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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第三部:地固め

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第132話:「大地の再生」

 ゼノリスは荒廃地の入口で足を止めた。


 シルヴァと老農夫が後ろに続いている。セラの封鎖隊が固めた区画の境界を越えると、足元の土が変わった。踏む感触が軽い。草も石も転がっていない、剥き出しの地面が奥まで広がっていた。


 ゼノリスは膝を落とし、土を掌に載せた。


 指の間から零れるほど軽い。握っても固まらず、粉のように崩れて風に散った。色は黒というより灰に近い。土の匂いがしない。鼻に届くのは、乾いた砂を思わせる無機質な気配だけだった。


 掃討を終えた荒廃地に、魔物の唸り声はもう聞こえない。セラの騎士団が巣を潰し、ガルムの守護隊が巡回と防衛線を維持している。安全にはなった。だが、足元の地面は何も変わっていなかった。


 シルヴァが隣に立っていた。外套の裾が風に揺れている。片手に小さな瓶を持ち、中に入れた土を光に透かしていた。


「残滓そのものは除去されています」


 シルヴァが瓶を下ろした。


「ですが、残滓が長期にわたって生命力を吸い上げた結果、土壌の養分が根こそぎ失われています。有機物がほぼ残っていません。水脈も、残滓の影響で汚染されたままです。浄化しなければ使えない状態です」


 ゼノリスは掌に残った灰色の粉を見た。残滓は消えた。だが、吸い尽くされた後の空っぽの器だけが残っている。


「シルヴァ、この土は蘇りますか?」


「時間はかかりますが……。もしくは条件が揃えば、早く回復します」


 シルヴァは答えた。


「清浄な水と、養分と、それを正しく扱える人の手。この三つがあれば可能です」


 ゼノリスは掌の粉を地面に戻した。


 背後で膝をつく音がした。


 老農夫だった。白髪交じりの頭を地面に近づけ、両手を土の中に沈めている。目を閉じたまま、微動だにしない。農地で会った時と同じ姿勢だった。


 長い沈黙があった。


 老農夫が目を開けた。土から手を引き抜き、指先についた灰色の粉を親指でこねた。


「……何もない」


 低い声だった。


「養分が、根こそぎ吸い取られとる。こんな土は見たことがない。通気もない。水を入れても、流れる道がどこにもない」


 老農夫は手の中の土を見つめたまま続けた。


「けど、死んではおらん」


 ゼノリスが顔を向けた。


「粒がまだ残っとる。砕けとるが、粒の形はある」


 老農夫は立ち上がり、ゼノリスをまっすぐに見た。


「水があれば、戻ります」


 シルヴァの分析と、老農夫の手が、同じ結論を指していた。


 ゼノリスは頷いた。


「水を、探しましょう」


◇◇◇


 二日後の朝、荒廃地の南側にさくさくせい職人たちが並んでいた。


 先頭に立っているのは、城下の上水道を引いた時のさく井職人の男だった。日に焼けた肌、使い込まれた革の作業着。あの時と変わらない。その後ろに、三人のさく井職人が続いていた。男の下で技術を学んだ者たちだ。それぞれが腰に道具袋を提げ、細い鉄の棒を手にしている。


 荒廃地は広い。一人では回りきれない。


 先頭の男が振り返り、三人に短く指示を出した。言葉は聞こえなかったが、それぞれが別の方向に散っていった。北寄り、東寄り、中央。先頭の男は南寄りを取った。四人が、荒廃地を分割して歩き始める。


 ゼノリスは少し離れた場所から、その動きを見ていた。


 先頭の男が膝をつき、棒の先を土に差し込んだ。押して、引き抜く。先端についた土を指で確かめる。あの時と同じ手順だった。城下で水脈を探した時と、同じ動作。だが、指が止まる間が長い。土を擦り合わせ、首を傾げ、別の場所に棒を差し直す。


 荒廃地の土は、城下の土とは違う。残滓に蝕まれた土は、水の痕跡まで曖昧にしていた。


 男が立ち上がり、数歩移動した。また膝をつく。差す、引く、確かめる。また移動する。


 東寄りを担当していた若い職人が、似た動作を繰り返していた。棒を差し、首を振り、隣に移る。北寄りの職人も同様だった。中央の職人だけが、一か所で長く止まっていた。棒を差したまま、地面に耳を近づけている。


 日が高くなっていた。


 四人の職人が荒廃地を歩き回る姿が、ゼノリスの視界のあちこちに散らばっている。棒を差し、引き抜き、移動する。同じ動作が、何十回と繰り返されていた。


 先頭の男が、荒廃地の南端近くで足を止めた。棒を深く差し込んだ。引き抜いた先端を、長く見つめた。指で土を擦る。もう一度差す。引く。


 男がゼノリスの方を振り返った。


「ここの下に、まだ生きた層があります」


 声に、確信があった。


「城下の時より深い。だが、水を含んだ地層がある。汚染は、たぶんされているが、水脈自体は死んでいない」


 ゼノリスはシルヴァに目を向けた。シルヴァは既に歩き出していた。男が示した地点に近づき、地面に杖を向ける。青白い光が杖の先に灯り、土の中へ沈んでいった。水脈に残る汚染の構造を見ている。


 光が消えた。シルヴァが顔を上げた。


「水脈の汚染は、残滓由来の術式痕です。構造が読めました。浄化すれば、使えます」


◇◇◇


 翌朝、ゼノリスは採掘者と配管工を呼んだ。


 城壁の修復や上水道の工事で経験を積んだ者たちが、道具を手に集まってきた。さく井職人が地面に印をつけ、採掘者たちがその位置から掘り始めた。


 土を掻き出す音が、荒廃地に響いた。乾いた音だった。養分を失った土は軽く、掘るたびに粉が舞い上がる。深さが増すにつれ、土の色が変わった。灰色から、暗い茶に。さらに掘ると、湿り気が指先に触れ始めた。


 岩盤に当たった。


 採掘者がノミを構えた。一撃で割る。亀裂が走った瞬間、冷たい空気が噴き出した。続いて、低い音がした。地面の奥から、何かが押し上がってくる音だった。


 水が、湧き上がってきた。


 掘削した穴の底から、濁った水が泡とともにせり上がる。地下の圧力が水を地表へ押し出している。ただ、色が濁っている。


 配管工たちが動いた。湧き出す水を受けるため、穴の口に管を据えつけていく。上水道の工事で覚えた手つきだった。


 シルヴァが管の縁に立った。杖の先を内壁に当て、青白い光を走らせる。


「管の内壁に浄化術式を定着させます。汚染された水がここを通る間に分解され、出口では清浄な水になります」


 光が管の内側を伝い、接合部ごとに灯っては消えた。ただし、汚染の分解が加わっている分、術式の密度が濃い。シルヴァの杖が一つずつ丁寧に縁をなぞり、刻みを確かめていた。


 管の出口から、水が流れ始めた。


 最初はまだ薄く濁っていた。だが数秒と経たないうちに、色が変わった。茶褐色が薄れ、透明度が増していく。管を通り抜けた水が、荒廃地の乾いた土の上に広がった。


 最初に水が触れた土が、色を変えた。灰色の粉が水を吸い、わずかに暗くなる。


 その変化を、老農夫が腰を落として見つめていた。


◇◇◇


 水が確保された翌日、荒廃地の外縁部周辺から領民たちがやってきた。


 遠い場所に住む者たちだった。城下からも農地からも離れた、荒廃地に最も近い集落の民。再建の恩恵がまだ届いていない者たちだった。荒廃地の再生が始まると聞いて、手伝いに来ていた。


 ゼノリスは、集まった領民の前に立ち、一人ずつ顔を見た。


 年齢も体格も種族もばらばらだった。日に焼けた肌の者、痩せた体の者、まだ若い者。それぞれの頭上に、黄金の光が静かに浮かんでいる。


 一人の男に、ゼノリスの目が止まった。


 落ち着いた雰囲気の人族の男だった。その頭上に星が浮かんでいた。


【黄金の星。☆☆/☆☆☆☆】


 その輝きは、土のような温かい色だった。


 ゼノリスは男の前で足を止めた。


「あなたの手は、土を知っている手です」


 男が目を丸くした。


「以前、畑仕事をされていましたか?」


「……ええ。昔は、この近くで畑をやっていました」


 男の声は低く、どこか諦めたような平坦さがあった。


「あなたには、農夫としての優れた才能があります。この地を蘇らせる力が、あなたの手にはあります」


 男が黙った。大きな手を見下ろしていた。


「……俺に、そんな力が?」


「私が保証します」


 ゼノリスが言い切った。男の目が、初めてまっすぐにゼノリスを見た。


 老農夫が、男の傍に歩み寄った。


「来い」


 老農夫は振り返らずに言った。荒廃地の土の前にしゃがみ、両手を地面に入れた。


「まず、土に触れ。手のひら全部を使え。指を広げて、深く入れろ」


 男が戸惑いながら膝をついた。老農夫の隣で、同じように手を土に沈める。


「目を閉じろ。手で聞け」


 男が目を閉じた。


「何か感じるか?」


「……冷たい。それと、軽い。何もない感じがします」


「そうだ。それが分かるなら、お前はもう始められる」


 老農夫の声に、僅かな温みがあった。


 ゼノリスはその二つの背中を見ていた。先に見出された者が、新たに見出された者に手を伸ばしている。才能が才能を繋いでいく。


◇◇◇


 数週間が過ぎていた。


 ゼノリスが再び荒廃地を訪れると、地面の色が前と違っていた。灰色だった表土が、濃い茶に沈んでいる。水が通った筋に沿って、土が湿り気を帯びている箇所がある。まだ、まだらだった。だが、一面の灰色ではなくなっている。


 水路が、荒廃地の中を走っていた。


 さく井職人たちが見つけた水脈から引いた水が、管を通り、浄化され、地表へ出る。そこから領民たちが掘った溝を伝い、区画ごとに分かれていく。城下の農地で見た光景に似ていた。だが、ここの溝はまだ浅く、水の勢いも弱い。それでも、水は止まらずに流れていた。


 領民たちが、区画の中で動いていた。


 鍬を振る者がいる。水を桶で運ぶ者がいる。土を手で砕いている者がいる。動きの一つ一つは小さかったが、荒廃地のあちこちで同時に起きていた。


 その中に、あの男がいた。


 外縁部の近くからやってきた、農夫の才能を持つ男だった。腰を落とし、両手で土を掘り返している。動きが、数週間前とは変わっていた。指が迷わない。土をすくい、崩し、また戻す。その手つきに、老農夫の動作が重なって見えた。


 老農夫は少し離れた場所にいた。別の領民の傍にしゃがみ、鍬の入れ方を手で示している。言葉は聞こえない。だが、領民が頷き、鍬を持ち直した。


 新たに見出された農夫が、今度は隣の区画の領民に声をかけていた。


「ここは水を入れすぎると沈む。少しずつ、何回かに分けた方がいい」


 教わった者が、教える側に回っている。


 ゼノリスはその光景を歩きながら見ていた。さく井職人の一人とすれ違った。男は管の接合部を確かめながら歩いている。ゼノリスに気づくと、軽く頭を下げた。言葉は交わさなかった。それぞれの持ち場が、もう決まっていた。


 荒廃地の奥では、シルヴァが立っていた。管の浄化術式を点検している。団員が一人ついている。シルヴァが管の内壁を指でなぞり、何かを告げた。団員が頷き、杖を当て直した。


 ゼノリスは足を止めた。


 風が吹いた。乾いた風だった。だが、ほんのわずかに、鼻の奥をくすぐるものがあった。前に来た時にはなかった匂いだった。何の匂いとも言えない。ただ、無臭ではなくなっている。


 土が、呼吸を始めているのだとゼノリスは思った。


◇◇◇


 それからさらに日が経った。


 その日も、ゼノリスは荒廃地を見て回っていた。


 水路に沿って歩いていると、前方から声が上がった。一人ではない。重なっている。ゼノリスは足を速めた。


 区画の境目を越えたところで、領民たちが集まっているのが見えた。十数人が、一か所に固まっている。その中心を囲むようにして、顔を下に向けていた。


 声が聞こえた。


「芽が出た!」


 ゼノリスは駆けた。


 人の輪を分け、中心に出た。


 黒かった土の表面に、それはあった。


 小さな緑。指の先ほどの、細い茎。双葉が、土を割って顔を出している。色が鮮やかだった。周囲の暗い土との対比で、その緑は目に刺さるほど鮮明だった。


 一つだけではなかった。


 すぐ傍に、もう一つ。少し離れたところに、さらに三つ。点々と、土の上に緑が散っている。どれも小さい。だが、確かに土を破って出てきていた。


 領民たちの声が重なっていた。笑っている者がいる。隣の者の肩を叩いている者がいる。水を運んできた男が桶を置いて、芽の前にしゃがみ込んでいた。


 外縁部から来た農夫が、両手を地面につけていた。芽の横の土に指を入れ、じっと動かない。目を閉じている。しばらくして、顔を上げた。


「……根が、張ってる」


 声が震えていた。


 老農夫が、その傍にいた。腕を組み、芽を見下ろしている。表情は動かない。だが、組んだ腕の指先が、微かに揺れていた。


 シルヴァがゼノリスの隣まで歩み寄り、芽に視線を落とした。


「浄化術式は正常に機能しています。水脈からの供給も安定しています」


 報告の口調だった。だが、それだけ言うと、シルヴァは口を閉じた。芽を見ている。しばらく、何も言わなかった。


 ゼノリスは芽の前にしゃがんだ。


 双葉が、風に揺れている。荒廃地の風だった。匂いのなかった風に、今、草の匂いが一筋混じっている。鼻腔の奥に届く、青い匂い。この荒廃地で初めて嗅ぐ、生きているものの匂いだった。


 ゼノリスは手を伸ばしかけて、止めた。


 触れなくてもいい。この芽は、もう自分の力で立っている。


 ゼノリスは立ち上がり、周囲を見渡した。領民たちがまだ声を上げている。その向こうに、荒廃地が広がっていた。茶色くなった土と、まだ灰色のままの土が隣り合っている。再生はまだ途中だった。だが、一つ芽が出たということは、この土地が死んでいないという証拠だった。


◇◇◇


 執務室に戻ったゼノリスの前に、ノアが立っていた。


 帳面を脇に挟み、地図を机の上に広げている。荒廃地の区画図に、新しい書き込みが加わっていた。浄化済みの区画、耕作中の区画、芽が出た区画。色分けされた線が、地図の上を細かく走っている。


「ゼノ様」


 ノアが地図から顔を上げた。


「荒廃地の再生は、順調に進んでいます。芽が出た区画は、今後さらに増える見込みです。農地としての本格運用まで、あと数か月というところです」


 ゼノリスは頷いた。


「ノア、ありがとう。あなたの工程管理がなければ、ここまで来られませんでした」


「僕は計算しただけです。動いたのは現場の皆さんです」


 ノアは淡々と返した。だが、帳面を持つ指が少しだけ緩んでいた。


 ゼノリスは窓の方に目を向けた。


 荒廃地が見えていた。灰色の大地の中に、茶色の区画が点在している。そのどこかに、今日見た緑がある。


 ノアのペンが、地図の上を走り始めた。もう、次の線を引いている。



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