第131話:「魔物の掃討」
セラは城の訓練場で、拳を振っていた。
素振りではない。吊るした砂袋を相手に、踏み込みの角度を変えながら打ち込んでいる。右の拳、左の肘、右の膝。三連打のあとに半歩退いて間合いを取り直す。砂袋が揺れるたびに、鎖が軋んだ。
外縁部の荒廃地では、シルヴァが残滓の除去を進めている。騎士団からは先遣の護衛を出した。セラ自身の出番は、その後だ。ノアにそう言われた。分かっている。分かっているが、体がうずうずして待てない。
「団長」
副団長のグラドの声だった。訓練場の入口に立っている。息が上がっている様子はないが、足音に急ぎがあった。
「ノアさんから伝令です。荒廃地で魔物の気配が確認されました。ゼノリス様が現地で感知し、カイロさんの偵察と照合済みとのことです」
セラの拳が止まった。砂袋が揺れている。
「ノアさんの判断で、掃討の前倒しが決まりました。除去が完了した区画から順に、騎士団が入ります」
セラは砂袋を掴んで揺れを止めた。
「……編成は?」
「軽装突入隊、準備完了しています。ライカが隊を集めています」
セラは砂袋から手を離した。拳を開き、また握る。待っていた出番が、ようやく来た。
「よし! 行こう!」
訓練場を出ると、副団長のライカが中庭で兵たちを並べていた。軽装の鎧に身を包んだ突入隊が、二列で待機している。重い鎧は外し、荒廃地の不整地に対応できる装備に替えてある。
ライカがセラに気づいて駆け寄った。
「団長! 準備できてます!」
「よし」
セラは隊列の前に立った。兵たちの顔を見る。緊張はある。
「荒廃地に魔物が棲みついてる。カイロの偵察で、巣の場所と数は分かってる。私たちの仕事は、それを全部潰すこと」
セラは拳を上げた。
「シルヴァが残滓を取り除いてくれた。私たちは前に進んで、叩くだけ。簡単でしょ?」
兵たちの間に、小さな笑いが漏れた。セラの口元が上がる。
「行くよ!」
◇◇◇
荒廃地に踏み入れた時、空気の質が変わった。
街道から外れ、黒い土の上を進む。残滓が除去された区画には、術式陣の痕跡がうっすらと残っていた。シルヴァたちが刻んだ線だ。その上を歩いている間は、足元に不快な感触はなかった。
だが、除去が済んでいない区画に近づくにつれ、風の匂いが消えた。草も虫もいない領域。カイロの偵察報告では、魔物の巣はこの先にある。
セラは足を止めた。
前方の窪地に、低い唸り声が響いている。枯れ木の隙間から、灰褐色の毛が見えた。
「ライカ、右から回り込んで。グラド、隊列を崩さないで」
二人が頷いて動いた。セラは正面に立つ。
窪地の岩陰から、魔物が顔を出した。四足で背丈はセラの腰ほど。口元から涎が糸を引き、牙が剥き出しになっている。一匹ではない。岩陰のあちこちから同じ姿が現れる。五、六匹。その奥にも気配がある。
先頭の一匹が地面を蹴った。
セラは踏み込んだ。
拳が魔物の顎を捉え、そのまま叩き伏せる。地面に打ちつけられた魔物が痙攣し、動かなくなった。踏み込みから着弾まで、一瞬だった。
右から二匹目が飛びかかる。セラは半身をずらし、前腕で首を弾いた。魔物が地面を転がったところに、ライカの剣が胴を裂く。
「三匹目、左!」
グラドの声にセラは振り向かず、左足を軸に体を回した。踵が魔物の側頭部を捉える。岩に叩きつけられた魔物は、岩ごとひび割れて沈んだ。
突入隊の兵たちが左右に展開し、窪地の縁を囲んでいく。逃げ出そうとした魔物をライカが追い、グラドが隊列の穴を埋める。セラが正面を砕き、ライカが散った敵を拾い、グラドが陣形を保つ。
窪地の奥から、さらに魔物が湧いた。十匹を超えている。残滓に引き寄せられて巣食っていた群れの本隊が、ようやく動き出したのだ。
セラは息を吐いた。
「みんな、行くよ!」
突入隊が一斉に前に出た。セラが先頭で群れの中央に突っ込む。
拳が振られるたびに魔物が吹き飛ぶ。一撃で沈む。魔力のない純粋な肉体が生む衝撃は、この程度の魔物には過剰なほどだった。
ライカがセラの右翼を走り、逃げた魔物を追い詰めている。グラドが左翼の隊列を指揮し、回り込みを塞いでいた。
群れが浮き足立ち、窪地の外へ散ろうとした。
だが、逃げ場はなかった。
窪地の出口に、壁が立っていた。
ガルムだった。巨大な盾を地面に据え、その背後に守護隊副隊長バルカと守護隊の兵たちが並んでいる。盾と身体で組まれた防壁が、窪地の出口を完全に塞いでいた。
「ここから先は通さん」
ガルムの声は低く、揺るぎがなかった。逃げ出した魔物が防壁に体当たりする。盾が微動だにしない。バルカが盾の隙間から槍を突き出し、魔物を弾き返す。
ノアの計画通りの配置だった。守護隊が後方と側面を封じ、領民が作業している区画への突破を許さない。ガルムが中央に立ち、バルカが右翼を固めている。一匹たりとも通していなかった。
セラは窪地の中央で足を止めた。前にはもう動く魔物がいない。後ろではガルムの防壁が最後の数匹を封じ、ライカが仕留めていく。
窪地が静かになった。
セラは拳を下ろし、息をついた。額の汗を腕で拭う。一つ目の巣を潰した。だが、カイロの偵察報告では、巣はまだいくつもある。
「次、行くよ」
セラは踵を返した。荒廃地の奥から、また唸り声が聞こえた。
◇◇◇
三つ目の巣を潰した時、セラの拳には血がこびりついていた。
自分の血ではない。魔物の血だ。乾いた黒い土の上に、骸が点々と転がっている。突入隊の兵たちが息を整えながら、周囲の安全を確認していた。
一つ目の巣より、二つ目のほうが魔物の数が多かった。三つ目はさらに多い。
荒廃地の奥へ進むほど、残滓の濃度が高い。生命力を奪われる環境の中で生き残れるのは、それに耐えられるだけの力を持った個体だけだ。奥に棲みついた魔物ほど、大きく、頑丈だった。三つ目の巣では、セラとほぼ同じ背丈の魔物が二匹混じっていた。それでも、一撃で沈む。拳を振れば倒れる。だが、数が多い分、隊の消耗が気になった。
「グラド、怪我人はいる?」
「軽傷が三名。戦闘継続に問題はありません」
グラドが隊列を確認しながら答えた。冷静な声だった。
「ただ、突入隊の足が重くなってきています。不整地の連続で、脚に負荷が溜まっています」
セラは頷いた。ここから先、カイロの偵察報告ではあと二つ巣がある。突入隊だけで押し続けるのは、もう無理があった。封鎖線を前線まで引き上げる。
「グラド、重装封鎖隊を前に出して」
「了解」
グラドが伝令を走らせた。後方で待機していた重装封鎖隊が、鎧の音を響かせて前進してくる。掃討済みの区画を固め、魔物が戻れないよう封鎖線を形成していく。突入隊が叩いた後を、封鎖隊が塞ぐ。
最初の巣では守護隊が後方を抑えていた。だが掃討が奥に進むにつれ、封鎖すべき範囲は広がっていた。
ガルムの守護隊は、領民の作業区画に面した外縁を固めている。封鎖隊は荒廃地の内側、掃討済みの巣と巣の間を繋ぐ線を張る。守護隊が外を、封鎖隊が内を押さえることで、魔物の逃げ場はもうなかった。
「団長! 四つ目、見えました!」
ライカの声が前方から飛んだ。セラは血のついた拳を腿で拭い、走り出した。
四つ目の巣は岩場の裂け目に作られていた。狭い。だがセラは構わず踏み込み、裂け目の中を力ずくでこじ開けた。
長くはかからなかった。
五つ目の巣は、荒廃地の最奥にあった。
窪地ではなく、枯れた大木の根元に穴が掘られている。中から這い出てきた魔物は、これまでで最も大きかった。セラの倍近い高さがある。見上げるほどの巨体だった。牙が太く、爪が地面を抉っている。
セラは息を吸った。
踏み込む。
その瞬間、魔物の爪が地面を抉った。跳ね上がった土が足元を崩す。
セラの踏み込みがわずかに鈍る。
それでも前に出る。
拳が魔物の額に入る――はずだった。乾いた衝撃音が鳴り、拳が弾かれる。骨のように硬い皮膚が、打撃を受け止めていた。
セラの目が細くなる。
半歩、踏み込みを深くし、もう一度、拳を叩き込む。
魔物の頭蓋が砕ける感触が、拳の骨を通じて腕に伝わる。魔物が後方に吹き飛び、枯れ木の幹に叩きつけられた。幹が折れ、魔物と一緒に倒れる。
残りの魔物にライカと突入隊が殺到した。
動くものがなくなるまで、長くはかからなかった。
セラは荒廃地の最奥に立ち、周囲を見渡した。唸り声は、もう聞こえない。風だけが、枯れ木の間を抜けていく。
「掃討完了」
グラドが静かに告げた。
◇◇◇
掃討戦から一夜明け、セラとガルムが執務室の机の前に並んでいた。
ゼノリスは机の向こう側から、二人を見た。セラは拳を腰の横で握ったまま、まだ興奮が抜けきっていない顔をしている。ガルムは盾を背に立て、微動だにしない。
「ゼノ様、報告します!」
セラが一歩前に出た。
「荒廃地の魔物の巣、五か所すべて掃討しました。カイロの偵察報告にあった魔物は、全て討伐済みです」
「騎士団の被害はどうですか?」
「軽傷が七名です。重傷者はいません」
セラの声に誇りがにじんでいた。
ゼノリスはガルムに目を向けた。
「ガルム、守護隊の方も報告お願いします」
ガルムの声は低く、落ち着いていた。
「防衛線は維持いたしました。掃討の間、魔物が領民の作業区画に近づくことは一度もありませんでした。守護隊の損害もありませぬ」
「ありがとう。二人とも見事でした」
ゼノリスの声は穏やかだった。
「ただ――」
ガルムが続けた。
「わしの守護隊で、巡回体制を敷いております。掃討済みの区画に魔物が再び棲みつかぬよう、外縁部の警戒は継続いたします」
ゼノリスは頷いた。
「お願いします。セラの封鎖隊も、掃討済みの区画の封鎖を維持してもらえますか?」
「もちろんです! 任せてください!」
セラが拳を握った。
ゼノリスは机の上の地図に目を落とした。荒廃地の外縁部に、シルヴァが除去を進めた区画が色分けされている。その中に、今日セラたちが掃討した巣の位置が書き込まれていた。
ゼノリスは顔を上げた。
「セラ、ガルム。あなたたちのおかげで、安全になりました」
二人を見て、続けた。
「次は、あの土地に人の手を入れます。明日、私が現地に行きます」




