第196話:「民衆の動揺」
掌を、下ろした。
術式の光が、途中で切れた。地面を這っていた白い線が、輪を閉じきらないまま消えていく。区画の民を縫い留めていた力が、そこで止まった。
アリアスは自分の右腕を見た。知らず間に腕が下がっていた。
仕切り直すだけだ。『あれ』の出どころを潰してから、また始めればいい。それだけの話だ。それなのに、なぜ体の方が先に止まる。
手が震えている。
寒いのだ、とアリアスは思った。夜明け前の風が塀を越えて吹き込んでいる。――それだけだ。
眼下で、音が変わった。
人垣のあちこちで、喉が同時に息を吸った。押さえつけられていたものが外れて、詰まっていた空気がいっせいに肺へ流れ込む。その一息で、塀の内側が膨れ上がった。
立たされていた民が、顔を上げていた。
最前列から順に、俯いていた頭が起きていく。何百という顔が、自分を押さえつけていたものが消えたことに気づいて、確かめるように空を仰いだ。誰も逃げなかった。最前列の男は自分の足元を見下ろし、そこに何もないことを二度確かめて、それから立ち尽くした。動き方を忘れた顔をしていた。
その静けさが、アリアスの首筋を撫でた。
回収している間の方が、まだ楽だった。
石段を蹴る音が、下から上がってきた。
「勇者様!」
側近が、段の半ばで足をもつれさせた。片手を石につき、体を引き上げて声を張る。細い体躯が、走ってきたままの息で上下していた。
「聖都から、報せが。大聖堂前の広場に、空の『あれ』が、出ています。人が、民衆が集まり出したと」
「広場だけか」
「いえ」
側近が、息を継いだ。
「白塔区も、教導区も。門の外にも。どこの空にも、同じものが」
アリアスは答えなかった。
塀の向こうへ目をやる。石を積んだ上端の先に、朝の空がある。空はもう、青白いもので端まで塗り潰されていた。そこに映っているのは、この場所だ。この祭壇と眼下の人垣と、この段の上に立つ白い鎧の男。
世界が、俺を見ている。
喉が、詰まった。
これは幻術だ。魔王が、俺の名を汚すために作った絵だ。そう言えばいい。民はそちらを信じる。今まで一度だって、俺の言葉を疑った者はいない。
アリアスは息を吸った。
「これは魔王の幻術だ! 惑わされるな!」
声が、塀の内側に響いた。
響いて、返ってきた。
空からだった。
アリアスの声が、頭上の像の中から降ってきた。半拍遅れて、同じ言葉が同じ声で。惑わされるな、と。
アリアスは口を開けたまま、動けなかった。
音まで運んでいる。
絵だけではない。俺が今この場で吐いた息が、そのまま聖都の広場に届いている。俺が何かを言えば、その一言残らず――。
舌が、上顎に貼りついた。
言い返せば言い返すほど、その声を運ぶのは向こうの術だ。黙れば、絵だけが残る。
段の下で、術式を維持していた魔術兵が、こちらを見上げていた。次の命令を待つ顔だった。アリアスはその顔から目を逸らした。
◇◇◇
籠が、重い。
焼き場から坂を二度折れて、大聖堂前広場まで運んでくる。朝の施しに出すパンは、いつも下の方が湿る。上に積んだ分の熱がこもって、布ごと蒸れるのだ。職員は籠を左の腰へ預け直し、布を捲った。焼けた麦の匂いが、湯気ごと顔に上がってくる。右手で一つを取り出した。
広場の東の端に、列ができている。
毎朝の顔ぶれだった。先頭は、履き物を持たない老人。足の裏の皮が地面の色に染まっている。その後ろに、去年から施療院に通っている娘。さらに後ろへ、日雇いの荷運び、双子を抱えた母、名前は知らないが右の耳が欠けた男。ここに来なければ、今日の一食がない者たちだ。
「今日は硬めに焼けていますよ」
職員はそう言ってパンを渡した。老人が礼を言って、皺だらけの手で受け取る。その手が籠の縁に触れる感触も、もう手のひらが覚えていた。
石畳は昨夜の雨で湿っている。井戸の脇では、女たちが桶を並べて順番を待っていた。滑車が軋み、桶の底が石を擦る。その音の間を、足音と低い話し声が埋めていく。背後には大聖堂の白い壁がそびえ、その影が列の半ばまで届いていた。
娘にパンを渡そうとしたとき、その顔が上を向いた。
職員も、つられて空を見た。
東の空が白み始めていた。その白の上に、別の色が滲んでいる。青白い、冷たい色だ。滲みは端から太っていき、赤い朝焼けを縁へ縁へと追いやりながら、大聖堂の尖塔の高さを越え、街の屋根という屋根の上を渡っていった。
列の誰かが、声を上げた。
職員の手から、パンが落ちた。
空が、変わった。
色のついた何かが、頭上いっぱいに広がっている。それが何なのか、分からなかった。絵に見えた。聖堂の壁に描かれた聖画のような。だが聖画は動かない。だがこれは、動いている。
輪郭が、揃っていく。
塀だ。石を積んだ高い塀とその内側に組まれた祭壇。祭壇の下に、細かいものが敷き詰められている。
あれは、人だ。
人が地面を埋め尽くして、区画ごとに分けられている。段の上には、白い鎧の男――勇者様が、右腕を上げ、掌を眼下へ向けて。
描かれたものではない。
空が、どこかを映している。いま起きていることを、そのまま。
人影の一つが、崩れた。
膝から落ちて、前へ倒れた。倒れた体から、湯気に似た白いものが抜けていく。それは風に散らずに真っ直ぐ段の上へ伸び、開かれた掌の中へ消えた。
倒れた者は、そのままだった。
起き上がらない。手をつく素振りもない。隣に立つ者が助け起こそうと屈み込み、その者も途中で崩れた。二つの体が重なって、動かなくなる。
三人目が落ちた。四人目が続いた。
誰も逃げない。走り出そうと身をひねった者から順に、その場へ落ちていく。
職員の口の中に、鉄の味が広がった。奥歯を噛みしめすぎて、頬の内側が切れていた。
――あれは、死んでいる。
井戸の水音が、途切れた。列の先頭で、老人がパンを持った手を下ろしている。誰かの咳が一つ落ちて、それきり音が絶えた。
「――ヤン!」
叫び声が、井戸の方から飛んだ。
職員は振り返った。三か月前に亭主を亡くし、以前は施しの列に息子と二人で並んでいた女だ。名前も、住んでいる通りも、息子が去年の冬に肺を病んだことも知っている。
女は桶を放り出して、両手を空へ伸ばしていた。
「あそこに私の息子がいる! あそこ! あの列の、後ろから三番目! ヤン!」
女の指が、空の一点を差している。
その指の先を、目線で追う。人影の顔まで、朝の空いっぱいの大きさで映し出されている。差された辺りに、痩せた少年が立っていた。両腕を体の脇に押しつけ、ただ呆然と立ち尽くしている。
あの子は――
職員は、自分の掲げた紙を思い出した。
『人手を求む』。若く、体の動く者。日当あり。その紙の前に、あの子が立っていた。まだ咳が抜けきっていないでしょう、と止めた。
だが、少年は聞かなかった。自分で名を書いて、母親の方へ駆けていった。
喉の奥が、塞がった。
あの紙を掲げたのは、人助けのつもりだった。
「嘘だ!」
背後で、別の声が上がった。
職員が振り向くと、日雇いの荷運びが空を睨みつけていた。両の拳を握り、顎を上げて。
「嘘だ、こんなもの……勇者様が、そんなことをするものか!」
「見えてるだろう!」
女が叫び返した。喉が裂けるような声だった。
「あそこに、あそこに私の子が――」
「黙れ!」
荷運びが女へ向かって踏み出した。
人が、動いた。
女を庇う者が間へ入り、荷運びの側に立つ者がその肩を掴んだ。井戸端の桶が蹴り倒され、水が石畳に広がる。誰かが誰かの襟に手をかけた。列は、もうどこにもなかった。
職員は籠を抱えたまま、その真ん中に立っていた。
足元で、落としたパンが踏まれていた。
職員は籠を地面に置いた。
施しの台に使っている木箱へ足をかけ、その上に立つ。人の頭が眼下に広がった。掴み合う背中の向こうで、誰かの腕がそれを引き剥がそうとしている。その足元を、倒れた者を跨いで別の足が通り過ぎていった。誰も上を見ていない。
息を吸った。
「落ち着いてください、これは――」
言葉が、そこで止まった。
教会の教えのどこに、この光景の説明があるのか。女神様の御心だと言えばいい。試練だと言えばいい。毎朝そう口にしてきた。順番待ちで押し合う者にも、薬をもらえずに帰る者にも、そう言ってきた。
その続きが、一つも出てこなかった。
口が開いたまま、声にならない。
石が飛んできた。
肩に当たった。乾いた音がした。誰が投げたのか分からないまま、次の一つが胸に当たる。腕が伸びてきて、外套の裾を掴んだ。引かれた。
足が箱から外れて、職員は地面に落ちた。
籠が蹴られて、パンが転がっていく。足の間から見上げた。木箱が倒れている。その上に立とうとした誰かが、別の誰かに襟を掴まれて引きずり降ろされた。
その時、空が喋った。
「これは魔王の幻術だ! 惑わされるな!」
声が、広場いっぱいに降ってきた。
揉み合っていた手が、いくつも止まった。顔が上を向く。同じ声が、もう一度落ちてきた。惑わされるな、と。像の中の白い鎧が口を開いていた。動きに合わせて、声が来る。
沈黙が、二呼吸ほど続いた。
「――幻術だ!」
誰かが叫んだ。
「幻術だと勇者様が仰った! これは魔王の幻術だ!」
言葉が、広場に伝わっていった。
職員は地面に座り込んだまま、それが広がるのを見ていた。空に向かって歪んでいた顔が、次々に別のものへ変わっていく。眉が下り、開いていた口が閉じ、目に力が戻る。
「私は勇者様を信じます!」
「勇者様!」
唱和が始まった。
最初は数人だった。それが二十人になり、五十人になった。声が揃うたびに音が厚くなり、広場の石を震わせる。拳が突き上がり、膝をついて祈り始める者が出た。
「あそこに私の子が――」
女の声が、その下から突き上がった。
だが唱和の方が大きい。もう一度叫んだ声も、次の唱和に潰された。三度目は、職員の耳にも届かなかった。
鉄の音が、広場の南から入ってきた。
白い外套の列だった。聖騎士団が三方から広場へ流れ込み、群衆の外側から輪を狭めていく。槍の柄が振られ、揉み合っていた者たちが押し戻される。
「秩序を乱す者は捕らえる!」
その声を、一人の男が突っ切った。
職員の三歩先を、痩せた男が走り抜けた。両手を空へ伸ばしている。指も差さず、誰も罵らず、頭上の一点だけを見て走っていた。
「兄貴! 兄貴!」
止まれ、と声が飛んだ。
男は止まらなかった。
剣が、横から入った。
男の体が半ばで折れ、前のめりに石へ倒れた。振り抜いた聖騎士が刃を戻し、次の者へ向き直る。倒れた男の指がまだ動いている。空の方へ伸びて、途中で止まった。
職員の膝が、地面から離れなかった。
あの男が誰なのか、分からない。勇者を信じていたのか、疑っていたのか。ただ、像の中にいる兄に手を伸ばしただけなのか。
石の上に、赤いものが広がっていく。
「離せ! 離せ、あそこに私の子がいるんだ!」
声の方へ顔を向けた。
女が二人の聖騎士に腕を取られていた。後ろ手にねじり上げられ、体を捻って抵抗している。取り押さえた腕の甲当てが、朝の光を弾いた。
「異端の言を撒く者だ。連れていけ」
「私の子だ! ヤンが、あそこに――」
引きずられていく。踵が石を擦り、片方の靴が脱げて残った。
職員は、その靴を見ていた。
この女は毎朝あの靴で列に並んでいた。底が薄くなって、雨の日は中まで濡れると言っていた。買い替えるお金がないと。職員は、施療院の余りの布を渡した。それで包めば少しは持ちますよ、と。
声が、遠ざかっていく。
広場の隅を回り、南の道へ入り、聞こえなくなった。
唱和は続いていた。
血の匂いがする。勇者を讃える声が、頭の上から降ってくる。石の上には、女の靴が片方だけ残っている。
職員は立ち上がろうとして、できなかった。膝が言うことを聞かない。手をついた石が冷たく、そこに他人の血が流れてきていた。
その視界の端に、一人の男が立っていた。
広場の北の端だった。逃げてもいないし、唱和にも加わっていない。腕を垂らしたまま、顔だけを空へ向けていた。
男の唇が動いていた。
職員は膝を引きずって、少しだけ近づいた。声は小さく、途切れ途切れだった。
「あれは幻術だ」
男が言った。
「勇者様が仰った。あれは幻術だ。だからあれは、うちのじゃない」
その視線の先を追った。
像の中、塀の内側の一区画。三列目の端に、女と、その足元にしがみつく小さな子どもがいた。子どもの髪の分け目まで、はっきり見えた。
「幻術だ。幻術だから、あれはうちのじゃない」
繰り返している。
同じ言葉を、同じ調子で。首も振らず、涙も出さず、目は開いたまま、声だけを出し続けている。
職員は、声をかけられなかった。
唱和の声が、また一段大きくなった。
男はそれにも加わらなかった。頭上へ顎を上げたまま、幻術だ、と言い続けている。
◇◇◇
赤い法衣が、石段を上ってきた。
アリアスは段の上から、それが近づいてくるのを見ていた。ベネディクトは裾を持ち上げてもいない。一段ごとに布が石を擦り、埃を巻き上げていく。
「勇者様」
最上段まで来て、ベネディクトが足を止めた。
「民衆を鎮静化してください。このままでは信仰が崩壊します」
「聞こえている」
アリアスは頭上から目を離さずに答えた。
像は、頭の真上にあった。塀の内側もその先の空も同じもので塗り潰されている。
「俺の声は、あの絵に乗った」
「乗っただけです」
ベネディクトが言った。
「ですが、あなたが黙れば像だけが残ります。像は消えません。人は見続けます。信仰は、一度の弁明では保ちません」
「ならばどうしろと言う」
「語り続けていただくほかありません」
アリアスは首を回した。
赤い法衣の男が、そこにいる。声は平らだった。だが法衣の胸元が、いつもより速く上下していた。
「お前が仕組んだ」
アリアスは言った。
「ここに集めろと言ったのはお前だ。塀を積んで、外から見えなくすれば済むと言ったのもお前だ。見えなくなっていないぞ」
「私は制度を設計しました。空を塞ぐ手立ては、聖教会の管掌ではありません」
「言い訳か」
「事実の確認です」
ベネディクトの目が、初めてアリアスを正面から捉えた。
「勇者様。この術を破れる者が、こちら側にいますか。いないのであれば、次の手を考えるほかありません。秩序を保つのが私の役目で、空を塞ぐのはあなたの役目です。私を責めても、絵は消えません」
アリアスは奥歯を噛んだ。
この男は、俺を責めてもいない。ただ、使えないものを数え上げている。俺もその数のうちに入っている。
「――勇者様!」
段の下から、側近の声が上がってきた。
今度は駆け上がってこなかった。中ほどで止まり、その場から報せを叫ぶ。
「街道の戦列が、押されています! 北の第二陣が下がり始めたと! 魔王軍の先鋒が、想定より速く――」
「聞こえている」
アリアスは遮った。
側近が口をつぐみ、頭を下げて段を下りていく。その背を見送りもせずに、アリアスは眼下へ目を戻した。
区画の民が、まだ立っている。
数千いる。この塀の内側だけで。掌を向けて術を通せば、力は入ってくる。今なら、街道を押し返せるだけのものが手に入る。
アリアスは右腕を上げかけた。
肘の高さで、腕が止まった。
上げれば、空に映る。
この掌が開くところも、区画の民が崩れるところも、聖都の空という空に映る。白塔区にも、教導区にも、門の外の市にも。俺が力を得るその瞬間を、世界中が同時に見る。
幻術だと言ったばかりだ。その口で言った直後に、同じことをして見せることになる。
腕が、下りた。
下ろしたのか、下りたのか。アリアスには分からなかった。
力が、要る。
だが取れない。目の前に数千の器が並んでいるのに、手を伸ばせば嘘が確定する。
アリアスは掌を見た。
汗が乾いて、白い筋が残っている。この手は、今まで一度も塞がれたことがなかった。欲しいものがあれば取ってきた。今まで、誰も見ていなかったからだ。
だが、今は見られている。
世界中の目が、自分に注がれている。
それが腹の底まで落ちて、冷たい塊になって居座った。
赤い法衣は、まだ段の上にいた。
何も言わずに、アリアスの止まった腕を見ていた。
◇◇◇
広場から、人が減っていった。
唱和の声が薄くなっていく。拳を上げていた者が、一人ずつ道へ抜けた。膝をついていた者が、泥のついた裾を払って立ち上がる。掴み合っていた二人は、どちらからともなく手を離し、目も合わせないまま別々の方角へ歩き出した。
額を割った男が、連れの肩を借りて出口へ向かっていた。裾で押さえた布が、赤く滲んでいる。すれ違う者は誰も手を貸さない。手を貸せば、同じ側だと見られる。
静まったのではなかった。人が、いなくなっただけだ。
職員は地面に座ったままだった。
目の前を、見知った靴が通り過ぎていく。毎朝並んでいた顔だった。目が合った者もいたが、誰も足を止めなかった。一人が籠の脇を通るとき、転がったパンを踏まないように少しだけ避けた。
職員はようやく膝を立て、パンを拾い集め始めた。
石の上に散ったそれは、泥と水を吸って重くなっていた。一つずつ籠へ戻す。踏まれて割れたものも、形の残ったものも、区別せずに入れていく。指先が汚れて、爪の間に黒いものが入った。
血の染みは、縁だけが黒ずんで、中は濡れている。あの男の体はもう運び出されていた。誰が運んだのかは見ていない。
靴が一つ、南の道の入り口に残っていた。
職員はそこから目を戻し、手元の籠に残りのパンを詰めた。
籠が満ちた。誰も受け取りに来ない。明日も同じ時刻に、同じ場所で配ることになっている。誰かが来るのかどうかは、分からない。
職員は空を見上げた。
像は、そこにあった。塀があり、祭壇があり、区画に分けられた人々が並んでいる。段の上の勇者様は、腕を下ろしたまま動かない。あの中に、ヤンがいる。生きている。指の先まで数えられる大きさで、今この瞬間も立っている。
女神様は、これを見ているのだろうか。
職員は、その問いを最後まで考えなかった。考えれば、答えが出る。出た答えを持って、明日この広場に立てるとは思えなかった。籠の持ち手を握り直すと、爪の間の泥が皮膚に食い込んだ。
北の端の男は、同じ姿勢のままだった。唇だけが動いている。
広場に残っているのは、その二人だけだった。
あとは、白い外套が出口ごとに一人ずつ。誰も引き上げていない。染みを背にした一人が、広場から出ていく者の顔を順に見送っていた。
頭上で、白い鎧が首を回した。
金の髪が、朝の光を弾いて肩の上を滑る。伏せていた顔が上がり、目が空の外へ――この広場へ落ちてきた。乾かない赤も、割れたパンの籠も、動けずにいる職員も、その視線の下にある。
口が、開いた。




