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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第四部:新生

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第187話:「3人の輝き」

 丸い視野の中で、白い鎧の列が、後ろへ傾きはじめていた。


 ゼノリスは国境境界帯の後背、なだらかに盛り上がった丘の上に立っていた。手にした遠見の魔導具を、北西の戦線へ向ける。丘の上からでは点にしか見えない兵の一人一人が、筒を覗けば、汗の浮いた頬まで映し出された。


 金具の縁が、掌の中で冷たかった。


 ゼノリスは筒を、まず左翼へ向けた。


 丸い視野の中に、味方の騎士団の杭の列がある。その前で、敵の聖騎士の隊列が、剣を抜いたまま動きを止めていた。一人が踏み込もうとして、足が止まる。別の一人が剣を振り上げて、振り下ろせない。誰かに押さえられたわけではない。敵兵の足元の影が、地に縫いつけられていた。


 その影の網の中心に、痩せた人影が一つ、立っていた。


 カイロだった。


 ゼノリスは【至極の理】を、その背へ注いだ。


 カイロの頭上に、星が浮かんでいた。


【黄金の星。☆☆☆☆☆☆/☆☆☆☆☆☆】


【万能の影】


 ゼノリスの呼吸が、一度浅くなった。


 あの治療室で見たときは、☆5の輝きだった。世界の理が許す、限界の数だった。それが、いま、☆6。到達できる限界と現在の実力が、同じ位置で並んでいる。カイロは、世界が定めた天井を自分の足で突き抜けていた。


 ゼノリスは筒を、中央へ滑らせた。


 味方の杭の列が、大きく前へ出ている。敵の中軍が、押し返されていた。その先頭に、小柄な人影があった。拳を振るうたび、敵の重装が砕け散る。剣が、鎧が、盾が、振り下ろされた拳の手前で粉になり、砂となって地へ落ちていく。


 セラだった。


 ゼノリスは頭上の星を見た。


【黄金の星。☆☆☆☆☆☆/☆☆☆☆☆☆】


【神域の身体】


 魔力を持たないと世界に断じられた身体が、いま、魔力のいらない完成形として輝いている。あの拳は、もう誰にも押し返されない。


 ゼノリスは筒の先を、右翼へ移した。


 右翼では、敵の魔術が宙で組み上がり、そのまま向きを変えて、組んだ本人へ逆流していた。聖騎士の放った炎が、聖騎士自身を焼く。その光景の中心に、銀に近い髪の人影が杖を地に立てて立っていた。


 シルヴァだった。


 星を見る。


【黄金の星。☆☆☆☆☆☆/☆☆☆☆☆☆】


【真理の眼】


 ゼノリスは遠見の魔導具から、目を離した。


 筒を下ろすと、戦場はまた遠い点の群れに戻った。だが、確かに見た。三人の頭上で、世界の理を超えた星が、等しく六つの光を放っていた。


――君たちの本質が、遂に解放された。


 あの日、泥の中で見抜いた輝き。器用なだけのゴミと罵られた影。魔力ゼロの欠陥品と捨てられた拳。異端と呼ばれ両目に呪印を刻まれた眼。あのとき私だけに見えていた真の力を、いま、三人は自分の手で掴み取っている。


 ゼノリスは、戦場へは向かわなかった。


 近づけば、声をかけたくなる。だが、いまはその時ではない。三人は、自分の力で限界を破ったばかりだ。その輝きに、王が手を添えてやる必要はない。ゼノリスは丘の上から、ただ見ていた。見ていることが、いまの自分の役目だった。


◇◇◇


 ゼノリスはもう一度、遠見の魔導具を目に当てた。


 戦線が、目に見えて押し返されていく。


 三人が空けた穴へ、味方がなだれ込んでいた。左翼では、カイロに動きを奪われた敵の一隊が崩れ、その綻びへ騎士団が踏み込んでいく。杭の列が、また一段北西へ進む。


 中央では、セラが敵の前衛を打ち破っていた。空いた一角へ、副団長のライカが飛び込む。もう一人の副団長のグラドが、その側面を締めた。セラが開け、二人が固める。敵の中軍が、面で崩れていった。


 右翼では、聖騎士団の攻めが止まっていた。その隙に、シルヴァ率いる魔術兵団が結界の一線を、敵陣のさらに前へ押し出す。結界の縁が、もう押し下げられない。


 地平の砂塵が、向きを変えはじめた。


 こちらへ向かって厚みを増していた帯が、いま、北西の地平の彼方へ後ろへ後ろへと退いていく。敵の旗が、一本また一本と倒れ、隊列の後尾から崩れていった。逃げ場を探して走る兵の背が、味方の杭の列から遠ざかっていく。八千が境界帯へ伸ばしていた丈が、急速に縮んでいった。


 ゼノリスは丘の上で、それを見ていた。


 三人が、八千を退かせている。回復しきらぬ身体のままで。治療室の寝台で天井を見ていた三人が、いま、世界の理を超えた力で国土の縁を守っていた。


◇◇◇


 ゼノリスの指が、筒の向きをわずかに下げた。


 退いていく敵の背を追っていた視界が、戦場の地面へ落ちる。勝ち戦の裏側が、丸い視野の中に広がっていた。


 戦線の一帯が、倒れた者で覆われていた。


 味方の騎士団の兵が、鎧を血に染めて倒れている。その先に、白い鎧の敵兵が幾人も折り重なっていた。敵味方の境はもう判らない。倒れた者の上に倒れた者が重なり、その隙間を、焼けた土と折れた武器が埋めていた。


 倒れているのは、兵だけではなかった。


 逃げ込もうとして間に合わなかった避難民たちが、土の上に散らばって倒れていた。逃げ場を求めて、めいめいの方角へ走った途中だったのだろう。後方から術式に追いつかれ、走っていた向きのまま、ばらばらに伏している。年寄りも、女も、子供も、兵と同じ土の上にいた。


 ゼノリスは伏した者を数えようとした。


 けれど、数えるのをすぐにやめた。視界の端から端まで、人が倒れていた。味方の兵も、敵の兵も、子を抱いたまま動かない母も、その手から離れて転がった小さな身体も。一つずつ数えれば、いつまでも終わらない。それほどの数が、勝った戦場の地面に伏していた。


 ゼノリスは筒から目を離さなかった。


 報告書の上では、これらはみな数だ。文字で読んだその数の中身が、いま、視野の向こうに横たわっている。一人ずつ、名があり、暮らしがあった。その一人ずつが、焼けた土の上で動かなくなっていた。


 倒れた人影のひとつに、銀に近い髪の者が、膝を折っていた。


 シルヴァだった。


 敵を撃ち返し、右翼を鎮めた手が、いま、倒れた一人のそばに置かれている。握ってはいない。ただ、添えているだけだった。覚醒した力は、敵の術式を撃ち手へ返した。聖騎士の炎を、聖騎士自身に吞ませた。だが、その力をもってしても、すでに止まった鼓動は戻らない。☆6に至った手のひらは、目の前の一人すら、生き返らせることはできなかった。地に伏した者の、ただの一人も。


 ゼノリスの目は、その背に据わっていた。


 覚醒の代償を、シルヴァは知ったのだ。世界の理を超えた力でも、戻せないものがある。その重さは、声をかけて軽くなるものではなかった。ゼノリスは近づかなかった。代わりに、その背が背負ったものを、目だけは逸らさずに見ていた。


 ゼノリスは筒を下ろした。


 勝った。八千は退いた。三人は限界を超えた。それは、確かなことだ。その確かさの隣に、数えきれない動かない者たちが、並んでいる。勝利と、間に合わなかったものとが、同じ戦場の同じ光の下にあった。ゼノリスはその二つを、どちらも目から逃さなかった。


 風が、丘の草を撫でて通り過ぎた。


 その風は、戦場の勝敗とは関わりなく吹いていた。三人が天井を突き破ったことも、この地面を無数の死者が埋めたことも、風には関わりがない。ただ、いつもの速さで、北西から南へ抜けていった。


◇◇◇


 南へ続く街道に、馬の蹄が乾いた音を刻んでいた。


 ガルムは荷馬車の御者台の隣に腰を据え、進む先の地平を見ていた。街道の両側は、まだ刈り入れ前の畑だった。穂の伸びはじめた畝が、風に低く波打っている。その穏やかさが、かえって不穏だった。ここはまだ、戦が触れていない。だが、触れる前の静けさだと、ガルムは知っていた。


 荷台の奥で、ノアが地図を広げていた。膝の上に広げ、街道沿いの一点を指でなぞっている。出発してから、ずっと、同じ場所を確かめ続けていた。


「ノア」


 ガルムは振り向かずに名を呼んだ。


「北西は、どうなったと思う」


「もう、決していると思います」


 ノアは地図から目を上げずに答えた。


「カイロさんがいます。ヴェルナーさんの組んだ線もあります。あの二人が回す盤面なら、八千でも、止まる形に収まります。……問題は、北西ではなく、こちらです」


 ノアの指が地図上の、街道の先の一点で止まった。


 そのとき、ノアの傍らに置いてあった、通信魔道具が低く震えた。


 ノアは地図を片手で押さえたまま、魔道具に触れた。刻印に魔力を通す。わずかな間があって、装置の向こうから、短い報告が返ってきた。ノアは黙って聞いていた。聞き終えて、息を整えた。


「北西、勝ちました」


 ノアは言った。


「カイロさん、セラさん、シルヴァさんが、敵の主力を退かせたそうです。侵略軍は、北西の戦線から後退に入りました」


 ガルムの厚い肩が、一度大きく上下した。


「そうか」


 短い返事だった。だが、その一言に、こもったものがあった。ガルムは前を向いたまま、掛けていた巨大な盾の縁を、掌で一度確かめた。


「あの三人が……やったか」


「ええ。三人とも」


「……わしらも、必ず」


 ガルムは地平の先へ目を据えた。


「あの坊主たちが北西を守ったなら、この南は、わしとお主で守る。守りきる。それだけのことじゃ」


 ノアは地図を巻き取り、地図筒に収めた。蓋を閉める手が、いつもより少し速かった。


「次は、僕たちの番です」


 ノアは静かに言った。誰に聞かせるでもない、自分への確認のような声だった。


 馬車が、街道の緩い下りにさしかかる。その先に、まだ姿を見せない軍勢の気配が、街道の地平の向こうで薄く凝りはじめていた。


◇◇◇


 丘を下りたゼノリスのもとへ、軽い足音が近づいてきた。


 振り向くと、セレナだった。藍色の瞳が、丘の下の道から、まっすぐにゼノリスを見上げている。手には、一枚の紙が握られていた。


「ゼノ様!」


 セレナはゼノリスの前で足を止めた。息が少し上がっている。急いで来たようだった。


「報せが届きました。北西の侵攻と同じ刻に……南の街道沿いで、もう一つの軍勢が動いていました。それが、いま、南の国境へ向かっています」


 ゼノリスは紙を受け取った。


 諜報連携を担うリゼットの筆だった。ゼノリスは、その文面を読み上げた。


「南の街道沿いに、別働の軍勢。規模は北西に及ばぬが、すでに進発している。南の国境への到達は、間近」


 読み上げる声が、途中で低くなった。北西の八千とは別の手が、同じ盤の上で動いている。三人が勝ったその刻に、南ではもう、次の戦が口を開けはじめていた。


「報告では、ガルムとノアが南へ向かっています」


 ゼノリスは紙から目を上げた。


「二人が間に合えば、南の入り口で食い止められる」


「はい」


 セレナは頷いた。それから、ゼノリスの隣に並んだ。


「私も、ご一緒します」


 手ぶらになった両手を、前で軽く重ねている。問いではなかった。すでに決めた者の立ち方だった。ゼノリスは黙って、それを受け入れた。


 北西の空に、まだ薄く煙が残っている。その煙の下で、三人が限界を超え、勝った。だが、勝ったその刻に、南の地平が、もう次の戦を孕んでいる。一つの勝利が、次の戦の始まりと、地続きで繋がっていた。


 ゼノリスはセレナと並んで、南の方角へ目を向けた。



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