第55話「ノーズトリル」
時刻はすでに11:50。
徐々に客足も激しくなってくる時間だが、本日の「コルボ」には異変が一つ。
「いらっしゃいませー」
一組、また一組と入ってくるお客さん。
いつもはその中に混じってくるはずの姿がない。
「こちらの席どうぞー」
異変を感じながらも、普段通りの接客に努めるスタッフ一同。しかし、徐々に不穏な空気が漂いはじめる。
「2卓の天ぷらラーメンできたわよー」
カリンに呼ばれてノアが料理を取りに向かう。
カウンターから海老天の乗った醤油ラーメンを受け取りながら、ノアがついに違和感の正体を口にした。
「今日、まだ店長来てないよね……?」
そう。いつもはこの時間帯のお客さんに混じって重役出勤してくる店長なのだが、今日はその姿がないのである。
「そうよね? そろそろ電話かけてみようかしら……?」
カリンはポケットから赤いスマートフォンを取り出し、電源を入れる。
すると、ちょうどメッセージアプリの通知が一件届いた。送り主は……店長だ。
「@カリン 言い忘れてたけど、今日から旅に出るから。店よろしく」
アプリを開くと、このようなメッセージが30秒前に届いたところだった。
心なしか、カリンのスマホを持つ腕はわなわな震えている。
「で? 店長は何だって?」
そんなカリンの様子を見て、嫌な予感がしたノアが尋ねる。
すると、カリンはまぶたをを閉じて、すうっと一呼吸つく。その次の瞬間。
「ふっざけんじゃないわよ!」
カリンの渾身の怒鳴り声が、店中に響き渡った。ついでに、それにびっくりしたアオイが、グラスを落とす音もした。
***
「いらっしゃいませー。ただいま満席ですので、こちらにお名前書いてお待ちくださいー」
こんな日に限って大盛況の店内。店の入り口には長蛇の列ができていた。
「なんか今日、多くない……?」
窓の外を見ながらノアが呟く。
店内に限らず、商店街にもいつも以上の人通りであふれている。
「それに、お客さんみんな同じTシャツ着てるわよね? もしかして、何かのイベントかしら? こんなときに限って……」
これから予想できる展開への絶望から、カリンの顔色が一気に暗くなる。
「あれ? 二人とも知らなかったの? 今日、商店街のイベントスペースで『ノーズ☆ピース』のライブがあるんだよ?」
そんな二人を見て、不思議そうに話すアオイ。
「え? 何そのバンド? ノア知ってる……?」
「いや、わたしが知るわけないじゃん……」
「えー。今、大人気の5人組アイドルユニットで、鼻で管楽器を吹くパフォーマンスがすごいカッコイイんだよ!? わたしの推しはねー、ホルン担当のゴンゾウさん! あのリップトリルならぬノーズトリルはもちろん、たまにうっかり飛び散る鼻水まですごいセクシーなの! 本当はわたしも行きたかったのに、チケット抽選落ちちゃったんだよねー……しょんぼり」
急に早口になって話し始めるアオイ。カリンとノアの頭上には無数の「?」マークが飛び交っていた。
「今の説明のどこにカッコイイ要素があったのかは分からないけど……。とりあえず、店が激混みするってことだけは分かったわ……」
顔を見合わせ絶望するカリンとノアであった。
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