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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第四部:新生

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第180話:「防衛体制の構築」

 赤い印が、五つ。


 執務室の机に広げられた戦況図の上で、新しいインクの三つが、北西の国境境界帯に並んでいた。南の街道沿いに二つ。乾ききっていない印の一つから、滲みが印の縁まで広がっていた。四隅に置かれた文鎮が、紙の表面をぴんと張り上げている。


 ゼノリスは机の脇に立っていた。


 広場から戻って、まだ外套を脱いでいなかった。袖の裾に朝の冷気が残っている。指先だけが、暖まりきっていなかった。


 机の対面に、戦術戦略部副部長のヴェルナーが立っている。魔人族の男。背は高くないが、姿勢が崩れない。手元には筆記具と、小さく折りたたまれた地図の控えがあった。


 その左にライカ。肩幅が広い獣人族の女が、いつもより前に出ていた。腕を組んでいる。組んだまま、地図の北西の赤い印を見ていた。


 右にエルネス。エルフ族の細い指が、地図の縁にそっと触れていた。触れているだけで、まだ動かしていなかった。


「報告します」


 ヴェルナーが口を開いた。


「諜報からの分析を整理しました。勇者軍の本隊は聖都ルメナへ戻りつつあります。ただし、後方の集結地から街道伝いに別動隊が展開する兆候が出ています。北西の境界帯、ここと、ここと、ここ」


 ヴェルナーの指が、赤い印を順に押さえた。三度。机に当たる音は、いずれも同じ角度、同じ強さだった。


「南の街道沿いにも二つ。物資の動きから判断して、次の侵攻は十日以内。早ければ、七日」


 ライカの腕が、組んだまま固くなった。腕の内側で、革の手甲が小さく擦れる音がした。


「七日……」


 ライカが繰り返した。


「はい」


 ヴェルナーは表情を変えなかった。


 ゼノリスは地図に目を落とした。三つの赤い印は、それぞれ別の街道に向かっている。同時に動けば、迎撃の線は三本要る。守護隊が南で街道を抑えても、北西が空く。魔術兵団が北西に張れば、城の正面が薄くなる。


「七日で全線は張れません」


 エルネスが、初めて声を出した。指の腹が、地図の縁から離れた。


「魔術兵団の残存戦力で、結界を三線同時に維持するのは難しい。一線、長くて二線。それも、術師の交代制を組まなければ二日と保ちません」


 エルネスの言葉は途切れなかった。その代わりに、声の温度が低かった。冷えた湖面に石を置くような、平らな冷たさだった。


 ゼノリスは、エルネスの細い指の先を見た。指は、地図の北西の印から少し離れた位置に止まっていた。シルヴァなら届く距離。エルネスでは、届かない距離だ。


「騎士団は」


 ゼノリスは尋ねた。


 ライカが、顔を上げた。


「残っているのは、二百八十名です。遠征前の半数を割っています。動ける者は、その中の二百と少し」


 ライカは答えた。声が、途中で詰まったが、口の端を引き締めて、続けた。


「それで、街道一本は抑えれます」


 ゼノリスは頷かなかった。代わりに、ライカの目を見た。


 窓の外で、城門の上の旗が一度、風に鳴った。布が石壁を擦る、乾いた音だった。


「いや、街道二本」


 ライカは付け足した。声が、最初より硬かった。


「無理を言うな」


 エルネスではなかった。ヴェルナーだった。視線は地図の上に落としたまま、ヴェルナーは言った。


「数で押さえるのは、騎士団の役目ではありません。残存戦力でその数を出せば、次の戦いで五十は失います」


 ライカの視線が、ヴェルナーの横顔に止まった。瞬きをしなかった。喉の奥で、息を一度、飲み込む音だけがした。


 革の手甲が、もう一度、内側で擦れた。


◇◇◇


 扉が叩かれた。


 乾いた一打と、それより少し遅れた、もう一打。叩き方が違う。最初は短く硬く、二打目はわずかに低い。重なって聞こえる、二人分の合図だった。


「どうぞ」


 ゼノリスは応じた。


 扉が開いた。


 先に入ってきたのは、獣人族の男だった。守護隊副隊長のバルカ。首が太く、腕の付け根まで筋が太い。靴底が床を踏む音が、他の誰よりも重かった。


 その後ろに、エルフ族の細身の女が続いた。守護隊副隊長のミレイナ。バルカと違い、足音がほとんどしない。入ってきた、ということが、空気の流れの変化だけで伝わった。


 二人は机の手前で立ち止まり、同時に頭を下げた。動作が揃っていた。揃え合ったのではなく、長年同じ場所に並んで立ってきた者同士の揃いだった。


「ゼノリス様」


 バルカが顔を上げた。


「守護隊、城の防衛配置について、案を持ってきました」


 バルカは懐から、折りたたまれた紙を取り出した。机の戦況図の隣に、城内の見取り図を広げた。城門、城壁、東面、西面、南面、北面。各面に、駒の代わりに小さな印が打たれていた。


「私とミレイナで、預かっている兵で組める線を、もう一度引き直しました」


「……聞かせください」


 ゼノリスは答えた。


 バルカの手が、見取り図の南面に置かれた。掌が大きく、印の半分が隠れた。


「南面に、盾列を三段。城門前から、街道入口までを抑えます。これは、私の隊で」


「東面と北面は」


「私が見ます」


 ミレイナが、声を出した。低くも高くもない、平らな声だった。


「後送線を東面に二本、北面に一本。施療班との接続点は、すでに施療長官と話を通してあります」


「いつ?」


 ゼノリスは尋ねた。


「昨夜です」


 ミレイナは答えた。それ以上、付け足さなかった。


 ゼノリスは、ミレイナの右手を見た。指の腹にインクの痕が残っていた。新しい痕だった。昨夜のうちに、何度も施療室と守護隊詰所を往復して、紙の上に線を引いたのだろう。


 バルカが、地図の上で指を一度、強く押し当てた。


「我々は、城に残っていました」


 バルカは言った。声が、ひとことごとに重くなった。


「だから――今度は、我々が出ます」


「バルカ!」


 ミレイナの声だった。


 バルカは、続けようとした言葉を、一度飲み込んだ。飲み込んだあとで、もう一度、口を開いた。


「ガルム隊長が、戻られるまで。私たちで」


 ゼノリスは、答えなかった。言葉が出なかった。


 ヴェルナーが、地図の上に身を乗り出した。


「お二人の案を、戦況図と重ねさせてください」


 ヴェルナーの指が、城内の見取り図と、魔王国全体の戦況図の境を辿った。


「守護隊は、城の防衛線として、ここまでが手薄になっていない。バルカ副隊長の盾列、ミレイナ副隊長の後送線、いずれも、遠征に出ていないぶん、崩れていない」


 ヴェルナーは、いったん指を止めた。


「ですが」


 次の一語に、部屋の重心が動いた。


 ヴェルナーは、戦況図の北西の赤い印を、指で押さえた。次に、城の北面に指を移した。指の動きが、一本の線を引いた。北西の境界帯と、城の北面を結ぶ線だった。


「この線を、守護隊だけで支えるのは、無理です」


 言葉が、机の上に落ちた。


「遠征で疲弊した魔術兵団と騎士団の残存戦力。それと、城に温存されていた魔術兵団、騎士団、守護隊の防衛線。この二つを、どこで、どう接合するか。それが決まっていない」


 バルカが、地図から目を上げた。


 ヴェルナーは、バルカを見ず、続けた。


「城に残った兵は、動ける。遠征に出た兵は、存分には動けない。この二つを同じ陣で組ませれば、疲弊した側の崩れが、無傷の側まで波及します」


 エルネスの指が、地図の縁から、戦況図の中央に滑った。北西の印の手前、ちょうど境界帯の入口あたりで止まった。


「術式も、同じです」


 エルネスは静かに言った。


「城に残った魔術兵は、術式の精度が落ちていない。遠征から戻った魔術兵は、魔力の回復に時間がかかっている。同じ陣を組ませても、片側の維持時間の半分になります」


 ライカが、組んでいた腕を解いた。腕は下げたが、拳は握ったままだった。


 バルカは、もう一度、地図の上に手を置いた。先ほどよりも、強く押した。指の関節が、白かった。


「我々の兵は、遊ばせていたわけではありません」


 バルカは言った。低くも、強くもなかった。ただ、はっきりと言った。


「毎日、城壁の上にいました。城門の前に立っていました。それでも――遠征には、行けなかった」


 ミレイナが、顔を上げた。


「バルカが城を離れれば、守護隊の指揮が空きます」


 ミレイナは言った。声は変わらなかった。低くも高くもない、平らな声のままだった。


「私たちの役目は、城を守ることです。出ることではありません」


「ミレイナ」


 今度は、バルカが呼んだ。


「お前は、後ろを守れ。前は、俺が出る」


「副隊長が二人とも自分の役目から外れれば、守護隊は隊長と副長を、同時に欠くことになります」


 ミレイナは引かなかった。バルカは、ミレイナを見た。ミレイナは、地図の方を見ていた。バルカの目には、もう応えなかった。


 ゼノリスは、二人の間に置かれた、二枚の地図を見ていた。バルカの掌は、戦況図の北西を覆っていた。ミレイナの指は、見取り図の後送線の端で止まっていた。


 部屋の空気が、落ちた。


 窓枠の影が、いつのまにか、地図の上で少し長くなっていた。窓の外で、光の角度が変わっていた。


◇◇◇


「では、私から」


 声を上げたのは、ライカだった。


 組んでいた腕を、もう完全に下げていた。拳は、もう握っていなかった。代わりに、両手のひらが、机の縁に置かれていた。指の先が、戦況図の端に届いていた。


「騎士団は、街道一本を抑えます。残存戦力で。北西の街道一本に絞る。守護隊の盾列より外側、城門に最も近い線です」


 ライカの声は、最初に『七日』と繰り返した時よりも、強かった。


「街道二本は、撤回します。先ほど、ヴェルナーさんに止められた通りです」


 ヴェルナーは、ライカを見た。


 短い沈黙があった。ヴェルナーは、頷きも否定もせず、地図の街道に目を戻した。


「一本なら、戦死と長期離脱を合わせて、許容できる範囲に収まります」


 ヴェルナーが、初めて評価した。


 ライカは、続けた。


「五人が戻られるまで、この一本は、私が抜けさせません。セラ団長が戻られた時に、引き継げるように残します」


 ゼノリスは、ライカの両手を見た。机の縁に置かれたまま、震えていなかった。声も、震えていなかった。


「お願いします」


 ゼノリスは、答えた。


「ですが、ヴェルナーさん、ライカさん」


 ゼノリスは続けた。


「許容できる範囲、という言葉は、私は使いたくありません。一人でも多く、帰還させてください」


 ライカは、頭を下げかけて、止まった。それから、改めて、深く頭を下げた。


「……はい」


 ヴェルナーは、ライカと違って、頭を下げなかった。代わりに、控えの地図に、新しい一筆を入れた。先ほどよりも、慎重な角度だった。


 その隣で、エルネスが指を動かした。地図の北西の印から、城の北面まで、指で線を引く。バルカの指が引いた線と、同じ場所だった。


「結界は、北西の境界帯に一線だけ張ります。最大火力ではなく、維持時間を優先した組み方で。術師の交代制を、私が組みます」


 エルネスの声は、前半の冷たさと、同じだった。温度がなかった。だが、内容は変わっていた。出来ないと言うところから、何が出来るかを言うところへ、移っていた。


「わかりました。お願いします」


 ゼノリスは、答えた。


 ゼノリスは、机の上の三枚の紙を見た。戦況図、見取り図、そしてヴェルナーが持ってきた小さな控えの地図。三枚の紙の上で、それぞれの隊の手が、それぞれの場所を押さえていた。


「ここからは、各省庁との連携です」


 ゼノリスは、口を開いた。


 部屋の中の四人が、ゼノリスを見た。


「行政長官のラガンさんに、避難誘導と徴用の手続きを依頼します。北西の境界帯沿いの集落と村々。避難先は城下の南東区画。割り当ては、戸籍記録と照合の上、行政府に組んでもらうよう、お願いします」


 ヴェルナーが、控えの地図に書き付けを入れ始めた。


「商会頭領のミレッタさんに、補給輸送と物資の集積。東の中継商隊との連絡網を強化する。輸送路の優先順位は、ミレッタさんに任せます」


 ヴェルナーの筆が、止まらなかった。


「工務長官のグロームさんに、武具補修と城壁の点検。北面と南面の補強を最優先。資材の発注は、ミレッタさんの輸送計画と接続させる」


「施療長官のセフィリアさんに、後方救護の配置。ミレイナさんの後送線と接続点を、セフィリアさんの方でも追認していただく」


 ミレイナは、答えなかった。だが、見取り図に視線を戻した。指は、後送線の端から動かなかった。


「全員に、文書で正式な要請を今日中に出します」


 ゼノリスは、そこで一度、息を吸った。


「動きます」


 部屋の中で、最初に動いたのはヴェルナーだった。控えの地図を畳み、筆記具を腰に戻した。一礼して、扉の方へ向かった。執務室を出ていく姿が、廊下の薄い光の中に消えた。


 その背中の少し後ろから、廊下を走る伝令の足音が聞こえた。一人ではなかった。二人、三人、間を置いて、また一人。それぞれが、それぞれの省庁に向かっていく音だった。


 ゼノリスは、窓の方に目を移した。


 朝の冷気が、ようやく薄れていた。城門の上の旗が、さっきよりも、はっきりと風を孕んでいた。城下の屋根の下から、薄い煙が幾筋か立ち上っていた。竈に火を入れる時刻だった。煙の一筋一筋の下に、一つずつの竈があり、一人ずつの民がいた。


 その煙の下を、伝令の足音が縦に駆け抜けていく。


◇◇◇


 日が、傾き始めていた。


 窓の外の光が、机の上を斜めに横切っていた。窓枠の影が、地図を半分以上覆っていた。執務室の燭台に、まだ火は入っていない。窓から入る光だけで、机の上の紙が読めた。


 ゼノリスは、机の前に座っていた。


 午前と違って、机の上には地図が一枚しか広がっていなかった。戦況図ではない。各省庁から戻ってきた、最初の報告書を束ねた紙の上に、見取り図が一枚、置かれていた。


 その見取り図の上に、ミレイナの指が置かれていた。


 ミレイナは、先ほどと同じ位置に立っていた。指の位置だけが、後送線の端から、東面の中央へ移っていた。新しいインクで、線が引き直されていた。


 その向かい側に、バルカが立っていた。


 バルカの手は、地図の上にはなかった。腰の後ろで組まれていた。組まれた手の指が、わずかに動いていた。


「東面の盾列を、二段増やしたい」


 バルカが、口を開いた。


「ヴェルナーさんの計算では、北西の侵攻が本命だ。だが、東から回り込まれる線が、消えたわけじゃない」


「東面は、私の後送線が通る面です」


 ミレイナが、答えた。


「盾列を二段増やせば、後送線の幅が、半分になります。負傷者の運搬時間が、二倍に伸びる」


 ミレイナの指が、見取り図の後送線の上で、ひとつだけ動いた。線の中ほど、東面の中央。そこで止まった。


「半分になっても、通る」


 バルカの手は、腰の後ろで組まれたまま、動かなかった。組まれた指の関節だけが、白かった。


「二倍に伸びれば、間に合わない者が出る」


 短い言葉の応酬だった。


 二人とも、声は荒げなかった。ただ、それぞれが、自分の見ている線を譲らなかった。


 ヴェルナーは、扉の脇に立っていた。両手は前で軽く組まれ、口を挟まなかった。


 ゼノリスは、机の上の見取り図を見ていた。


 バルカが見ている線は、東面に張り出した盾列だった。ミレイナが見ている線は、その盾列の隙間を縫って、城の内側まで伸びる後送線だった。二本の線は、見取り図の上で交差していた。交差する点が、東面の中央だった。


「ヴェルナーさん」


 ゼノリスは、口を開いた。


「はい」


「東面の侵攻確率は、どれほどですか」


「北西を七割、南を二割、東を一割、と私は読んでいます。ただし、一割は、ゼロではありません」


 ヴェルナーは、淡々と答えた。


 ゼノリスは、視線を見取り図に戻した。


 バルカの『盾列を増やす』も、ミレイナの『後送線を守る』も、それぞれが自分の役目の範囲では正しかった。バルカは攻撃を弾く。ミレイナは負傷者を運ぶ。二人とも、自分の役目を、自分の手の届く形で、果たそうとしていた。


 ゼノリスは、机の縁に指を置いた。


「バルカさん」


 ゼノリスは、声を出した。


「はい」


「あなたが城に残ったのは、私の命令です。あの判断は、間違っていなかったと、私は思います」


 バルカは、答えなかった。腰の後ろの手の指が、一度、強く握られた。それから、ゆっくり、開いた。


「ミレイナさん」


「はい」


「後送線を守る判断も、私の決裁の範囲内です。負傷者を運べない線は、線ではありません。あなたの判断は正しい」


 ミレイナは、頷かなかった。だが、指が、見取り図の上で、わずかに引かれた。後送線の端を、もとの位置に戻すような動きだった。


「ただ」


 ゼノリスは、続けた。


「東面の一割を、無視するわけにもいきません」


 二人とも、答えなかった。


「盾列を二段、増やします。ただし、後送線の幅は、削らない。盾列を、後送線の内側に、もう一列引き直してください。バルカさんの兵で、外側の盾列を厚く。ミレイナさんの後送線は、その内側の盾列に守られる形で、幅を保つ」


 ヴェルナーの目が、わずかに動いた。


「ぎりぎりです。ですが、兵の数は足ります」


 ヴェルナーは言った。


「バルカさん」


 ゼノリスは、もう一度、バルカを見た。


「兵の配置、組み直していただけますか」


 バルカは、しばらく動かなかった。腰の後ろの手が、もう一度、握って、開いた。


「……はい」


 短い返事だった。


「ミレイナさん」


「はい」


「後送線、そのままで結構です」


「……承知しました」


 二人は、視線を交わさなかった。


 バルカは、自分の見取り図を手に取り、東面の盾列の印を、もう一段、書き足した。ミレイナは、後送線の線を、改めて辿り直していた。二人の手は、別の場所を触っていた。だが、同じ見取り図の上にあった。


 ゼノリスは、深く息を吐いた。


 救えてはいない。負い目は、二人の中に残っている。バルカが『私たちが出ます』と言った言葉も、ミレイナが『私たちの役目は城を守ること』と言った言葉も、どちらも撤回されていない。ただ、二つの線を、同じ見取り図の上で、両立させただけだった。


 それで、よかった。


 完全な和解は、今日でなくていい。それは、五人が戻ってからの話だった。


 窓の外で、陽が、城門の屋根の向こうに沈み始めていた。


 窓枠の影が、地図を覆い切る寸前で止まっていた。執務室の燭台に、ゼノリスの手が伸びた。芯に火が入り、机の上の紙が、別の色に染まり始めた。


 その時、廊下から、足音が来た。


 他の伝令の足音とは、違った。歩幅が短い。足音そのものが、ほとんどしない。それなのに、近づいてくる速さだけが、はっきりと分かった。


 扉が、外から軽く叩かれた。一打だった。


「リゼットです」


 扉の向こうから、声がした。


「どうぞ」


 ゼノリスは、応じた。


 扉が開いた。


 獣人族の女が、入ってきた。小柄で身軽だった。瞳孔が縦に細く、執務室の燭台の光の中で、わずかに広がっていた。


 戦術戦略部副部長のリゼットは、机の手前で立ち止まり、頭を下げた。


「報告です」


 リゼットは、顔を上げた。


「聖都ルメナにいる諜報員から、信号が入りました。勇者が、再び動き出した、と」


 言葉は、短かった。


 ゼノリスは、机の上の見取り図を見た。バルカとミレイナの線が、ようやく一枚の紙の上で重なった、その見取り図を。


 窓枠の影が、その線の上に、長く落ちていた。



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