表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第三部:地固め

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
117/132

第117話:「市場の賑わい」

 市場は静かだった。


 朝の時間、荷を並べた商人が三人いた。足を止める者がいても、買わずに通り過ぎていく。声をかけあう者もなく、ただ人が流れていく。物はある。しかし、売れていない。


 ノアがその様子を見ていた。市場の入り口に立ち、一度だけ見渡した。


「仕組みがありません」


 隣に立つゼノリスに言った。視線は市場に向いたままだった。


「物流は戻っています。農作物も工芸品も、街道を通じて入ってきている。ただ、市場として機能していない。人が来る理由がない」


 ゼノリスが問い返した。


「……定期市をした方がいいかもしれませんね」


「はい。日を決めて、場所を決めて、売り手を集める。それだけで人の流れが変わります。加えて、この領地にしかないものを揃える。特産品です」


 ノアが手元の紙を広げた。商人と職人の名が並んでいる。


「この方たちに声をかけて、特産品を決める場を設けましょう。カイロさん、お願いできますか?」


「俺が話をつけます」


 カイロがすでに一歩前に出ていた。


 その日の午後、カイロは城下を回った。名簿の順に声をかけ、日程と場所を伝え、次へ向かう。返事を聞かずに背を向けることもあった。断られる気配がなかったからだ。段取りが整うのに、半日かからなかった。


 二日後、商人と職人が市場に集まった。


 一人の商人が、布を広げた。薄く、透けるような織りだった。指先でつまんで光に当てると、模様が浮き上がる。


「この布は、特産品にできます」


 商人が言った。抑えた声だったが、確信があった。


「他では出せない色です。染料の配合が違う。うちの家にしか伝わっていない」


 ゼノリスはその布を見た。光の中で揺れる模様が、確かに他では見たことのない色をしていた。


 別の場所では、年配の女が小さな束を机に置いていた。乾燥させた薬草だった。独特の香りが周囲に漂っている。


「この薬草は、他では手に入りません」


 女が言った。


「山の北斜面にしか生えない。採るのも難しいが、煎じると熱に効く。子どもの熱なら、一晩で下がります」


 隣で話を聞いていた商人が、その束を手に取り、匂いを確かめた。目が変わり、商人の目になった。


 カイロが全体を見渡しながら、商人たちの間を動いていた。話を聞き、配置を決め、開催日を告げる。声は短く、動きに無駄がなかった。


◇◇◇


 定期市は五日後に開かれた。


 朝から人が来た。前触れは口伝えだけだったが、それで足りた。農作物の山が並び、工芸品が机に並び、薬草の束が積まれた。布が風に揺れ、焼いた芋の匂いが漂った。


「こんなに賑やかな市場は初めてだ!」


 誰かが言った。


 子どもが走り、老人が立ち止まり、商人が声を張った。荷が動き、銭が動き、人が動いた。閑散としていた市場の石畳が、足音で埋まっていた。


 ゼノリスは市場の端に立って、その光景を見ていた。


 農地で育てられた野菜が、街道を通じて城下へ来た。職人が作った布と工芸品が、初めて人の目に触れた。山の薬草が、必要としていた人の手に届いた。それぞれが別々に動いていたものが、この場所で初めて繋がっていた。


 賑わいの中に、ノアが立っていた。商人たちの間を移動しながら、何かを確認している。定期市の次の日程を、すでに考えているのだろう。


 ゼノリスはノアに近づいた。


「次の定期市はいつにしますか?」


「月に二度が適切だと思います」


 ノアが答えた。手元の紙に目を落としたまま続ける。


「間隔が空きすぎると人の足が遠のく。詰めすぎると商人の仕入れが追いつかない。月二回、日を固定して告知する。それで習慣になります」


「通常の市場は?」


「定期市以外の日も開けます。ただし規模は小さくていい。特産品の常設と、日用品の売買だけで回ります。定期市が軸になれば、通常の市場も自然と人が来るようになります。たとえば『あの薬草屋は、市の立たない日でもあそこに居る』と、皆が覚えるからです」


 ゼノリスは市場を見渡した。


 これが、誠実な経済だった。


◇◇◇


 執務室に戻ると、扉が少し開いていた。


 隙間から声が聞こえた。


「ノアお疲れ! 食べて食べて!」


 セラの声だった。


 ゼノリスが扉を開けると、机の上に甘味が並んでいた。焼き菓子、干した果実、蜜を絡めた木の実。どれも小皿に盛られ、机の端から端まで占領している。


 ガルムが部屋の隅に仁王立ちしていた。腕を組み、いつもの重厚な表情のまま、しかし目元だけが満足そうだった。差し入れの主は明らかだった。


 ノアは椅子に座ったまま、皿と皿の間で小さくなっていた。目が虚ろで、視線が定まっていない。


「ノア、昨日も徹夜だったんでしょ?」


 セラが言った。


「……一昨日もです」


 カイロが書類から目を上げずに返した。


「その前の日も」


 シルヴァが静かに添えた。


 ノアがゆっくりと三人を見た。いつもの鋭さがない。目が、顔が、とろけている。


「……あまいもの……ほちい」


 全員が静止した。


「ノア!?」


「……ほちい、です」

「あるよ! 目の前にあるじゃん! 早く食べな!」


 セラが両手で皿を差し出した。ノアは皿を受け取り、一口食べた。少しの間があった。何かが戻ってきたような顔をした。


「……いただきます」


「順番!」


 セラが突っ込んだ。


 シルヴァが静かに机の端に立ち、小皿をもう一つ追加した。


「ノア。頭を使いすぎです。食べてください」


 言いながら、シルヴァの周囲にごく小さな花が一輪、音もなく咲いた。セラがそれを見て、口を開きかけた。シルヴァが先に口を開いた。


「……何もありませんよ」


「咲いてたよ。いま」


「気のせいです」


「気のせいじゃない、カイロも見たよね?」


 カイロが一瞬だけセラを見た。それから視線を前に戻した。


「見ていない」


「ウソ……! 見てたでしょ!」


 カイロがゼノリスの傍に来て、無言で椅子を一脚引いた。会話から抜けるタイミングを測っていたのかもしれない。ゼノリスは席についた。


 ガルムが部屋の隅から全員を見渡していた。セラがノアに甘味を押しつけ、シルヴァが花を否定し、カイロが黙って椅子を引く。ノアが甘味を手に、少しずついつもの顔に戻っていく。その光景を、ガルムはただ黙って見ていた。目がじわりと潤んでいた。


「……ガルムさん、また泣いてる」


 ノアが静かに言った。糖分が戻ってきたらしい。


「泣いておらん」


「目が潤んでいます。事実です」


 シルヴァが静かに同意した。ガルムは腕を組んだまま、視線を天井に向けた。


「泣いてる泣いてる! ガルム泣いてる!」


 セラが指を差した。ガルムは何も言わなかった。視線は天井に向いたままだった。


 カイロが菓子を一つ、無言でガルムの方へ差し出した。ガルムは受け取った。一口食べた。


 強面が、溶けた。


 岩のような輪郭がほころび、細い目が弧を描いた。それは笑顔だった。笑顔のはずだった。しかし部屋の空気が、一瞬だけ変わった。


 ノアが顔を上げ、ガルムを見た。固まった。静かに視線を皿に戻した。


「……やっぱりこわい」


 ガルムは気づいていない様子だった。


 ゼノリスは焼き菓子を一つ取り、口に入れた。甘かった。


 しばらく、声と笑いと甘味の匂いが部屋に満ちた。


 市場の賑わいとは違う、小さな場所の温かさだった。


 ひとしきり声が落ち着いた頃、カイロが書類を手に取った。


「ゼノリス様」


 カイロが口を開いた。


「各分野の改革が同時進行しています。農地、街道、上下水道、城壁、そして市場。領地全体が、目覚ましい速度で再建されています」


 甘味の匂いが漂う部屋が静かになった。


 ゼノリスは机の上の小皿を見た。


「この調子で、領地全体を更に豊かにしていきましょう」


 ゼノリスは言った。


 返事の代わりに、セラが皿を差し出してきた。ゼノリスはそれを受け取った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ