↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第四部:新生

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
199/209

第199話:「証言の開始」

 踵が土を捉えて、そのまま体が前へ運ばれた。いま、頭上の像の中では人が死んでいる。


 土は乾いていた。轍の縁に足の外側が乗り、少し傾いで、次の一歩でまた平らに戻る。セレナは歩幅を変えなかった。歌う前に舞台へ出るときと同じ速さで、同じ長さで、足を運んだ。そうしなければ、途中で止まってしまう気がした。


 二歩目の音が、自分の足の分しか鳴らなかった。


 セレナは耳を後ろへ向けた。


 ゼノ様の足音がない。カイロさんの、紙の束を抱えた重い足取りもない。二人とも、さっきの位置に立ったままだ。土を踏み替える気配だけがあって、それが前へ来ない。


 誰も、並んで歩いてこない。


 ゼノ様はさっき、私の名を呼んで、真横に立ってくれた。触れずに、同じ土を踏んで。そのうえで、いまは動かずにいる。


 これは、私が言い出したことだからだ。


 セレナは前を向いたまま、喉の奥に息を入れた。


 私はこれから、自分が歌ってきたものを嘘だったと言う。


 長いあいだ、あの人が語った言葉を旋律に乗せてきた。日付を歌い、場所を歌い、救われた村の名を歌った。広場でそれを聴いた人が泣いて、私の手を取ろうとして、兵士に止められた。その人たちに向かって、あれは一つ残らず作り話でしたと、私の口で言う。


 あの人が世界に建てたものを、私の声で崩す。


 頭上から、声が降り続けていた。


 塀の内側の声だ。名前を呼ぶ声。門を叩く音。祈りの言葉が途中で切れて、そのあとが続かない。数えられる範囲を、とうに越えている。その一つ一つが耳から入って、私の中に積まれていく。


 いま私が黙っている間も、あそこでは人が減っている。


 足が速くなりかけて、そこでこらえた。


 速めれば息が乱れる。息が乱れれば声が濁る。濁った声で最初の一言を口にしたら、あの人はそこを掴む。取り乱した女が喚いていると、そう言えば済んでしまう。


 数歩先に、シルヴァさんの背中があった。


 風を受けた布が、肩の後ろで波を打っている。右腕は空へ伸びたきりで、指の先だけが、糸を手繰るように細かく動いていた。声をかけても、たぶん返らない。シルヴァさんはいま、術式の側へ自分を寄せきっている。


 その背中の脇を通り抜けた。


 風が後ろから来て、埃と古い紙の匂いを鼻先へ置いていった。カイロさんが持っている束の匂いだ。城の書庫で何年も眠っていた紙が、いま、この街道の風の中にある。


 あの束の中に、日付がある。


 私の歌の中にも、日付がある。


 二つを並べたとき、片方が嘘なら、必ず食い違う。カイロさんはそう言って、旧魔王軍の時代の記録まで運んできた。


 セレナは歩みを止めた。


 爪先が土を掻いて、そこで揃った。前にはもう誰の背中もない。街道の土が緩く下って、その先の勾配の底から地鳴りが這い上がってくる。膝の裏が細かく震えた。


 ここから話す。


 セレナは顔を上げた。


◇◇◇


 空気が耳の中で薄くなった。


 鼓膜の外側を撫でていた風の音が、一瞬だけ遠のいた。潜るときに似ている。セレナは息を止めた。止めた自分の呼吸が、やけに大きく耳に返ってくる。


 頭上で、青白いものが割れた。


 塀と祭壇の光景が、端の方から押しやられていく。空一面を占めていた区画の輪郭が右へ寄り、段の上に立つ白い鎧が、空の隅へ追いやられた。その空いたところへ、別の像が滑り込んできた。


 誰かの顔だった。


 銀の髪が風に乱れ、その一筋が頬に張りついている。藍色の目が真上を向いていた。


 セレナは自分の頬に手を当てた。


 空の中の女が、同じところへ手を当てた。


 私だ。


 膝から下の感覚が、すっと引いた。倒れる前触れの引き方だった。セレナは足の親指に力を込めて、土を掴んだ。


 空の私は大きすぎた。


 顎の輪郭が街道の端から端まであって、瞬きをすると、その音がしそうなほどだった。


 シルヴァさんが、映すものを一つ増やしたのだ。


 塀の内側を映していた術式が、いまは私を運んでいる。その腕の先で、私の顔とあの塀の光景が、並んで空にある。


 その二つを、同じ人たちが同時に見ている。


 セレナは唇を開いた。


 開いた瞬間に、耳が鳴った。


 空から降ってくる音が、途切れずに入ってくる。名前を呼ぶ声。喉が擦れる音。誰かが誰かの服を掴んで引く布の音。それが順に内側へ落ちて、そこに私の呼吸が混ざった。吸って、吐いた。その一往復まで、他の音と同じ棚に並んで残っていく。


 【超記憶】は、選ばない。いま私が出す声も、あの人たちの声と同じ場所に、同じ重さで置かれる。


 だったら、残るものを出す。


 セレナは腹の底へ息を落とした。


 落ちた。歌う前と同じ深さまで入った。


「私は、セレナ・ヴォルガデス」


 声が出た。


「魔王国の魔王妃として。そして、亡国エクリール王国の姫として、勇者アリアスの嘘を語ります」


 言い切った。


 語尾が風に触れて、街道の斜面の方へ流れていった。セレナは息を吸った。


 半拍だけ、空が黙った。


 そこへ、上から被さってきた。


『――そして、亡国エクリール王国の姫として、勇者アリアスの嘘を語ります』


 私の声だ。一音の長さまで、たったいま置いた形のままだった。


 空一面から、いま出したばかりの言葉が同じ抑揚で戻ってくる。頭の上だけではない。街道の左手からも、右手の斜面の向こうからも、勾配の底からも、同じ声が同じ速さで降りてきた。降りてきて、地面の高さで重なった。


 爪先が土から離れない。


 私の声が、あんなに広いところにある。


 自分の声を、自分の耳で拾ってしまう。拾ったものは消えない。私が言った言葉が、私の内側で、聴いた人の数だけ重なっていく。


 喉が詰まった。


 息は通っている。肺から上がってきて、喉の手前で止まった。声にする場所を、自分自身の声が塞いでいる。


 下りかけた瞼を、途中で押し戻した。


 閉じれば、音だけになる。音だけになったら、前に立てなくなる。


 後ろで、紙の擦れる音がした。


 カイロさんが束を持ち直した。腕の位置を変えて、重さを右から左へ移した。何も言わない。近づいてもこない。


 その音も、先にあったものと並んで耳へ入った。


 入って、そこに残った。


 セレナは膝を伸ばした。


◇◇◇


 空の中で、白い鎧が動いた。


 祭壇の段の上だ。眼下へ向けていた体をこちらへ振り、顎が上がって、視線が真上を捉える。私の顔を見つけたのだと分かった。像の中の男と、街道に立つ私の目が、空の高さで合った。


「何を言っている!」


 喉を裂くようにして出てきた。


「お前は私に救われたではないか!」


 言葉の端が割れていた。演説のときの通り方をしていない。腹から押し上げる代わりに、喉の途中で音を潰して、その勢いだけで放っている。


 この人の声が崩れるのを、私は一度も聴いたことがない。


 セレナは膝の力を抜いた。


「私は長年、勇者のために歌を歌ってきました」


 自分の声が、地面に落ちる前に空へ持っていかれる。


「しかし、その歌詞は全て嘘でした」


 言い終えて、次の息を吸う。吸いながら、像の中を見た。段の下の白い列が乱れている。並んでいたはずの外套の肩が前後にずれて、隣の者へ顔を寄せている。


 その向こう、区画の中で、また一人が膝から落ちた。


 私が喋っている間も、あそこは止まらない。


 石段を蹴る音が、像の中から届いた。


 細い体躯の男が、段を駆け上がってくる。上りきる前から口が動いていた。息が足りていないのに喋ろうとして、最初の一言が音にならず、二度目でようやく形になる。


「勇者様。聖都から、大聖堂前の報せです」


 白い鎧が振り返らなかった。


「広場の民衆が、一斉に空を指しました。前にいた者が後ろへ向き直って、叫んでいます」


 側近が唾を飲む音まで、空から降ってきた。


「『歌姫だ!』と。それから、『勇者様の歌姫が、なぜ魔王妃に?』と」


 街道の風が、私の襟足を撫でて通った。


「黙れ」


 白い鎧が言った。


 声を落としたつもりだったのだろう。空はそれを拾って、そのまま世界へ渡した。段の上で側近が肩を跳ねさせ、体を半分引くのが見えた。


「もう報せは要らん。下がっていろ」


 黙らせにかかった姿が、そっくり映っている。


 この人はまだ気づいていない。ここで口を開けば、それも運ばれる。黙れと言ったことも、側近が退がったことも、そのまま空に並んでいる。


 像から目を離さない。瞬き一つ分も。


 白い鎧がこちらへ向き直った。


 肩の高さが下がった。剣の柄に置いていた手が、離れた。息を一つ、深く入れたのが分かる。


「……セレナ」


 名を呼ばれた。


 肩が勝手に強張った。


 声が、変わっていた。


「お前を拾ってやったのは誰だ」


 低い。重い。悲しみを含んでいる。


 庭園の石畳に膝をついていた日に、頭の上から降ってきたものと、同じ声だった。


 似ているのではない。高さが、一致している。


 【超記憶】が並べてしまう。あの日の一音といまの一音が重なって、境目が消えた。父を失った翌朝の私の頭上にあった声が、あの日からいままで一度も途切れずに、この街道の上に置かれている。


 あの声を、私は家族の声だと思っていた。


 息が浅くなった。


 肋の下までしか入らない。歌う前の深さに届かない。腹に力を入れた。芯になるものが、何もなかった。


 あの日、この声に手を引かれて立ち上がった。庭園を与えられ、食事を与えられ、歌う場所を与えられた。与えられたものを数えていくと、返せないものばかりが並ぶ。


――違う。


 セレナは奥歯を噛んだ。


 与えられたものの中に、父はいない。


 あの人が私から取ったものは、あの人が与えたものの、どれとも釣り合わない。


 それでも、体が動かなかった。声を出す形に喉が戻らない。二つの声が、まだ重なったまま鳴り続けている。


 馬が首を大きく振った。


 輜重の列で、誰かが荷の数を短く言った。私の名も、勇者の名も入っていない数だ。街道の風は止まらない。私が何を言おうとしていようと、この場所の音は勝手に鳴っている。


 後ろで、紐が鳴った。


 結び目が緩んで、重なった紙が乾いた音を立てた。カイロさんが束を開いた。声はかけてこない。ただ、日付の並んだ紙を、いつでも渡せる角度に持ち替えている。


 セレナはその音を耳の奥まで通した。


 通して、あの日の声のすぐ隣に並べた。


 二つは重ならなかった。


 紙の音の方が、後から来た。あの声をさんざん聴かされたあとで、いまここで鳴った音だ。私が選んで、私の隣に立ってもらった人が出している音だ。


 セレナは息を吸い直した。


 今度は腹まで落ちた。


◇◇◇


 空の中の男が、返事を待っていた。


 顎を引いて、口の端をわずかに上げている。庭園にいた頃、この沈黙だけは何度も浴びた。答えが決まっている問いを投げて、こちらが頷くまで待つときの、あの間だった。


 セレナは間を置かずに唇を開いた。


「いいえ」


 冷たい音が、自分の耳に届いた。


「私は、あなたに騙されていました」


 言い終えた。


 最後の一音が街道の斜面を滑り落ちて、その先で聴こえなくなった。


 半拍。


 空一面から、いまの言葉が降ってきた。あなたに騙されていました、と、私の声が世界の上で繰り返される。


 それが済んで、次が来なかった。


 白い鎧の口が、開いた。


 開いたまま、止まった。喉が動いている。言葉の形に唇が寄って、そこから先へ進まない。一度閉じて、また開いて、また閉じた。


 何も出てこない。


 セレナは耳を澄ませた。


 澄ませる必要などなかった。空はいつでも音を運んでくる。運んでくるものが、いま、無い。


 この人が黙っている。


 塀の内側の悲鳴も、門を叩く音も、まだ届き続けている。その隙間に、答えの入る場所がぽかりと空いていた。私が何かを言えば返ってくるはずのものが、返ってこない。


 拾うものが、無い。


 私の耳が、はじめて空振りをした。


 いま、あの人の沈黙が、世界中の空に映っている。


 言い返さない勇者が、あの大きさで頭上にある。それを見上げている顔がいくつあるのか、私には数えようがない。


 セレナの指先が冷えた。


 嘘を一つ、嘘だと言っただけだ。それだけのことで、あの人の口が止まった。止まったものが、これから何を引き起こすのか、私には見当がつかない。


 右の肩の脇で、土が鳴った。


 黒い外套の裾が、視界の下の端に入ってくる。ゼノ様だ。私の半歩後ろで足を止め、それ以上は前に出てこない。触れてもこない。並びもしない。


 視線だけが、私と同じ空へ向いた。


「……ゼノ様」


 呼んだ。


 返事はなかった。頷いた気配だけが、後ろの空気を短く動かした。


 それで足りた。


 カイロさんはそこにいる。束を開いたきり、音を足していない。私が次を言うまで、この場を離れないつもりでいる。


 セレナは空へ顔を戻した。


 像の中で、区画の人影がまた一つ、地面に近づいていく。まだ終わっていない。この空の下で、いまも数が減り続けている。


 あの人たちに届く言葉を、私はまだ一つしか出していない。


 セレナは息を吸った。


 次の一つを、口の中に置いた。あの人の口が動き出す前に、置き切る。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。