私が一節を置くあいだに、誰かの音が消える。


 この一節を、私は広場で何度も歌った。歌い終えるたび、前の方で息を詰める気配があった。抑えきれずに声が漏れることもあった。あの人たちは、魔王城で人が殺されたと信じて泣いていた。


 背後で、紙が鳴った。


 束の中ほどから一枚が抜かれる音だ。厚みの中を指が探り、目当ての一枚に爪が掛かって、そこから引き出される。カイロさんは手元を見ずにそれをやった。どの位置に何があるかを、すでに指が覚えている。


「旧魔王軍の記録から読み上げます」


 カイロさんの声が、私の左後ろから出た。


 高くも低くもない。空へ渡ることになる一行を、勘定の数字と同じ置き方で読んだ。


「その年、旧魔王領では民の虐殺は記録されていない。魔王城周辺の住民台帳も残っており、人口の減少もない」


 言い終えると、紙を戻す音がした。


 空がそれを持っていった。


 私の歌詞と、カイロさんの一行が、同じ高さで世界中の空に並んでいる。


 殺されていない民を、解放することはできない。


 だが、束から指が離れなかった。


 束の中で指がもう一段深く入り、別の一枚が浮き上がる。


「むしろ、逆の記録が残っています」


 声の置き方が変わらないまま、次が来た。


「勇者が魔王を倒した後、魔王軍の残党とその家族が処刑されています。名簿があります。子どもの名も入っています」


 息が止まった。


 虐殺は、あった。


 私が歌ってきたのは、殺した側と殺された側が逆さになっただけの話だ。あの旋律の中で殺された人たちと、本当に殺された人たちが、頭の中で入れ替わっていく。私はその入れ替えを、自分の喉でやっていた。


 セレナは像を見た。


 段の下だ。祭壇へ続く石段の裾を、聖騎士団の白い外套が埋めている。整っていた列の中ほどで、肩の線が一つ、隣へ寄った。


 寄せた顔が隣の耳元へ近づく。


 その隣が首を横に振った。振ってから、自分も反対側へ顔を向けた。動きが列の奥へ、水が滲むように広がっていく。


 白い鎧は振り返らなかった。


 段の上で、真上だけを見ている。段の下で何が起きているかを、この人はまだ見ていない。


 なら、続ける。


◇◇◇


 街道に立っているのは、私一人だった。


 前にも後ろにも人はいる。だが空を仰いでいるのは私だけで、その頭の上に、塀と祭壇と自分の顔が並んでいる。地面のこの一点と、空一面が繋がっている。


 風が右の頬を撫でて抜けた。乾いた土の粒が、靴底の下で細かく砕ける。まだここに立てる。


「第二の歌」


『勇者様は、星暦1190年、旧魔王軍が北方鉱山地帯の村を襲い、罪なき民を虐殺したとき、村に駆けつけて村人たちを救いました』


 二節目までを置いた。


 この歌には続きがあった。焼かれた家の前で村人が勇者の手を取る、という一節だ。民はその箇所でいつも息を呑んだ。手を取る、という言葉が、遠くの席まで届いていた。


「同じ日の記録です」


 間を置かずに、後ろから声が来た。


「その日、旧魔王軍は西方グランフェル国境で作戦を行っています。動員された部隊の名と、補給の受け渡しの記録が残っています。北方鉱山地帯の村への侵攻記録は、一切存在しません」


 頭上で、二つが並んだ。


 右の空に私の口がまだ動いていて、左の空へカイロさんの声が渡っていく。どちらも同じ大きさだ。歌が上で、記録が下ということもない。並べて置かれて、そのまま世界の端まで運ばれていく。


 国境と鉱山は、大陸の端と端だ。


 軍を二つに分ければ、両方へ出せる。だが分けた側の名も、食わせた分も、どこにもない。


「その村については、別の記録もあります」


 カイロさんが続けた。束へ戻す音がしない。この一枚は、手に持ったままだった。


「聖教会の重税と、鉱山労働の強制で困窮していたと書かれています。徴収の記録は年ごとに残っています」


 歌の中では、勇者が駆けつけて救っていた。


 頭上で、列が音を立てた。今度は肩ではない。踵だ。並んでいた足の位置が動いて、石を擦っている。


 その右隣に、私がいた。


 空の端へ寄せられた顔だ。銀の髪が風に流れて、口だけが動いている。声を出しているのに、表情が変わらない。


「第三の歌」


 セレナは順を入れ替えた。


「カイロさん」


「はい」


 名を呼ぶと、それだけで通じた。紙を繰る音が先に来た。


「星暦1207年。その日、私たちは辺境の街を勇者の支配から解放しました。街には魔族と人族の奴隷がいました。首に縄の痕が残っている者もいました。私たちが救出した者の名を、全員分控えてあります」


 その上へ、私が歌を置く。


『勇者様は、星暦1207年、春の満月の夜、辺境の街に侵攻してきた新たな魔王軍を打ち破り、街を守りました』


 二つが空で並んだ。


 同じ夜、同じ街。片方には解放された奴隷の名簿があり、もう片方には打ち破ったという勝利がある。


「勇者軍が『守った』のではありません」


 カイロさんの声が、はじめて一段低くなった。


「私たちが『奪還』したのです。あの街に、私はいました」


 息を吸った。肩を上げずに、腰の後ろまで届いた。


 三つ並べた。もう戻れない。


「――違う!」


 空の全部が鳴った。


 白い鎧が顎を上げ、喉から声を押し出している。声は段の下を越えて、真上へ、私の顔がある方へ飛んできた。


「それは魔王が改竄した記録だ! 信じるな!」


 最後の一音が、途中で潰れた。


 潰れたところへ、別の声が滑り込んできた。


「その通りです!」


 段の上だ。細い体躯の男が、退がらされた場所で背を伸ばしていた。そこから一歩も動かないまま、叫んでいる。


「魔王の書いた紙に、何の値打ちがありますか!」


 その声に、下から音が被さった。


 白い外套の列だ。聖騎士たちの中ほどから声が上がり、それが右へ左へ伝わって、段の裾で一つの塊になる。言葉は取れない。取れないまま、音の厚みだけが増していく。


 揃った。


 肩を寄せ合っていた顔が上を向いて、同じ方向へ声を出している。


 一人が叫んだだけだった。


 それが十になり、石段の裾いっぱいになるまで、息を継ぐ間もなかった。


 セレナは指を握った。


 握った指の中が汗で滑る。第一の歌で肩をずらした者も、第二で踵を鳴らした者も、この中にいる。あの人たちは戻ってしまった。


 それでも、まだ二つある。


 空を見上げたまま、セレナは唇を開いた。


「ここから先は」


 声が届くように、間を置いた。


「私が歌ったものでは、ありません」


 段の下の音が、途中で止まった。


 塊になりかけていた声が、途切れる。張り上げていた喉が、そのまま行き場をなくす。


 それから、笑い声が落ちてきた。


「……歌っていない?」


 白い鎧の口の端が、片方だけ上がっていた。


「お前がだ。お前が歌っていない話を、どう読み上げる?」


 喉の詰まりが取れている。さっきまで壊れていた音が、演壇に立つときの通り方に戻っていた。


「言ってみろ。魔王のところで誰かに教えられたのか。それとも、あの男が紙に書いて渡したのか」


 膝から上が固くなった。


 答えが出てこない。


 私は歌っていない。あの人は、この二つを私に歌わせなかった。歌わされなかった話は、一度も私の耳を通っていない。


「聞いているぞ、セレナ」


 名を呼ばれた。


「お前が覚えているのは、私がお前に歌わせた分だけだ。その先まで語れるなら、誰かがお前に吹き込んだということだ」


 冷えが指の付け根まで上がってきた。


 この人の言い分は、私の側から見ても筋が通ってしまう。歌っていない話を、なぜ私が知っているのか。それを聞かされた人は、どう思うだろう。


 背後の紙が止まっていた。


 繰る音が来ない。


「これが魔王の手口だ」


 白い鎧が両腕を開いた。


「歌姫を奪い、声を作り替え、私の名を汚す筋書きを覚えさせた。私の知っているセレナは、もうそこにいない」


 声が下へ落ちて、段の裾で拾われた。


「そうだ!」


「魔王の声だ!」


 白い外套の列から、また声が上がった。今度は言葉になっている。さっきより数が多い。前列も後列も同じ言葉を出して、それが石段に反響して膨らんでいく。


 その音が、私の中へ入ってくる。


 選べない。私を魔王の声だと呼ぶ叫びが、あの日の拍手のすぐ隣に落ちて、そのまま消えない。


 喉が渇いた。


 声を出す形に唇を動かした。息が上がってこない。喉まで持ち上げる力が、どこを探しても掴めなかった。


 このまま黙っていれば、この人が勝つ。


 そして私は、勝った側の声を、一つも落とさずに覚えていることになる。


 頭の上では、塀の内側の音がまだ降っている。私が黙り込んでいるあいだにも、あの中の音は欠けていく。


 早く言わなければならない。分かっているのに、体のどこにも次の一言がなかった。


◇◇◇


 土を踏む音が、背後から来た。


 一歩。二歩。それが私の左を追い越して、前へ出た。


 暗色の裾が膝の高さを掠めていく。カイロさんが束を抱えたまま、私の前に立った。


「歌っていないものを、セレナさんが語る必要はありません」


 息が、喉まで戻ってきた。


 私が探していた一言を、この人が背中越しに持っていた。


 声が空へ乗った。


 張り上げてもいない。段の上へ向けてすらいない。それでも空はその声を落とさなかった。低いまま持ち上げて、世界の端まで運んでいく。


「ここからは、俺が読みます」


 カイロさんが紐を解いた。


 結び目が緩んで、束が手の中で少し開く。そこへ指が入り、探す前に止まった。


「まず、そちらが何を言っていたかを申し上げます」


 白い鎧が口を開きかけて、そのまま止まった。


「星暦1208年、冬至の日。魔王城に侵攻してきた魔王を勇者が迎え撃ち、魔王城を守り抜いた。そちらはそう言い続けています」


 カイロさんが一枚を引き出した。


 羊皮紙だった。私の歌の束とは紙の質が違う。厚く、縁が波打ち、日に灼けて茶色く変わっている。下の方に、丸い印章の跡があった。


「これは各地の教会が街に貼り出した『聖教会布告』の写しです。同じ文言のものが、他の街で確認されています」


 紙が風を受けて反った。カイロさんは指を添えて止め、次を出した。


「勇者の演説の文言は、諜報員が逐語で取っています。商隊と、国境を越えてきた人たちからも同じ話が届いています。どれも符合しました」


 紙が束の中へ戻った。指が次の一枚を探す。厚みの半ばで止まり、そこから先へは行かなかった。


「同じ日の、私たちの記録です」


 声の速さが変わった。


「その日、私たちは勇者に奪われていた魔王城を奪還しました。門の内側まで、私はこの足で入っています」


 段の上で、白い鎧の口が動いた。開いて、形を作りかけて、そこで止まる


 空が何も運ばなくなった。


 段の上から、返しが来ない。


「これも『守った』話ではありません」


 語尾が、そこで重くなった。


「勇者が不法に占拠していた城を、正当な王であるゼノリス様が取り戻された。それだけです」


「星暦1210年、夏至の日」


 カイロさんが続けた。


「聖都ルメナに侵攻してきた魔王を勇者が迎え撃ち、聖都を守り抜いた。そちらの布告には、そう書いてあります」


 紙をもう一枚。


「その日、魔王軍は魔王領にいました。難民の受け入れと、内政の整備をしています。動員の記録も、糧食の払い出しも、全部この束の中にあります」


 紙の擦れる音が、風の中で一度だけ鳴った。


「軍勢は一歩も外に出ていません。聖都ルメナへの侵攻計画は、立案の段階からして存在しません」


 カイロさんが束を持ち直した。


「むしろその時期、魔王国は各国と交易協定を結ぼうとしていました。相手国の名も、日付も残っています」


 言い終えて、カイロさんは束を閉じた。


 風が吹き抜けた。それでも、塀の内側の声だけは止まらない。


 攻め込んだことにされた日に、私たちは商いの話をしていた。


 白い鎧が言葉を出す形のまま止まっている。さっき私が見たのと、同じ形だった。


 そのとき、空が割れた。


 塀と祭壇が左へ滑っていく。段の上の白い鎧が、空の中で小さくなりながら端へ寄った。同時に、私の顔が右へ引かれる。顎の輪郭が街道の幅から縮んで、木立の上あたりまで下がった。


 その二つのあいだに、隙間が開いた。


 開いた場所へ、別の色が下から押し上がってくる。


 顔だ。


 数えきれない顔が、揃って真上を向いている。


 いちばん手前の男が、口を開けたまま閉じるのを忘れている。その隣で、女が連れの袖を握り込んだ。少し後ろ、膝をついた老人が動かない。


 籠が倒れた。こぼれた中身が、次々に踏み潰されていく。


 大聖堂前の広場だ。


 私が何度も歌った場所だった。


 音が降ってきた。人の喉から出たものが幾重にも重なって、私の頭の上に積み上がっていく。


 セレナは振り返った。


 街道の後ろ、輜重の列の手前に、淡い髪が風にほどけていた。上げた右腕はそのままだ。首だけがこちらへ回っている。


 シルヴァさんの目が、私を見ていた。


 目元の力がふっと緩む。口の端が、ほんの少しだけ動いた。


 誰も何も言わない。カイロさんは前を向いたままだ。ゼノ様は半歩後ろで動かない。あの広場を空へ上げたのは、シルヴァさんの判断だ。


 私に見せたのだ。


 喉の奥が熱くなった。セレナはそれを飲み下して、前へ向き直った。


 空の中で、白い鎧が民衆の像を見上げていた。


◇◇◇


「げ、幻術だ」


 白い鎧が言った。


「これも魔王の幻術だ! 俺の言葉を聞け!」


――いま『俺』と言った。


 演壇の上で、この人はいつも『私』と言うのに、その一音を外した。


 その声が、広場の像の上に降りていく。


 顔が動いた。空を仰いでいた一人が、隣へ首を回す。回された先が、目を合わせなかった。


「聞け!」


 もう一度、上から落ちた。


 石畳の上で、後ろの方にいた誰かが背を向けた。人の間を縫って、広場の外へ歩いていく。それを追う手はなかった。


 白い鎧の腕が耳の脇まで上がった。そこで止まって、下ろす先を見つけられずにいる。


 広場の音は、この人の真上にも降っている。私が浴びたのと同じ音が、段の上にも落ちている。


 段の下で、音が減っていった。


 さっきまで言葉になっていた声が、途中で切れる。切れたところに次が入らない。白い外套の間隔が、後ろの列から開いた。槍の柄が石を打つ音は、もう揃っていない。


 一つ、二つと、音が抜けていく。


 抜けたところは、そのまま埋まらなかった。


 セレナは肩を落とした。


 落とした分だけ、踵が土の中へ沈んだ。


 だが、前列は動かない。


 石段のいちばん近くに並んだ者たちは、間隔を保ったままだ。顎の位置も、槍の角度も、最初から一分も変わっていない。あの人たちは、まだ段の上を信じている。


 私の声は、あそこまでは届いていない。


 像の中の白い鎧が、何かを叫んだ。声が裏返って、途中で音にならなかった。


 その半端な音まで、空は運んだ。


 カイロさんは束を閉じたまま、前に立っている。退がってこない。


 セレナは握っていた指を開いた。


 汗で湿った掌に、風が当たる。冷たい。この手が乾ききる前に、次を言わなければならない。


 五つ並べた。それだけ並べても、あの人は段の上から降りてこない。


 塀の内側で、また一つ名前が呼ばれた。呼ばれた側の声が、もう出てこない。


 記録では届かない。あそこに届くものを、私はもう一つだけ持っている。


 歌にしなかった。誰にも聴かせないまま、喉の奥に沈めてきた。ずっとだ。


 セレナは唇を湿らせた。乾いた皮が舌に触れて、そこが裂けた。


 それを、いま出す。



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