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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第三部:地固め

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第135話:「領地の礎」

 朝の光が、執務室の窓から斜めに差し込んでいた。


 多種族の受け入れが始まってから、数週間が過ぎていた。


 机の上に積まれた紙の束が、日を追うごとに高くなっていた。一番上の紙に、昨日の日付が入っている。その下に、一昨日の分がある。処理が追いついていない証拠が、そのまま層になっていた。


 ゼノリスは机の前に立ち、その山を見ていた。


 扉が開いた。カイロとノアが並んで入ってきた。カイロは手ぶらだった。ノアは帳面を一冊、脇に挟んでいる。


「報告します」


 カイロが口を開いた。


「荒廃地からの収穫が安定しました。備蓄にも回せる量が出ています。領民の食糧事情は、以前とは比較になりません。市場の取引高も週ごとに増えています」


「周辺国からの民の流入も続いています」


 ノアが続けた。帳面は開かず、数字をそのまま口にした。


「先週だけで七十人。今週はさらに増える見込みです」


 そこで、ノアの声が一段落ちた。


「ただ、実務が追いついていません」


 ノアは窓の方を一度だけ見た。それからゼノリスに視線を戻した。


「配置判断の待ちが常時三十人以上。物流の管理はあの獣人族の商人一人に集中していて、彼女が倒れたら止まります。工房は受注が捌き切れず、復興現場は人手の割り振りで毎日揉めています」


 ノアが一拍置いた。


「すべて、ゼノ様の判断待ちか、現場の個人に依存している状態です。仕組みではなく、人に乗っかっています。このまま領地が大きくなれば、どこかで必ず止まります」


 ゼノリスは黙って聞いていた。ノアの言葉は、あの夜に胸に刺さった棘と同じ形をしていた。分かっていた。至極の理で才能を見極め、一人ひとりに配置を決める。その仕組みの中心にゼノリスがいる限り、国の成長がゼノリスの処理速度に縛られる。


「カイロ」


 ゼノリスが名を呼んだ。


「以前から準備していた組織の設計、出来ていますね」


 カイロが一瞬だけ目を細めた。それから、机の上の紙の山の横に、一枚の紙を置いた。手ぶらに見えたが、懐に入れていたらしい。


 紙には、六つの名前と役割が並んでいた。文字は小さく、整っている。カイロの字だった。


「商務、工務、復興、評価、民意、技術開発。この六つの分野に、それぞれ代表を置きます」


 カイロの声は短かった。


「代表には、現場で実績を出してきた者を選びました。才能だけではなく、この領地で何をしてきたかで選んでいます」


 ゼノリスはその紙を手に取った。六つの名前を目で追った。どの名前にも、顔が浮かんだ。【至極の理】で見た星の輝きと、それ以上に現場で動いてきた手の形が重なっている。


「ありがとう。いい人選です、よく見ていますね」


 ゼノリスは一呼吸置き、続けた。


「これで進めましょう。明日、任命します」


 ゼノリスが言った。ノアが帳面を開き、段取りを書き始めた。カイロは既に扉に向かっていた。六人を呼びに行くのだろう。足音が廊下に消えた。


◇◇◇


 玉座の間に、六人の影が並んでいた。


 高い天井から朝の光が降りている。石の床に、窓の形が長く伸びていた。壁際に灯された燭台の火が、光の届かない隅を橙色に染めている。広い空間に、六人の呼吸だけが静かに響いていた。


 空気が冷たかった。石の壁と床が、朝の冷気をまだ手放していない。吐く息は白くないが、肌に触れる空気に、ほんのわずかな硬さがあった。


 ゼノリスが正面に立った。カイロが右手側に、ノアが左手側に控えている。


 六人は、横一列に並んでいた。年齢も体格も種族もばらばらだった。だが、全員がゼノリスの方を向いている。


 ゼノリスは一歩前に出た。


「今日、皆さんをここに呼んだのは、この領地の未来をお任せするためです」


 声が、石の壁に吸い込まれていった。天井の高さが、その声に重みを加えている。


「この領地は、大きくなりました。私一人の判断では、もう回りません。皆さんの力が必要です」


 ゼノリスは列の一番右に立つ者の前で足を止めた。


 獣人族の女だった。


 背は高くない。だが、立ち姿に芯がある。市場で荷の流れを仕切っていた女。商人たちの間に立ち、誰に命じられるでもなく自分で窓口に立ち、取引を成立させていった女。カイロが一度だけ目を留めた、あの女だった。


 狐の耳が、頭の両脇からまっすぐに立っている。旅装ではなかった。今日は襟元の整った上着を着ている。だが、台帳を持つ手の指先にはインクの染みが残っていた。昨夜まで数字を書いていた痕だった。


「ミレッタ」


 ゼノリスが名を呼んだ。


 女の耳が、わずかに傾いた。


「あなたは、物流の仕組みがまだ何もなかった頃から、この領地の荷を動かしてきました。中継拠点ができる前から、商人たちの間に立ち、荷の配分を自分の判断で決め、流れを作ってきた。新市場では、周辺国の商人との窓口を誰に言われるでもなく引き受け、取引の道筋を拓いた」


 ゼノリスの声が、石の床の上を渡っていった。


「商務の代表を、あなたにお願いします。この領地の物流と交易を、あなたの手に委ねます」


 ミレッタはゼノリスをまっすぐに見ていた。台帳を持つ手の指先が、わずかに白くなっている。力が入っていた。


 一拍の間があった。


「お受けします」


 声は低く、落ち着いていた。ミレッタは深く頭を下げた。その瞬間、耳の先端が細かく震えていた。


 ゼノリスは次の者の前に進んだ。


 ドワーフ族の男が三人、並んで立っていた。


 グローム。革のエプロン、両手の甲に走る古い火傷の痕。工房に立ち続けてきた手だった。ゼノリスが「工務の代表を」と告げると、「承知した」と一言だけ返し、拳を胸の前に当てた。ドワーフ族の礼だった。


 オルド。手に土と石の粉がこびりついている。荒廃地の土だった。「復興の代表を」と告げると、口を開きかけたが、声にならなかった。代わりに、胸の前で拳を合わせた。グロームと同じ礼だった。だが、拳を合わせる手が少しだけ震えていた。


 ヴァイス。他の二人より若く、目に鋭さがあった。腰の道具袋から定規の端が覗いている。「技術開発の代表を」と告げると、一歩前に出た。「やらせてください」。声が明瞭だった。


 ゼノリスは五人目の前に立った。


 獣人族の男だった。熊の耳が頭頂部に丸く突き出ている。体格は大きいが、目が穏やかだった。着ているものは領民たちと変わらない。飾りのない麻の上着に、使い込まれた革帯。


「ヴァルド」


「あなたは、領民たちの声を聞いてきました。農地で、市場で、街道の脇で。困り事を集め、整理し、私やカイロに届けてくれた。領民たちがあなたを信頼しているのは、あなたが彼らの中に立ち続けたからです」


「民意の代表をお願いします」


 ヴァルドは太い首を傾けた。


「……俺でいいのか」


 低い声だった。ゼノリスの問いかけではなく、自分自身に訊いているような響きだった。


「あなたでなければ務まりません」


 ゼノリスが答えた。ヴァルドの丸い耳がぴくりと動いた。それから、大きな体をゆっくりと折り、片膝をついた。石の床に膝が触れる音が、低く響いた。


 ゼノリスは最後の一人の前に立った。


 エルフ族の男だった。


 長い耳が、銀色の髪の間から突き出ている。顔は若く見えるが、目の奥に長い時間の重みがあった。細い指が、体の前で組まれている。指先にインクの染みはない。だが、爪の形が整い、紙を扱い慣れた手だった。背筋が真っすぐに伸びている。立ち姿に、学者の気配があった。


「エリオット」


 ゼノリスが名を呼ぶと、エルフの男がわずかに顎を上げた。目がゼノリスをまっすぐに捉えている。


「あなたは、流入者の受け入れが増え始めた頃から、到着した者たちの技能や経験を一人ずつ聞き取り、記録として整理してくれていました。あなたの記録があったから、私の面会は何倍も速く進んだ」


 ゼノリスは一呼吸置いた。


「あなたには、評価院の代表をお願いしたい。この領地に来る者たちの才能を見極め、適切な場所に導く仕事です。私が一人で担ってきたことを、仕組みとして整えてほしい」


 エリオットの目が、一瞬だけ細くなった。


「……ゼノリス様の代わりを務めよ、ということですか?」


 声は静かだった。挑発ではなかった。問いの形をした、正確な確認だった。


「代わりではありません」


 ゼノリスが返した。


「あなたには、公平な評価制度を作ってほしいのです。才能を見出すだけではなく、見出された者が正しく育つ仕組みを」


 エリオットは黙った。長い沈黙があった。玉座の間の冷たい空気が、二人の間に漂っている。


 エリオットの組まれた指が、ゆっくりと解かれた。右手が体の横に落ち、左手が胸元に上がった。心臓の位置に、掌を置いている。


「聖教会の鑑定は、人を縛る制度でした。私はそれを正しくないと思い、里を出て旅に出ました」


 声は静かだったが、芯があった。


「正しい評価が存在するのか、ずっと考えていました。……あなたの領地を見て、初めて、存在し得ると思いました」


 ゼノリスは何も言わなかった。エリオットの言葉を、そのまま受け取った。


「お引き受けします」


 エリオットは片膝をつき、右手を胸に当てた。エルフ族の正式な礼だった。長い耳が、光の中でわずかに揺れた。


 ゼノリスは六人の前に戻った。


「あなた方の才能を、この領地のために使ってください」


 六人が一斉に頭を垂れた。玉座の間に、衣擦れの音だけが残った。


◇◇◇


 六人が顔を上げた直後だった。


 オルドが一歩前に出た。


「ゼノリス様、一つご報告が」


 声が低かった。任命を受けた直後とは、響きが違う。


「荒廃地の再生が進んだことで、周辺の生態系が変化しています。緑が戻った区画に、魔物が入り込み始めました。再生地で農夫たちが目撃しています


 ゼノリスの目が、オルドに向いた。


「規模はどのぐらいですか?」


「まだ小規模です。ですが、緑が広がるにつれて増える可能性があります」


 ゼノリスは頷いた。


「セラに連絡をお願いします。騎士団に対処を任せます」


 カイロが一歩動いた。それだけで、伝達が始まったことが分かった。


 ゼノリスは玉座の間を見渡した。六人がまだそこに立っている。それぞれの手に、それぞれの仕事がある。今日から、この六人の手が動き始める。


 領地の礎が、一つずつ据えられていく。だが、据え終わる前に、次の課題がもう足元に来ていた。



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