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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第三部:地固め

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第127話:「圧倒の証明」

 丘の上から、すべてが見えた。


 ノアは後方の高台に立ち、広げた地図と眼下の地形を交互に見ていた。丘陵の稜線が左右に延び、その手前に守護隊、両翼に騎士団、後方に魔術兵団。配置は完了している。


 丘の向こうから、勇者軍が来る。


 平地を埋めるように兵の列が進んでいた。旗が十数本。先頭に騎馬の指揮官が、その後ろに歩兵が縦列で続いている。数は三百から四百。補給の荷車は見当たらない。身軽に押し込んで、一気に叩くつもりだろう。


「ヴェルナーさん」


「はい」


 隣に立つ参謀副部長が、ノアと同じ方向を見ていた。


「敵の先頭が丘の麓に到達するまで、あとどのくらいですか?」


「進軍速度から見て、四半刻ほどかと」


「十分です」


 ノアは地図に目を落とした。盤面は揃っている。敵の数、進軍速度、補給の有無、地形の高低差、こちらの配置。すべてが頭の中で噛み合っていた。


 勇者軍の先頭が、平地の中ほどまで来た。距離が縮まっている。騎馬の指揮官が剣を掲げた。遠く、声が聞こえた。


「魔王軍だと? たかが辺境の虫けらのゴミだ! 数で踏み潰せ!」


 兵たちが声を上げた。突撃の号令だった。歩兵の列が崩れ、横に広がりながら丘の麓へ駆け上がってくる。足音が地面を叩き、鎧の金属音が重なって一つの音になった。


 ノアは地図から顔を上げた。


「……予想通りの形です」


 補給を切り、速度で押す短期決戦型。陣形を広げて数で圧倒する。教本通りの戦術だった。教本通りであるなら、崩し方も決まっている。


「ガルムさん」


 ノアが声を張った。高台から前方へ、声が通る。


「お願いします!」


◇◇◇


 ガルムは前衛の中央に立っていた。


 大盾を地面に立てている。両手を柄にかけ、足を肩幅に開いて構えた。背後に守護隊が並んでいる。盾が十数枚、隙間なく横一列に連なっていた。


 前方から、勇者軍が来る。


 丘の斜面を駆け上がってくる兵たちの顔が見えた。若い。装備は揃っているが、目が泳いでいる者がいる。訓練は受けているが、実戦は多くない。


 ガルムは足を踏み直した。


 先頭の兵が、あと三十歩のところまで来た。剣を振りかぶっている。その後ろに、五人、十人と続いている。


「守護隊」


 ガルムが声を出した。低く、太い声だった。


「盾を構えろ」


 背後で、金属が鳴った。十数枚の盾が同時に地面から持ち上がり、前方に向けられる。副隊長のバルカが右翼の端で盾列を揃えていた。声は出さない。手で合図を送り、列の乱れを正している。


 勇者軍の先頭が、十歩まで迫った。


 ガルムは大盾を構え直した。


「ここから先は、通さん」


 【不動の盾】が発動した。


 ガルムの前方の空間が、固まった。目に見えるものは何もない。だが、先頭の兵が剣を振り下ろした瞬間、刃が空中で止まった。腕ごと弾き返され、兵が後方に吹き飛んだ。


 続く兵たちが殺到した。剣が、槍が、体当たりが、次々にガルムの前に叩きつけられる。どれも届かなかった。何かがあった。目に見えない、だが確かにそこにある壁が、すべてを弾いている。


 ガルムは動かなかった。


「バルカ」


「はい」


「左が薄い。詰めろ」


「了解」


 バルカが盾列の左端に走った。守護隊の兵が一人、二人と位置を調整する。ガルムの【不動の盾】を軸に、守護隊の盾列が壁を厚くしていく。


 勇者軍の兵が、壁に張りついたまま動けなくなっていた。押しても引いても、前に進めない。後方からさらに兵が押し寄せ、自軍同士で詰まり始めている。


「……なんだこれは。なぜ止まる……!」


 兵の一人が叫んだ。


 ガルムは答えなかった。大盾の向こう側で、何十人もの兵が体をぶつけ続けている。金属と金属がぶつかる音が絶え間なく響いていた。


 だが、壁は動かない。


◇◇◇


 セラは両翼の左側で待っていた。


 守護隊の壁に勇者軍がぶつかり、押し固められていくのが見えた。前に進めない兵たちが詰まっている。横に逃げようとする者もいるが、盾列が両端まで延びていて抜けられない。


「ノアの言った通りだ」


 セラが呟いた。壁で止め、溜まったところを横から叩く。単純だが、ガルムの壁があるから成立する。


 高台から、ノアの声が飛んだ。


「セラさん、今です!」


 セラの口元が上がった。


「騎士団――」


 セラが地面を蹴った。


「突撃!」


 副団長のライカがセラの半歩後ろについた。獣人族の脚が地面を叩き、セラと並走する。


「行きましょう!」


「いいよ! 来い!」


 二人が勇者軍の側面に突っ込んだ。


 セラの拳が、最前列の兵の盾を叩いた。盾ごと吹き飛んだ。鎧が歪み、後ろの兵を巻き込んで三人がまとめて転がった。


 セラの【神域の身体】は、この密集の中でこそ効いた。一人を倒せば、その衝撃が隣の兵に伝わる。密集しているから逃げ場がない。倒れた兵が隣の兵を巻き込み、そのまた隣が崩れる。


 ライカが左側面から切り込み、セラが作った穴をさらに広げた。鋭い動きだった。突撃気質のライカは、セラが開けた間隙に迷いなく飛び込む。


 左翼の後続がついてきた。騎士たちが二列で突入し、セラとライカが開いた穴を通路のように押し広げていく。


 反対側から、声が聞こえた。


「隊列を崩すな! 右翼、そのまま押し込め!」


 副団長のグラドだった。右翼に展開している騎士団が、こちらと同じ形で勇者軍の側面に突っ込んでいる。セラの目には、敵陣の向こう側で兵が崩れていくのが見えた。


 左右から挟まれている。


 勇者軍の陣形が、両翼から裂けた。


◇◇◇


 術式が、空気を書き換えた。


 シルヴァは後方の魔術兵団の中央に立っていた。目を開いている。前方で起きていること――ガルムの壁が正面を止め、セラの騎士団が両翼から陣形を裂いている――そのすべてが視界に入っていた。


 勇者軍の後方で、魔術兵が動いた。五人。陣形の崩壊を食い止めようと、術式を組み始めている。光の筋が空気に走り、火球の輪郭が浮かんだ。


 シルヴァの【真理の眼】が、それを捉えた。


 術式の構造が見える。組み方、起点、魔力の流れ。どこに力を注ぎ、どこを省略しているか。すべてが透けていた。


「……雑ですね」


 シルヴァが呟いた。火球の術式は三層構造だが、二層目と三層目の接続が甘い。ほどくのに一瞬もかからない。


 シルヴァが右手を前に出した。指先が空気をなぞると、敵の術式に亀裂が走った。火球が膨らみかけたところで崩壊し、光の粒になって散った。敵の魔術兵が目を見開いている。自分の術式が壊されたことに、まだ気づいていない者もいた。


「エルネス」


「はい」


 隣の副団長エルネスが、すでに両手を前に出していた。シルヴァが敵の術式を無効化した隙に、エルネスが結界の術式を展開する。光の線が地面を走り、勇者軍の後方へ弧を描くように囲んだ。


 退路を封じる面制圧。エルネスがシルヴァの設計をそのまま現場に落とし、正確に展開していく。


 シルヴァが再び右手を振った。今度は攻撃だった。分解した敵の術式の構造を最適化し、数倍の密度に組み直して撃ち返す。火の柱が勇者軍の後方に落ちた。地面が抉れ、兵たちが吹き飛んだ。


「あなた方の魔術は、穴だらけです」


 シルヴァの声は静かだった。だが、その一言が戦場に響いた瞬間、勇者軍の魔術兵たちが術式の展開を止めた。構える手が震えている。自分たちの術が通じないと分かったのだ。


 正面はガルムが止めている。両翼はセラが裂いている。後方はシルヴァが封じた。


 勇者軍は、箱の中に閉じ込められていた。


◇◇◇


 騎馬の指揮官が、馬上で叫んでいた。


「退け! 退却だ! 陣形を――」


 声が途切れた。


 指揮官の背後に、影があった。一瞬前にはなかったものが、そこにいた。


 カイロだった。


 短剣が一閃した。指揮官の喉を裂き、馬から崩れ落とす。地面に転がった体は、もう動かなかった。


「終わりだ」


 カイロの声は低く、短かった。


 周囲の兵が反応した。三人が同時に剣を抜き、カイロに向かって踏み込んだ。


 一人目の剣が振り下ろされる前に、カイロの短剣が喉を走っていた。二人目は腕を掴まれて引き寄せられ、胸に刃が沈んだ。三人目が後退しようとした瞬間、背後に回ったカイロの刃が首筋を断った。三人が倒れるまで、息をつく間もなかった。


 周囲の兵が凍りついた。指揮官が殺され、助けに入った三人が、一瞬で斬り伏せられている。どこから現れたのかも分からない影に、何もできなかった。


 指揮系統が、断たれた。


 それが合図だった。勇者軍の兵たちが、走り始めた。来た方向へ。丘を下り、平地へ。武器を捨てる者がいた。盾を投げ捨てる者がいた。


「ば、化け物だ……!」


 誰かが叫んだ。その声が伝染するように、兵たちの足が速くなった。もう陣形も指揮もない。数百の兵が、ただ逃げていた。


◇◇◇


 ノアは高台から、すべてを見ていた。


 勇者軍が平地を南へ潰走している。追撃の必要はなかった。指揮官を失い、魔術を封じられ、陣形を粉砕された軍に、再編する力は残っていない。


「リゼットさん」


「はい。残敵なし。逃げた兵は全員南へ向かっています。伏兵や別動隊の気配もありません」


 リゼットが隣で報告した。諜報副部長の目が、まだ戦場を走査している。


「ありがとうございます」


 ノアは地図を畳んだ。筆記具を取り出し、手帳に数字を書き込んだ。敵の数、戦闘時間、各隊の魔力消耗の概算。


 ヴェルナーが横から覗き込んだ。


「損耗は?」


「ゼロです」


 ノアが書き込みを止めずに答えた。


「敵軍、撤退。我が軍の被害、ゼロ。負傷者もなし」


 ヴェルナーが息を吐いた。ノアは手帳を閉じ、筆記具を腰の筆記具入れに戻した。蓋を閉める音が、静かな丘の上に響いた。


 ノアの目が、丘の斜面に動いた。倒れたまま動かない兵の数を、目だけで数えた。三十一。指揮官を含めて、敵側の死者の数だった。負傷して動けない者は、それとは別に、数えきれないほどいた。


「ヴェルナーさん。負傷した敵兵の収容、お願いできますか。動ける者は武装を解いて捕虜とし、丘の麓に幕を張ります。動けない者は治療してから帰します。遺体は中腹に並べて、解放する者たちに持ち帰らせます」


「了解しました」


 戦場に、風が吹いていた。さっきまで足音と怒号で満ちていた丘が、静まり返っている。セラの騎士団が隊列を整え直し、ガルムの守護隊が盾を下ろしていた。シルヴァの魔術兵団は、すでに術式を解除している。


 カイロが、いつの間にか高台の傍に立っていた。ノアが振り返ると、短く頷いた。それだけだった。


◇◇◇


 城に戻ったのは、翌日の昼過ぎだった。


 執務室の扉を開けると、ゼノ様が机に向かっていた。書類を手にしたまま顔を上げた。


 ノアは執務机の前に立った。手帳を開いた。


「ゼノ様。勇者軍との戦闘の報告です」


「聞きます」


 ノアは手帳を閉じた。開いたのは一瞬だった。確認するまでもない数字を、それでも確認した――そういう動作だった。


「我が軍の損耗、ゼロ。負傷者なし。報告は以上です」


 ゼノ様は、しばらく黙っていた。


 それから、微笑んだ。


「ありがとう」



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