表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第三部:地固め

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
123/132

第123話:「制度の壁」

 棚の端に、束が積まれていた。


 帳簿の列の中、一冊だけ厚みが増している。カイロが机の前に立ち、ノアが少し後ろに立っていた。


 カイロは帳簿を開いた。指先が紙を押さえ、一行ずつ滑る。


「通行証の停止から十日です」


 声は低く、平らだった。


「食料の在庫は問題ありません。ただ、薬草が三割。加工品の一部は入荷が止まっています。このまま続けば、二週間で不足が出始めます」


 ゼノリスは手元の紙から目を上げた。


「商人たちの動きは?」


「迂回路を探している者もいますが、聖教会の認可が必要な地点を避けては通れません」


 カイロが帳簿を閉じた。それだけだった。事実の外側に何も乗せない語り口だった。


 ノアが机の端に地図を広げた。折り目が几帳面に揃っていた。指先が二か所を押さえる。


「ここと、ここです」


 魔王領への物資の入口が二つ。いずれも聖教会の出張所が置かれた街道の分岐点だった。


「通行証の発行権を押さえれば、流れを止められる。聖教会はその構造を、数十年かけて作り上げています」


 ノアが指を動かした。


「認可。流通。採掘。工房。すべてに、聖教会の判が必要になっています。これは軍ではなく制度です。たとえ商人が信仰を捨てても、この『判』による利益だけは捨てられないよう、制度で国家を束ねる仕組みです」


 ゼノリスは地図を見た。ノアの指が示した二点から、魔王領への線が伸びている。


「どこか一か所を動かしても、変わらない」


 ノアが続けた。


「制度に依存している限り、この妨害は続きます。止めたければ、依存を断つしかありません」


 室内が静かになった。


 カイロは動かなかった。壁際に立ち、視線を床の一点に置いている。ノアは地図から目を上げず、指先で折り目のない部分をそっと押さえていた。


 ゼノリスは立ち上がった。


「シルヴァを呼んでください」


 ノアの指が、地図の上で止まった。


◇◇◇


 しばらくして、シルヴァが入ってきた。


 外套の袖に、細かいインクの染みがあった。作業の途中で呼ばれたのか、携行用の術式札が外套の内側からわずかに覗いていた。


 机の前に立ち、静かに待った。瞬きが少ない。構造を透かし見るような目だった。


「独自の通行証を作りたい」


 ゼノリスは言った。


 シルヴァは即座には答えなかった。一拍、置いた。


「術式付与、ですね」


「そうです」


「どの程度の付与が必要ですか?」


「一目で本物と分かり、複製できないものを」


 また、間があった。


 シルヴァの視線がゼノリスから外れ、机の端の一点へ移った。何かを計算するように指先が、外套の袖口にかかっている。


 窓枠の下の石の隙間に、朝にはなかった白い小花が一輪、咲いていた。


 カイロの視線がそちらへ動いた。ノアも気づいたが、何も言わなかった。二人とも、すぐに元の位置へ目を戻した。


「……興味深い依頼です」


 シルヴァが言った。語尾は柔らかかったが、その内側に何かが灯ったような声だった。


「術式の構造から設計します。完成まで、半日いただけますか」


「お願いします」


 シルヴァが一礼した。振り返り、扉へ向かう。その背中が廊下に消えるまで、室内に足音は響かなかった。


 ゼノリスは窓の外へ目を向けた。街道に荷車の姿はなかった。昨日も、その前の日も、同じだった。


 しかし、それは変わる。


◇◇◇


 机の上に、白紙が一枚置かれていた。


 シルヴァはペンの先を紙に当てた。


 魔力が走った。線が紙の表面に刻まれる。折れ、角を作り、また走る。速度は一定だった。止まらない。一本の線が終わると、次が始まった。


 しばらくして、シルヴァはペンを置いた。


 紙を持ち上げ、窓の光に透かした。細かい模様が均一に浮いている。端の一本まで、乱れがなかった。


 扉が開いた。


 カイロが入ってきた。部屋の中ほどで足を止め、シルヴァの手元を見た。


 シルヴァは黙ったまま、通行証を差し出した。


 カイロが受け取った。光に透かす。指が縁に沿って動く。表から裏へ、もう一度表へ。時間をかけた確認だった。


「模倣は不可能です」


 シルヴァが言った。


「術式の構造ごと理解しないと複製できない。聖教会の教義では、この原理にたどり着けないでしょう」


 カイロが通行証を返した。


「承知しました」


 それだけだった。カイロは扉へ向かった。出ていく前に一度だけ振り返り、何も言わずに出ていった。


 シルヴァは次の紙を台に置いた。ペンを持つ。


◇◇◇


 国境の検問所の脇に、荷車が三台、止まっていた。


 リムは御者台に座ったまま、前を見ていた。石畳の先に、聖教会の出張所がある。そこにある立て札は十日前から変わらず『発行停止中』という字だった。


 荷台には革細工と金属部品が積んである。魔王領の商人から注文が来ていた。届けなければ、次の取引はないかもしれない。後ろの馬車の男は今日も検問所まで歩いていき、また戻ってきた。


「今日もだめだ」


 男が言った。


 リムは答えなかった。


「失礼します」


 声がした。


 リムは顔を上げた。荷車の脇に、男が一人立っていた。近づいてくる気配がなかった。暗色の軽装で、細身だった。切れ長の目元が、感情を乗せていない。


「魔王領補佐、カイロと申します。国境で足止めされている商人の方々に、お伝えしたいことがあって参りました」


 リムは手綱を握ったまま、男を見た。魔王領。その言葉が頭の中で引っかかった。噂は聞いていた。良いものも、悪いものも。


「……何の用だ」


「独自の通行証を発行しました。これがあれば、聖教会の認可なしに魔王領との取引が続けられます。受け取っていただけますか?」


 男が紙を一枚、差し出した。


 リムはすぐには取らなかった。魔王領の者が突然現れ、見知らぬ紙を渡してくる。なにか理由があるのは分かる。しかし、どんな理由があるにせよ、必ず裏もある。


 それでも、荷台の荷物が頭をよぎった。もう十日、ここで止まっている。この紙を受け取った時点で、聖教会との取引は終わるかもしれない。……このまま引き返すか、それとも。


 リムは紙を受け取った。


 白い紙だった。しかし表面に細かい模様がある。光に透かすと、線が浮かんだ。


 後ろの馬車の男が御者台を下りてきた。リムの手元を覗き込む。


「これは……」


「偽造はできません」


 説明はせず、カイロが静かに言った。


 リムは通行証をもう一度見た。線の精度が、目に見えて違った。自分が今まで扱ってきた証明書の、どれとも違う質だった。


 聖教会の窓口の立て札が、視界の端にある。


 リムは隣の男を見た。男もリムを見た。


 何も言わなかった。


 リムは手綱を取った。


 馬が頭を上げた。荷車が前へ動いた。石畳を踏む音が前から後ろへ続く。後ろの馬車も動いた。


「待て!」


 検問所の脇から、役人が一人出てきた。手を上げている。


「聖教会の認可がなければ、ここは通れない!」


 そう叫んでいた。


 だが、リムは止まらなかった。


 役人が一歩踏み出した。しかしそれ以上は動かなかった。


 リムには分かった。長年の商売で、この種の顔は何度も見ている。止めたい。しかし止める札がない。聖教会の認可制度は、認可の中にいる者を縛る仕組みだ。外に出た者を引き戻す力は、最初から設計されていない。


 三台が並んで、検問所の前を通り過ぎた。役人の声が後ろへ遠ざかる。


 リムは振り返らなかった。


 聖教会側との取引か、魔王領との取引か。天秤はとっくに傾いていた。


◇◇◇


 日が傾いていた。


 執務室の窓から、街道が見えた。荷車が一台、城下へ向かっている。昨日まで止まっていた荷が、今日は動いている。


 カイロが入ってきた。


「物資の流れが三か所、再開しました」


「詳細を」


「アルディア、ヴァルガン、グランフェル。三方面とも、本日中に荷が動き始めています。ただし、全員ではありません」


 ノアが帳面から目を上げた。


「通行証を受け取った商人と、受け取らなかった商人の間で、すでに軋轢が出ています。聖教会の認可を失うリスクを取るなという者と、魔王領との取引を続けた方が得だという者で、意見が割れ始めています」


 ゼノリスは窓の外を見ていた。


 荷車が城門をくぐった。荷台に積まれた荷が、門の内側へ消えた。それだけのことだった。しかしその一台が、十日前には動けなかった荷だった。


「制度が壁になるなら、壁を越える道を作ればいい」


 ゼノリスは言った。


「……ただ、それだけのことです」


 室内に、音がなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ