もふ60 対決の行方
「どんな事があっても、いつも変わらず、あやつ、フリオ・サンチェスを愛してやってくれ。わしの願いはそれだけじゃ。」
広大な石の廊下を行きながら、アンドレアはかつての賢者セルバンテスの言葉を思い出していた。
あの時は、改めて乞われる程の事ではないと笑ったものだ。
しかし、今はどうだろう。
友人を倒した獰猛で残虐な獣人を、変わらず愛することが、この私にできるだろうか?
いいえ、いいえ、そんな筈は無い。
あのお優しいサンチェス様が、そんな事をする筈が無い!
「サンチェス様! サンチェス様あっ!」
アンドレアが泣きながら大広間へ足を踏み入れた時、凄まじい咆哮が立っていられない程の衝撃と共に襲って来た。
そして
アンドレアはドン・サンチェスにほぼ向き合うかたちでそれを見た。
鋭い目をして牙を剥き、闘争心に満ちたフリオ・サンチェスのその姿を、真正面から捉えたのだった。
「アン……ドレア……姫……。」
同じように、フリオ・サンチェスもエスカミーリョの向こう側に、広間に飛び込んで来たアンドレアが目に映った。
愛する人のその瞳に、顔に、浮かんだ戸惑いと恐縮を、頬に伝う涙を見た。
初めて彼女と出会った日も、彼女はこんなふうに、何かに追われるように怯えて涙を流していた。
何に対してそんなに怯えていたのかは敢えて問わなかったが、フリオは彼女をそんな目に遭わせたモノを憎み、自分は二度と彼女にそんな顔はさせまいと、アンドレアの寝顔に誓わぬ日はなかったというのに。
それなのに、今、この瞬間、彼女に再びこんな顔をさせたのは他ならぬ自分なのだと、フリオ・サンチェスは瞬時に悟った。
「アンドレア姫……。」
ドン・サンチェスの顔はいつもの穏やかさを取り戻し、ぴんと張っていた耳としっぽも垂れ下がった。
エスカミーリョとフリオの間にアンドレアが飛び込み、ドン・サンチェスのお腹に抱きついた。
「サンチェス様っ!」
「アンドレア姫……。」
恐れて逃げ出さずに、こうしてまた俺の胸に飛び込んでくれるのか。
ドン・サンチェスはアンドレアを抱きしめた。
自ら盾になり、俺とフリオを止めるとは。
この勝負の勝敗も、この命も、魔力を持たないこの小さな人間に握られているとは。
エスカミーリョは敗北を悟った。
ドン・サンチェスの腕の中で、アンドレアは顔を上げ声を弾ませた。
「今の、もう一回やって下さい!」
「へ? 今の? って?」
きょとん? と、するドン・サンチェスに、アンドレアはさらに続ける。
「激おこ熊ちゃんからしょんぼり熊ちゃんへ早変わりっ!」
「はあーーっ!?」
ドン・サンチェスとエスカミーリョの膝が、がっくし! と、砕けた。
その隙にアンドレアはドン・サンチェスのもふもふをつたって顔までよじ登り、顔の毛をぎゅうぎゅう引っ張り始めた。
その目には、先ほどの怯えの片鱗もなく、
ギャップ萌え☆
魔女がこの場にいたら、アンドレアの心の声を聞きとったであろう。
「ちょっと、ちょっと、痛い、痛い! やめてやめてー!」
ドン・サンチェスは手足をじたばたさせてアンドレアを振りほどこうとするも、もふもふにしがみつくのにも大分慣れてきたアンドレアは巧みに身体をくねらせてなかなか捕まらない。
「怒らないとダメなんですか? 怒ったフリだけ! お願いしますー!」
「いい加減にして下さーい! フリじゃなくて、本当に起こりますよー!」
って、それじゃアンドレア姫の思うツボじゃん!
ドン・サンチェスは自分で自分に突っこんだ。
「あのう。」
ほったらかしにされたエスカミーリョがぽつりと声をかけた。
「お取り込み中すまんが、俺の方はもう良いのか?」
「え?」
アンドレアが振り返ると、そこには。
「あら? あらあらあら? こちらは新しいお友達ですか?」
エスカミーリョは自分に対して向けられるアンドレアの視線に異変を感じた。
まるで、ぼさぼさのフリオを見る時のような瞳の輝きではないか。
アンドレアはドン・サンチェスから、ぴょん! と、飛び降り、両手を前に組んでエスカミーリョに歩み寄った。
その必要以上にキラキラした目にエスカミーリョは思わず後ずさってしまう。
「可愛らしい黒熊ちゃんですこと。まあまあ、あらあら、私ったら、とんだところをお見せして。サンチェス様、ご紹介して下さいな。」
「……アンドレア姫ってば、意外と浮気者なんですね。激おこ早変わりはもう良いんですか?」
ドン・サンチェスが面白く無さそうにぼそっと呟いた。
黒
熊
ちゃん
だと……?
それにしても、さっきから身体が重いような、暑いような……むずむずするような……。
エスカミーリョは自分の手を見つめ、
はっ!
と、血の気が引いた。
恐る恐るその手を顔に当てる。
もさもさ。
緊張感のない肌触りが手にからみつく。
まさか。
まさか……!
「な、
な、
何てことをしてくれたんだーー!!」
この騒動に気づいていない城中の魔女までもがエスカミーリョの悲鳴に叩き起こされた。
「あなた!」
セニョーラ・カミラが広間に飛び込んで来た。
「あなた、大丈……
あらあら。」
カミラは変わり果てた夫の姿に立ち尽くした。
広間の真ん中には、
真っ黒なぼさぼさの毛に、目の場所もわからなくなっている、
真っ黒熊ちゃん
が立っていた。
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