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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第四部:新生

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第172話:「冷酷な算段」

「罪人と貧民を使えばいい」


 アリアスが口を開いた。


 ベネディクトの言葉が途切れた間に、割り込んだ。地図の外縁を指したベネディクトの手が、まだそこにある。アリアスはその手を見ずに言った。


「居なくなっても誰も騒がない。そういう連中を集めれば、数は揃う」


「全然、足りません」


 アリアスが言い終わるのを待ってから、返した。間も置かなかった。感情を持ち込んだ反論ではなく、計算の結果を読み上げるのと同じ声だった。


 アリアスの指が、地図の縁で一瞬止まった。


「……なぜだ。一国の罪人と貧民だけでも、それなりの数になる」


「数万人規模が必要なのです。一国の罪人と貧民で数万を確保するのは、現実的ではない」


 ベネディクトが法衣の裾を翻し、卓の正面に回った。地図に向き直り、指を置く。今度は外縁ではなく、グランフェル王国の位置だった。


「グランフェル王国から、強制徴収します。徴収は段階的に。罪人と貧民から順に行います」


 ベネディクトの指が、地図の上で動いた。


「一度に動かせば察知される。時間差をつけ、名目を変え、移送経路を分散させる」


 名目……アリアスは頭の中で繰り返した。


「名目は何を使う」


「徴用です。国境防衛の強化に際して、一時的な労働力を集める。領主に対しては、教会の認可証を添付します。拒否した場合、認可の更新を保留する旨を――」


「圧力か」


「制度の運用です」


 ベネディクトの声は変わらなかった。アリアスが『圧力』と呼んだものを、一語で訂正した。


 アリアスは地図を見た。グランフェル王国の位置に、ベネディクトの指がある。西の穀倉地帯。農業国家。人口が多い。それだけは知っていた。細部は知らない。どの街から何人、どの経路で、どの順番で――そういうことはベネディクトが全部持っている。


 アリアスが持っていないことも、ベネディクトは知っている。


「移送した後はどうする」


「聖都領の近郊に集めます。複数の集積地点を設け、それぞれ独立して管理する。情報が漏れないよう、担当する聖騎士団の部隊も分けます」


「術の発動まで、どう保つ」


「労働力として運用します。実際に働かせながら保持する。徴用の名目と実態を一致させる期間を設けることで、各領主への言い訳も成立します」


 働かせながら……その言葉の先は、問わなかった。


 ベネディクトの指が、地図の上をゆっくりと動いた。グランフェル王国の王都グランデルの位置で止まった。


「グランデルだけで、相当数が見込めます。施療と識字への依存が深い。教会の名目であれば、領主は拒みにくいでしょう」


 アリアスは地図を見た。グランデルの位置を、目でなぞった。ベネディクトが指を置いた場所を見た。


 指の腹が、地図の表面で止まった。


 動かそうとした。動かなかった。


 反論はなかった。確かめる気も起きなかった。この男が『できる』と言っている。今この室内で、それが答えだった――そう、自分に言い聞かせる声が、頭の中で薄かった。


「準備に要する時間は」


「移送の手配と聖騎士団の展開を合わせると、最短で二か月かかります」


 ベネディクトが地図から指を離した。


 二か月。


 アリアスは卓の端を、指の腹で押さえた。地図の紙がかすかに音を立てた。次の帰順の報告は月内、とベネディクトは言っていた。帰順が連鎖する前に準備が整うか。整わないかもしれない。だが他に手がない。


「……進めろ」


「承知しました」


 ベネディクトが答えた。


 地図から目を離し、アリアスを見た。何かを確認するわけでも、同意を求めるわけでもない目だった。次の計算へ移る前の、一瞬の確認だった。


◇◇◇


 扉が開き、三人が入ってきた。


 リュシアが先頭だった。銀髪を聖布で押さえ、両手を前で重ねている。その後ろにゼフィル、ブラム。三人とも、室内に入ってから一言も発しなかった。


 アリアスは卓を背に立ち、三人を見た。


「計画が決まった」


 声を作った。民衆の前で使う声ではなく、命令を下す時の声だった。


「グランフェル王国から人員を徴収する。お前たちにはその工程の一部を担ってもらう。詳細はベネディクトから追って伝える」


 リュシアが、小さく息を吸った。


「……分かりました」


 柔らかい声だった。抵抗も疑問もない声だった。ただ、目が動かなかった。アリアスを見たまま、まばたきをしなかった。


「可哀想に」


 唇がわずかに動いた。声にはならなかった。誰に向けて言ったのか、アリアス自身には聞こえなかった。


 ゼフィルが鼻の頭に手を当てた。


「で、俺たちが実際に動くのか?」


 軽い口調だった。嫌がっている様子はない。自分の役割の範囲を確認している声だった。


「動く」


「どの段階で」


「追って伝える」


「……そうか」


 ゼフィルが手を下ろした。それ以上は聞かなかった。深緑色の髪が、燭台の光を受けて揺れた。


 ブラムは何も言わなかった。


 アリアスが視線を向けると、一度だけ頷いた。巨体が揺れる程度の動きだった。それで終わりだった。


「女神の意志だ。世界に光を取り戻すための」


 アリアスが言った。


 三人は何も言わなかった。ブラムは顎を引いたまま。ゼフィルは視線を壁に向けていた。リュシアだけが、まだアリアスを見ていた。


 リュシアの目が、何かを言いそうだった。言わなかった。


 その沈黙を、アリアスは同意として受け取った。受け取った、と決めた。


◇◇◇


 扉を三度、短く叩く音がした。


「入れ」


 ベネディクトが言った。


 側近が一人、すべり込むように入室した。細い体躯で、書類も持っていない。ベネディクトの傍まで歩み寄り、耳元に口を近づけた。


 ベネディクトが顎を動かした。側近が一礼し、足音を残さずに出ていった。


 扉が閉まった。


「一つ、好機があります」


 ベネディクトが言った。


 アリアスはベネディクトを見た。


「教会連合圏の諜報網から入った情報です。魔王軍が遠征に動く。その帰路に使う中継拠点の場所を、掴みました。時期は、おおよそ二か月後です」


 アリアスは卓の上を見た。広げられたままの地図。その上を、視線が走った。


 遠征拠点はどこだ。


 目が止まった。


「その拠点の周囲に、魔術兵を秘密裏に配置します」


 ベネディクトが続けた。


「供犠の術の発動タイミングと連動させる。拠点に魔王軍が集まった時点で、同時に動かします」


 アリアスは卓の上を見たまま、動かなかった。


 遠征を終えた後。帰還して、休んでいる時――動きが止まるその瞬間に、術を発動する。拠点ごと、消す。


「確実か」


「諜報の精度は高い。ただし、魔王軍の動向が変わった場合は仕切り直しになります」


「そうか」


「変わらなければ、これ以上の好機はありません」


 ベネディクトの声に抑揚はなかった。好機と言いながら、喜びも興奮もない。算段を説明しているだけの声だった。


「供犠の簒奪を発動します。そうすれば拠点ごと、消えます」


 感情がなかった。消えます、という言葉が、天気の話と同じ重さで室内に落ちた。


 アリアスは顎を上げた。


「魔王軍が遠征拠点で休息を取る時、一気に殲滅する」


 ベネディクトは答えなかった。


 地図に目を戻していた。白髪を後ろに流した顔が、卓上の光の中で動かない。その目が何を見ているのか、アリアスには分からなかった。勝算を計算しているのか。次の手を組んでいるのか。それとも、この計画が成功した後のことを、すでに考えているのか。


 分からなかった。


 アリアスは自分の掌を見た。


 一瞬だけ、何かが戻ってきた。あの夜の感触。指の間から砂のように零れた、力の形。


 掌を、握った。爪が肉に食い込む感触があった。それでも、零れた何かは戻らなかった。


 目を地図へ戻した。


 ベネディクトはまだ地図を見ていた。室内の燭台が、二人の影を壁に長く伸ばしていた。アリアスの影が、ベネディクトの影より、わずかに細かった。



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