第134話:「多種族の共生」
カイロの報告は、短かった。
「周辺から、いろいろな種族の方たちが、続々とこちらに向かってきています」
執務室の空気が止まった。
ノアが机の端に広げていた書類から顔を上げた。ゼノリスはカイロを見た。カイロの表情は変わらない。だが報告の前に置いた一拍の間が、この情報の重さを示していた。
「規模はどのぐらいですか?」
ノアが訊いた。
「現時点で確認できている集団だけで、七つ。獣人族が三つ、エルフ族が二つ、ドワーフ族が一つ。残りの一つは複数の種族が混ざった流民の一団です。それぞれ十数人から三十人規模。全体で百五十人前後」
カイロは数字を淡々と並べた。そして、一つ付け加えた。
「東の中継拠点に入ってきた商人たちの話によると、魔王領は才能を正当に評価する、という話が広まっているようです。居場所を失った者たちが、その噂を頼りに来たのかと思います」
ノアが書類の余白に数字を書き込んだ。ペンの動きが速い。
「百五十人。今の受け入れ体制で捌ける数ではないですね。宿営地、食糧、配置先の選定。最低でも三日は要ります」
「受け入れます」
ゼノリスが言った。
ノアの手が止まった。カイロが視線を上げた。
「この領地には、既にさまざまな種族の方たちが暮らしています。獣人族も、魔人族も、人族も。増えることは喜ばしいことです。来る者を拒む理由はありません」
「拒む話はしていないです」
ノアが返した。声は平坦だったが、ペンの先が紙の上で一瞬だけ浮いた。
「受け入れの順序と手順の話です。ゼノ様が一人ひとりに会って、才能を見極めて、配置を決める。今までのやり方は、十人、二十人なら回ります。ただ、百五十人になると……物理的に厳しくなります」
ノアの声に、感情はなかった。事実を述べている口調だった。
「一人あたりの面会と配置決定に、最短でも数分。百五十人なら、朝から晩まで掛かります。その間、他の政務は止まります」
ゼノリスは黙った。
ノアの言葉は正しかった。才能を見極める【至極の理】はゼノリスにしか使えない。星を見て才能を読み、適所を判断する。その工程を他の誰かに委ねることはできない。今までは、それで回っていた。だが、百五十人。そして、これが最後ではないだろう。噂が広がれば、次はもっと多くの者が来る。
「……それでも、最初は私が会います」
ゼノリスが言った。
「遠くから来た者たちです。不安を抱えて辿り着いた者もいるでしょう。最初に顔を見て、言葉を交わすことに意味があります」
ノアは数秒だけゼノリスを見つめた。それから手元に視線を戻し、書類に何かを書き足した。
「では、動線を組みます。東の中継拠点を仮の受付にして、そこで身元と人数を確認。ゼノ様との面会は城門前広場で。カイロさん、拠点の人員を増やせますか」
「手配します」
カイロが即答した。
ノアのペンが再び走り始めた。書類の余白が数字と矢印で埋まっていく。ゼノリスはその手元を見ながら、ノアが先ほど口にした言葉を反芻していた。
物理的に厳しくなります。
その一言が、胸の奥に小さな棘のように残っていた。
◇◇◇
城門前広場に、朝霧が薄く残っていた。
石畳の上に長い列ができている。広場の東端から、街路を越え、城門の近くまで。列の先頭はゼノリスの前にあり、末尾は霧の向こうに消えていた。
先頭に立っていたのは、獣人族の若い男だった。
犬の耳が頭の両脇から突き出ている。毛並みは灰褐色で、耳の先端だけが黒い。旅で汚れた革の上着の袖が擦り切れていた。背丈はゼノリスより頭半分低い。だが、肩幅が広く、腕が太い。立っているだけで重心が低く、地面を踏む足に力がある。
男の頭上に、星が浮かんでいた。
【黄金の星。☆☆/☆☆☆☆☆】
その輝きは、燃える炭のような赤みを帯びていた。
「名前を聞いてもいいですか?」
ゼノリスが声をかけた。男の耳がぴくりと動いた。
「……ヴォルグ」
低い声だった。目が合わない。ゼノリスの顔ではなく、その足元を見ている。
「ヴォルグ、あなたには戦士としての優れた才能があります。身体の使い方に、天性のものがある」
男の耳が再び動いた。今度は、両方の耳が前を向いた。
「騎士団で訓練を受けてみませんか。あなたの力を活かせる場所があります」
ヴォルグの目が、初めてゼノリスの顔に上がった。
「……俺を、使ってくれるのか」
「使うのではなく、あなたの力を正しく評価したいのです」
ヴォルグの喉が動いた。何かを飲み込むように、一度だけ大きく嚥下した。
「頼む……お願いします」
それだけ言って、ヴォルグは頭を下げた。
カイロが横から歩み寄り、ヴォルグの肩に手を添えて列の外へ誘導した。騎士団への案内係が待っている方向を、短く指で示す。ヴォルグが歩き出した。その背中は、来た時より少しだけ伸びていた。
次の者が、前に出た。
エルフ族の女だった。長い耳が、薄い金色の髪の間から覗いている。肌が白く、頬に薄い傷跡が一筋走っていた。外套の下に、古びた杖を抱えている。旅装は質素だったが、杖を持つ指の置き方に癖があった。魔術を日常的に扱う者の手だった。
頭上の星が、静かに揺れていた。
【黄金の星。☆☆/☆☆☆☆】
淡い青を含んだ光だった。
「あなたには魔術の素養があります。それも、かなり深い。魔術兵団で学んでみませんか」
女は黙ったまま、ゼノリスの目を見つめていた。長い沈黙があった。
「……本当に、受け入れてくれるの?」
声が細かった。
「エルフだから聖教会に監視される、ということは?」
「ありません。ここには聖教会の監視はありません」
ゼノリスが答えると、女の手が杖の上で震えた。外套の襟を引き寄せるように掴み、小さく頷いた。
カイロが女を魔術兵団の案内係へ引き渡した。
次の者は、ドワーフ族の男だった。
背が低く、胸板が厚い。腰に革のエプロンを巻いている。両手の指が太く、爪の間に黒い染みが入り込んでいた。金属を扱う者の手だった。
星が浮かんでいた。
【黄金の星。☆☆☆/☆☆☆☆】
硬い、鉄のような輝きだった。
「鍛冶の腕をお持ちですね。工房で力を振るってもらえますか」
ドワーフの男は、ゼノリスの顔を見上げて、にやりと笑った。
「見りゃあ分かるか。なら話が早い。仕事場を見せてくれ」
歯に混じって金属の詰め物が光った。カイロが工房への案内係を呼んだ。
三人目が去り、四人目が来た。五人目が来た。六人目。
ゼノリスは一人ひとりの前に立ち、星を見て、言葉をかけた。獣人族の少女。人族の老人。エルフ族の兄弟。名前を聞き、才能を伝え、行き先を示す。同じ手順を繰り返す。だが、同じ星は一つもなかった。色も、輝きも、揺れ方も、一人ずつ違う。
日が昇っていた。朝霧はとうに消え、石畳に影が短くなっている。
ゼノリスは次の者に声をかけた。その向こうに、まだ列が続いている。広場を埋め、街路に溢れ、城下の外にまで伸びていた。
カイロが列の横を歩きながら、水と食べ物を配っていた。待つ者たちの間を縫うように動き、言葉少なに食糧を手渡していく。ノアは広場の端に立ち、通過した人数と配置先を書類に記録していた。ペンを持つ手が止まらない。
日が傾き始めていた。
ゼノリスの前に立つ者の顔に、西日が当たっている。その向こうに、まだ二十人以上が並んでいた。
ゼノリスは声をかけた。次の者の名を聞いた。星を見た。才能を伝えた。
足元の影が長く伸びていた。列は、まだ終わらない。
◇◇◇
鉄と革の匂いが、朝の空気に混じっていた。
騎士団の訓練場に、見慣れない影が混じっている。ゼノリスは訓練場の柵の外から、その動きを目で追った。
昨日広場で見た者たちが何人もいた。その中にヴォルグもいた。
獣人族の若い戦士は、訓練場の端に立っていた。周囲の団員たちが木剣で打ち合う中、ヴォルグだけが素手で構えている。犬の耳が風を拾うように左右に揺れ、相手の動きを追っていた。
向かい側に立つ団員が踏み込んだ。木剣が振り下ろされる。ヴォルグの体が沈んだ。膝を曲げ、重心を落とし、剣の軌道の下を抜ける。そのまま相手の懐に入り、肩口に掌を当てた。押す、というより弾く。団員の体が半歩ずれた。
ヴォルグが間合いを取り直した。耳が立っている。構えが、昨日より低い。
訓練場の中央で、セラが腕を組んで立っていた。ヴォルグの動きを見ている。やがて柵に近づき、ゼノリスの方を振り返った。
「ゼノ様、あの獣人族。筋がいいです。体の芯がぶれないんです。初日からこれなら、ひと月後にはうちの中堅に追いつきますよ」
セラの目が輝いていた。強い者を見つけた時の、あの表情だった。
「鍛えてあげてください」
「もちろんです!」
セラが拳を握った。訓練場に戻りかけて、一度だけ振り返った。
「あの子、目が変わりました。昨日来た時と、全然違います」
セラは言い残して訓練場へ駆けていった。ヴォルグの前に立ち、何かを指で示している。ヴォルグの耳が前を向いた。セラの動きを、食い入るように見つめている。
訓練場を離れ、ゼノリスは魔術兵団の研究棟に足を運んだ。
石造りの棟内に入ると、空気が変わった。外の土と草の匂いが消え、乾いた紙と薬液の匂いが鼻に届く。廊下の奥から、低い詠唱の声が響いていた。
扉が開いた部屋の中に、シルヴァがいた。
作業机の上に術式図が広げられている。その向かいに座っているのは、昨日のエルフ族の女だった。頬の傷跡が、室内の灯りに薄く浮いている。手元に開かれた術式図を、女が指でなぞっていた。
シルヴァが女の指の動きを見つめ、小さく頷いた。
「基礎の構文は問題ないですね。ただ、接続の順序に癖があります。聖教会の教本から学んだ方ですか?」
「……はい。里を出た後、流れ着いた街の教会で」
「なら、直せます。本来の体系に戻すだけです」
シルヴァの声は淡々としていた。だが、術式図を示す指が丁寧だった。女の方を向き、一行ずつ指で追いながら説明している。
女が顔を上げた。シルヴァの目を見た。
「……こんなに丁寧に教えてもらったのは、初めてです」
シルヴァの指が一瞬だけ止まった。それから何も言わず、次の行に進んだ。
ゼノリスは扉の前に立ったまま、その光景を眺めていた。声をかけずに、廊下へ戻った。
◇◇◇
城下を歩いていると、工房のある区画から、金属を打つ音が聞こえていた。
規則正しい連打ではなかった。重い一撃と、軽い連打が交互に繰り返されている。ゼノリスが工房の入口に立つと、熱気が顔を撫でた。炉の赤い光が壁を染めている。
ドワーフ族の鍛冶師が、金床の前にいた。革のエプロンの前面が汗で変色している。手にした槌が、赤く灼けた鉄を叩いていた。打つたびに火花が散り、形が変わっていく。
隣に、人族の若い工員が立っていた。ドワーフの槌の動きを目で追い、自分の手元の鉄と見比べている。ドワーフが一度手を止め、若い工員の鉄を指で弾いた。
「ここの厚みが足りねえ。もう二打ち、端を寄せろ」
短い言葉だった。若い工員が頷き、槌を振った。ドワーフが一度だけ頷いた。
工房の奥では、別の工員がドワーフの打った金具を手に取り、寸法を測っていた。種族の違いが、ここでは手の速さと技術の差としてしか表れていない。
ゼノリスは工房を離れた。
城への道を歩きながら、ゼノリスの耳に領地の音が届いていた。訓練場から響く打ち合いの音。工房の槌の音。街道を行き交う荷車の軋み。市場から飛んでくる呼び声。重なり合って、一つの響きになっている。
だが、その足が止まった。
城門の手前で、カイロが待っていた。手に書類の束を持っている。
「ゼノリス様、配置の判断をお願いしたい者が、まだ十四人残っています」
カイロの声は平坦だった。
「それと、明日の到着予定が新たに二つ。合わせて四十人程度です」
ゼノリスは書類を受け取った。名前と出身地が並んでいる。一人ひとりの才能を見て、適所を決めなければならない。それができるのは、ゼノリスだけだった。
◇◇◇
魔王城の執務室の窓から、夕風が吹いていた。
ゼノリスは窓辺に立ち、領地を見下ろしていた。
西日が、大地を赤く染めている。街道を人が行き交っていた。荷車が二台、市場の方へ向かっている。市場の屋根が並ぶ向こうに、工房の煙突から薄い煙が昇っていた。その先に、荒廃地がある。かつて灰色だった大地に、今は茶色と緑が入り混じっている。
訓練場の方角から、まだ声が聞こえていた。金属の触れ合う音。誰かの掛け声。工房の槌の音は止んでいたが、代わりに市場から笑い声が風に乗って届いた。
種族も出自も関係なく、人が動いている。それぞれの場所で、それぞれの力を使っている。
――これが、私が望んだ国です。
ゼノリスは目を閉じた。風が髪を揺らした。夕日の温もりが頬に触れている。
目を開けた時、視界の端に机が映った。
書類が積まれていた。配置相談の控え。才能判定の依頼書。面会待ちの名簿。今日一日で処理しきれなかった分が、そのまま残っている。明日にはさらに増える。
ゼノリスは書類の束に手を置いた。紙の厚みが、掌に伝わった。
「……この調子で、更に発展させていきましょう」
声に迷いはなかった。だが、掌の下の紙の束は、昨日より少しだけ厚くなっていた。
窓の外で、日が沈もうとしていた。赤い光が、領地の端まで届いている。その大地の上を、まだ人が歩いていた。




