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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第三部:地固め

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第115話:「清らかな水」

 翌朝、ノアが執務室に設計図を持ってきた。


 机の上に広げられた紙には、城下の区画が碁盤状に引かれていた。その上に二種類の線が走っている。赤と青、二色だった。


「赤が上水、青が下水です」


 ノアが言った。ペンの先が赤の線をなぞる。城の南側から市場、居住区、広場を通り、城下の隅々まで枝分かれしていた。


「上水は地下水脈から引きます。清潔な水を各所へ届ける。下水は使用済みの水と汚水を集めて、城下の外へ排出する」


 ペンが青の線に移った。赤とは逆方向に流れ、城下の外縁へ向かっている。


「両方が揃って初めて機能します。上水だけでは、使った水の行き場がない。溜まった汚水が病気を広めます。清潔な水は、病気を防ぎます。これは最優先事項です」


 ノアがそう言って、ペンを置いた。


 ゼノリスは設計図の線をたどった。水が通る道筋が、城下全体に張り巡らされている。


「……水脈が要りますね」


「はい。問題はそこです」


 ノアが別の紙を出した。城下の地下構造を示した図だった。斜線の多い複雑な構造が描かれていたが、特定の箇所に疑問符が打たれている。


「地下水脈の位置が特定できていません。掘る場所を間違えると、設備全体が無駄になる」


 ゼノリスは紙の上の疑問符を見た。


「心当たりがいます」


◇◇◇


 城下の南端、建物が途切れて地面が剥き出しになった一角に、さくさくせい職人がいた。


 以前見出した者だ。年齢は四十代ほど、日に焼けた肌に、使い込まれた革の作業着を着ていた。


 ゼノリスが声をかけると、男は振り返った。


「地下の水脈を探してほしい。上下水道を引きたい」


 男は一度頷き、すぐに腰の道具袋から細い鉄の棒を取り出し、地面に膝をついた。


 棒の先を土に差し込む。少し押し、引き抜く。先端についた土を指で確かめた。色を見て、湿り気を確かめて、棒を別の場所に差し直す。同じことを繰り返した。場所を変えながら、少しずつ移動していく。


「地層の読み方があります」


 男が言った。作業の手を止めずに続ける。


「土の色と湿り気で、地下の構造がだいたい分かる。水を含んだ層は色が濃くなる。乾いた層とは手触りが違う」


 棒を引き抜いた。先端の土が、周囲より濃い色をしていた。


「ここは水を含んでいます。ただし浅いので、水量が少ない」


 男は立ち上がり、別の方向へ歩いた。同じ工程を繰り返す。差す、引く、確かめる。十数歩先で止まった。


 棒を引き抜いた。先端の土が、先ほどより濃かった。男が指でこねた。粘り気があった。


「ここです。水量も多い」


 傍にいたノアが紙を取り出し、ペンを走らせて二箇所に印を打った。


「試掘をします。本当に水脈があるか、細い穴を掘って確認します」


 男が道具袋から別の器具を出した。螺旋状の刃がついた、腕ほどの長さの掘削具だった。地面に当てて、両手で回し始める。少しずつ、地面に沈んでいく。


 しばらく掘り進んだところで、男の手が止まった。掘削具を引き抜くと、先端が濡れていた。


「水脈があります」


 断言だった。


 ノアが設計図の疑問符の上に実線を引いた。


「二本あれば足ります」


◇◇◇


 翌日から、工事が始まった。


 現場には三つの動きがあった。


 一つ目は採掘だった。採掘者たちが、さく井職人が示した位置から掘り始める。岩を砕き、土を掘り、深さを増していく。


 二つ目は配管の設置だった。掘り進んだ箇所に沿って、配管工の民たちが管を据えていく。上水用の管と下水用の管、二種類が並行して延びていった。赤と青の設計図がそのまま地面に降りてきたような光景だった。


 三つ目は術式の刻み込みだった。


 魔術兵団の団員たちが配管の設置と同時に動いていた。管が据えられるそばから、内壁に術式を走らせていく。青白い光が接合部ごとに灯り、次の箇所へ移る。現場のあちこちで、同じ光が点滅するように続いた。


 シルヴァがその列に沿って歩いていた。団員が術式を刻んだ箇所を一つずつ確認し、止まる。指先で縁をなぞり、光の筋を目で追う。


「この接合部、術式の終端が乱れています。刻み直してください」


 団員が頷き、すぐに手を戻した。


 シルヴァはすでに次の箇所へ移っていた。


 カイロが現場の端から全体を見渡していた。書類を脇に挟んだまま、三つの動きを同時に把握している。滞りが生じた箇所に一言だけ指示を飛ばし、流れを戻す。


「上水の第三区画、配管の接続が遅れています。採掘班を回してください」


 動きが修正された。現場が動き続ける。


 ゼノリスは工事の全体を見渡した。


 掘る者、管を据える者、術式を刻む者。それぞれが別の仕事をしていたが、同じ方向を向いていた。水が来る道と、水が出ていく道。その両方が、少しずつ形になっていく。


◇◇◇


 工事が始まって、数週間が経っていた。


 水脈まであともう少しの所に岩盤が残っていた。


 掘削現場に人が集まっていた。採掘者が岩の前にしゃがみ、表面に手を当てた。指の腹で押さえ、場所を変えてまた押さえる。岩の厚みと硬さを読んでいるような手つきだった。


 立ち上がった。


「割ります」


 周囲が静かになった。誰も動かなかった。


 採掘者がノミを構えた。息を吸い、止めた。


 一撃だった。


 岩が割れた。亀裂が走り、断面が開いた。冷たい空気が噴き出し、ゼノリスの頬に当たった。地下の空気だった。湿った、冷たい匂いがした。


 配管工が前に出た。割れた断面に配管の先端を当て、角度を確かめる。微調整して、押し込み固定した。


 配管の中を押し上がってくる音が低く響き、延びた管の先へ向かっていく。


 広場の方から声が上がった。


 水が出た、と誰かが言った。それが広がっていく。別の声が重なり、また別の声が続いた。


 採掘者がノミを下ろした。割れた岩を一度だけ見た。それから、ゼノリスを振り返った。何も言わなかった。ゼノリスも何も言わなかった。


 水の音が、地下から続いていた。


◇◇◇


 上水の開通を確認してから、ゼノリスは城下の外縁へ向かった。


 下水路の出口がそこにあった。石組みの水路が城壁の外側へ延び、あらかじめ掘削された巨大な沈殿池に向かって、その口を大きく開けていた。


 水が出ていた。


 濁った水だった。城下の各所から集められた使用済みの水が、管を通ってここまで来ている。勢いは穏やかだったが、止まらなかった。城下の外の低い地面へ向かって、流れ続けていた。


 シルヴァが隣に立っていた。出口の水路を見たまま、言った。


「浄化術式が機能しています。有害な成分は管の中で分解される。ここに出てくる頃には、土に還せる水になっています」


 ゼノリスは流れ出る水を見た。上水が城下に入り、下水が城下の外へ出ていく。水の道が、繋がっていた。


◇◇◇


 数日が過ぎた。


 市場の水桶が変わっていた。朝のうちから透明な水が保たれ、桶の底まで揺れている。野菜を洗っていた商人が、隣に声をかけた。


「井戸まで汲みに行かなくていいな」


「朝が楽になったよ」


 二言だけ交わして、それぞれの作業に戻った。


 居住区の路地を、ゼノリスは歩いた。先週まで熱を出していた子どもが、石畳の上に座り込んで地面に何かを描いている。傍に立っていた老いた女が、路地の奥に向かって声をかけた。言葉の内容は聞こえなかったが、声の張りは明るかった。


 路地の入り口で立ち止まり、ゼノリスはその様子を見た。


 街の匂いが変わっていた。以前は路地の奥に淀んでいた、湿った重い匂いがない。風が通っている。水が流れているからだった。使った水が溜まらず、外へ出ていくからだった。


 水が来て、水が出ていく。それだけのことが、路地の空気を変えていた。


◇◇◇


 城に戻ると、廊下にガルムがいた。


 壁のそばに立ち、ゼノリスを待っていたような立ち方をしていた。背筋が伸び、両手は体の前で組まれている。


「ゼノリス様」


 ガルムが口を開いた。


「上下水道、見事に完成しましたな。領民たちの顔色が、すでに変わっております」


「ええ」


 ゼノリスが答えると、ガルムは一度頷いた。それから、間を置いた。


「……しかしながら」


 声のトーンが、わずかに低くなった。


「城壁がまだ崩れたままでございます」


 ゼノリスを見る目は静かだった。報告の言葉を使っていたが、その奥にあるものは別だった。守ることに懸けてきた男が、守りきれない状況をそのままにしておけない。それが、静かな目の中にあった。


「農地も、街道も、水道も整いました。されど、外敵への備えだけが後回しのままでございます。城壁が崩れておる限り、守護隊が全力を尽くしましても、万全とは言えませぬ」


 ゼノリスはガルムを見た。


「分かりました」


 ゼノリスは言った。


「城壁の修復を進めましょう」


 ガルムの肩が、わずかに下がった。ほとんど分からないほどの変化だったが、ゼノリスには見えた。


「感謝いたします」


 ガルムが深く頭を下げた。


 廊下に静けさが戻った。外から、水の流れる音が届いていた。城下のどこかの水路の音が、ここまで来ていた。


 水が通った。次は壁だ。


 ゼノリスは廊下の先へ足を向けた。



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