第166話:「第二混成軍の制圧」
石柱が、間隔を詰めていた。
ヴァルンに近づくにつれて、街道脇の柱が一本、また一本と数を増していく。等間隔――最初はそう見えた。だが歩くうちに分かった。等間隔ではない。都市に近づくほど、間が短くなっている。
シルヴァは隊列の先頭で、その間隔を目で測りながら歩いていた。
白い石の柱の頭に、教会連合の紋章が刻まれている。金の十字。風雨で表面が削れても、輪郭だけは残るように深く刻んである。消えないように、見せ続けるように。
採掘の許可出しと検問の都市。教会の監視が強い。
ノアの事前説明にあった言葉が、石の重さを伴って戻ってくる。監視は兵だけではない。柱も、紋章も、この道を通る者に『見られている』と感じさせるための構造だ。
隊列の後ろで、騎士団の鎧が擦れる音がした。魔術兵団の足音とは質が違う。重く、リズムが一定だ。今回の編成は魔術兵団が主力で、騎士団は支援に回っている。普段とは逆の立場に置かれた騎士団員たちが、それをどう感じているかは表情には出ていない。出さないようにセラに言われているのか、それとも単純に飲み込んでいるのか、シルヴァには判断がつかなかった。
前を向いた。
石柱の先、街道が緩やかに下っていく坂の底に、ヴァルンの輪郭が見え始めていた。石造りの城壁ではなく、焼いた煉瓦を積み上げた壁だ。高さは人の背丈の三倍ほど。壁の上に、旗が何本も立っている。白地に金の十字が、昼の風の中で広がっていた。
城門前の広場に、人の列が見えた。
遠目でも分かった。整列している、守備隊だ。
◇◇◇
城壁まで五十歩ほどの距離で、シルヴァは隊列を止めた。
正面に展開した敵の守備隊を、黙って見た。
騎士が前列に三十人以上。その後ろに外套を羽織った者たちが並んでいる。魔術師だ。人数は前列より少ないが、密度がある。城壁の上にも人影が動いていた。弓兵だろう。城門の左右の塔に分かれて、こちらに向けて射線を取っている。
規模が大きい。
監督都市だけあって、教会が兵力を厚く置いていた。城壁の外に展開しているだけで、中にまだ控えがいる可能性もある。
後ろから魔術兵団のドルンが並んだ。
「向こうの後衛魔術師、十五から二十前後かと」
「私も同じ数を見ています」
シルヴァは答えながら、敵の後衛の位置を確認した。魔術師たちは騎士の列の後ろに固まっている。互いの間隔が近い。詠唱を合わせる気だろう。連携術式を狙っている編成だ。
敵の前列の騎士が声を上げた。
「これ以上進むな! ヴァルガン鉱山公国、監督都市ヴァルンの守備隊である! 魔王国の軍勢よ、ここで止まれ!」
シルヴァは動かなかった。
騎士の声が届いた直後、敵後衛の魔術師たちが動いた。外套の中から術式札を取り出す者、杖を構える者、小さく口を動かして詠唱を始める者。バラバラに動いているように見えて、一つの意図に沿っている。指揮官の合図を待っている。
シルヴァは杖を持つ右手に、力を入れた。
敵の詠唱の気配が濃くなった。空気が少し重くなる感触――魔力が収束しつつある証拠だ。後衛の十五から二十人が同時に放てば、前列の騎士を避けて広域に展開する術式になる。受け止める側に選択肢を与えない攻め方だ。
――術式が来る。
シルヴァは一歩、前に出た。
◇◇◇
光が来た。
敵後衛の魔術師たちが一斉に放った。赤と黄の混合術式――炎と衝撃を組み合わせた複合攻撃が、地面の温度を一気に上げながら広がってくる。煉瓦壁にぶつかる前から、空気が乾いた音で震えた。
シルヴァは杖を正面に向け、静かに息を吐いた。
術式の構造が、目に入った。炎の核を衝撃波で包んでいる。術式の組み方は丁寧だが、核と外壁の接合部に余白がある。詠唱を急いだせいだ。
杖の先に魔力を集め、接合部に向けて細い術式を一本通した。
光の塊が、シルヴァの眼前で音もなく解けた。炎の核が散り、衝撃波が方向を失って横に流れた。隊列の両脇の地面を抉ったが、兵には届かなかった。
後ろで魔術兵団が動いた。
遮断結界が展開された。半透明の壁が隊列を包む。城壁上の弓兵が矢を放ったが、結界の面に当たって角度が変わり、地面に落ちた。弓兵たちが射線を修正しようとしたが、魔術兵団の第二の結界が重なり、城壁上からの射角を塞いだ。
敵後衛の魔術師たちが、二射目の詠唱に入った。今度は術式の構造を変えてくる。一射目より複雑な組み方を選んでいる。時間をかけている分、威力と精度が上がる。
「前列、前進」
シルヴァが言うと同時に、騎士団が動いた。
敵の前列の騎士たちが迎撃に入ろうとしたが、騎士団の動きは突破ではなく包囲だった。正面から当たらず、左右に広がりながら敵の側面へ回り込んでいく。剣を抜いていない。ただ、動線を塞ぎ、退路を断っていく。
敵の前列の騎士たちが迷った。正面から味方の騎士団が当たってこない。代わりに横から圧力がかかっている。振り向けば自軍後衛の魔術師の詠唱を乱す。前を向いたまま動けない。
その一拍の間に、シルヴァは前に出た。
敵後衛の指揮官が、シルヴァを見た。外套に教会の紋章を刻んだ、年配の男だった。目が、シルヴァの動きを追っている。指揮官だと分かった――他の者たちが術式に集中している中で、この男だけが全体を見ていた。
指揮官が、杖を大きく構えた。詠唱が始まった。周囲の魔術師たちの術式を束ねて、一点に集中させる大魔術だ。規模が違う。これを受ければ結界ごと押し流される。
シルヴァは足を止めなかった。
指揮官の詠唱が高まった。杖の先に光が集まり始めた。術式の構造が見えた――複数の詠唱を合流させた複合術式。核の部分に莫大な魔力を押し込んでいる。
だが、核の出口が一か所しかない。
シルヴァは杖を持ち上げ、その一か所に術式を差し込んだ。
指揮官の杖の先で、光が止まった。放とうとした術式が、出口を塞がれて内部で渦を巻き始めた。指揮官の顔が青ざめた。術式を解こうとしたが、シルヴァがすでに構造を書き換えていた。
放出口が、前方ではなく上方に変わった。
膨大な魔力が、真上に向かって解放された。轟音が城壁を揺らし、土煙が上がった。誰も傷つかない。ただ、莫大な魔力が空に向かって消えた。
シルヴァは、息を一つ吐いた。
杖を持つ指の力が、わずかに緩む。それだけのことだった。だが、隊列の足元で、踏み砕かれていた雑草の白い花が、誰も触れていないのに一輪、ふいに開いた。シルヴァはそれに気づかなかった。後ろのドルンが視線だけを落とし、また前を向いた。
敵の魔術師たちが、詠唱を止めた。
◇◇◇
沈黙が、城門前の広場に落ちた。
敵の騎士たちが互いの顔を見た。後衛の魔術師たちは杖を下ろしたまま動かない。
シルヴァは指揮官の目の前に立っていた。指揮官は自分の杖の先を見ていた。光が消えた後の、ただの木の棒になった杖を。
騎士団は敵の外周を囲って塞いでいた。剣は抜いていない。それでも、退路がないことは誰の目にも明らかだった。
「まだ続けるのであれば、止めません」
シルヴァは指揮官に向かって言った。静かな声だった。怒鳴るでも、脅すでもない。
「ただし、もう一度試みても、同じ結果になります」
指揮官は答えず、シルヴァを見た。年配の男の目に、怒りではなく、理解できないものを見る色があった。何が起きたのか、まだ整理がついていない目だった。
杖が、地面に落ちた。指揮官が手を離した。
後衛の魔術師たちが、次々と杖を下ろした。指揮官が杖を置いた――それが合図になった。
シルヴァは指揮官から視線を外し、要塞の方を向いた。
ヴァルンの要塞は城壁の奥、街の中心に建っていた。石造りの建屋に、塔の輪郭が二つ、左右からせり出している。教会の監察官が詰めていた拠点だ。窓に人影が動いていた。中に残った者たちが、外の様子を窺っている。
シルヴァは杖を構えた。
魔力を細く、広く伸ばした。要塞の外壁に沿って術式を這わせ、窓の縁、扉の枠、石と石の継ぎ目――建物の輪郭を術式で一周させた。薄い青白い光が、要塞の外周をゆっくりと縁取っていく。
結界が、閉じた。
要塞の外壁が、薄く光る膜に包まれた。派手な爆発も、轟音もない。ただ、建物が静かに封じられた。中の者と外の者が出入りできない。それだけのことが、音もなく完成した。
「この術式を解除できる方がいるなら、名乗り出てください」
シルヴァは要塞の窓に向かって、はっきりと言った。
窓の人影が動かなくなった。
◇◇◇
要塞の扉が開いたのは、それから間もなくのことだった。
結界の外に出られないことを確かめるように、扉の隙間から手が一本出た。手が光の膜に触れ、押し返された。しばらく間があって、扉が全開になった。中から出てきたのは、教会の法衣を着た老人だった。杖も武器も持っていない。両手を前に出して歩いてくる。
後ろに、数人が続いた。法衣の者、書記らしき者、護衛の兵が数人。護衛の兵は剣を鞘に収めたままだった。
老人が結界の手前で止まった。
「解除してもらえるか」
シルヴァは杖を軽く動かした。結界の一点だけが開いた。老人が通り抜けた。後ろの者たちも続く。通り抜けるたびに、シルヴァが結界を閉じ直した。
老人がシルヴァの前に立った。
「魔王国の者か」
「はい」
「……降伏する」
老人の声に、力はなかった。負けたから言っているのではなく、抗う理由を失ったから言っている。シルヴァはそれを受けた。
「分かりました。武器を置いてください。それ以上のことは求めません」
◇◇◇
敵兵たちが武器を地面に置いた。
騎士団が捕虜の誘導を始めた。要塞の扉の前から、捕虜たちを広場の一か所にまとめていく。魔術兵団は結界を維持したまま、要塞の内部確認に入った。広場に残った守備隊の兵たちも、武器を下ろして座り込んでいた。
シルヴァは要塞の扉から離れた。部下たちが動いている。自分がここにいる必要はないと思い、広場の端まで歩き、石壁に背を預けた。
戦闘の音が消えた場所は、こういう静けさになる。足音と、命令の声と、装備が地面に落ちる音だけが続いている。怒号もない、悲鳴もない。それがかえって、終わったという感触を強くした。
建物の陰から、人が出てきた。
最初の一人は、路地の角から顔だけ出して広場を見た。しばらく動かなかった。次に体半分出した。また止まった。広場の様子を確かめている。戦いが本当に終わったのか、判断できずにいる。
別の路地から、また一人。子どもの手を引いた女だった。子どもが広場を指差した。女がその手を引き戻した。でも、足は前に出ていた。
シルヴァは動かなかった。
近づいていけば、また怯えさせる。この間は、向こうが自分で埋めるしかない。
最初に顔を出した男が、路地から出てきた。一歩、また一歩、広場の石畳を踏んで近づいてくる。十歩ほどの距離で止まった。シルヴァを見た。シルヴァも男を見た。
「……終わったのか」
男の声は低かった。問いというより、確かめだった。
「はい」
シルヴァは答えた。
「教会側の兵は制圧しました。要塞は封鎖しています。この街は、これから魔王国が管理します」
男はしばらく黙っていた。広場を見渡した。武器を置いた守備隊、結界に包まれた要塞、動き始めた魔術兵団の兵たち。それを順に目で追って、また地面を見た。
何かを言おうとして、言わなかった。男の喉が一度、上下した。
その代わり、深く――地面に額が触れそうなほど深く、頭を下げた。
シルヴァは何も言わなかった。返礼もしなかった。それが、この男に対して一番失礼にならない応答だと分かったから。
◇◇◇
足音が背後から近づいた。シルヴァは振り向かなくても、それがドルンだと分かった。
「団長。報告を」
ドルンの掌の上に、通信魔道具が載っていた。掌に収まる金属の装置。表面の刻印が、術式の接続を待っている。
シルヴァは装置を受け取り、起動した。
「第二混成軍、シルヴァです」
「第二領地、制圧完了。監督都市ヴァルンの解放を確認しました。要塞は封鎖中。捕虜の処理と街の安全確認を継続します」
応答が返った。「了解」という確認の後、続きがあった。
「第一混成軍より報告が入っています。鍛冶街ハスレム、制圧完了。第一領地の解放を確認しました。第三混成軍からの報告は、まだありません」
シルヴァは少し間を置いた。
「分かりました」
通信が切れた。シルヴァは通信魔道具をドルンに返した。
広場に目を向けた。住民が少しずつ増えていた。路地の奥から、建物の扉の隙間から、人が出てきている。声はまだ少ない。互いに顔を見て、確かめ合っている段階だ。
石畳の上の白い花が、風に揺れた。
第三混成軍はカルディアへ向かっている。あちらがどうなっているかは、まだ分からない。ライカとエルネスが指揮を執っている。判断力のある二人だとゼノ様が言っていた。
――信じるしかない。
シルヴァはそう思った。
広場の人々が、互いに名前を呼び合い始めていた。低い声、確かめるような声。それが少しずつ重なり、一つの呟きの集まりになって、城門の方へ流れていく。
シルヴァは、その音を聞いていた。
ここの音は、もう聞こえる。だが、カルディアの音は届かない。距離のせいではない。第三混成軍からの報告がまだ来ていない――その事実だけが、耳の奥に冷たく残った。
風が、北から吹いてきた。
北。カルディアの方角だ。




