表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第三部:地固め

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
111/131

第111話:「偵察の影」

 朝の光が、執務室の窓から差し込んでいた。


 ゼノリスは机に向かっていた。書類の束が左に積まれ、右には昨日ノアが置いていった兵站線の計算書が一枚、まだそのままになっている。ペンを持ったまま、最初の一行から動いていなかった。


 城壁の方向が、気になっていた。


 昨夜、カイロは『外から何かが近づいています』とだけ言った。それ以上は言わなかった。ゼノリス自身も、それ以上を聞かなかった。廊下を二人で歩きながら、城壁の灯りが揺れなかったことは覚えている。風が吹いても、揺れなかった。


 ペンを置いた。


 扉を三度、叩く音がした。


「どうぞ」


 カイロが入ってきた。扉を閉める音が低く鳴る。革靴の音が一定の間隔で近づいてくる。足音に迷いがない。


 机の前に立ったカイロは、報告の前に一拍だけ置いた。それだけで、ゼノリスには内容の重さが分かった。


「勇者軍の偵察部隊が、領地周辺に現れています」


 声は低く、平らだった。


 ゼノリスは背もたれに身を預けた。椅子が低く鳴った。


「いつからですか」


「昨夜から。城壁の西側、街道沿いを数名で動いています。現時点で接触はなし」


「人数は」


「確認できている範囲で五名。ただし、これは表に出ている数です」


 表に出ている数。カイロが言葉を選んでいる時、その言葉の裏には選ばなかった言葉がある。


「分かりました。ノアを呼んでもらえますか」


「すでに向かっています」


 カイロが答えた瞬間、廊下に足音がした。扉が三度叩かれる前に、ゼノリスは入るように促した。


◇◇◇


 ノアが入ってきた時、脇に帳面を抱え、右手に地図を持っていた。


 部屋に入るなり机の端の余白を確認し、地図を広げた。帳面を開く。指先が昨夜の書き込みをなぞる。動作に一切の停滞がなかった。


「見てください」


 ノアは地図の西側、街道に沿った一帯を指先でなぞった。


「昨夜から確認されている動線がここ。五名、徒歩。夜間は城壁の西角から約二百メートルの地点で停止していました。現在は少し引いています」


 地図の上に、ノアの指先が止まった。


「偵察ではありません」


 ゼノリスは目を上げた。


「威嚇です」


 ノアが続けた。帳面に目を落としたまま、指先だけが地図の角を押さえている。


「本当の偵察なら、もっと散開します。城壁際に固まって止まるのは、見られることを前提にしている。こちらに『気づいている』と知らせたいんです。魔王領がいまどれほど弱体化しているか――それを外に示すための材料が欲しいんです」


 室内が静かになった。


 ゼノリスは地図を見た。ノアが指した場所、街道の西、城壁の角。昨夜の灯りが並んでいた位置と重なる。


「報告を上げる相手がいる、ということですね」


「はい。この動き方は末端です。本人たちに判断権はない。見て、記録して、戻る。その先に誰かがいます」


 カイロが腕を組んだ。壁際に立ったまま、視線は地図に向いていた。


「なぜ今のタイミングで?」


 ゼノリスは地図から顔を上げずに言った。


「五機関の配置が形になったからです」


 ノアは帳面のページをめくった。


「動き始めた、という情報が外に漏れた。あるいは、漏れるのを待っていた」


 カイロが低く言った。


「情報源の特定は進めています」


 短い沈黙があった。


 ゼノリスは机の上の計算書に目を落とした。ノアが昨日置いていった仮の兵站線。北の街道に沿って引かれた線が、今は別の意味で見える。


 カイロが口を開いた。


「排除しますか?」


 声は平らだった。問いというより、選択肢の提示だった。やろうと思えばやれる。そういう意味の静けさだった。


 ゼノリスは顔を上げた。


 カイロが壁際に立っている。腕は解かれ、両手が自然に下りていた。ノアは地図の端を指先で押さえたまま、こちらを見ていた。帳面のページが、わずかに風で揺れた。


 ゼノリスは首を振った。


「いいえ」


 間があった。


「見せましょう。この国がどれほど変わるのかを」


 カイロが動かなかった。一拍、二拍。目だけが細くなった。反論ではなく、内容を測っている間だった。


 ノアは地図から視線を外した。帳面を閉じる。表紙の角を指先で押さえる。それだけだった。口は開かなかった。


 ゼノリスは続けた。


「彼らは記録して戻ります。それならば、記録させるものを選べる。今の魔王領が何を持っているか、何が動いているか――それを見て帰らせればいい」


「……偵察を、広報に使う、ということですか」


 ノアが言った。声が低かった。問いというより、確認だった。


「そういうことです」


 またノアが口を閉じた。今度は少し長かった。指先が帳面の表紙を、一度だけ叩いた。


「理解しました。動線の整理は俺がやる」


 カイロが言った。ゼノリスへ向けたものではなく、ノアへ向けていた。


「見せる順番と場所の選定は、ノアと詰める。問題ないか」


「ないです」


 ノアが短く返した。


 二人の間に言葉が続かなかった。それで十分だった。ゼノリスには、二人がすでに次の手順を組み始めているのが分かった。言葉にする前に動く。それがこの二人だった。


「よろしくお願いします」


 ゼノリスが言うと、カイロが短く頷いた。ノアは帳面を脇に抱え直した。


◇◇◇


 廊下は静かだった。


 執務室の扉を閉めると、足音が石床に低く響いた。昼前の廊下に人の気配はない。窓の外、城壁の方向に目が向いた。


 西側の城壁が見えた。


 灯りはまだ点いていない。昼の光の中で、城壁の石が白く反射している。ガルムが塞いだ要所が、光の中に静かに並んでいた。


 ゼノリスは歩みを止めた。


 偵察部隊は今も城壁の外にいる。見ている。記録している。何を報告するかを、すでに決めているかもしれない。弱体化した魔王領。再建の見込みのない荒れ地。そういう言葉を持ち帰るつもりで来ている。


 だが。


 廊下の奥から、セラの号令が聞こえた。石壁を抜けてくるほどの声だった。それに重なるように、複数の足音が石畳を叩いている。


 ゼノリスは窓枠に手をついた。城壁の向こうに、誰かがいる。目が届かない距離で、こちらを見ている。


 見ればいい。


 この魔王領が今どう動いているか、その目で確かめて帰ればいい。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ