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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第三部:地固め

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第124話:「潜む影」

 執務室の扉が開いた。カイロだった。


 ゼノリスが顔を上げた。足音はいつも通り静かだった。


「ゼノリス様、報告が二件あります」


「聞きます」


「西側の国境付近で商隊が襲われています。勇者軍の末端兵が護衛のいない隊を狙って荷を奪っています。今朝の時点で二隊がやられ、別の一隊はそれを聞いて引き返しました」


「二つ目は、何ですか?」


「領内で不満の声が出ています。『農民ばかり優遇されている』『商人だけが儲けている』と。ただ、広がり方が早すぎます。実態と合わない不満が、同じ言い回しで複数の場所から同時に出ています。外から仕込まれた可能性が高いです」


 ゼノリスは立ち上がった。


 『農民』。この領内で、その言葉を使う者はいない。


「……物流と内部を同時に攻めて、対処を分散させる狙いですね」


「はい」


「カイロ、内部の方をお願いします。噂の出処と工作員の動きを」


「承知しました」


「商隊の護衛は、セラに任せます」


 その時、廊下から忙しない足音が聞こえ、扉が勢いよく開いた。


「ゼノ様! 聞きました! 商隊がやられたって!」


 セラだった。息は上がっていない。走ってきたのではなく、足が速いだけだった。


「セラ。ちょうどよかったです」


 ゼノリスが微笑んだ。


「西側の国境付近で商隊が襲われています。騎士団で護衛をお願いできますか?」


「任せてください! 絶対に守ります!」


 セラが拳を握った。即答だった。ゼノリスの言葉が終わるより先に、もう体が前を向いている。


 カイロがセラを見た。


「相手は末端の兵だ。大した相手じゃないが、商隊を巻き込むな」


「分かってる!」


 セラが「よし」と小さく言って、振り返った。


「行ってきます、ゼノ様!」


「気をつけて」


 セラは駆け出した。廊下の足音が遠ざかっていく。


 カイロがゼノリスを見た。


「俺も行きます」


「お願いします」


 カイロが出ていった。執務室が静かになった。


 ゼノリスは窓の方を見た。市場の屋根が並んでいる。まだ、いつも通りの声が聞こえていた。


◇◇◇


 西側国境の街道に、騎士団が展開した。


 セラは馬から降りて、街道の真ん中に立っていた。森の縁の手前に人影がある。十人前後。武装は軽い。


「団長」


 グラドが横に来た。


「前方に人影。十人前後、正規兵の装備ではありません」


「見えてる」


 セラは腕を組んだまま前を見ていた。護衛のいない商隊だけを狙う連中だ。


「ライカ」


「はい!」


 ライカが一歩前に出た。耳が立っている。もう臨戦態勢だった。


「隊を左右に展開して、商隊が来たらそのまま護衛につけて」


「了解です。あの連中は?」


「私が行く」


 グラドが口を開いた。


「団長が単独で前に出るのは――」


「大丈夫。すぐ終わるから」


 セラは歩き出した。街道の真ん中を、まっすぐ前へ。


 森の縁の影が動いた。声が上がった。距離が詰まる。三十歩。二十歩。


 正面の男が剣を抜いた。手が震えている。


 十歩。


 男が踏み込んだ。剣が横薙ぎに振られた。


 セラの体が沈んだ。刃の下を潜り、右の拳を男の胴に叩き込む。鎧ごと押し込まれ、男の足が地面から離れた。


 崩れた。


 左右から二人が同時に来た。セラは左の男の手首を掴んで引き寄せ、右の男の前に押し出す。二人がぶつかった隙に、踵で左の男の膝裏を蹴った。崩れ落ちた男を跨いで、右の男の顎を掌底で打ち上げる。


 三人。


 残りの足が止まった。剣を構えたまま、動けない。


「逃げるなら今だよ! 次は手加減しないから!」


 男たちが剣を捨てた。一人が投げると、次々に金属が地面に落ちる。背を向けて森の中へ走り去った。


 セラは息を吐いた。拳を開く。


「団長」


 グラドが後方から歩いてきた。


「怪我は?」


「ない。あっちは知らないけど」


 セラが倒れた三人を親指で示した。グラドは一瞥して、それ以上何も言わなかった。


 街道の向こうから、荷車の音が聞こえてきた。


「ライカ! 護衛につけ!」


「行ってます!」


 ライカがすでに駆け出していた。騎士団が左右に展開し、商隊の前後を挟む。荷車の御者が、両脇に並ぶ騎士たちを見て目を丸くしていた。


「大丈夫。護衛です!」


 セラが御者に声をかけた。御者の表情がほどけた。


 荷車の列が進み出した。車輪が石畳を踏む音が、前から後ろへ流れていく。止まっていた荷が、また動いている。


 セラは街道の端に立って、それを見ていた。


 ライカが戻ってきた。


「次の商隊、もう見えてます!」


「よし! そのまま護衛を続けて!」


 グラドが隊列の後方を確認し、短く頷いた。


 街道に、荷車の列が戻り始めていた。


◇◇◇


 城下の通りに、声が落ちていた。


 市場は開いている。荷も並んでいる。しかし、いつもの賑わいとは違った。商人たちの声が低い。買い手が足を止めても、どこか探るような目をしている。


 ゼノリスは通りの端を歩いていた。


 二人の男が、露店の裏で立ち話をしている。声は抑えているが、聞こえた。


「農地ばかり手が入って、こっちは後回しだ」


「結局、土をいじる連中が優遇されてるんだよ」


 男たちはゼノリスに気づいていなかった。ゼノリスは足を止めず、そのまま通り過ぎた。


 別の場所でも似た声があった。


「商人が儲けすぎだ。俺たちが作った物を、あいつらが売って金を取っている」


 農夫の男が、柵に腰掛けて隣の男に話していた。隣の男は黙って聞いている。


 カイロの報告通りだった。


 ゼノリスは市場を抜けた。


 広場にある木の前で、カイロが待っていた。ゼノリスが近づくと、短く報告した。


「三人、特定しました。いずれも十日以内に領内に入った者です。領民ではありません」


「動きは?」


「市場と農地の両方を回っています。同じ話を別々の場所で広めている。商人には農民の不満を、農民には商人への不満を」


「対立の種を両側に撒いているということですね」


「はい。放っておけば、自然に広がります」


 ゼノリスはしばらく黙っていた。


「捕らえますか?」


 カイロが聞いた。


「いいえ。まだです」


「まだ……ですか?」


「領民たちは、そこまで弱くはありません」


 カイロが一瞬だけゼノリスを見た。何も言わず、視線を戻した。


◇◇◇


 翌日、ゼノリスは再び市場へ足を運んだ。


 市場の空気が変わっていた。きっかけは、一人の農夫だった。


 市場の入口に立っていた男が、隣にいた商人に話しかけた。背の高い、日に焼けた顔の男だった。


「なあ、あんた。最近、変な噂を聞いたか?」


 商人が振り向いた。手に布の束を持っている。


「聞いた。農民ばかり優遇されてるって話だろう?」


「それだ。で、俺のところには『商人が儲けすぎだ』って話が来てる」


 二人は顔を見合わせた。


「……おかしくないか?」


 農夫が言った。


「俺たちが作った芋を、あんたが売ってくれてるんだ。あんたが売ってくれなきゃ、芋は腐る。あんたが儲けてくれなきゃ、俺たちも困る」


「こっちだって同じだ。あんたらが作ってくれなきゃ、売るものがない」


 二人の声は大きくなかった。しかし、周囲の者が足を止めた。


「そうだよな。俺たちは回ってるんだ。農地で作って、街道で運んで、市場で売る。どこが欠けても回らない」


 別の男が口を開いた。


「……そういえば、『農民が優遇されている』って言い方だったな」


「農民? ここでそんな呼び方するやつはいないぞ」


「ゼノリス様も俺たちのことを農夫って呼ぶ。農民なんて言い方は、外の連中の言葉だ」


 市場が静まった。


 視線が動いた。露店の間を歩いている男が一人いた。見覚えのない顔だった。この市場で買い物をしている様子はなく、ただ人の間を移動している。


「あんた、さっき『農民が』って言ってたよな? あんた、誰だ?」


 農夫が声をかけた。


 男が足を止めた。振り返ったが、表情が硬い。


「……と、通りすがりだ」


「通りすがりにしては、毎日ここにいるな」


 商人が言った。


 周囲の領民が、一人、また一人と足を止めた。男を囲むように、自然と輪ができていた。


「お前が噂を流していたのか」


 男は答えなかった。目が泳いでいる。一歩下がった。しかし後ろにも人がいた。


「動くな」


 低く、短い声がした。


 カイロだった。いつの間にか、男の背後に立っていた。男の腕を取り、後ろ手に押さえた。男は抵抗しなかった。


 ゼノリスは広場の端に立っていた。市場の入口から、一部始終を見ていた。


 農夫と商人が、まだ並んで立っている。二人ともゼノリスの方を見た。


「ゼノリス様」


 農夫が頭を下げた。


「騙されかけました。すみません」


「いいえ。気づいたのは、あなたたちです」


 ゼノリスが言った。


「農地で作り、街道で運び、市場で売る。あなたたちがそれを分かっていたから、嘘は通じなかった。この国は、あなたたちが回しています」


 農夫が顔を上げた。商人もだった。二人の表情が変わった。それは、言葉を受け取った顔だった。


◇◇◇


 執務室に戻ると、カイロがすでにいた。


「捕らえた工作員は全員で三人です、いずれも勇者軍の末端兵でした。領民に紛れ込み、対立を煽るよう指示を受けたと、吐きました」


「処遇はどうしますか?」

「拘束中です。指示を出した者の情報を引き出します」


 ゼノリスは椅子に座った。


「セラの方は?」


「西側の護衛は継続中です。今日だけで四隊の商隊を通しました。襲撃はセラたち騎士団が出てから止まっています」


「そうですか」


 ゼノリスは窓に目を向けた。通りに人が歩いている。市場の方から、いつもの賑わいが戻っていた。朝とは違う、いつもの声だった。


「領民たち自身で、気づいてくれました」


 カイロは答えなかった。少しの間があった。


「……あの農夫と商人は、自分たちの仕事に誇りを持っていました。だから噂を疑えた」


 カイロの声は平らだった。しかし言葉を選んでいた。


「誇りを持てる場所を作ったのは、ゼノリス様です」


「いいえ。場所を作っただけです。そこに立ったのは、あの人たちです」


 カイロが何か言いかけて、やめた。その代わりに、手元の書類に目を落とした。


「次の報告です」


「はい」


「物流妨害と内部対立工作は押さえました。ただ――」


 カイロが言葉を切った。窓の外では、荷車が城門をくぐっていた。市場の声が、風に乗って聞こえている。


「――これで終わりとは思えません」


 ゼノリスは頷いた。



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