↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第四部:新生

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
177/209

第177話:「治療の開始」

 扉を開けた。


 カイロが、寝台の上にいた。


 上体を起こせていない。仰向けのまま、首だけがゼノリスの方を向いていた。動かそうとして、止まったのが分かった。


 ゼノリスは部屋に入り、扉を閉めた。救護員が一人、壁際で術式の確認をしていた。青白い光が、カイロの胸の上で淡く揺れている。


「……起こして、すみません」


「いいえ」


 カイロが言った。空気が少ないのか、声が普段より低い。


 ゼノリスは寝台の傍に立った。椅子を引こうとしたが、やめた。立ったまま、カイロを見た。


「状態を聞かせてください」


「力が、戻っていません。……【万能の影】を使おうとすると、消えます。今も……です」


 短く、正確だった。報告の声だった。それでもわずかに、語尾が途切れた。


「他は」


「腕が、あまり上がりません。右の方が悪い。……あとは、頭が少し、うるさい」


 うるさい、という言葉が、どういう状態を指すのか、ゼノリスには分からなかった。


「分かりました。休んでください」


「……一つだけ」


 カイロが言った。ゼノリスは動かなかった。


「拠点に、まだ残っている者がいます。ライカが来ましたが、全員は収容できていない。……俺が残った者の数を、伝えておかなければ」


「大丈夫です。報告は受けています」


 カイロの目が、わずかに細まった。


「……そうですか」


「あなたが気にすることではありません。今は特に」


 ゼノリスは言った。柔らかく言ったつもりだったが、どう届いたか分からなかった。カイロは何も言わなかった。天井を見た。目が、そこで止まった。


 ゼノリスは一度、カイロの右手の傍に目を落とした。手が、布の上に置かれていた。指先が、わずかに動いた。何かを握ろうとして、止まった。


「……ゼノリス様」


「何ですか」


「俺は、何もできませんでした」


 ゼノリスは答えなかった。


 カイロが続けた。


「打てる手は、ありました」


 息を、一度切った。


「光が落ちた後、判断を誤りました。退避の指示が遅れた。石壁が崩れる前に、退かせられたはずです」


「それは、今話すことですか?」


 声に、責める色を出さないように言った。カイロは黙った。


「あなたが判断した結果が、今ここにある。生きている者たちも多くいる。それが、いま私に見えているものです」


 カイロは何も言わなかった。ゼノリスも続けなかった。術式の光が、静かに揺れていた。


「……休んでください」


 ゼノリスはそう言って、扉に向かった。扉を開ける前に、カイロの声がした。


「……はい」


 それだけだった。


◇◇◇


 廊下に出た。


 五つの扉が、並んでいた。それぞれの扉の隙間から、術式の光が滲んでいる。色が、少しずつ違った。カイロの部屋の青白い光より、三つ目の扉からは光が多く重なって、やや白に近かった。四つ目は安定している。五つ目だけ、光の揺れ方が不規則だった。


 廊下の角から、足音が来た。


 施療長官のセフィリアが、書類を脇に抱えて歩いてきた。白衣の裾が、足早の動きに合わせて揺れている。長い耳が、廊下の奥へわずかに傾いた。音を拾っている。ゼノリスを見て、足を止めた。


「ゼノリス様」


 セフィリアが頭を下げた。静かな声だった。


「状況を」


「はい。カイロさんは意識があります。……ただ、全身に打撲と裂傷が多いです。肋骨にも損傷があります。魔力の循環もまだ戻っていません。今夜は予断を許さない状態です」


「他の四人は」


 セフィリアが書類を開いた。目を落とさずに答えた。


「セラさんは眠っています。肋骨が二本、折れています。あとはひびも何か所か入っています。全身に打撲も多いです。……回復の術式で対処していますが、しばらくは安静が必要です」


 ゼノリスは頷いた。セフィリアが続けた。


「シルヴァさんは意識があります。ただ、術式への反応がまだ薄いです。魔力を組もうとするたびに、手が止まっています。……本人も自覚していますが、それを口にされません」


「……そうですか」


「ガルムさんは、先ほど目を開けました。呼びかけには応じています。……ただ、全身への負荷が大きいです。右腕は盾を持ち続けた影響で筋が複数傷んでいます。左側にも打撲が多数あります。しばらく盾は持てません」


 ゼノリスは廊下の壁を見た。石の冷えた色だった。


「ノアさんは……一番、時間がかかるかもしれません」


 セフィリアの声が、ここだけわずかに落ちた。


「頭部に強い衝撃を受けています。意識が戻っても言葉が続かない様子でした。何かを言おうとして、途中で止まってしまいます。……今は眠っています」


 廊下が、静かだった。


 ゼノリスは動かなかった。セフィリアも動かなかった。五つの扉から、光が滲んでいた。


「回復の見通しは」


「全員、命に別状はありません。……回復には個人差があります。一週間から、長ければひと月。無理をさせなければ、全員戻ります。ただ、みなさまの『力』がいつ戻るかは、……わかりません」


「そうですか。……分かりました。引き続き、お願いします」


「はい」


 セフィリアが頭を下げた。踵を返しかけて、一度止まった。振り返らないまま言った。


「……ゼノリス様も、今夜は休んでください。あなたが倒れたら、私たちの術式が追いつきません」


 ゼノリスは答えなかった。セフィリアは振り返らず、廊下の奥へ歩いていった。白衣の背中が、扉の向こうに消えた。


◇◇◇


 三つ目の扉の前に来た。


 光が最も多く重なっている部屋だった。シルヴァがいる。ゼノリスは扉に手をかけた。


 けれど開けなかった。


 手のひらだけを、扉の木の面に当てた。冷たかった。木の目が、指の下でわずかに粗かった。


 シルヴァが術式を組もうとするたびに手が止まっている、とセフィリアが言った。本人は自覚している。


 ゼノリスには、その状態が分かった。分かりたくなかったが、分かった。何かを組もうとするたびに消える。それでも組もうとする。消える。また試みる。それを繰り返して、どこかで諦める。諦めたことが、分かる。その分かり方が、重い。


 扉から手を離した。


 今、入っても何も言えない。言えることがない。ただの励ましは嘘になる。だけど、何も言わなければ、ただ重さを増やすだけだ。


 ゼノリスは扉から一歩引いた。


◇◇◇


 セレナが来たのは、それから少ししてのことだった。


 廊下の奥から足音がした。迷いのない足取りだった。ゼノリスはシルヴァの扉から視線を外した。


 両手で湯気の立つ器を持って、セレナが歩いてきた。ゼノリスの顔を見て、少し目を細めた。


「飲んでください」


 差し出された器を、ゼノリスは受け取った。温かかった。指の冷えが、じわりと戻ってくる。


「……ありがとうございます」


「いつからここに?」


「少し前から」


 セレナは答えを聞いて、それ以上聞かなかった。ゼノリスの隣に来て、扉を見た。五つの扉。光が滲んでいる。


 もう一度、器の縁に口をつけた。薬草の少し苦い味がした。


「シルヴァさんのことを、考えていましたか」


 問いではなかった。確認だった。


「……入れなかった」


 ゼノリスは小さく呟いた。


「今は、言える言葉がない。入っても、重さを置いてくるだけだ」


 セレナは黙っていた。すぐに返さなかった。廊下の冷気が、二人の間にあった。


「言葉がなくても、いいんじゃないですか」


 静かな声だった。


「いるだけで、十分なことがあります」


 ゼノリスは器を見た。湯気が細く立ち上っていた。


 そうだろうか、と思った。自分が入ることで、シルヴァが何かを取り繕わなければならなくなるなら、それは重さを増やすだけだ。だが、セレナの言葉には根拠がある。セレナは人の傍にいることを、ゼノリスよりずっとよく知っている。


 ゼノリスは器の中身を飲み干し、セレナに返した。


「……少し、待ってください」


 扉の前に立ち、一度息を吸った。


 扉を、開けた。


◇◇◇


 シルヴァは寝台の上に座っていた。


 上体を起こして、壁に背をもたせかけている。杖を膝の上に横たえて、両手でその柄を持っていた。ゼノリスが入ってくるのを見た。表情は動かなかった。


 ゼノリスは部屋に入り、寝台の傍の椅子を引き、座った。


 何も言わなかった。


 シルヴァも言わなかった。杖の柄に置いた指が、わずかに動いた。何かを刻もうとするように、止まった。また動いた。また止まった。


 術式を組もうとしている。


 ゼノリスにはそれが分かった。だが、何も言わなかった。


 指先に、淡い光が灯った。一瞬だった。次の瞬間には、消えていた。シルヴァが、それを見ていた。瞬きをしなかった。光が消える瞬間を、最後まで見ていた。


 隣の部屋で、誰かが動く気配がした。


「……ゼノ様」


 シルヴァが口を開いた。視線は、杖の上にあった。


「私は今、何もできません。術式も……」


「知っています」


「……それでも、来てくださったんですか」


 ゼノリスは答えなかった。シルヴァが顔を上げた。ゼノリスと目が合った。


「組めなくても、あなたはここにいる」


 ゼノリスは言った。


「それだけです」


 シルヴァは何も言わなかった。目が、また杖に落ちた。指先が、柄の上で止まっていた。


 部屋に、静けさだけが残った。


◇◇◇


 廊下に戻ると、セレナはまだそこにいた。


 空になった器を両手に持って、壁を背にして立っていた。ゼノリスが出てくるのを見て、器の縁を少し強く握った。


 ゼノリスは扉を閉めた。


「……ありがとうございます」


「いいえ」


 セレナは首を振った。それから、少し間を置いて言った。


「ゼノ様」


「何ですか」


「泣いてもいいんですよ」


 ゼノリスは動かなかった。廊下の冷気が頬に当たった。


 泣けない……泣く場所がまだない、と思った。五つの扉の向こうに、まだ眠っている者がいる。立ち上がれていない者がいる。その者たちが目を開けたとき、ゼノリスが泣いた後の顔で立っていてはいけない。


 拳が、固まっていた。


「……今は、まだ」


 セレナは何も言わなかった。ただ、ゼノリスの傍に立っていた。


◇◇◇


 夜が深くなった。


 交代した救護員が各室に入り、術式の光の色がわずかに変わった。廊下は静かなままだった。ゼノリスは壁を背にして立っていた。セレナは椅子に座り、静かに膝の上で書類を広げていた。


 五つの扉。光が揺れている。


 次に何をすべきか、頭の中で言葉が動き始めていた。傷ついた者たち。散っていった者たち。国民への報告。勇者が広場で何を言ったか、まだ詳細を受けていない。防衛の立て直し。やるべきことは積み上がっている。


 だが今は、ここにいる。


 そう決めていた。やるべきことは、明日からでも始められる。だけど今だけは、五つの扉の前にいる。それだけが、今ゼノリスにできることだった。


 廊下の奥から、足音がした。


 軽くない。重さを引きずるような、どこか不揃いな足音だった。ゼノリスは顔を上げた。


 ライカが廊下の角から来た。


 鎧の一部が外されている。右肩の留め具が外れたまま、直されていない。顔に泥の跡が残っていた。拭いたが落ちきっていない。ゼノリスを見て、一瞬だけ足が止まった。それから、また歩いた。


 ゼノリスの手前で止まった。


 ライカが頭を下げた。深く、長く。


「……申し訳、ございません」


 声が、掠れていた。途中で一度、切れた。それでも、もう一度繋いだ。


 ゼノリスは何も言わなかった。


 ライカは、頭を上げずに言葉を続けた。


「犠牲者の数が……報告されました」


 廊下が、静かだった。


 セレナが書類から顔を上げた。書類の上に置いた指が、止まった。


 ゼノリスは動かなかった。ライカの頭がまだ下がったままだった。廊下の冷気が、石の壁から滲んでいた。五つの扉の向こうで、青白い光と白に近い光と、不規則に揺れる光が、それぞれの色のまま揺れていた。


「……聞かせてください」


 ゼノリスは言った。その声は、静かだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。