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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第三部:地固め

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第114話:「道を繋ぐ」

 カイロがノアと共に執務室で待っていたのは、翌朝のことだった。


 ノアが地図を広げ、執務室の机に線が引かれていく。南北に走る幹線が三本。そのどれにも、赤い印が打たれていた。


「物流の動線が三本、完全に止まっています」


 ノアが言った。指先が地図の上を移動しながら、淀みなく言葉が続く。


「南街道は崩落が二箇所。東回りは橋が落ちています。西は路盤が沈下して荷車が通れない。どれも急いで手を打たないと、農地で収穫した作物を届ける手段がありません」


 ゼノリスは地図を見た。農地からの矢印が、どれも途中で途切れている。農地は回復した。作物は育つ。だが、運ぶ道がない。


「石工たちを集めましょう」


 ゼノリスが言うと、カイロが一歩前に出た。


「段取りは俺が組みます。三日で人員を揃えます」


「頼みます。ノア、現場の優先順位を」


「南街道を最初に動かします。距離と崩落の規模を見ると、三本の中で最も工期が短い。そこを繋げれば農地から城下までの動線が一本通ります」


 ノアの指が地図に触れ、南街道の線をなぞった。


「橋は?」


「東回りは後です。橋の架け替えには資材と時間が別にかかります。今は南から片付けます」


 カイロが書類を脇に挟んだ。


「三日後、現場に集合させます」


◇◇◇


 三日後の朝、街道予定地に人が集まっていた。


 城南の街門を出て半刻ほど歩いた先、かつて街道だった場所だ。石の列の跡がまだ残っているが、面が割れて段差になっている箇所、根ごと浮き上がった箇所と、崩れ方がまちまちだった。踏めばそのままずぶりと沈みそうな土が、その隙間を埋めていた。


 石工たちが来ていた。


 才能を見出された者たちだ。年齢も体格も種族もばらばらだった。若い男が二人、中年の女が一人、そして最も体格の大きい、白髪交じりの男が一人。その男が、崩れた石畳の前にしゃがんでいた。


 手が動いた。指の腹で石の表面をなぞり、次に拳の側面で軽く叩いた。音が鳴る。石の内側から返ってくる、くぐもった振動音だ。もう一度叩く。少し場所を変えて、また叩く。リズムが違った。音の返り方が違う。


 男はそれを繰り返した。叩く、聴く、移動する。一言も言わないまま、石から石へと膝を動かしていく。


 ゼノリスはその手を見ていた。


 この男の手はこうだった。石の前に膝をついて、誰も頼まれていないのに石の声を聴いていた。今、それが現実の仕事になっている。


「この石は」


 男がようやく口を開いた。顔は上げていなかった。


「割れる方向が決まっとる」


 指先が石の端に沿って一本の線を引いた。目には見えない線だ。だが男には見えているのだろう、躊躇なく指先が動いた。


「ここで割れば、角が揃う。無駄な加工が要らなくなる。使える石の数が増える」


 傍にいた若い石工の一人が、息を詰めて聞いていた。男の指先が描いた線の上に、自分の目を重ねるようにして、石を見ていた。


「……見えるんですか。その線」


「見えんよ」


 男は答えた。


「ただ、聴こえる」


 若い石工が黙った。ゼノリスも、何も言わなかった。


 男は立ち上がった。膝についた土を手で払い、崩れた石畳を見渡した。


「ゼノリス様」


 男が振り返った。目が合った。


「石は揃えます。急ぎの場所はどこですか?」


「南街道です」


「分かりました」


 それだけだった。男はもう視線を石に戻していた。


◇◇◇


 動き出したのは、その日の昼前だった。


 カイロが配置を飛ばしていく。掘削員、運搬係、石積み担当――それぞれの持ち場と動きを伝えていく。受け取った者から順に動き出す。次の者も続いた。


「石材の重量が問題になります。大きい石は人力では動かせません」


 カイロがゼノリスに向けて言った。視線は現場に向いたままだった。


「騎士団と、それと魔術兵団に声をかけます」


 セラはすぐに来た。


 騎士団の外套をつけたまま、現場に足を踏み入れた。石工たちが仕分けた石材の山を見て、一度だけ首を回した。


「でっか!」


 小さく言ってから、後ろを振り返った。


「ライカ、グラド、あと全員来て。石を動かす」


「先に行ってます!」


 先日セラが任命したばかりの副官たちが、返事より先に走り出した。セラが後に続く。


 石材の前に人が並んだ。


「いくよ、せーの――押す!」


 セラの声が飛んだ。騎士団員たちが石に手をかけ、体重をかけて押す。石が地面を擦る音が響いた。ズリ、ズリ、と重い石が動く。


「もう一回! そっちに回して、押す、押す!」


 声が現場に響く。石が動く。隙間に別の石が入る。石工の男が、騎士団の勢いに臆することなく指示を出した。


「そこじゃない、もっと右。少しでも浮けば、そこから路面が死ぬぞ!」


 ライカが眉を寄せた。


「言われた通りやってんだろ」


 低く呟いたが、グラドが視線だけで制していた。


 位置が直され、また押す。セラが「了解!」と短く応じ、泥にまみれて巨石を微調整した。


 セラ到着の一刻後、シルヴァが到着した。


 シルヴァが現場を一瞥して、必要な箇所に団員を配置している。指示は最小限だった。


 魔術兵団が岩盤の突出した箇所に向けて術式を放った。同時に、別の団員たちが緩んだ土に術式を放ち、地中の密度を均一に練り固めていく。


「今の術式展開、乱れませんでした。精度、上がっています」


 シルヴァが一人の団員に言った。団員が、わずかに姿勢を正した。


 土が固められ、石が敷き詰められていく。


 日が傾く頃には、現場に動く人影の数が減り、代わりに積まれた石の列が伸びていた。


 作業が終わる頃には、南街道の崩落箇所のうち一か所が、塞がれていた。石が並んで、面が揃って、踏めば固い感触が返ってくる地面になっていた。それは、大型の馬車が全速で駆けても、決して揺るがないであろう確かな硬度だった。


 カイロが端を踏んで確かめた。


「明日も同じ段取りで進めます」


 一言だけ言って、書類に目を戻した。


◇◇◇


 数週間後、街道が完成した。


 最初に通ったのは、荷車だった。


 夜明けから間もない時刻、御者台に座った男が手綱を握ったまま、修復された石畳の上に車輪を乗せた。一度だけ躊躇するように手綱を引き、それから緩めた。荷車が動く。車輪が石畳を踏む音が、静かな朝の空気に響いた。乾いた、硬い音だった。沈まない。ぶれない。最後まで同じ音が続いた。


 男が御者台の上で、一度だけ振り返り、来た道を見た。石が並び、面が揃っていた。轍の跡はまっすぐ伸びていた。男は前を向き、手綱を軽く鳴らした。


 南街道が通じた翌日から、荷が動き始めた。農地で収穫された野菜が、朝のうちに市場の台に並ぶ。昼には別の荷車が来て、別の荷を置いていく。夕方には売り切れた台が出た。


 ゼノリスが市場に入ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。


 人の声がした。値段を聞く声、答える声、笑い声。台の前に人が立ち、物を手に取り、また置く。種族も年齢もばらばらの人々が、同じ場所に集まって動いていた。


 商人の一人が、隣の商人に話しかけていた。荷を下ろしながら、肩越しに声をかけている。


「南から来たんだが、道が直ってるじゃないか。半日かからなかったぞ」


「本当か? 先月まで東回りで二日かかってたのに」


「石が揃っているから荷車が揺れない。あれは良い仕事だ」


 隣の商人が台の上の野菜を一つ手に取り、重さを確かめた。それから頷いた。


「次は木材も運んでくる。道さえ通れば、どこへも行けるし、仕入れにも行ける」


 二人の声が、市場の喧騒に混じっていった。


 ゼノリスは台の列の端に立って、その声を聞いていた。


 道を直した。それだけのことだった。石を並べ、面を揃えた。それだけのことが、人を動かし、物を動かし、声を増やしていた。市場の中に立っていると、その連鎖が体の周りで動いているのが分かった。


 民の一人が、ゼノリスに気づいた。


 台の前にいた中年の女だった。目が合った瞬間、女は深く頭を下げた。言葉はなかった。ゼノリスも何も言わなかった。女はそのまま顔を上げ、また台の前の作業に戻った。


◇◇◇


 市場を抜け、街道に出た。


 人が歩いていた。荷を背負った男、連れ立って話す女たち、走り抜けていく子ども。数日前まで、ここには崩れた石と土しかなかった。今は足音が途切れない。


 ゼノリスは街道の上に立ったまま、その先を見た。道が延びていた。城下から農地の方向へ、まっすぐに。その先にある農地では、水を得た作物が育っている。今日も農夫たちが畝の間で働いているはずだ。


「これで、人と物が自由に行き来できます」


 声に出すつもりはなかった。気づいたら言葉になっていた。


 隣に人の気配があった。


 ノアだった。いつからいたのか分からなかった。銀の髪が風に揺れている。長耳が光を受けていた。街道の端に並んで立ち、同じ方向を見ていた。


 少しの間があった。


「ゼノ様」


 ノアが口を開いた。声は静かだった。街道を見たまま、続ける。


「人の往来が増えれば、衛生環境の悪化が懸念されます」


 ゼノリスはノアを見た。


「物が動けば人が動く。人が動けば、水が要る。排水が要る。今の城下の設備では、これ以上の往来には対応できません」


「……そうですね」


 ノアが頷いた。街道から視線を外さないまま、短く答えた。


「はい」


 風が通った。石畳の上を、乾いた風が端から端まで抜けていった。


 ゼノリスは街道の先をもう一度見た。道がある。道の先に、農地がある。農地の先に、まだ手の届いていない場所がある。一つ繋がるたびに、次の切れ目が見えてくる。


 それで良かった。



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